Room of 'Pon Chape'

趣味の記録や、お知らせなど。

標津線 仮乗降場ミステリー

2022-01-05 22:20:42 | ジオラマ

ワンダーフェスティバル2022冬まであと1か月少々。
今回もNゲージジオラマも出品予定です。

以前、北海道の仮乗降場風のジオラマを制作したことがあり、謎多き仮乗降場の沼にはまり始めています。

年々、仮乗降場由来の駅は姿を消しており、この数年はそのペースも加速していますが、
まだまだ往時の雰囲気を残す仮乗降場由来の駅も現存しており、いつかは訪れてみたいものです。

 

さて、仮乗降場といえば、全国版の時刻表には掲載されず、北海道内版の時刻表にのみ掲載されていることで知られていました。

しかし、その中には扱いが不思議なものも多数あったようで、
特に交通公社(現在のJTB)版「北海道時刻表」と弘済出版(現在の交通新聞社)版「道内時刻表」とで違う扱いを受けていた仮乗降場もいくつかあることで知られました。

今回はそういった仮乗降場について掘り下げてみたいと思います。
正直、掘り下げるほど謎が深まり、手元の情報不足が露呈してしまいました…。

 

まず、交通公社版(以下、北海道時刻表)には掲載がなく、弘済出版社版(以下、道内時刻表)にのみ掲載がある仮乗降場として有名だったのが、標津線「多和」仮乗降場。

標津線は平成元年廃線のため、昭和62年の民営化後はJRの路線となりました。
仮乗降場はJR化時に全て正式な駅または臨時駅となったため、多和もごく短い間ですが駅として存在しました。

駅昇格後はもちろん正式な駅として全国版の時刻表に掲載されていましたが、それまでは「道内時刻表」にのみ掲載されている仮乗降場として
異色の存在でした。

というのが今までの私の「知識」でしたが、先日入手した昭和38(1963)年7月号の「北海道時刻表」を見たところ、
なんと、後年の「北海道時刻表」では非掲載となっていた多和仮乗降場が掲載されていたのです。

そして、元々所持していた昭和47(1972)年交通公社版の標津線の項には多和は掲載されていませんでした。

これには私の認識が根底から覆されました。
そして、多和仮乗降場がどこかのタイミングでなぜか廃止もされていないのに北海道時刻表から削除されてしまったという謎の事態が発生していたことになります。
このことには非常に興味をそそられますが、如何せん情報に乏しく、今もって未解決の疑問となっています。

なお、昭和38年7月の改正は標津線にとっては大きな改正であったようで、上春別駅の新規開業があった改正です。
この改正を控えての発刊であったこの号の北海道時刻表ですが、もう一つの謎が、この改正から上春別駅が入るべき箇所に、「大成」という仮乗降場が掲載されていたという点です。

いくら調べても、「大成」という仮乗降場は標津線に存在したという記載は他の書物では見ることができませんでした。

また、上春別駅は「大成」という地区に開設されたとのことで、もしかすると「大成」は「上春別駅」の開業前の仮称であったのではないかと推測できます。
ただしこれを裏付ける証拠もまた見つけることができていません。

なお、後年、根室本線に大成臨時乗降場が開設され、JR化時に駅に昇格していますが、これは昭和61(1986)年に新設されたもので、昭和38年版の時刻表には当然掲載されていません。

また、昭和38年の標津線には多和の他に光進、開栄、平糸の3箇所がありましたが、光進、平糸は昭和42(1967)年に駅に昇格、開栄は多和と同様、JR化時に駅に昇格しています。

しかし、開栄は多和と異なり、最後まで北海道時刻表に掲載され続けていました。

多和は新駅の開業、仮乗降場の正駅化といった流れの中で図らずも歴史の彼方に埋もれていってしまったのかも知れませんね。

 

昭和38年当時、私が調べた限り、北海道だけで少なくとも136箇所存在していた仮乗降場。

その一つ一つに物語があり、それぞれに謎めいた背景がある。

調べれば調べるほど、不可解な点が見つかり、その奥深さには魅せられていく、それが仮乗降場なのです。


循環急行「いぶり」

2021-07-11 22:19:58 | ジオラマ

久々に、ちょっと変わった昔の列車を紹介したいと思います。

国鉄時代には、始発駅を出ていくつかの路線をぐるりと回って、また始発駅に戻って来る、
いわゆる「循環列車」というのがいくつか存在していました。

こうした列車は急行や快速などに見られ、列車名が付いていましたが、
大概は時計回りと反時計回りとで異なる名前を付けて区別していました。

しかし北海道にかつて存在した二つの「循環列車」はいずれも、どちら回りも同じ列車名になっていたのが特徴で、
うち昭和55(1980)年まで走っていた急行「いぶり」は廃止が比較的最近で、
この手の列車にしては長命だったこともあり、知名度が高い印象です。

急行「いぶり」は札幌発札幌行きの時計回り、反時計回り、1日各1本が設定されていました。

私の手元にある昭和52(1977)年2月号の交通公社刊「北海道時刻表」を見てみますと、
当時、反時計回りは札幌駅2番線発、札幌駅5番線着、
時計回りは札幌駅5番線発、札幌駅8番線着となっていました。
一周するのに6時間半~7時間かかっていましたが、始まりと結果だけを見ると、
3つ隣のホームに移動するだけで7時間もかかる不思議な列車、という見方もできます。

反時計回りは函館本線の上りとして札幌駅を発車、時計回りは千歳線の上りとして札幌駅を発車するので、
始発駅基準で見るとどちらも上り列車になってしまうため、呼び分けのしづらい両列車。

函館本線、今はなき胆振線、室蘭本線、千歳線を経由して一周し、
7時間前後かけて道央を大きく循環していました。

時計回りの列車と反時計回りの列車は、胆振線内の京極駅で擦れ違っていたようで、
京極駅では反時計回りの方が12分停車し、その間に時計回りの列車が後から京極駅に到着して先に発車するダイヤになっていました。

胆振線内も急行運転で、線内の停車駅は伊達紋別を出ると壮瞥、久保内、蟠溪、北湯沢と4駅連続停車し、
新大滝、御園、喜茂別、京極、倶知安という順でした。

意外に通過駅が多いです。

特定地方交通線に選定されるクラスの輸送密度の低い路線では、急行でも線内は普通列車扱いになるケースが多かったため、
急行「いぶり」はその点でも際立っています。
胆振線自体が83kmもある長大な路線で、かつ線内で終点にはならないため急行運転とされていたのかもしれません。

当時まだ新大滝~御園駅間には尾路園仮乗降場もあったものと思われますが、
ご存じの方もおられると思いますが尾路園は道内版の時刻表にも掲載されない数少ない仮乗降場であり、
無論私の参照した時刻表にも掲載されていませんでした。

正規の駅すら通過する急行「いぶり」が仮乗降場である尾路園に停車していたとは考えにくいですが。

またこの「いぶり」、岩内線に直通する急行「らいでん」や室蘭本線の急行「ちとせ」と併結して運転されており、
「いぶり」単独で走行するのは胆振線内のみでした。

使用車両は基本的にキハ22で、いわゆる典型的な「遜色急行」だったようです。

なお反時計回りの「いぶり」が札幌を発車した時点では、小沢から岩内線に入る「らいでん」と、
倶知安からさらに函館本線を上る上目名行きを併結していました。

上目名駅は利用者僅少のため国鉄時代に廃止となってしまった駅ですが、
この駅止まりの列車もこのように設定されていた、それなりに重要な駅だったことが窺えます。

ちなみに逆の時計回りの列車に併結する編成は上目名始発ではなく、蘭越始発でした。

以上は全て昭和52(1977)年2月当時のダイヤです。

室蘭本線が電化開業した昭和55(1980)年には廃止となり、胆振線自体も昭和61(1986)年に廃線となった今、
こんな列車があった時代も遠い過去のものとなってしまいました。

使用車両がキハ22ということで、Nゲージで再現することは容易ですね。

北海道のローカル線といえばキハ22、これさえ持っていれば北海道のさまざまな鉄道シーンを再現できそうです。

北海道の急行用気動車であるキハ56はプラ量産品としてはTOMIXからしか出ておらず、
それもしばらく生産が途絶えているので、なかなか入手しづらいです。

後期車の、パノラミックウィンドウをもつ200番台の生産がアナウンスされていますが、
やはり平窓の0番台も欲しいところですね。


東武500系「リバティ」のNゲージが発売

2021-01-19 02:55:10 | ジオラマ

だいぶ更新が開いてしまいました。

2021年最初の更新です。

明けましておめでとうございます。

本年も弊ブログをどうぞよろしくお願い致します。

 

さて、発売予定のアナウンスから随分経ち、何度も発売日が延期となったポポンデッタのNゲージ、「リバティ」。

https://maker.popondetta.com/maker/?p=557

↑メーカー公式ページです。

予約していた製品が昨日届きました。

私は3+3の6両編成セットを予約していました。

お値段は税抜きで定価29,100円也。

6両のセットとしては安くはありません。

元々、貨車を得意としていた河合商会を引き継いだメーカーですので、

最新型の電車は初の試みと言っても良く、価格が高くなるのも発売が遅くなるのも止むなしといったところです。

なかなか高級感のある化粧箱ですね。

さて、内容は…

全体的な印象把握は悪くないですね。

ただ、塗装に若干甘さというか、仕上げのムラが見られます。

色味は良いのですが、シャープさが今ひとつです。

中国製の製品にはありがちです。

個人的には、地の色はもう少しメタリック感があっても良い気がしましたが、その辺りは好みにもよるでしょう。

河合商会というと足立区の町工場というイメージで、

それをを引き継いだメーカーなので、てっきり国産だと思っていました。

あくまで個人的な先入観ですが。

 

ところで、発売が遅れに遅れた結果、実車紹介の内容が古くなってしまいました。

製品化決定の時点では8編成が活躍中でしたが、その後3編成が増備され、現在11編成となっています。

しかしメーカーの紹介では8編成のままとなっています。

製品の説明書にはその点は触れられていないので、現状との食い違いはありません。

細かなレタリングは綺麗に決まっています。

先頭車同士は一般的なアーノルトカプラーによります。

3両単独運転用に、ダミーカプラー付きのスカートが交換パーツとして附属します。

6両セットは車番が505Fと506Fです。

しかし、致命的な欠陥が…。(※重要追記あり、後述)

肉眼では分かりにくいのですが、側面の行き先表示を見ると、なんと、

両編成とも「リバティ会津」になっています。

連結して走らせたら、おかしなことになってしまいます。

動力の入っていない方の列車名は「リバティけごん」にして欲しかった…。

行き先は当たり障りのない「浅草」になっていて、全セットで同じ内容にしようという思惑に見えるのは気のせいでしょうか?

※追記

読者さまのご指摘で、これは私に届いた個体のエラーであることが分かりました。

動力の入っている方の編成は、きちんと「リバティけごん」に作り分けされておりました。

誤った記載をしてしまい、読者の皆様、メーカー様はじめ関係者様各位にはご迷惑、ご不快な思いをさせてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。

せっかく分割併合で柔軟な運用のできるリバティ、

行き先はシールで選択式にしてくれても良かったような。

このように、附属パーツはカプラーのみです。

 

ただ、全体的な印象は、良いと思います。

あとは一度走らせてみないと。

特徴的なライトの点灯も見ずにこの模型の評価をするのは片手落ちですね。

ライトはON/OFFが出来る構造です。

私がNゲージを始めた頃は画期的な機構でしたが、今では各社当たり前のように装備しています。

カプラーはTOMIXのお馴染みTNカプラーに交換できそうですね。

連結器関連の処理がどうもマイクロエースに似ている気が。

あちらも中国生産ですし、同じ下請け工場なのでしょうか?

国産で品質が安定していて、かつ低価格なKATOやTOMIXに比べると、多少遜色はあるものの、今後の製品展開は大いに期待できそうな、ポポンデッタの「リバティ」でした。

先月にはKATOが8000系を出してくれたので、時空を超えた邂逅が模型で実現します。

蛇足ですが、KATOは8000系を東上線仕様で出して来ると思っていましたが、嬉しいことに伊勢崎線に所属した編成の車番で製品化してくれました。

私は伊勢崎線所属のナンバーと分かって急遽ポチってしまいました。

東上線のナンバーだったら見送るつもりでした(8000系は未更新車のマイクロエース製品を既に持っていたので。更新車より未更新車の方が好きなのも理由の一つ。)

しかし有楽町線・副都心線関連のラインナップが充実しつつあるKATOですので、そちらを集めていらっしゃるファンの方はがっかりされたと思いますが…。

 

それより、ポポンデッタの店舗、足立区にも出来ないかな…。

と、河合商会が本社を置いていた足立区に住んでいる、いち東武ファンの妄言でした。


今日は何の日~10月14日~

2020-10-14 22:14:58 | ジオラマ

本日、10月14日はご存じの方も多いと思いますが、
「鉄道の日」です。

明治5(1872)年の太陽暦における10月14日が、日本で初めての
鉄道である新橋~横浜間の路線が本開業を迎えた日であります。

当時の新橋駅はのちの汐留貨物駅で、現存しません。
(現在の新橋駅は「烏森駅」として大正期に開業。)

また当時の横浜駅も、現在は「桜木町駅」となっています。

桜木町駅の発車メロディーが「線路は続くよどこまでも」
になっているのも、初の鉄道路線の終着駅がこの地であったこと
に因む、一種のご当地メロディーです。
(ただし「線路は続くよどこまでも」は元々アメリカ民謡の
「I've Been Working on the Railroad」に日本語の歌詞をつけたもので
桜木町と特別関係のある曲というわけではありません。)

なお、日本の鉄道はイギリスから技術を導入したのに始まるためか、
各鉄道会社とも、社名の英語表記はアメリカ英語の「railroad」ではなく
イギリス英語の「railway」を採用しています。

ご当地駅メロディーの嚆矢といえば、桜木町と同じ京浜東北・根岸線の
蒲田駅で採用されている「蒲田行進曲」でしょう。

近年になってご当地駅メロディーが乱発傾向にあり、他所の人が聴いても
何の曲かすらわからないようなご当地メロディーも多く、困惑させられるのは
私だけでしょうか?

 

ちなみに日本初の鉄道が「新橋~横浜」というのは記録上のことで、
実際にはそれよりわずかに早くから、鉱石輸送のトロッコなど、
産業用の鉄道が実用化され始めていた可能性もあるようで、
なかなか興味深い話だと思います。

まず、「鉄道」の定義は何ぞや、という話になっていきそうですが…。

さらに古くには、ペリーが来航した際に鉄道の模型を持ち込んだという
話も残されており、日本人と鉄道との関わりは江戸時代に始まるとも
言えるかと思います。

日本においてもヨーロッパ諸国のように鉄道模型は一定の趣味人口がおり、
ホビー界のなかでも大きな存在感を持っています。

地方都市などでは、モータリゼーションの進展や人の流動の変化で
鉄道が使命を終えたと言われる地域も少なくないですし、
日本の鉄道すべてが営利企業によって運営されている現在、
人口減少時代を迎えてどのように姿を変えて生き残っていくか、
向こう何十年かは鉄道の在り方から目が離せません。


今日は何の日~9月20日~

2020-09-20 22:06:51 | ジオラマ

今日、9月20日は、「バスの日」。

明治36(1903)年、日本で初めてバスが走り始めたのを
記念して制定されたそうです。

最近は鉄道模型の世界でもジオラマ用品としてバスの模型の
種類が大変充実してきました。

かつてはNゲージのジオラマ用品のバスと言えば、トミックスの
富士重5Eのフリーランスのカラーの2台セットくらいでしたが
のちにジオラマ中心の新興メーカーDDFが実在の事業者の
カラーリングのバスモデルを出すなど、ここ20年くらいで流れが
変わってきました。

近年はトミーテックの「バスコレ」が大変充実していて、
非常に多種多様な事業者・車種のモデルが流通していますね。

先日、中古ですが富士重5Eの5事業者セットを比較的安価で
入手することができました。

私は世代的に、「バス」というとこの富士重5Eのようなデザインの
車体が一番しっくりきます。

おそらくこの車種をモチーフにした玩具が子供の頃に多かったのだと
思います。


▲先述のセットの外装。


▲このうち、個人的に比較的馴染みのある西武バスの塗装を撮影。
もう少し丸みのあるイメージでしたが、模型にすると意外に角ばった印象です。


▲実物。バスはあまり詳しいわけではありませんが、富士重5Eの車体ですよね…?
写真は伊豆箱根バスです。箱根町内に乗り入れる路線では、伊豆箱根、箱根登山、沼津登山東海バスの3事業者いずれも
乗降とも前扉のみなので、後扉は締め切り扱いです。
車種によっては後扉を省略した車体を架装しているものも多く、長らく後扉のない車体が多数派を占めていましたが、
近年は車いすの乗降時に必要なため、低床バスの導入の進捗に合わせて後扉付きの比率も高まってきました。