理想の教育と現状、人間の育成
マネジメントシリーズ 子供の育成シリーズ
HP新作UP2002/4/15~移転UP2005/3/31より---ブログ再編集2019/9/8
2002年度より学校週五日制スタートで今一度、教育について考えてみましょう。
学校5日制はゆとりが無くなったとか、学力が低下したと言われますが、それは当然でしょう。
何故なら何ら効果的な教育法を確立したのでもなく、効率の高い学習を実施したのでもありませんから。
教育の現状と人間性の育成
9/8追記 バラエテイ番組と笑いの世界
戦後は米国GHQの支配下と北朝鮮に操られた日教組で教育政策は弱体化された
人間性の育成と理想の教育法
9/8 追記、ユニークな授業のイエナプランはオルナタティブ教育
学校が立地する環境について
孟母三遷の教え
我が国のみに見られる学歴の偏重における弊害は、予備校や学習塾の乱出を始めとして、参考書の氾濫など目に余るものがあります。
現在の日本の教育に置かれている実情をよく見極めて、これからの対策と進むべき方向を知る必要があります。
再掲した「新しき世界の創造神話と大和の甦生」より
7/5 近未来の理想的な日本の姿は伝統文化に秘められている
7/8 戦後の日本は虚偽の教育で人心は荒廃した
日本人劣化の原因は教育政策だけではない---1と2
8/17 「新しき世界の創造神話と大和の甦生3」より
学問の起こり、社会が求める能力
家庭教育と母親像の在り方も併せて参考して下さい。
続きは右をクリックを
あなたは、今の世の中で出世するためには、学歴とか資格が一番であるとお考えでしょうか。世間一般に多くの人々はその様に考えている様です。
世間の多くの人々は将来の幸せや豊かさや安心のためと称して、幼児を含めた低学年の内から名門校に入学できる様にと、学習塾へ通わせたり、家庭教師を招いたりして成績のアップを図ったり、幼児の頃から英才(才能)教育を始めたりと、本人も親も奔走しているのが現状で社会現象になっています。
ここに厳しい生存競争というものが表面化して来る訳ですが、当然に落ち溢れも生じて来ます。
人は個人毎に持って生まれた力量がありますから、才能や器量には当然ながら文学系とか運動系・理工系、商業系、芸術系などのように適性として個人差がある訳です。
教育の現状と人間性の育成(主に霊脳通信1994年4月号より抜粋、追加含む)
文部(文部科学)省とて日教組と、それら教科書や参考書の出版社と、予備校や学習塾からなどの圧力という柵で、教育制度の改革さえも思うように進まないのが現実なのです。
だから義務教育においては何十年も同じ様な方法で学習指導要領として、効率を重視してマスプロ的に低コストで大量教育による、集団教育での制約から生徒を管理してそれぞれに比較するような、画一的な型に押し込められた一斉授業が行なわれていると言えます。
学校教育が何を基準に、どんな目的でなされているのかが大切であり、授業の主体は生徒ですから生徒の目線・視点から、どう学ぶかを中心に学習過程を構成される必要があります。
でも、実際は教える側の事情でこの年令の子供は、この内容の学習方法でこの程度を理解する筈という、大人が考える物差しを当て嵌めている様です。
だから、通常の授業では落第点を取り落ち溢れるのに、別の方法で授業を行うと優秀な学生と同点が取れることもあるのです。(別頁:画期的な加速学習法)
つまり、それだけに教師と生徒に無理が生じて、様々な問題が続発することになるのではないでしょうか。
特に中学や高校においては自我の目覚めの時期でもあり、どこでもが厳しい校則を設けてあると共に、日頃の態度や学習への姿勢を明記した内申書の存在も見逃せなく、人は適性として各々に異なった個性や才能があり、得意な教科があれば不得手な教科もあるものです。
ここらで何でも相対的に見る様な評価方法の物差しにしても再考が必要でしょう。
だから、世間の人は社会に出て働くようになると、「あの子は学校では優秀であったのに」と囁かれるのです。
それは、授業で与えられた教科書や教師の教えられた手順に従って学んで内容を理解したとしても、創造的な思考や斬新で改革的な発想をすることはできなく、社会に出てから仕事で応用や活かすことも出来ないからです。
教育委員会の人によると、教育の現場からは、制約が多くて今の教育には理想の欠片もない、教諭の数人が立ち上がっても夢物語で実際には不可能だそうで、大人たちが利権で子供を食物にしているという声さえ聞こえてくるそうです。
つまり、予備校や学習塾や私立学校とか参考書を始めとして、家庭教師などは教育という名を借りた金儲け主義に成り下がっている訳です。
一例として、教科書を取り上げてみても学校で使用する図書は、分かり難くて不親切な説明が多い様ですが、市販の図書を色々と調べると分かり易く興味を持たせる様に良くできて丁寧な内容の場合もあり、あまりにも違う出来具合いに驚くものです。
教科書の選定についても、業者の賄賂が絡んでいるのではないかと考えてしまいます。
この教科書の様な内容が某企業が使う宣伝広告のカタログ・パンフレットや、キャッチ・コピーだったら商品は売れないでしょう。
これまでの教育熱は異常としか言いようがなく、精神的に不安定な思春期を過ごすのに、大人の都合で早くは幼稚園児から始まり、小学生から中学生と、そして高校生まで有名校とか一流大学に合格するために、大小の様々な学習塾とテキストや参考書の山に囲まれています。
将来のためと称して必要以上に塾に追われたり、家庭教師に来てもらい実力以上の志望学校に受験を目指すために、自らの生活を犠牲にしているのです。
学習塾に通わせたり、家庭教師に来てもらうと安心する親たちの陰で、子供たちは息抜きが出来ないで心身共に疲れています。
学力向上という知識の吸収に明け暮れるため、体を動かすような遊びとかスポーツに親しむことも少なくなり、運動能力が低下しているという報告もあります。
この様な事情では子供たちは本当に幸せである筈もなく、自分の部屋を始め学習塾や参考書を与えられて、何が何でも志望校に必勝と受験勉強に挑む子供の心は周囲の期待感で休む暇もなく、緊張の連続でストレスとイライラと欲求不満が重なります。
この様に追い詰められた状況では何と小中学生の3人に1は、胃潰瘍や十二指腸潰瘍になっているとの報告が聞かれます。
さらには、誠実でナイーブで優しい子ほど心が侵され精神的なバランスが壊れ、家庭内とか校内の暴力ざたとか引きこもりや登校拒否や非行にまで発展することもあります。
こんな事では幾ら成績が良いと言っても、体力や気力が低下していたり、筋肉や骨格の柔軟性も少なくて転べばすぐに骨折する様では、大切な成長期においてバランスの取れた心身とは言い難く、これでは肝心な心は育ってなくて人間性を失い良い感性も生まれないだろうし、豊かな個性や才能も育めないでしょう。
これからは成績のみを重んじるのではなく、一人の個生命としてもっと広い視野に立って温かい眼差しを持って見守り、心の豊かさとゆとりのある人間として、子供はもちろん家族共に真に豊かな生活を送れるようにしたいものです。そうすれば子供は心身に自然なリズムを取り戻し、自ら良い方向へと思考し行動を起こすようになるのです。
つまり、正しい教育とは、知育、体育、徳育のそれぞれがバランスよく施されている必要がありますから、それだけに高い人格としての資質を備えられた指導者が望ましいものです。 徳育とは、人間性の育成を主とする思考と思想の教育で徳を積むことを教えることにあるのです。
幕末のほんの一時期に長州で開講された吉田松陰の「松下村塾」が、高杉晋作を始めあれほど逸材の人物を生み出し得たかは学問よりも心の、人間性の育成を主体とする思考と思想の教育をしていたからではないでしょうか。
同様に、札幌農学校(現札幌大学)の教頭となられたクラーク博士の教えに触れた若者たちからは、やがて新渡戸稲造氏らのような立派な人物を育てることになったのです。
追記---2019/09/08
老子は「人民(徳の低い者)に学問・教育(知識の取得)をさせると、賢しら(悪知恵)が増えて国が乱れる」と謂っています。
人間の脳は小さい時から、知識を詰め込む事は未来への道と閉ざす事に繋がるのです。
民間放送のバラエテイ番組は赤面の到りと言える内容で、目先の感情を満たすことしか念頭にない、幼児のような発想と低俗に成り下がって視聴率を重んじて大衆に迎合しています。
笑いの世界は、脳のシステムを一時的にシャットダウンして緊張を解すもので、間抜けを引き起こすものだから、其の世界に長く浸かって居ると、もう面倒なことや「真面目」に還る事が出来なく成り、脳が建設的な事には働かなく成ります。
かつて勝谷氏は「テレビの地上波が“下流社会”のものになっていると嘆きました。
一方では「甘えの構造」として、未熟さ故に乳離れ・親離れが出来ず、一人の責任ある大人に成り切れない負の側面があると言われます。
中国語には「一方水土養一方人」という諺があって、地理や気候、環境によりその地域の生活習慣や生存方式は異なるという意味で、これは人間の育成・教育にも当てはまるのではないでしょうか。
戦後は米国GHQの支配下と北朝鮮に操られた日教組で教育政策は弱体化された
戦後は、アメリカが日本に対して行った占領支配下に置かれて、日本の国家体制の弱体化政策により、教育は和や道義の精神を教える修身をなくして、科学や技術を主体として、スポーツを重点にした学問の教義へと変えられてしまいました。
それで人との連帯や繋がりは薄れて利己的な人々が増えて、今が良ければと言う刹那的で偏狭な考えで生きている人もあり、迎合主義や事勿れがまかり通り、私から見れば酷い有り様だと感じます。
西洋文化に始まった処の民主主義・共産主義や練金術などは、知識とか科学や技術などによる処の唯物論の思想であり、利他の愛念に乏しく欲望の利己主義に基づいているのであり、限り無い欲望と物質文明に基づいて進歩して来たところが多く、人が住むには不完全で競争心と格差と歪みのある社会を形成してしまう(別頁)のです。
今までにアメリカが占領支配下に於いて日本に行った憲法の改正や政策の内で、教育は大きな失敗(別頁)であったと云われています。
それは、教育基本法は本来、教育勅語の存在を前提としてワン・ セットの形で作られたものであり、道徳教育の理念が欠如している理由は、教育基本法と教育勅語との役割分担を考えたからです。
ところが、教育勅語は教育基本法が成立した後に、GHQの意向で廃止されたから教育基本法は片輪となり、道徳の欠落と歪みを生み出したのです。
一方、確かなある情報筋によると、この教育政策の誤った一端には戦後において我国を恨む北朝鮮の諜報機関が大型貨客船「万景峰号」などを通して、教育団体の日教組を巧みに操り数十年という長年に渡り支配されておりました。
それにより、倫理に反した思想の活動で不祥事が多発して、国家体制の危機にまで発展してしまいました。が、最近になって日本の伝統文化を支持する人々の活動を通じて、漸くと回復しつつあると言われています。
この様に我国の戦後における教育政策は、GHQと日教組によるダブルパンチで弱体化されて、思想的な侵略で大きなダメージを受けた結果、様々な社会問題が起ることになったのではないかと考えます。
これは教師も気付いていない教育という名の下に行われた、巧妙なマインド・コントロールだったのです。
この問題の根本は誤った教育政策から端を発していますから、教育の基本法である占領憲法を見直して自主憲法を制定し、それに基づいて我国に相応しい教育の内容と日教組を是正しないことには、問題が擦り替るだけでいつまで経っても本当に解決しないことになります。
人間性の育成と理想の教育法(主に霊脳通信1994年8月号より抜粋、追加含む)
我が国において教育基本法の「個人の尊厳と、真理と平和を希求する人間の育成」という根底の学校教育は、社会生活に必要な知識や思考の伝授と、人間性の向上を目指す場でもあるのです。
暴力ざたとか登校拒否・引きこもりや非行にまで発展した子供を、周囲が意識し過ぎて必要以上に追い詰めたり、スパルタ教育を実施する更生施設などに強制的に送ったりしても解決するとは限りません。
それは、心の強い人とか弱い心とかの相違と各自の魂的な修行の段階・程度によって、魂的と心身のレベルが低過ぎて内容に対応できないと、挫折感のみが残り本人の心は萎縮してダメ人間と勘違いして捻くれたりして、不平不満が募りさらに意欲が無くなるばかりで、立ち直りへの効果は期待できないばかりか、逆効果になるこもあるものです。
今までの様な画一的で詰め込みに近い無理な方法の学校教育では、各自の進む度合いの格差もあり、半強制的という精神的な圧迫を感じてストレスとなり、劣等感とか不安や情緒不安定に襲われて気力も低下して、思考力も判断力も活動力も低下して詰まらない生活になります。
それで落ち溢れる生徒を参考書とか、学習塾、家庭教師で救済したり、受験に失敗した学生を予備校で合格に導くという様に、本人の意思や望みに沿わない消極的な学習法が今は主流をなしています。
しかし、そうではなく、これからは柔軟な姿勢で教育の原点をよく見つめ、偏見や常識に捉われずに見方を変えて明るく楽しく興味をそそる様に工夫して、学習意欲を高めると共に自己暗示法やイメージ・スクリーン法などの、効果的なメンタルトレーニングの学習法を取り入れて、学習時間の短縮と気分転換を図るべきでしょう。
世界の各地にはユニークで好評な授業が多数あると云われています。
9/8 追記、
一例として、画一的な教育を見直し各自のペースで学習を進めると言う、オランダ発の先進教育「イエナプラン」では、私だけの授業として、子供の自主性や対話を重視して与えられた課題や、達成度を確認しながら授業を進めて行くと言う方法です。
一般社団法人 日本イエナプラン教育協会
http://www.japanjenaplan.org
イエナプラン教育は、ドイツで提唱・創始されオランダで発展・普及して人気があり、一人一人を尊重しながら自律と共生を学ぶオープンモデルのオルナタティブ教育です。
オルタナティブ教育(代替教育)は、現在の教育制度の隙間を埋める新しい教育の総称。
日本でも小中学校の教諭をオランダに派遣して、現地の学校を視察したり研修を受けたりと導入の動きがありますが、何分にも日本には学校通学区と学習指導要領があり、範囲内で実施せざるを得ない制約があります。
それらの方法を効果的に組み合わせれば、今の学校5日制も無理なく実施できて、脱画一教育により人との繋がりを大切にする理念を取り入れて、人間性や独創性や多様性の欠如を取り払い、いじめや不登校や学級崩壊や非行の問題を緩和したり解決して、成果を上げる事が可能というものです。
ここで、余暇を遊びやスポーツのみに浪費するのではなく、自分の趣味を始め興味とか関心事などに目を向けることも出来ますし、好きなことや関心のあるものへは心の安らぎを覚えたり、探求心もあって集中し易い傾向が見られます。
ですから、自分の空間から「本当の自分」とか「自分の適性」を見い出すことで、そこから各自に埋もれていた天分・個性・特技を見つけて、本来持っている秘められた才能を伸ばすことが出来るのです。
この様な自発性に基づく教育法を実施すると、誰でも興味や意欲が湧き心身共に打ち込めて天才となり、新たな文化が生まれることも夢ではないでしょう。
つまり、各地にある予備校や学習塾は受験のためではなく、子供や若者たちの集うカルチャースクールとして生まれ変わらせ、各教科の参考書類は受験のためではなく、眠っている個性とか才能を発見させて伸ばすための図書類に切り替えることで、子供や若者の心は明るく豊かで才能に溢れた人材が多く揃うことになり、実社会で役に立つ様になりますから、積極的に世の中へ貢献することとなるのです。
それは、多様性の時代に相応しい価値ある生き方であり、競争主義の選抜テスト・受験勉強・成績重視・学歴偏重の差別ランク思想から解放されて、各自の得意な分野を見つけ出して伸ばす学習へと変わる事です。
教師・教諭といえども自分たちの遣り方や役割を見直すことが大切でしょう。
一人前の立派な人間として心を育てることに主眼を置いた、健全な教育を押し進めれば誰もが向学心に燃える様になるものです。そこには問題児も問題の先生・教諭なんて誰もいなくなります。
人というのは学習にしても飽くなき欲望があるもので、一つを知ったら、さらにもっと知りたいとか、自分をさらに向上したいものだと望むのです。
文部(文部科学)省や民間機関を問わずに教育活動は、何時の時代でも学ぶことと人格を育てて造るという根本の発想が大切であり、観の転換から個性を育み表現や創作活動を重視して、遊び感覚に満ち溢れた学校・教室があっても良いと思えます。
現に教育への意欲ある教師たちの一部は、民間として固定概念をなくした塾を開校し、夢の教育を目指しておられる勇気ある教育者もあり、特に人間性の育成を主とする学校(例:廣池学園)や各種の塾が生まれ、そこから次代を担う本物の人物が輩出し、国や世界を指導する時代が近づいていると云われます。
利他主義に基づいて知徳一体の教育から始めないと、問題がすり替わるだけで何も解決しないことでしょう。
次世代を担う立派な人物を育成する教育の現場に携わる教師(教諭、教授)の使命感と意欲を始め、人格や人生観は重要な課題です。教育(指導)者の如何によってどの様な人材が育って行くのか分かれるからです。
でも、文部科学省や教育委員会の方々も本当は原因と、教育の真髄と意義を分かっていないのではないかと思います。
愛知県の中学校に勤務される諏訪耕一教諭は視点を変えて、ここらで「期待する生徒」を育てることから「期待できる生徒」を、「望ましい生徒」の育成から「望みを託せる生徒」の育成を目指す様にならないものか、と願っていると言われています。
教育立国を目指すならば、今までの様に画一的な体制のスパイラルを断ち切るくらいの英断をして、創造性が豊かで知恵が湧き機転が利く人間性の育成を図って欲しいものです。
これからは、自らの知恵を絞り未来を紡ぎ出せる本当に大切な主体性があり、実行力・思考力・課題発見力・創造力や技術が必要な時代です。
学校が立地する環境について---9/8 追記
学校がどの様な場所に設置されているかも大切な要素です。
生き馬の目を抜くと云われるくらい生き様の荒れた精神波動の渦の中という、過密化した大都会(都心)の狭い場所では、深層意識を通して想念が感応して乱れて正しい思考力、判断力、発想力などに悪影響されて良い方向に進まなく、こせこせと暮らしていても雄大で斬新な構想は浮かぶはずもないでしよう。
そればかりか、勉学に励んでいても何時しかゲーセンや飲食店や邪悪な社交場など、繁華街の喧騒や悪い空気や悪い誘惑もあり、知らない内に自らを見失い生き方を誤り生活は荒み人生が狂うものです。
特に東京には首都として中央集権による政策の政治から、各省庁とか経済や放送・情報や芸能を始め、学問や技能としての大学や専門学校までも集中して詰まり過ぎ、密度は都市としての限界を遥かに超えていると言えます。
通勤や通学時の大混雑と物流も膨大で交通渋滞は日常茶飯事で機能は麻痺寸前にあり、汚染は酷く住宅は狭い上に家賃は高いなどの問題を取って見ても、その弊害は既に許容範囲を超えていると言えます。
それで現状では日本文化の多様性と真髄を少なからず喪失しているとも言えます。
他にも、パソコン・スマホによるインターネット環境による、悪意あるコンテンツとか様々な悪い誘惑もあり、自らの意識を高尚に保ち思考や意志を確りと持つ必要があります。
政経分離を意識するのは困難でしょうが、せめて大学や専門学校の立地する環境は緑豊かで空気も旨い、地方都市に分散させるのがベストで、気分が伸び々すれば新鮮な気持ちで意欲も湧き学問にも勤しめます。
科学技術のみを重んじるのでなく自然との共存共栄(宇宙法則の原則)を意識した教育からは、心も豊かで柔軟かつ斬新で画期的な発想も得られ、素晴らしい様々でユニークな郷土文化が育まれることでしょう。
孟母三遷の教え---9/8 追記
孟母三遷の教えが示す様に環境が児童の成長に多大な影響を及ぼします。
家庭教育の理想は親が自ら言動を起こし、意識を高尚に保ち心身を修め品性を養い、言葉と行いで身を以て子供に教えなければならないものです。
そうして初めて、子供たちは立派な道徳と品格を身に付けることができ、人間性の育成から高貴な人格が形成されてこそ社会全体が安定し、調和することになるのです。
日本では、増加しているニートとか不登校とか、青少年に因る凶暴化する犯罪の増加とかの要因として、拝金主義や競争社会に於いて多くの人々は巻き込まれて精神が荒んでいるからです。
親は本当の幸せや豊かさの指針も正しい人生観と生き方も知らないで、心の影である現象的な価値を重んじて子供に上流への出世を託して、幼少の頃より学力や成績や学歴を偏重する競争を強いている有様です。
その中で、子供たちは心身共に疲労して学業や技能に追て行けずに落ち溢れて無気力になったり、社会に出てからも知恵が湧かず応用が苦手で失敗や挫折をすると、日頃の不満を社会に向けて心の隙から退廃した生き方へと成り下がり、やがて道を外れて行きます。
関連参照---これから当旧HPより転記し再掲予定
高学歴、特技の修得、個性と力量について(別頁)
アルファ(α)脳波を活用した学習法について(別頁)
人間性の育成を重んじた教育について(別頁)(別頁)
戦後の誤った教育政策により、政界も経済界にも利己的な人々が増えて不祥事が多発している。(別頁)
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