コトありで考えたこと

日々の生活の中で考えたことを書き綴った共同作成ブログです。

待ちに待った花

2024-04-13 18:00:00 | Sora

新居に引っ越してきた一昨年の10月にオーナーさんから
頂いたブルーベリーの苗があったのですが、
定期的に肥料をあげたりしてお世話していたら、
この春に花をつけました。

 

 

北海道の実家にあるブルーベリーは私の背丈を
越すほどに育って毎年たわわに実をつけてくれます。

帰省したときに子どもたちと収穫するのも楽しみの
一つだったので、こちらでも何か収穫できたらいいなぁと
思っていたところに、苗をいただいたのでした。

果たして実になってくれるでしょうか?

不安と期待でドキドキしていますが、
いつかこの小さな木も大きくなって、
たくさんの実をつけてくれる日を夢見ています。

(4月11日 Sora記)


森のくまさん

2024-04-12 18:00:00 | kuu

雪山登山者がくまの足跡を見つけました。

その先には生きることが出来なかった
痩せこけたくまさんが死んでいました。

そう
去年の夏は暑くて木の実が実のらなかった。

だから山から山里へ…

安心して暮らすことが出来ないから出稼ぎに行きました。

「人間と出会ったら怖いなぁ…」とつぶゆきながら。
人間を脅やかしてしまいました。

出稼ぎに行ったまま戻れなかった仲間
冬に彷徨い歩き
春になっても森にはもう戻れない…

 

 

森を壊したのは誰?
木を伐採し団地やゴルフ場が作られました。
エネルギー開発で地球が汚れました。

森のくまさんだけじゃない。
北極に生きるくまさんだって…

想像してごらん

今この時
北極の白くまさん
地球が暖まり氷が溶け小さくなった氷河のカケラに取り残されて
行き場を失い〝ドボン〟と海に落ちて流され死んじゃうんだって。

くまを森に返そうよ
白くまを氷の国へ戻そうよ

私たちも同じように
食べ物を求めて彷徨い歩く日が近いかもしれない

もっと地球のこと考えよう
今私たちに出来ることだって
きっとあるはず

(4月9日 kuu記)


ほおずきの記憶

2024-04-02 18:00:00 | Sora

一年生の国語の宿題で「う」と「お」の使い方の
問題が出たことがありました。

その中に「ほうずき」「ほおずき」と、どちらが
正しいかという問題があったのです。

ところが「ほうずき?ほおずき?って何?」と。
ほおずきを見たことのない娘はそれが何かも
分からなかったのでした。

ほおずきは昔一緒に住んでいた祖母が畑に
植えていたので私にとっては日常風景として
見慣れたものの一つでした。

秋になるとプルーンの木の下に灯火のように
鮮やかなオレンジの実が幾つも連なるのです。

とはいえ、今いる環境では私もほおずきを一度も
見たことがなかったので、娘に実物を見せることが
できず、そのときは検索した画像のみ見せて教えたのでした。

この度、春休み実家に帰省したのですが、父に
ほおずきがないか聞いてみたところ、いくつか
残っていたのでした。

実際に見て触ってみて、娘はようやくこれが
ほおずきなのだと知ることができたのでした。

文字から実物に辿り着くまでに長い時間と距離が
かかりましたが、こんな風に学ぶのも時には
良いのではないでしょうか。

 

(4月1日 Sora記)

 


修了してからの生活

2024-04-01 18:00:00 | ウロミフ

人間の五感と記憶は、密接に結びついていると
聞いた記憶がある。

よく聞いていた音楽が聞こえたら、
初めて聞いたときは何をしていたのか、
この曲を好きになったきっかけを思い出す。

食べ物であれば,見た目やにおいなどで
それにまつわる思い出がよみがえることもある。

真偽は定かではないが,勉強においても
暗記したことを思い出すのにも役立つそうだ。

例えば、車の中で親が流していた曲、作業用BGMだと
紹介されているのに勉強が全く進まない曲、水族館の
ヒトデやウニがいた水槽のにおい、幼いころねだった
スープのにおいと味、書ききれないほどの事柄によって、
今まで様々なことを経験してきたのだと思い出すことが
できることがとても喜ばしく感じる。

しかし、日々積み重ねてきた記憶が、これほどまでに尊く,
ありがたく、かけがえのないものであると気づくことができた。

地元を離れて就職することになり、家族や友人の声が
聞こえる距離にいないことは何よりもさみしく感じられる。

それに押しつぶされそうになる時も増えるだろう、
そんな時に知った曲や食べ物で、次に会える時まで、
また会えるからという希望を胸にしまい込んで
生活していこうと思う。

 

(3月30日 ウロミフ記)