久々に、ちょっと変わった昔の列車を紹介したいと思います。
国鉄時代には、始発駅を出ていくつかの路線をぐるりと回って、また始発駅に戻って来る、
いわゆる「循環列車」というのがいくつか存在していました。
こうした列車は急行や快速などに見られ、列車名が付いていましたが、
大概は時計回りと反時計回りとで異なる名前を付けて区別していました。
しかし北海道にかつて存在した二つの「循環列車」はいずれも、どちら回りも同じ列車名になっていたのが特徴で、
うち昭和55(1980)年まで走っていた急行「いぶり」は廃止が比較的最近で、
この手の列車にしては長命だったこともあり、知名度が高い印象です。
急行「いぶり」は札幌発札幌行きの時計回り、反時計回り、1日各1本が設定されていました。
私の手元にある昭和52(1977)年2月号の交通公社刊「北海道時刻表」を見てみますと、
当時、反時計回りは札幌駅2番線発、札幌駅5番線着、
時計回りは札幌駅5番線発、札幌駅8番線着となっていました。
一周するのに6時間半~7時間かかっていましたが、始まりと結果だけを見ると、
3つ隣のホームに移動するだけで7時間もかかる不思議な列車、という見方もできます。
反時計回りは函館本線の上りとして札幌駅を発車、時計回りは千歳線の上りとして札幌駅を発車するので、
始発駅基準で見るとどちらも上り列車になってしまうため、呼び分けのしづらい両列車。
函館本線、今はなき胆振線、室蘭本線、千歳線を経由して一周し、
7時間前後かけて道央を大きく循環していました。
時計回りの列車と反時計回りの列車は、胆振線内の京極駅で擦れ違っていたようで、
京極駅では反時計回りの方が12分停車し、その間に時計回りの列車が後から京極駅に到着して先に発車するダイヤになっていました。
胆振線内も急行運転で、線内の停車駅は伊達紋別を出ると壮瞥、久保内、蟠溪、北湯沢と4駅連続停車し、
新大滝、御園、喜茂別、京極、倶知安という順でした。
意外に通過駅が多いです。
特定地方交通線に選定されるクラスの輸送密度の低い路線では、急行でも線内は普通列車扱いになるケースが多かったため、
急行「いぶり」はその点でも際立っています。
胆振線自体が83kmもある長大な路線で、かつ線内で終点にはならないため急行運転とされていたのかもしれません。
当時まだ新大滝~御園駅間には尾路園仮乗降場もあったものと思われますが、
ご存じの方もおられると思いますが尾路園は道内版の時刻表にも掲載されない数少ない仮乗降場であり、
無論私の参照した時刻表にも掲載されていませんでした。
正規の駅すら通過する急行「いぶり」が仮乗降場である尾路園に停車していたとは考えにくいですが。
またこの「いぶり」、岩内線に直通する急行「らいでん」や室蘭本線の急行「ちとせ」と併結して運転されており、
「いぶり」単独で走行するのは胆振線内のみでした。
使用車両は基本的にキハ22で、いわゆる典型的な「遜色急行」だったようです。
なお反時計回りの「いぶり」が札幌を発車した時点では、小沢から岩内線に入る「らいでん」と、
倶知安からさらに函館本線を上る上目名行きを併結していました。
上目名駅は利用者僅少のため国鉄時代に廃止となってしまった駅ですが、
この駅止まりの列車もこのように設定されていた、それなりに重要な駅だったことが窺えます。
ちなみに逆の時計回りの列車に併結する編成は上目名始発ではなく、蘭越始発でした。
以上は全て昭和52(1977)年2月当時のダイヤです。
室蘭本線が電化開業した昭和55(1980)年には廃止となり、胆振線自体も昭和61(1986)年に廃線となった今、
こんな列車があった時代も遠い過去のものとなってしまいました。
使用車両がキハ22ということで、Nゲージで再現することは容易ですね。
北海道のローカル線といえばキハ22、これさえ持っていれば北海道のさまざまな鉄道シーンを再現できそうです。
北海道の急行用気動車であるキハ56はプラ量産品としてはTOMIXからしか出ておらず、
それもしばらく生産が途絶えているので、なかなか入手しづらいです。
後期車の、パノラミックウィンドウをもつ200番台の生産がアナウンスされていますが、
やはり平窓の0番台も欲しいところですね。