新しき世界の創造神話と大和の甦生
地球と人類のアセンションは最終幕のステージ
HP新作UP2008/4/14~最終更新2008/9/27より
日本は戦時社会体制が戦後も引き継がれて奇跡の経済復興を成し遂げた
戦後の日本は虚偽の教育で人心は荒廃した
日本人劣化の原因は教育政策だけではない
現在の日本の社会に置かれている、実情をよく見極めてこれからの対策と進むべき方向を知る必要があります。
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日本は戦時社会体制が戦後も引き継がれて奇跡の経済復興を成し遂げた
旧大日本帝国の時代であった戦前~戦中に構築された、国家の構造改革による戦時社会体制(戦時政治システムと経済システム)は、戦後に米国の占領政策の意向を受けて戦後の社会(政治、経済)体制として復活し、奇跡の経済成長を成し遂げて無敵とも言えた経済発展プランも50年を経過して、制度に綻びが出て漸くと省庁再編の「構造改革」が行われました。
しかし、終戦後に於ける日本国家体制の構造改革は掛け声だけで、殆どが其の儘の形式で戦後の日本経済を支えることになりました。
それは、強大化する共産主義の進出を食い止めるために米国としては、日本の経済復興を急ぐ必要があったからであり、戦後の占領軍司令部による旧大日本帝国としての戦時体制の解体は名ばかりで、省庁を始め各団体もほとんどが名前を変えて復活しているのです。
つまり、実態は戦時中と何も変わっていないし、さらには法令もほとんどが改正されることなく効力を発揮していたのです。
戦前の自由市場による資本主義の体制に戻さずに、むしろ戦時中に執られていた一極集中(中央集権)体制を民主主義の旗の下に、巧妙に維持する政策が執られていたと言えます。
これは米国が日本列島をソ連や中国の共産主義の軍事的に対抗する確かな防波堤や砦、橋頭堡(日本列島を不沈空母)とするための、暫定的な敵対政策であったとも言われています。
米国の占領軍司令部の配慮により当時の官僚はほとんど追放になることはなく、例えなってもすぐに解除されて元の地位に戻って職務に就いていました。
日本政府に日米安保条約を起草させて、日本へ米軍の駐留を永久化すると共に自衛隊を創立させて護りを堅め、日本の経済力を強化させる政策を執らせました。
奇跡と言われた戦後に於ける日本の復興劇は、戦中にその社会的な政治と経済体制の基礎が築かれていたことになります。
戦後の社会システムや経済システム、政治システムが戦中に出来上がっていたとすれば、米国の占領政策とは一体何だったのでしょうか。
但し、戦後に大きく変化した政策に教育制度があり、別頁「理想の教育と現状、人間の育成」でも紹介してありますが、国民を思想的な侵略で弱体化する計画でした。
大体に於いて太平洋(大東亜)戦争の本当の目的は、台頭する日本打倒のための欧米を中心とした国際的な謀略であった訳で、日本国家体制を弱体化させる政策を執らせるのは当然の事でありましょう。
それで優秀だった政治家も官僚も企業の経営者も今の世代では質が下落してきています。
日本民族が劣化した最大の原因は、日本古来の伝統精神を捨てて異質な西欧近代主義的な価値観へ移行したことです。
教育政策は和や道義の精神を教える修身をなくして、知識を優先させ科学や技術を主体として競争を煽り、スポーツを重点にした学問の教義へと変えられてしまい利己的な人々が増えて、今が良ければと言う考えで生きている愚か者や堕落して人心の荒廃した社会に成り下がったのだと感じます。
拝金主義、利益至上主義、物質主義、競争主義に明け暮れている新興文明国家である、アメリカ社会を何の疑いもせずに模倣することを国是とした日本政府が、未来の国家を担う次世代の子供たちにどうして立派な人物を育成する真の教育が出来ると言うのでしょうか。
西洋文化に始まったところの民主主義や練金術などは知識とか科学や技術などに因るところの唯物論の思想であり、人間性とか愛念に乏しく利己主義に基づいているのであり、物質文明に基づいて進歩してきたところが多く、人が住むには不完全で歪みのある社会を形成してしまう(別頁)のです。
日本は、古代から神国であるとの教育が、敗戦と同時に神は存在しないのだとされて戦後の誤った虚構の学問と虚偽の教育政策に擦り替わってしまった事に、根本的な原因が有ります。
戦後の日本は虚偽の教育で人心は荒廃した(2008/4/28追加)
現在、日本も世界も大いなる岐路に立っています。
国内外の諸情勢は誠に風雲急を告げるほどの歴史的な大激動の時代に突入して来たようです。
さりとて大多数の国民には感覚が鈍く何も分からないばかりか、国を動かし歴史を創り出す政治家や官僚や経営者、学者やマスコミ等の実に指導者階層の多くが、現在の直面している危機が目に見えにくいものであることにも由ります。
この様なことにも関係して、極めて深刻な現下の事態に対する危機意識にも乏しく、危機管理にも関心が薄く、様々な分野で国家を二分したような不毛な両極端の議論に明け暮れているのが実状であると感じます。
戦後数十年が経過した昨今、アメリカの主導により日本古来の伝統精神を捨てて異質で放蕩と享楽主義な西欧近代の、野蛮で新自由主義的な価値観を取り入れて移行した結果、日本人は戦前から本来的に持っていた人間性や徳性を失い、利己的で邪悪や醜悪なる姿へと変容しました。
敗北によって日本人は劣化し高貴なる大和の国家体制を失ったばかりか、個人尊重が強くなり永く続いて来た家の制度は失われて核家族化が進んだり、地域社会の連帯感も乏しく薄くなり孤独の暮らしから、生き方は乱れその精神(魂)まで堕落させたのであり、戦前と戦後では民族の精神的な性格が異なって、大和民族の固有である自己証明を失ったと言えます。
とりわけバブル崩壊後の日本は国家としての理念もを失い、国民も長期化する不況の中で目標を失い無気力そのものになりました。
ところが日本人は、この様な状態になった原因は日本人の自身にあると考えています。日本人特有の自虐性がそうさせるのでしょう。
だけど、一時の奇跡的と言われた経済的な復興と成功は別にして、日本人がかくも弱々しい国民になった最大の原因は、本当を言うと日本人の中にだけあるのではないのです。
日本人を弱体化させるための計画が練られて、大掛かりで組織的な働きの仕組みが存在していたことが分かっています。
戦後の現代教育として日本に蔓延った日教祖の誤ったイデオロギーは、マルクスの教えを歪曲したものであり、其の弊害が日本全体に広がり、今では人心の荒廃を招いてしまっているのです。
昨今の様な我欲による拝金主義や過当な競争主義は人を盲目にします。目先の利潤や利益に目も心も奪われ、対立抗争を生んだり、凶悪事件が起ったり、欠陥により重大な事故が起きたりして社会全体の健全性を見失わせるのであります。
市場原理社会によるところの利益至上主義や拝金主義に成り下がったと言えます。
貨幣経済は今、多くの矛盾を抱えています。このまま続けば富める者は富み続け貧しいものは永遠に貧しいままの、新たな階級社会がやってくる事でしょう。学歴も、富める者が更に優秀な教育を受けられる世の中になってきます。
競争主義と金儲け主義による価値観と人間疎外からは、人と比較する競争とランク付けによる差別、選別、序列化の発想が生まれて、競争心を子供たちに押しつけたり煽っているのです。子供たちの心の悲鳴が聞こえて来るようです。
学歴の偏重による受験産業の為だけの勉強と、それだけに頼った人間性の不在による成績のランク付けがまかり通り、そこでは幾ら得意な事があっても、それが受験産業内に存在しなければ全く評価されません。しかし彼らは高次元の定義では決して落第者ではありません。
そのような教育と文化で、まともな人間が育成されるとは到底に想像は出来ません。むしろ、個性を押し殺して優等生になろうとする人々は悲しい存在に見えます。
成績(数値)を重視する至上主義や競争社会では、愛念が等閑にされ無理な目標を設定して自分を追い詰め、他者を追い詰め、やがて心身共に疲労して過労死とか病気になったり、自殺とか犯罪へと駆り立てる事になり、深刻な社会問題にまで発展してしまいます。日頃の憂鬱感や不平不満が募ると他者への誹謗中傷とか虐めとか暴力を振うとかの行為に走るものです。
これでは肝心な人心は育ってなくて人間性を失い良い感性も生まれないだろうし、真の愛国心も芽生えないだろうし、豊かな個性や才能も育めないでしょう。
学歴を偏重する主義は世代が進むと更なる学歴偏重の教育者を生み、世の中の矛盾や歪を増徴させます。
これからは柔軟な姿勢で教育の原点をよく見つめ、偏見や常識に捉われず再構築する必要があります。
しかし、権力を欲する側や支配する側の都合としては、民衆の奴隷化を望む事から庶民は何時までも従順であり無気力で白痴や愚民でなければならず、優秀で正義感の強い者が出現すれば権力の座が脅かされると言います。
日の本の民、確りした人生観を持っていないと、物質文明の罠に掛かり陥いて魂曇らし、暇を持て余し利己的で邪悪や退廃的な生き方をして堕落するしかなく、現代物質文明に毒されて心は麻痺し、すべての魂が骨抜きにされてしまったのだろうか?。
自分だけが幸せになりたいと願う利己主義が人生を狂わせて、人間性の荒廃や堕落へと導いてしまうのです。
若者全体の傾向として論理性、理性的な想像力が完全に欠落したものばかりで、目先の感情を満たすことしか念頭にない幼児のような発想ばかりになったのだと感じます。
若者たちにとっては好奇心に乏しく、未知への憧れ、真理の探究、本質を見抜く目、といった人生の深さを見ようとする姿勢が、まるで感じられないもので感動とか感激する心も忘れているようです。
但、毎日が面白くて可笑しく過ごして、要領よく社会を渡り、得すれば良いとしか考えず、他人への思いやり、同情心、人情という言葉など、彼らのボキャブラリーにさえ存在しないようです。
かって、人類の中でも日本人ほど先天的に精神的な高揚の素質を潜在的に持っている民族は、他にいないでしょう。
現状として重点的に教えるべきは人間性の育成として倫理や道徳観なのです。
日本人は、戦後の誤った学問と虚偽の教育政策の導入により心が虚構で覆われて、一時的に良心と感性が麻痺して真の生きる価値を見出せないだけなのです。それは一個人の問題としてではなく、現代社会の全体の問題と捉えなくてはなりません。
日本人のアイデンティティなる民族心は、その土壌が有ってこそ実るのです。
日本という独自の文化・伝統・思想・文明混合体と、世界には類を見ない日本の平等的な和の思想、平等的な共栄共存の思想、道義の精神こそが人類の救いとなるでしよう。
その土壌を豊かな沃土にするのも不毛の砂漠にするのも、社会システムに係っているのです。昨今の日本国内での数多の憂える凶悪事件などは、今の日本の腐敗や荒廃や堕落の矛盾や歪が現れた姿です。
対処療法として司法という権力による厳罰主義だけでは、原因の根本が全く是正されてなく何も解決はしないで、増々荒廃して酷くなり、諺にある「追い詰められたネズミ、猫を噛む」が如くに犯罪は横行して行き詰まるでしよう。
今までの利己的で経済的な優位を目指す競争原理では、誤った価値観から偏狭で独善となり自滅の道を辿る事だけです。
日本人劣化の原因は教育政策だけではない---1(2008/6/25追加)
日本人劣化の原因の一つに学校に於ける教育問題の前にあることも認識する必要があるようです。
今の日本社会の乱れや矛盾や規範崩壊の原因を、学問と教育というジャンルのみに帰趨させてもよいのでしょうか。
学問と教育というものの政策と思想の根拠が何に由来するのかを深く観た場合、今の日本人が凄まじいまでに倫理や道徳規範を喪失した根本的な原因は、戦後パラダイム(ある思想的な規範となる「物の見方や捉え方」のこと)の変貌そのものにあると言えます。
大戦が終えてアメリカのGHQが主導した国家体制を弱体化させる近代主義的な価値観と、我国を恨む北朝鮮などが日教組を操って、倫理に反した活動を通して思想的な侵略で大きなダメージを受けたこと、そのものに日本人の究極的な退嬰の原因があったとも言えます。
学問と教育というものは民族固有の伝統的な価値観や文化的な価値観を、民族自体があまねく共有するという前提が主体になって生じるものであると言えるでしょう。
分かり易い例を挙げるならユダヤ民族であります。
紀元前10世紀のヘブライ民族国家の南北分裂に端を発して後に、彼らは2千年前に他民族に弾圧を受けたり迫害と追放により祖国を失い、12支族は流浪の民となって世界各地に四散し離散しました。そして1948年にパレスチナに念願のイスラエル共和国を再び建設して2支族のみ帰国しました。
ディアスポラ(離散)の艱難辛苦に耐え抜き、ドイツ帝国ではヒトラーのユダヤ人殲滅の政策にも耐え抜き、彼らが確固たる自己同一性を守り抜いてきた理由は彼らが、国家を失っても歴史の背骨を失わなかったからであります。その背骨に相当するものが、ユダヤの聖典である旧約聖書(トーラ)と戒律などを説いたタルムードであるのです。
これらにはユダヤ人が「約束の地」を与えられていることが示されており、彼らは選民意識とシオニズムを決して失わなかったという事実があるのです。それが彼らの民族的な学問と教育体系であったわけです。
古代にノアの子孫でモーゼは十戒を授与されて、民族を統一して選民思想の基礎となったことから、今でも続くユダヤ民族の選民思想はイスラエル(ヘブライ、ユダヤ)の2支族の末裔だと言う自尊心や自負から来ている様です。
ここで本当の「約束の地」とは言い伝えにある「日出ずる国」で東方に在るスメラ(シュメールの訛)の民が居る日本(大和)である筈です。
10支族の末裔たち一部の人々は日本に辿り着いて安堵し帰化して、長い年月の内に彼らは何者で何処から来たかも忘れのか、或は他民族とのトラブルを避けて古代イスラエル(ヘブライ、ユダヤ)の末裔を名乗り出る必要性を感じなかったのかもしれません。
だからこそ日本とユダヤには共通したり類似する風習などが多く日本人ユダヤ同祖説が囁かれていたり、世界でその筋の人々は、日本人のことを「黄色いユダヤ人」と呼んでいるそうです。
民族の自己証明を確りと保てば、民族は滅びないという最大の証明がユダヤ人であります。日本もその例に倣えば、戦前と戦後では民族の自己同一性の性格がまったく異なってしまっていることに気が付くでしよう。日本人は大東亜戦争を経過して、国家と民族は元のままに残ったのですが、日本人の固有の背骨となる自己証明を失ったのです。
その理由は固有で長く続いた日本古来の伝統精神である、和や道義の精神を重んじる心の学問を捨てて異質で放蕩と享楽な西欧や米国の近代主義的な価値観へ移行することを、GHQの意向により日本政府が国是として民族の主眼に置いたからであると言えます。ここに日本民族劣化の最大の原因があると言われています。
そもそも、日本古来の伝統的な精神を重んじる価値観を捨てておいて、科学技術の至上主義的な価値観と、野蛮で放埓で享楽主義的な価値観しか持たない新興擬似文明国家のアメリカを模倣することを国是にした日本が、どうして立派な人物を育成する真の学問と教育が施せるのでしょうか。
唯物思想から来る物質至上主義、金銭至上主義の価値観しか持たない新自由主義社会の中で、倫理や道徳の涵養を期待するほうが無理というものであり、日本人は戦前から本来的に持っていた精神的な人間性や徳性を失い、利己的で邪悪や醜悪なる姿へと変容してしまったのです。
日本に新自由主義体制、すなわち利益追求の文明である競争市場原理に基づく至上主義の社会システムを敷設しておきながら、相反する性質の犯罪を惹起しない学問と教育改革を行おうという魂胆が最初から筋違いなのであります。
世の中の健全性と正しい生き方を見失い人間の価値を、人格や品性の高貴さに気付かずに尊ばないで、枝葉である権威とか肩書きとか名誉とか所有の多寡で見るバカタレが増えたとも言えます。
ユダヤ人の持つ選民思想からくる自尊心では優越感から利己的で独善になり、他者を排除して競争と紛争を煽ることになり好ましくありません。本当は夫々の民族に与えられた役割であり、使命なりを見出して再認識すべきでしょう。
表面的には司法による懲罰を強化して、この様な不心得者を無くすしか道はないと思われる時代になっていますが、日本国民の多くが生き方は乱れて人心の荒廃や堕落や腐敗が進み自己や理性を見失い、自覚を促すだけではモラルを守ることは不可能なのでしょうか。
刑事罰を大幅に強化するという、偏狭な人間智による目先の対処療法とも言うべき小手先の形でしか、日本のモラルを守ることが出来ない社会構造になっているということを、我々国民も政治家も官僚も検察も警察も行政も再認識して理解する必要があります。
大体に於いて人間の存在が肉体的のみに在らず、心の精神との二重である事は一般に知られ、犯罪者の精神鑑定も法的に認められています。しかし、実際に人間とは心霊科学や神智学や神道などによりますと、本来は霊性であり、心のエッセンスである精神や魂と幽体と霊体、それに頭脳と肉体という高次元の霊体と多重多層界から構成する霊的な存在である、と言う事を確りと把握して対処する必要があるでしょう。
日本人劣化の原因は教育政策だけではない---2(2008/8/8追加)
官民とも迷路に入り込んでいるのは、我々日本人が古来の伝統的な価値観を喪失したためであります。他者と競争するだけではなく、皆で助け合い、共に幸せになろうとする日本古来の伝統精神である価値観を何故捨てなければいけないのでしょうか。
教育基本法は本来、教育勅語の存在を前提としてワン・ セットの形で作られたものでありました。
だから教育基本法には道徳教育の理念が欠如していますが、それは教育基本法の起草者が教育勅語を肯定し、道徳教育の理念として教育勅語を宛てがい教育基本法と教育勅語との役割分担を考えたからであります。
ところが教育勅語は教育基本法が成立した後に、GHQの意向で廃止されてしまったのです。それで日本の教育の現場から、国家に対する誇りや国の文化、伝統など、道徳教育の部分は消滅したわけです。
ここで思い切って観の転換という、頭を切り替えるという心構えが必要になっています。
日本人は思い切って精神世界の質的変更をする必要に置かれています。すなわち、国民の精神と思想を戦後パラダイムから戦前パラダイムに変換することが大切な時期に差し掛かっているようです。
何も難しいことではありません。ネットカフェ難民などは悲しい現実であり、犯罪とか自殺の温床になっている孤立感とか疎外感を解消するには、核家族化を元に戻して二~三世代が同居するとか、スープの冷めない距離の直ぐ傍に居て互いに家族として交流できる状況に復帰するべきでしょう。
幼少時代から大切な人間関係を学ぶ機会を失った孤立した家族制度には不備が見受けられます。小さな男女の家族単位などは、明治の国家成立以降に、政権が租税・徴兵目的などにより戸籍制度を整備するために、国家に都合の良い様に権力が押しつけた結婚と言う名目の家族制度だと言われています。
さらに、父母と子供だけの最小単位なる家族は、実は本来の家族ではないのです。それは近代に於ける資本主義社会の金儲け合理化の要請によって、社命による転勤異動に便利なように本来の家族構成をバラバラにされ、互いに団結しない様に孤立化させられた謀略と言うべきものだと指摘する人もいます。
アパートなどでは隣人の顔を見ることもなく、ほとんど口を聞いたこともない生活が続けられています。人間疎外によって生活単位が孤立化させられ、人々が孤独になったことから、人間関係が疎かになり連帯感や思いやり、信頼・愛情という絆が薄らいだり消えたりして、遂に家族まで利害関係としか見ることが出来ない迄に陥って崩壊し、社会を根源的に悪化させる方向へと導いてしまった様です。
今の日本は取り返しのつかない状態に陥ってしまって、社会は貧乏を蔑む社会になっており、日本は底辺から社会が崩れ始めています。これがありとあらゆる人の心を蝕み、社会を崩壊に導いていると言えます。
おばあさん、おじいさんは孫に学校教育のような知育は教えません。しかし、人としてどうあるべきか、日本人としてどう考えるべきかという人として原初的な思考の枠は教えていたのです。代々、日本人はそうやって何とか民族の魂を受け継いで来ていたのであります。その基本の上に正しい学問と教育は行なわれるのが望ましいでしょう。
おじいちゃん、おばあちゃんが孫に教えてきたのは、先祖の大切さ、郷土への愛情なのであったのです。これが土台となって真の愛国心は芽生えます。今の核家族化とか個性尊重とかという家族がバラバラな相対主義的な人間関係の中で、どうやって歴史の背骨とか郷土文化や伝統芸能が我々の中に継承されるというのでしょうか。
但し、何も核家族化をそのまま昔の大家族制へ復帰せよと言うのではありません。理想的にはスープの冷めない距離に二~三世代がうまく住んでいることであるのです。
二~三世代が近しく暮らせる社会インフラを整える計画を行うことであります。理由は日常の生活の中から日本人の伝統精神を継承して行くことが出来るからであります。それによって社会構造はかなり変わって改善されてくるでしょう。
仕事の形態や地域社会の構造がそういう方向を持つように政府や行政が指針を示し、実行することであります。しかし、その前に戦前文明の価値観の重要なエッセンスは再構築されなければならないでしょう。それは国民的覚醒の中で行われる必要があります。
日本人のアイデンティティなる民族心を取り戻して地域社会の連帯感として、村(郷)社会的文化の日本社会とか古き良き時代の日本の国民性に目覚め、かって、共同体が生活単位で助け合って行われた、地域共同体の存立基盤の必要性を再認識して確立する必要があります。
かって、数十年前迄は山里(郷)とか郊外の田舎にあっては、集落全体が一つの大家族の様であり、親戚・近所の親密な付き合いがあり、孤立した生活などは有り得ずに大家族で育った人ばかりだったから、人間の付き合い方を幼少から叩き込まれて人付き合いの上手な人が多く居て、人が困っていると親切をして帰って行くと言うのが一般的でした。困ったときは互いに助け合うのが生活の一部でもあったのです。
情緒溢れて豊かな人間性を育む古来から伝承されて来た日本の精神文化は見直されるべきです。祖父母と両親の交流によるお互いに慈しみ協力し合い子供を育て行くのは利他愛を呼び起こすことにもなります。
心が豊かで暖かい地域社会を作るためには、子供たちを大家族で理性と人情に溢れた暖かい人間に育てるしかないでしょう。それでこそ、自分の頭脳で考えて行動できる人間性が作られるというものです。
今の社会は人間関係の全体が深刻な競争と格差によって孤立とか疎外されて、共同体を運営するための資質を喪失しています。共同体にあっては差別がなく平等でなければ絶対に運営は不可能なのです。今は皆で助け合って良い社会を作ろうとする基本的なモチベーションが失われています。
真の子育てや教育は、家族程度の手に負えるものではなく無理による矛盾が吹き出すでしょう。このままでは日本国民の若者に直面している生存環境が危機に曝されるのは目に見えています。
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