コトありで考えたこと

日々の生活の中で考えたことを書き綴った共同作成ブログです。

ヒスイ海岸

2024-03-19 18:00:00 | 冬雨

ヒスイ海岸という名前を初めて聞いたとき、
子供のころのようにわくわくしたことを覚えている。

たまたま見ていたテレビで特集されており、
遠方や近所からありとあらゆる人々が
ヒスイを拾いにその海岸にやってきていた。

ヒスイを拾いにいくなんて、絶対に面白い。

調べると自宅からそう遠くなかったため、
早速ヒスイを拾いにいった。

その海岸は砂利浜で、砂の上にびっしりと
大小さまざまな石がひしめきあっている。

 

 

砂浜しかみたことがなかったため、
それだけで感動してしまった。

波が寄せるたびに独特の音がする。
たくさんの石が擦れる音だ。

どの石も海水で濡れており、夏の強い日差しを
受けて輝いている。

もはやヒスイかどうかは半ばどうでもよくなり、
きれいな石を探して夢中になって拾い続けた。

近所でヒスイの鑑定を無料でやってくれるというため、
石を見せにいった。拾った中からヒスイらしき石を見繕い、
これなんですけど…と石を出すといい終わる前に、
慣れた手つきのおじいさんは「全部違う!」と言い放つ。

そんな一瞬でわかるものなのか…と呆然としていると、
おじいさんは「これが、本物」と、無表情はできるだけ
崩さないように、少しだけ自慢げにヒスイを見せてくれた。

それは水に濡れていないにも関わらず、細かい粒子が
きらきらと石のなかで踊るように輝いていた。
確かに一目見てわかる。

結局、拾った石を返すのももったいないので
自宅の水槽にいれた。ヒスイではなかったが、
メダカが泳ぐ水槽に沈む石はきれいだった。

今年こそはここに本物のヒスイをいられるだろうか。

(3月19日 冬雨 記)


サギの巣

2024-02-14 18:00:00 | 冬雨

今住んでいる家に引っ越してきて二年近くが経とうとしている。

これまで住んでいた地域は山を切り開いた団地で、歩いてどこかに
買い物にいくのは不可能といっていいような場所だったが、
引っ越し先はそこに比べるとずいぶん街中に近づいた。

そのためこれまで習慣になかった「歩く」という選択肢が加わり、
散歩もするようになった。移動は車が当たり前だったので、
歩くと今まで気付かなかったものに気付けて楽しい。

住み始めてからしばらくして気付いたのは、サギの巣の存在である。

何気なく散歩していたとき、はじめは偶然かと思ったが、意図的に
サギたちが一本の大木に集合していることに気が付いた。

それもかなりの数のサギが、その大きな木にぎゅっと凝縮されたように
とまっている。そのシュールさとかわいらしさに、気が付いたときは
笑ってしまった。

 

 

それからは散歩でそこを通るたびに大まかな数をチェックする。
今日は多いな、あれ、なんか今日は少ない?心のなかでサギに話しかける。

当然サギはじっとして動かない。こちらに見向きもせず、それぞれの枝に
絶妙なバランスでしがみついている。一度雷が落ちたとき、一斉に飛び立ち
方々に逃げていくのをみて、こちらがそれ以上に驚いてしまった。

サギたちがなぜその木に集合しているのかはわからないが、きっとサギ界では
優良物件なのであろう。餌が豊富な水辺が近い場所にある大木は、
確かにこの地域には多くない。ふたつめの優良物件を見つけられたら、
条件や個体数を比較できて楽しいかもしれないが、いまだ発見には至っていない。

(2月13日 冬雨 記)


懐かしい言葉

2024-01-30 18:00:00 | 冬雨

「わやくちゃや…」

何十年ぶりに聞いたにも関わらず、
妙に懐かしくしっくりくる言葉だった。

夕方のニュースで聞こえてきたその単語は能登の方言で、
めちゃくちゃというニュアンスなのだが、
何十年も聞いていないはずのその単語が懐かしく、
いまの状況にしっくりきて、思わず動きが止まった。

父は輪島出身である。といっても、ほぼ珠洲市に
近い山奥に生家がある。

集落からさらに車で20分程度山を登っていくとあるその家に、
夏になるとよく家族で遊びに行った。目の前は山を切り開いた
棚田がひろがっており、真っ青な空と静かにそよぐ稲穂が印象深い。
いまの自分を形成する大切な思い出だ。

テレビには見慣れた道路が板チョコのように割れている映像が
流れており、まるで現実感がない。わやくちゃという言葉が
ぴったりだった。

このような形で慣れ親しんだ方言が全国区のニュース番組から
流れてくる日がくるとは。ニュースに映る人々が何気なく
口にする単語や話し方が、とにかく懐かしくて悲しい。

1日でもはやく…もっと暖かくなれば…
そんなことを祈ることしかできない。

今はとにかく前だけ見て生活をするしかない。
少しずつ、日常を取り戻す努力をしていきたい。

 

(1月29日 冬雨 記)

 


タイの塩田

2023-12-27 18:00:00 | 冬雨

今どき珍しく社員旅行のある会社に勤めているため、
今年はタイのバンコクに旅行にいった。

旅行先のセレクトは総務課の担当者が行うのだが、
今年のラインナップは沖縄・台湾・タイで、
沖縄と台湾は何度か訪れたこともあり、
いったことのないタイを選択した。

夕食以外は自由行動のため、タイ人のガイドを雇い、
トラと写真を撮ったり水上マーケットで
船に乗りながらお土産を漁ったり、有名な寺院を見て回った。

観光地までひたすら高速道路を走っていると
突然田んぼが見えてきた。

ガイドに聞くと田んぼではなく塩田とのことだった。

海に面した地域のため、塩を作っているらしい。

道路沿いには一生分かと思う大量の塩が袋詰めされ、
売られていた。みんな見向きもせず通り過ぎていく。

 

 

塩田を管理しているあの男性は、
ここまでどうやって通っているのだろう。

徒歩か、車か、バイクか。

塩田の管理は何時から始めて、何時ごろ帰宅するのだろう。

何年塩田で働いているのだろう。

自分の持ち物なのか、雇われているのか。

毎日どれくらいの塩が売れるのだろう。

想像していると飽きないし楽しい。

旅行にいくと、
普段考えつかない暮らしを空想する余裕ができて、
それがストレス発散になっている。

バンコク近辺の塩田で塩をつくる生活。
日本人観光客を案内する生活。
象使いの人生に、象にのってはしゃぐ日本人。

人間の生活は多様性がありすぎて面白い。
まだまだ自分が知らない生活がたくさんあることにわくわくする。

帰りの飛行機のなか、来年もこんな時間がたくさんもてるよう、
一年何事もなく過ごせたらと思った。

(12月26日 冬雨 記)


瀬戸内海の船着き場

2023-12-01 18:00:00 | 冬雨

10月中旬に有給を取り友人と二人で
香川県に旅行にいった。

早朝、金沢駅からサンダーバードに乗り込み、
京都駅で新幹線に乗り換え、
さらに岡山駅で在来線に乗り換えた。

香川県についたときには5時間近い移動で
へとへとだったが、
その分旅行そのものの期待値も上がっていた。

うどん屋を何軒でも巡ってやる!と
意気込んでいたものの、
北陸ではまず感じられない、
こしの強いうどんに完全にノックアウトされ
二軒目を食べ終わるころには無言になっていた。

とにかくうどんを消化するためにホテル周辺を
ひたすら練り歩き、フェリー乗り場を意味もなく
散策して港町を楽しんだ。

日も暮れたころ、巨大なフェリー(石川県民からすれば)から
ぞろぞろと降りてくる人々やさっさと乗り込んでいく人々、
大型バスや自家用車が交差するのをみて、
当たり前のことではあるが、同じ日本でもこんなに生活が
違うのかと不思議な気持ちになった。

ここで生活する人々にとってはフェリーに乗ることも、
港からたくさんの島の影が見えることも当たり前なのだ。

見慣れない穏やかな瀬戸内海と
そこに浮かぶ巨大な影を見つめながら、
日本海の冷たい荒波が懐かしく感じた。

 

(11月29日 冬雨 記)