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ブレイン/ナレッジ/キャラクタのマネ-ジメントとは

9/2「不登校支援、夏休み明け自殺予防、いじめダサい、生き方の多様性、家庭教育」の件に関連した、当旧HP(サービス終了)より教育の項目を転記して紹介します。
9/8「教育の現状と理想の教育法、人間性の育成、弱体化された教育政策」の件に関して続きを紹介します。

ブレイン(Brain)・マネ-ジメントとは
一般的な能テクとは(財テクを含む) マネ-ジメントシリーズ
HP新作UP2000/3/15~移転UP2005/3/31---ブログ掲載再編集2019/9/20
(主に霊脳通信1989年2月号・1991年2月号・1994年2月号より抜粋、追加含む)
出世には高学歴、特技の修得が必須か(財テクや能テクに踊る人たち)
確実に幸せを保障するものとは
人には個性と力量がある

ナレッジ(Knowledge)・マネ-ジメントと呼ばれている脳力開発法とは
α-θ脳波を活用する脳テクとは マネ-ジメントシリーズ
HP新作UP2000/4/25~移転UP2005/3/31---ブログ掲載再編集2019/9/20
(主に霊脳通信1989年2月号・1994年2月号より抜粋)
ナレッジの脳テクとは
画期的な加速学習法
アルファ脳波の誘導

キャラクタ(character)・マネ-ジメントとは
究極的な徳育としての徳テクとは マネ-ジメントシリーズ
HP新作UP2000/4/7~移転UP2005/3/31---ブログ掲載再編集2019/9/20
(主に霊脳通信1989年2月号・1994年2月号より抜粋)
キャラクタの徳テクとは
モラロジーについて
我国の学校に於ける道徳教育(徳育)の現状と解決
現在の日本の教育に置かれている実情をよく見極めて、これからの対策と進むべき方向を知る必要があります。

練金術と大和の道義
生存競争に勝ち昇進する生き方シリーズ
HP新作UP2001/10/14~移転UP2005/3/31~最終更新2006/8/19---ブログ掲載再編集2019/9/20
我国は米国の占領によりGHQの支配で国家体制を弱体化された
米国流の練金術が導入される
日本の和や道義を重んじる価値観と中心帰一

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ブレイン・マネ-ジメントとは
一般的な能テクとは(財テクを含む)
マネ-ジメントシリーズ HP新作UP2000/3/15~HP移転UP2005/3/31
(主に霊脳通信1989年2月号・1991年2月号・1994年2月号より抜粋、追加含む)

出世には高学歴、特技の修得が必須か(財テクや能テクに踊る人たち)

かつて1990年のブームの中で、チビまる子ちゃんの「踊るポンポコリン」の歌が流行りました。
昔から「歌は世に連れ、世は歌に連れ」という諺がある通り、世間の人々は何かに浮かれているようです。
大衆は自分の幸せのためと称して、財テクにと有形的な金品である有望株や社債とか、値上がりすると思われる貴金属や古美術品、絵画とか土地建物に投資をしている有様を云う様でもあります。が、リスクを見逃しています。
競争社会に於いていち早く出世する事から頭で生み出された答えは高学歴が必要と、我が国のみに見られる学歴の偏重における弊害は予備校や学習塾の乱出を始め、参考書の氾濫など目に余るものがあります。
大学の裏口入学をしてまで名門校の肩書きを得たり、他を犠牲にしてまで特技を持つことが必須であり、全てであるかのように思っている人さえいます。
優れた人材になるには、知識・技能・才能・学歴・資格などの修得があります。
それで各自の利己心を煽って拍車を掛け、科学技術を万能と思い成績の偏差値を重視し学習塾や家庭教師の派遣が流行るのです。教育ママ・お受験という言葉も生れました。
教育方法についても色々あります。画一教育・英才教育・スパルタ教育などです。
一般に知識や技能には知育と、健全な精神は健全な身体からと体育を重んじています。

社会が多様化して人間(対人)関係が益々複雑になった現在、ストレスが増加して精神的な心の病は増加の一途をたどっています。
一般に誠実な人ほど無意識の内に心が犯されて、気が付いた時は心身の病にまで発展してしまいます。この様な有り様ですから大人に比べて弱者である子供たちは、本当に幸せだとは言えないでしょう。
そこには受験戦争・落ちこぼれ・いじめ・登校拒否(不登校)・ひきこもり、暴力・罵詈雑言・誹謗中傷・非行・犯罪などが蔓延することになるのです。
これらのことは、目的としての学問と何かのための学問、つまり、受験や入試という手段としての誤った学問が蔓延っていると言えます。だから、それらの学問は実社会に出てから本当に役に立つとは限らない訳です。
希望した会社へ入社してからも他者(同僚)に遅れまいと、さらに各種の資格や特技などを習得しようと奔走して、地位の向上にキャリアアップを謀るために他を犠牲にする人さえあります。遺憾なことです。
これからは自分の空間から「本当の自分」を見つけて、精神的な安らぎを取り戻し、意欲を高めて秘めたる能力を引き出すという、自らを変革する時代に来ていると言えるのではないでしょうか。

確実に幸せを保障するものとは(ニューモラルより引用を含む)

人間としてこの世に生まれて来た以上は、安心と平和と豊かさと幸福は勿論のこと、繁栄や成功を得て邸宅に住まわなければ、何の価値もないような錯覚に陥ります。
全人類が日々の生活に於いて、それぞれ真剣に努力していることは、結局のところ各自の利己的で偏狭で誤った幸福や豊かさなどを実現するために、日々に於いて探し求めているからであると言えるでしょう。
それというのも多くの人々は、人生の生き甲斐である『幸福な生活を実現する』ことが出来るものは、『学力・知力・体力・金力・権力』であるという様な、三次元的な間違った目先の「力」であると考え、これらの獲得を目標にして努力しているからなのです。
しかし、もう少し洞察力を高めてよく考えて見れば、それらは何ら私たちを幸せにする確固たる保証はありません。
これらの金品などは時代と共に流動するものであり、手元に入ったと思っても直ぐに他へ出て行くものです。我力で蓄えることは困難なことでしょう。学力・知力・体力にしても我力による努力では限度があります。

では何故、それらばかりに心を惹かれ勝ちなのでしょうか。
それらは確かに幸せな生活を保証するだろうと推定される、一つの手段であり要素(ファクター)ではありますが、あくまでも一つの手段であり要素にしか過ぎないということなのです。ですから、私たちは手段と目的を勘違いして取り間違えてはならないでしょう。
つまり、もっと根本的に大切なもの、もっと確実に安心や幸せや豊かさを保証するもの、即ち、自分や家族の運命を良くするとか、徳テクでも述べています様に、自らの品性(人格)を高めて徳を積むということの大切さに、目覚めなければならないのではないでしょうか。
全国の庶民にまで大ブームになった財テクにしても、急激なバブル時から反動でバブルが弾けて価値は下がってしまい、所詮は儚い夢や幻だったのかも知れません。
ニューモラルは(財)モラロジー研究所より発行されている小冊子です。

人には個性と力量がある

人は個人毎に持って生まれた力量がありますから、才能や器量には当然ながら文学系とか理工系・商業系・芸術系などの様に、適性として個人差があるわけです。
つまり、人はオールマイティーである筈もない訳ですから、所詮、人間智による頭脳の能力では限界があるということです。
人は各自に個性がありそれぞれ異なる特技や才能を持つものだと知らないと、何事にも他者より秀でることは出来ないのです。
同僚とか先輩、あるいは後輩が資格などを取っているとか、昇進昇格試験を受けているからといって、ただ闇雲にチャレンジしているだけでは無駄に気力・体力を消費して、心を休ますことも出来ずに余裕が無くなり、企業戦士として知らず知らずの内にストレスが溜まり心身共に疲れ切ってしまうことになります。
これでは少しばかり地位が上がり収入が増えたからといっても、人として豊かな文化生活とか、ゆとりある快適な生活を営むことは望めないものです。
自分の本来持っている才能に気付かず、皆がやっているからと闇雲に努力をしたところで効果は少なく、知識や技能のみが優れていたとしても実社会では人格が低いと、それらを活用する正しい智慧が浮かばなくて応用できずに失敗したり、心の焦りが出て挫折しますから自暴自棄となり、魔が差して犯罪に走ったりすることが多いものです。

そもそも学問の起こりは、立派な人物を育成するために始まった人間修行を目的とする学問であったのです。
教育方法にしてもスパルタ式の教育は、心身の弱すぎる人には急に実践させても逆効果となり、画一的な教育ではそこそこの能力しか出せない人材しか育たず、優秀な人物を輩出するには無理があります。
教育の現場からは、制約が多くて今の教育には理想の欠片もない、教諭の数人が立ち上がっても夢物語で実際には不可能だそうで、使命感のある熱血教師は自ら考案した教育方法の学習塾を創立されて、夢の教育を目指しておられるのです。
我国も含めて世界の各地にはユニークで好評な授業が多数あると云われています。
最近になって個性を尊重する優しい教育として、内在する才能を見い出し引き出すことが注目され始めました。
さて、あなたはどのような教育法を望まれるのでしょうか。



ナレッジ(Knowledge)・マネ-ジメントと呼ばれている脳力開発法とは
α-θ脳波を活用する脳テクとは
マネ-ジメントシリーズ HP新作UP2000/4/25~HP移転UP2005/3/31
(主に霊脳通信1989年2月号・1994年2月号より抜粋)

ナレッジの脳テクとは

能テクと異なり、ここに、観の転換が必要になってきます。
物質的な人間観から来るところの他者との優劣を比較するという一般的な考え方から、精神世界を重んじる人は霊的な人間として個生命が天分を表現するために、他者とは異なる才能を発揮する機会が与えられているという、多様性の価値観を持つようにするのです。
この様な心境になりますと、今までに努力して学んできた知識とか技術を始め、さらには今まで無駄だったとか回り道をしたと思った様な、様々な苦しく嫌な経験までもが最大限に活用できる方法(仕事や使命)を見い出せて、今までの自分を越える(殻を破る)ことが出来るものです。

アルファ脳波の誘導を活用する方法で、瞑想や座禅などのメンタルトレーニングを行うことで、アルファ波支配により精神的な集中力と潜在意識の活用で、右脳の活性化とインスピレーションにより通常の人知を超えた智慧を得たり、感性・直感力・独創力・発想力・超記憶力・個性・気を高める訳です。
それは各自の持ち味(才能、個性)を発揮することに主眼を置き、単なる学歴や資格のように他者と競合する受験戦争・競争社会は存在しないのです。
そこには人間性の育成を重視して精神的な充実感や幸福感に包まれた生き甲斐があり、自然治癒力も高まりストレスも適度に解放されて精神力も強くなり、心身や情緒も安定して安心し豊かさと健全で健康な生活があります。
それは宇宙の法則である「共存共栄」の原則を目指した文化でもあります。
アルファ(α)脳波を効果的に活用する方法に、速読と云う記憶法があり活用されています。速読の熟達者は小説などを毎分10万字程度の速さで読めるそうです。

一方、瞬読と云う記憶法では達人になると言葉を越えて毎分1億字程度の速さで読む上に、作者の意図する処まで呑み込んでしまう方法だそうです。
アルファ(α)脳波を活用したものに睡眠学習法もあります。
これは寝付き後の1時間くらいの間にカセット・テープやCDなど、暗示用の言葉を聴いて記憶する方法です。
但し、学習者の無意識状態で行われる為に、自分で管理が出来ないこともあり、ストレスも溜り易い人もあるなど副作用があります。

画期的な加速学習法(追記)

世の中はスピードが求められています。教育にしても同様なことが言えるでしょう。
教育界も実動5日制だと言ったところで、歴史は積み重なり高度な文化を発展させつつ生きる為には、学ぶべき事柄は増えているのに簡素化をするにも限度が有ります。
時短による通り一遍の授業では生徒の学習効率が高まらなければ、習得内容の取りこぼしから落ちこぼれがさらに多く生れるだけで、知識や計算力の欠除した人々が溢れるだけという欠陥のある教育になり下がることでしょう。
アルファ(α)脳波を効果的に活用する方法に、画期的で驚異的な学習法として「スーパーラーニング」平井富雄監訳、朝日出版社刊や「学習五十倍加速法」関英男著、応用技術出版刊などの加速学習法があります。
このスーパーラーニングなどには、ブルガリアのロザノフ博士が発明考案したサジェストペディアや、同じ頃にスペインのカシード博士が発明考案した、ソフロロジーなどの研究成果を取り入れたものだそうです。
1970年代後半の資料によると、或国では実験校が小学校や中学校など数十校にも達し、全科目にまで応用していて予習、復習などの自宅学習(塾も無し)なしで、1日4時限の授業で充分な教育実績が報告されているのです。
そして余った時間には個性を伸ばすことに使われ、文部大臣・厚生大臣・文化大臣も絶賛しているとのことです。
ここでは、時には国の命令により公務で外国に長期出張する各種技術者や専門家たちは、その出張前に2ケ月ほどの間に出張先の国毎に言葉(語学)を憶えさせられ、直ちに現地にて日常会話を不自由なく熟して、仕事が出来る様になるまで養成させられている訳です。

この加速学習法をいち早く取り入れたソビエトでは、以前に行われたモスクワオリンピックの時に、各国の通訳を養成するのに本領を発揮したものでした。
一方、アメリカではある大学でも実験されまして、落第点だった落ちこぼれの学生を対象に行ったところ、普通の授業を受けた優秀な学生と同点が取れたと報告されて、落第点の学生は頭が悪いのではなく、授業の教え方が合わなかった事が証明されています。
欧州からの移民で成り立つオーストラリアでは、多民族で多言語が混在して4カ国語が公用語としていますから、公共機関では少なくとも4カ国語に対応する必要から、加速学習法を取り入れています。
サジェストペディアは主として記憶を良くするというのが目的の教育方式ではなく、記憶術は単に小手先の技法に過ぎないのです。
暗示加速学習の目的と効果はもっと根本的な処にあり、心身をリラックスさせた状態で精神集中することにより、創造的な習慣といった知的な活動を刺激して、情動的な調子を高め、心理的な負担を改善し、健康も含めて生徒の人格や個性に好ましい影響をもたらすものなのです。

我が国の現状では文部省レベルではなく民間の意欲的な教育者が、一部の語学(英語・フランス語・中国語など)用にのみ研究しているに過ぎず、日本の教育に対する現状は世界とは大違いで遅れているです。
日本人の持つ特異的(虫の音など音色に関する感覚・情緒)な民族性としての、効果的な活用法が確立した訳ではないが、それでも5~10倍の効果が現れていると故関英男博士は言われています。
関係者によると我が国の文部省は、方法が非科学的だとか効果が確認できないと決め付けて、関心を示さずに全く採用することもなく模様を眺めて今に至っている様です。
国会議員にしても官僚にしても、面倒な事案は避けて事なかれ主義であったり、何かに付けて責任の回避でもあったり、さらに官製由来の教育には様々な利権の絡みが多くて、おいそれと体制を変えることなど無理があるのです。
米国において教育心理学者が1976年以来、研究会議を組織して加速教育国際会議を毎年開催されて成果を発表されています。
今では、様々な発展型の加速教育法が存在しており、その中でも、カナダのバンクロフト博士は、それらを徹底的に分析された論文を1995年に発表されて、教育効果は絶大なものがある賞賛しています。

アルファ脳波の誘導(追記)

アルファ(α)脳波の精神状態というのは、別頁の「脳の働きと超能力」でも述べています様に、意識的に見ると顕在した意識と潜在した意識との間にある抗暗示障壁が取り除かれて、2つの意識との交流が活発となります。
さらに三重脳から神智学で信じられていた、4層の不可視の脳へ交流(アクセス)が著しくなることから、通常では発揮されない様な、人間が本来持ち秘められた脳力や記憶力の才能が、難無く活用できる活性状態となる訳です。
一方では、精神的に受動的な状態となり感受性も高まり暗示に掛かり易くなります。
だからこそアルファ脳波の誘導中は、思考の停止をしてウトウトしたりボーとしたりせずに、積極的でしかも建設的な気持ちの光明思想とプラス思考で、心を何か(目標など)にしっかり見据えて支配することが重要なのです。

それは、物事を実現させるには確りした目標や目的を持ち、意識(想い)力と、意志(決断)力と、表現(イメージ)力との各要素を、潜在意識で目的とする一つの方向に統合させることで相乗効果が現れてこそ成り立つ(実現する)からです。
だから途中で不安になって懐疑心や否定心などのマイナス面を抱くと、心の力は分散して互いに打ち消し合うように作用して、物事は成就しないことになる訳です。
丁度、鋼鉄を磁石にする作用に似ています。
これは本人だけでなく周囲の人々の思考(想い)にも、感受力の作用により同様に大きな影響を受けます。
これが「心の法則」とか「創化の法則」とかと云われている所以です。
人に対して、想念により思った方向に事を進められることが実験的に証明されており、これを「ビグマリオン効果」と呼ばれています。



※アルファ脳波とシータ脳波の誘導についての注意(追記)

効果的なアルファ脳波の誘導といっても常時に使用すれば良いかといえば、否であります。
アルファ脳波なる信号は精神的に内向して、思考は散漫に成り勝ちでボーとしたりしますから、短時間(1回当たり20~40分程)で集中した方法が望ましいのです。
一般に同じ信号を長時間も続けて生体に加えたところで、時間が経つと保身作用から順応性が現われて効果は半減とか消失したり、違和感を覚えるものです。ですから適度な断続の使用が効果的です。
脳力開発法の中でもシータ(θ)脳波での誘導にはリスクがありますから、それなりの覚悟と知識が必要です。
シータ脳波での誘導は超意識に目覚めるからであり、神智学でも前から信じられている霊的な高次元との交流が活発となり、人により霊魂との精神感応とか交信も可能です。
それは人間とは肉体と幽体や霊体など多重多層界からなる霊的な存在だからです。ですから心の調律(人生観)が最も大切です。

キャラクタ(character)・マネ-ジメントとは
究極的な徳育としての徳テクとは
マネ-ジメントシリーズ HP新作UP2000/4/7~HP移転UP2005/3/31
(主に霊脳通信1989年2月号・1994年2月号より抜粋)

キャラクタの徳テクとは

真の人間生活を目指す上品で究極的な生き方であり自律生活から生れます。
つまり、生かされている事への充足と感謝と愛念による奉仕の気持ちと、規律ある生活から魂の満足や悦びや生き甲斐を得るという方法です。
さらに、正しい人間性の形成と完成、及び知徳一体の育成を重視して各自の天分を見極めた生かし合いによる調和の生き方であり、拝金主義や利益至上主義とか制覇という競争社会やバブル経済とは縁遠い、不変なるものの価値を得られます。
本来、精神修養の場所である宗教で説くところの教義の内容は、純粋な真理の徳テクでなければならないのです。
ところが、それらの活動そのものを眺めていると、中には宗教家(教祖)の偉大さや権威を示そうとしたり、真理に疎い人々を晦ましたり惑わしたりして、多額の奉納金を要求して、勢力を伸ばそうとしている教団もあり、矛盾(別頁)も多く含まれているものです。
これは真理(諸聖人の共通した教説)に基づいた実践で、自らの品性(霊性)を高めて徳を積む方法であり、数年ではその期待する効果(成果)があまり現れなくて、10年単位で観ればやっと運命の変化に気付くことでしょう。
今の環境や境遇がどんなに悪く辛く苦しくても、光明思想と奉仕の心構えで努力すれば自らは勿論のこと家系の運命も立て直すことで、何時か必ず安心立命する日が得られるものです。

品性(霊性)を高めて徳を積む方法は、真理の教義を皆と一緒に聴くことは出来ても、心を伴った実践は一般にいう相互とか互助ではなく、例え、親子・兄弟・姉妹であっても共同には出来なく、各自の霊的なレベルに応じた感謝と真心と愛念による、弛まぬ努力があってこそ可能となるのです。
霊的な目覚め(自覚とか悟り)に達した人は、人生の途中にどのような困難が立ちはだかっていようとも、夢は叶えるためにあるとか、目標はクリアー出来る、自分に与えられた問題は学習であり解くことが出来ると、自分に言い聞かせて何事にも諦めないで進んで行きますから、途中に困難なトラブルやスランプがあっても何時かは必ず成功することが出来ます。
この様な心境に到達しますと、今までに努力して学んできた知識とか技術を始め、さらには今まで無駄だったとか回り道をしたと思ったような、様々な経験までもが最大限に活用できる方法(仕事や使命)を自ら見い出せて、今までの自分を越える(殻を破る)ことが出来るものです。

モラロジーについて

モラロジーでは「徳を尊ぶこと学・知・金・権より大なり」と云われています。
道徳(徳を積むことの大切な教え)の実行が物質的な人間の力である、学力・知力・体力・金力・権力より優秀であることを合理的に確かめられて、体系的に詳しく解説してあり世界的にも権威ある正しい思想学問です。
ここで言う本当の道徳という意味とは、日頃の心遣いとか行いにより徳を積む程度に応じて、品性を高める修養のことを「徳を行う道」と言い、漢文で表すと「道徳」となります。
本当の道徳を説く教義内容のことを「モラロジー」では、従来の因習的な道徳と区別するために「最高道徳」とか「道徳科学」或いは、「モラロジー」と呼んでいます。
それは、諸聖人の示された神仏に基づく教え(真理・正法・倫理・モラル)を、自ら学んで出来る範囲で実行して体得しつつ、それ(慈悲の精神)を他者に移し植えて人心を開発して救済することです。
そして、利己心から出た弊害を反省して除去することに努力していると、物事はきわめて円滑に進むことが出来ると共に、自らの人格と品性を高めて徳も積むことが出来るのです。

モラロジーは、人類進歩の要求に応じて生まれ出た科学的な思想であり、人類にとって真の安心・平和・豊かさ・幸福を享受できる原理を研究して、真理や倫理を実践する効果を合理的に実証して、確実な方法を学問として人類に示された教義なのです。
利己的な本能は人間の天性でありますから、これは教えなくても自然に知っている(邪悪な想念からの囁きもある)ものでありますが、徳を積むような真理(法則)は教えても理解されず、行わない不心得な者が多くて普及させるには極めて困難な事業であります。と、言われています。
これは百聞は一見に如かずの諺と同じで、自ら体験をしない事には本当に理解できず、実践に至るには無理があります。
徳については、拙著の「自分を活かし自分を超えるα波操縦術」、第5章「真の幸福を手に入れるための心の法則」でも少し説明してあります。本サイトの徳の項目を参考にして下さい。
詳細については「モラロジー」[(財)モラロジー研究所]を、学ばれることをお勧めします。

(財)モラロジー研究所 1926年8月に廣池千九郎博士が創立 1947年7月に財団法人となる。
所在地 1935年4月、千葉県柏市光が丘2-1に定める。生涯学習センターが全国に9ヶ所ある。
モラロジー活動は、全国の会員によって組織され800の地方機関を拠点に進められています。
他に麗澤大学、麗澤高等学校、麗澤瑞浪高等学校、麗澤瑞浪中学校、麗澤幼稚園などがある。

我国の学校に於ける道徳教育(徳育)の現状と解決

米国による日本の国家体制の弱体化政策により和や道義を教える修身を改め、戦後から今までの学校で行われている道徳教育は、残念ながら内容とか趣旨が劣化して少し違う様であり、因習的な道徳が主体で何故か軽視(効果が確認できないから?)されているのが現状です。日本の社会が退廃しているのはここに原因があるのかもしれません。
敗戦後における我が国のアメリカ占領支配下による日本に行った政策の内で、教育政策の弊害は、始めに大学での内ゲバ紛争などとして現れ、関係者から教育は大きな失敗であったと云われています。
誤った教育は変更されずに今も続き2世代目では最近になって話題になった、少年の凶悪な犯罪や学級崩壊が有ります。
頭の固い文部(文部科学)省では対応が全く遅れている様で、良策の前例がないと様々な問題の解決は困難のようです。
文部(文部科学)省と教育委員会と日教組とて、教科書や参考書の出版社と予備校や学習塾などから、利権の圧力(賄賂?)という柵の中にあり、教育制度の改革さえも思うように進まないのが現実なのです。
だから義務教育においては何十年も同じ様な方法で学習指導要領として、集団教育での制約から生徒を管理してそれぞれに比較する様な、旧態依然として画一的な型に押し込められた一斉授業が行なわれていると言えます。参照は理想の教育と現状へ
一方、ある情報によると、この教育政策の一端には戦後において倫理に反した教育団体の日教組に、数十年という長年に渡り支配されており、不祥事が多発して国体の危機にまで発展していましたが、最近になって日本の伝統文化を支持する人々の活動を通じて、漸くと回復しつつあると言われています。

これまで記述して来ました様に我国の戦後における教育政策は、GHQと日教組によりダブルで弱体化されて、思想的な侵略で大きなダメージを受けた結果、様々な社会問題が起ることになったのではないかと考えます。
それは、古来からの和や道義の精神を重んじる心の学問を等閑にされて、人間性の向上には欠陥のある教育や思想から利己的な人々が増えて、その誤った人生観を持つ両親の父母(大人)に育てられた子供であり、さらに教師もその様な教育や思想を良しとして子供に接していますから、 矛盾して歪みのある世の中になったのでしょう。
教育には本来、知育と体育、そして大切な「徳育」という3つの項目が揃ってこそ、バランスが取れるのです。
本当に解決を望むには、父母(大人)の正しい人生観の生涯学習と、学校を健全な教育の場とするためには、立派な人物を育成する教育の現場に携わる教師(教諭・教授)の、人格や人生観は知識や技能と並ぶ重要な課題です。
教育(指導)者の如何によってどの様な人材が育って行くのか分かれます。
本当の教育活動は、学ぶことと立派な人格を造るという根本の発想が大切ですから、古来からの和や道義を重んじて今こそ我国の実状に見合った、正しい思想を取り入れた本来の教育政策を打ち立てる必要があるでしょう。
思想教育というものは、その信念を貫き通し民衆にまで浸透させるには実に何十年も要するものです。
モラロジーでは思想を含めた教育には最低でも10年は要し、その効果(成果)が現れてくるには少なくとも20年は掛かると云われています。

追記
多くのインターネット掲示板やSNSなどは罵詈雑言や誹謗中傷や不平不満ばかりですが、これこそ現代日本社会の心の叫びなのでしょう。
正しい思想と有益な思考を持ち合わせていないと、文明の利器が人を狂わせ魂を堕落させ 文明の利器は凶器にもなる訳です。
「自分中心の世の中なるを、その子が自分中心になりしとてやむを得まいぞ。心有る者考えよ。今の子育てし親も、心失う者多かりき。」と、心有る人々は世の中を見通して嘆いています。

さて、あなたは今までどの様な生き方をされてきましたか。

練金術と大和の道義
生存競争に勝ち昇進する生き方シリーズ
HP新作UP2001/10/14~HP移転UP2005/3/31~最終更新2006/8/19

能力を開発して活用するといっても、世の中の仕組みを知らないと効果的に発揮出来ないものです。
世界は常に激動し移り変わっています。
新たな技術、科学は産業を活性化して社会を発展させ、様々な文明や文化が栄えて私たちのライフスタイルを大きく変えるように進展して来ました。
それが、西洋文化から始まった、産業構造の根本を成すものに練金術があると云われています。

我国は米国の占領によりGHQの支配で国家体制を弱体化された
(主に霊脳研究1993年12月号より抜粋、追加あり)

日本は昔から大和の国と称して和や道義を重んじて、練金術なる思想はありませんでした。
ところが、明治維新後には西洋の文化を取り入れるに従って、練金術の考えも少しづつ入って来たものです。
練金術は知識や技能とか科学や技術などによる処の唯物論の思想であり、愛念に乏しく利己主義に基づいているのです。
東洋には心を重んじる処から心を養う道場は昔から各地にありますが、西洋には見当らないものです。が、反対に体育館やグランドなどの体力を競う施設は、各地にあって盛んに開催されています。
日本は元来から和の精神を以て道義をわきまえた人種であり、戦前は学校でも「修身」なる心の学問を学んできたのです。
ところが、戦後はアメリカの占領によるGHQの支配下に置かれて、日本の国家体制の弱体化政策により和や道義を教える修身をなくして、科学や技術を主体とした練金術とか、スポーツを重点にした学問へと変えられてしまったのです。
これは教育という名の下に行われたマインド・コントロールだったのです。

歴史を見るとヒットラーのナチスドイツでも同様な教育が行われ、カストロのキューバなどでも行われています。
我国に於けるその結果は民主主義の形を取りながら、実は個人的な利己主義へと偏り、心の指針を見失った結果、ついには世界からエコノミック・アニマルとまで呼ばれる様に落ちぶれてしまいました。
今日の貿易問題をとっても誤った教育が背景にはあるのです。
今までにアメリカが占領支配下において日本に行った憲法の改正や政策の内で、教育は大きな失敗(別頁)であったと云われています。
企業の不祥事や官僚の汚職を始め、利権政治家の横行など、エリートと目されている人たちの悪事が目立って、戦後の欠陥を含む教育の結果がいよいよはっきりした形で、露呈していると言えるでしょう。

米国流の練金術が導入される

かってGHQの指導で全国の学校給食は米からパン食にされて、小麦を押し付けられたこともあり、国民にパン食ブームが起こって定着しました。
過去には捕鯨を禁止したり、マグロ・サケ・マス漁などを縮小させて牛肉を勧めたり、オレンジやトウモロコシなどだけでなく、今になって政策を変更したのか、アメリカ産の米も食べろと押し付けようとしているのです。
米国の圧力は強く我国の農相は手も足も出せない有様で情けないものです。
アメリカにはもっと提供すべき良いものがある様に思えますが、生かし合うという道義が乏しいのでしょうか。
昭和時代の貿易問題を考察しますと、過去の戦後にアメリカが日本に対して行った占領支配下における教育政策により、和や道義の精神から利己的な練金術へと教義を変えられたことによって、アメリカ自ら及び全世界は日本の優秀な加工品の、経済的な貿易戦争に苦慮しなければならなくなるとは、なんて因果なことでしょうか。
今や貿易加工国は我国から賃金の安価な東南アジアへと、そして、中国へと移行していますが、世界の政治や産業界は確立された体制ではありませんから、矛盾や歪みや格差が伴い双方に思考の相違が起きて確執し、トラブルから争いにまで発展することもあります。

これらの問題の背景には国民の誤った教育から根本が出ていますから、教育の基本法である占領憲法を見直して自主憲法を制定し、それに基づいて教育の内容も是正しないことには、問題がすり変わるだけで何時まで経っても本当に解決しないことになります。
これは西洋文化に始まった処の民主主義や練金術などの根本原理は利己的であり、物質文明に基づいて進歩して来た部分が多く、人が住むには不完全で歪みと格差のある社会を形成してしまうのです。
一方、以前の奥野発言では、中国(旧満州国)に於ける日本の戦争責任を巧みに利用して、中国の発展に経済協力をする義務があると言わせて、無償の技術援助などをさせようと思われます。
中国流の練金術だろうか。旧満州国の遺産である鉄道などは、今でも健在で使っているのです。
人は「個」の内に「普遍的な生命」を蔵していますから、個人的な享楽主義だけでは魂が満足しませんから、決して心の底から幸福感は得られなく、楽して他者から豊かさや幸せを得ようと目論むのですが、決して本当の喜びも幸せも得られません。
それには何か建設的で他の人々のために貢献し、創造する働きに自分の生命を捧げるとき、誰でも生命本来の内性(魂)を満足させることが出来ます。すると人の生活は適当に精神的なバランスを得て充実した人生を送れるのです。
この様に私たちの個人的な生活に真の幸福や豊かさを求めるかどうかは、確固たる和の精神で道義をわきまえた政治体制が必要であり、自主憲法を制定して人間形成を基本とした、知徳一体の教育政策の確立から始めなければならないのです。

日本の和や道義を重んじる価値観と中心帰一

霊的な世界観は日本が中心であり、岐阜は日本の中心ですから国際マハリシグループの、大学院と健康センターを建設すれば平和の維持から、犯罪・事故・経済成長率などに影響は大きく作用します。
だから4千年以上も昔から日本が神の国と言われる所以でもあります。でも本来は特定の宗教ではありませんでしたが、法律で形式化したのに過ぎません。
昔から伝えられている「八紘一宇」の精神と言うか思想の考え方も、そこから由来している様です。
ここで西洋的な思想の文化である征服とか植民地の支配と言う意味とは全く違います。
それは世界連合とか同盟という機構に近いのですが、彼等は征服とか奴隷や植民地の支配という、邪悪で偏狭な考え方しか浮かばずに誤解している様です。
それは、宇宙の働きと同じで原子構造(ボーアの原子模型)の様に、中心帰一による地球連合体として神意に基づく神聖な社会システムの許で、超民族や聖なる超国家と成り正しく公正で透明と適正な世界政治が行われて、本当の平和と幸せと豊かさが訪れるのです。
日本は昔から大和の国と称して和や道義を重んじる民族なのです。
明治以後、特に戦後になって欧米の利己心に基づく民主主義や練金術を取り入れて、少しばかり神の国と天皇を否定したところで、大和魂としては根本的には何も変わらないでしょう。
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