図2.古代近東のようす
遊牧民族が定着するには、豊富な水、食物、建築資材を一年中、確実に供給できることなどが満たされていなければならなかった。チグリス川とユーフラテス川の間の谷間や、ナイル川沿いの平原はそれに適していた。そこで、人々は潅漑や大規模耕作を行い、もはや遊牧に依存する必要がなくなった。
昔、チグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域をギリシア名でメソポタミアと言った。「川の間」という意味で、現在、その大部分がイラク領となっている。そこに、紀元前7,000年頃に最初の集落が誕生した。世界中で、同じようなことが始まっていたことは間違いないが、メソポタミアはわずかにより先んじていた。
集落は、最初、メソポタミア北東地域のムアラファタMuallafatにできた。その一番古い都市がジャルモで、紀元前8000年にさかのぼる。紀元前6000年頃には灌漑設備が作られ、焼き物が美術品として作られた。紀元前4300年頃には、アジアの南西部からナイル川下流に農民が移住し始め、最初のエジプト文明が築かれた。
福島憲人・有吉かおり p.4
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