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Violinレイトスターター”ぽっとめ”の 日々のあれこれ。

音だけになる

2018-01-04 22:06:57 | Violn


Violin も そうですが、生きている この瞬間、瞬間が 表現で、創造だと 思っているところがあります。

そのきっかけとなったのは、ある歌い手さんとの出会いです。



初めてのViolinの発表会のときは、緊張のあまり吐いていたと書きましたが、

それ以降、何回経験しても、慣れることは無く、だんだん輪をかけてひどくなるので、

”呼吸”を学んだ方がいいのでは?と 友人からのアドバイスをもらいました。

ただ、呼吸を習うだけでは モチベーションが上がらず、音楽に関係することを探していたところ、

ちょうど その時出会った歌い手さんに 歌を習うことにしました。

「自分の声で 歌を歌う」というキャッチフレーズで、声楽的な発声ではなく、

自然な 心の奥にある表現の種から 歌を歌うというものです。

私は、身体全体で歌っていなくて、のどから 上だけで歌を歌っていると言われ、声が金属的だったそうです。



その歌い手さんは、音大で声楽を学んでいたのですが、その後劇団に入り活動していました。

劇団を辞められてから 声にまつわる表現(歌、朗読、歌語り、ミュージカル、歌つくりなど)を

自宅でレッスンされていました。

自分の体験と、歌詞、物語、セリフを重ねて、表現する。

そうすると、自分の中から、それにまつわるいろんな記憶や感情が 引き出されてきます。

感情が解放されて、泣きながら 歌ったり、セリフを言ったり、朗読したり…。

そのうちに、「私」という個人の体験からの 歌、セリフ、朗読から離れて、

「聴いてくださっている方々」ひとりひとりが、自分のこととして 受け止めてくれるような表現に行き当たります。

それは、ごくまれなことですが、練習を重ねていくと、身体の中に流れが出来て

それに ゆだねられると、あるとき 「それ」は起こります。

そうやって、「私」の表現ではなく、私を通すので私のフィルターがかかっているから 私らしさからは逃れられないけれど

「みんな」の表現になって、聴いてくださっている方々のこころに届く表現にまで 少しでも近づけたらいいなぁと思っています。

具体的には、本番の時は、練習してきたすべてを捨てて、”さら”になって 表現することのようです。



この方法は、本当に怖かったです。

自分の中の 醜いものが どんどん出てきてしまうのではないか。

そうなったときに 他者に受け入れてもらえないのではないか。

など、他者の評価がすべてだった私には、表現が出来なくなってしまいました。

歌も Violinも 弾けなくなってしまいました。



6年くらい 空白の時間がありました。

でも その間 なにもしなかったわけではありません。

こころのままに 絵を描くという表現方法で、ひとりで表現し、ひとりでそれを受け止めるという作業を 地道にしていました。

表現しないといられなかったのです。

それは 孤独な作業でしたが、孤独力が鍛えられました(*^-^*)



その後、Violinを復活した時、それまで 身体の脇を通り過ぎていく音を 身体の真ん中で受け止めたいと思い、

上記の演劇的方法で 自分とViolonと音楽を結び、その結びを手放すとういうことをしたくなりました。

表現方法としては、Violin の音は、私にとって、本当に素敵なものなのです (*^-^*)

奥が深くて、どこまでもどこまでも 可能性が広がっていて、心地が良いものなのです。



表現する事が 怖くなっていた私を また 表現する世界に戻してくれたのは、

その歌い手さんを通して知り合った、あるピアニストさんから 言われたことでした。

「最後は、”音”だけになるのよ。」

自我のない 主張のない私の音楽、Violinに対して、

弾けなくても「こう弾きたい」という想いが無ければだめだ。

そして最後は音だけになる。



音だけになるには、テクニックも スピリットも 全然 足りない私ですが、

遥かかなたに見える高い理想めざして 無邪気に 今日も 弾いています。