まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

連続沖縄 おきみゅーと浦添市美術館内部

2023-08-09 22:35:53 | 建物・まちなみ
5月の沖縄の連載を終えたところだけど、前回の沖縄旅から2ヶ月もしないうちに仕事で沖縄へ行く機会が
あったので自腹で延泊、前回時間がなくて行けなかったおきみゅー(沖縄県立博物館・美術館)に行ってきた。
ついでなので続けて書いてしまおう(笑)。


まず朝イチ、9時のオープンと同時に入ろうと、事前に調べておいたバスを待つ。・・・・が、来ない。
なんで!?遅れてるのかも?バス停の時刻表にも書いてあるし曜日もあっているし、、、しかし15分も
遅れないよな・・・スマホで再検索して次のバスを調べ、数種類の系統のバスをチェック、どれか来るだろうと
待つが、全然来ない・・・なんで??わけわからん。。。旅先のバスはこれだから困る。泣きそうになりながら
近くにいた人に尋ねたら、その人はツアーバスの方で、30分くらいうろうろしながら待っている私に
同情してくれて、「うちのバスに乗っていきなさい。美術館で下ろしてあげる」と。え~っ、いいの!?

そのツアーはいくつかのグスクや戦跡をめぐって専門家が解説するという日帰りバスツアーだったらしく、
バス発車後に行われたツアー趣旨と行程の説明を聞いていたら(配布資料までもらってしまって)、
なんかそっちに参加したくなってしまった・・・が、なぜかガイドついでで私のことを「美術館に行きたいのに
バスが来なくて困っていた方がいたので乗ってもらいました」などと紹介されマイクまで渡され(爆)
自己紹介をどうぞ、なんて言われてしまい、なんちゅう展開!?と思いながらも、この大らかさが面白くて、
マイクで「大阪から来ています、困っていて本当に助かりました、ありがとうございます」などと挨拶して、
ちょうど博物館前についたのでペコペコお辞儀をしながら下車したのだった(爆)。
今度機会があったら、現地バスツアーを調べて参加してみようかな。

さて予定より1時間遅れで着いたおきみゅーは強い日差しの下、グスク(城)を思わせる姿で鎮座していた。


石本建築事務所・二基建築設計室共同企業体による設計、2007(平成19)年竣工。
やはりグスクをイメージした設計だというが、県の予算不足のためにコンペ受賞時の案とはかなり違った形に
設計し直されたようだ。外壁は琉球石灰岩を使用する代わりにホワイトセメントに砕いた琉球石灰岩を混ぜた
ものに変更したり、建物の規模もずいぶん縮小されたという。

コンペ案の載っているサイト→こちら

しかし、現おきみゅーは本当にカッコイイ!元のプランの完成した姿と見比べることはもちろんかなわないが、
結果的にこちらの方がよかったのではないか!?
プリンのような台形のフォルムはモダンでクール、角丸の穴が並ぶ透かしブロックのようなダブルスキンの表皮は
涼しげで、「映える」空間となっているし、それでいてぱっと見てグスクとわかる。


中央の吹抜のロビーを挟んで左が博物館、右が美術館。はじめ美術館を見ようと思っていたのだが、結構
ボリュームのありそうな企画展だったため、このあと他にも見に行きたいところがあるし、博物館の常設展だけ
見ることに。そちらもちょっと端折って見たのだが結構おもしろかった。


沖縄の地質に関する展示は、実際にそれぞれの地域で産出する石がたくさん展示されており、また沖縄独特の
地形の呼び名についても模型で解説されていてわかりやすい。。


大東島ではこんな「レインボーストーン」なる石が産出するらしく、それを見に大東島へ行ってみたいと思ったり。


これは沖縄産ではなかったかも(?)だが、ブラックライトを当てると光る石の展示。「石膏」も光るのか!
少し前に、「北海道石」というのが新鉱物に認定されたというニュースがあったな。それも見てみたい。


戦前沖縄にあった県営鉄道の路線図。走っている列車や駅の写真も展示されていた。
今のゆいレールよりもずっと広範囲で、本格的な鉄道が走っていたんだなぁ!もちろん痕跡は残っていないだろうが・・・


その他にも興味深い展示がたくさんあったが、浦添市美術館へ行くバスの時間が迫っている。。。
ふと、沖縄の染織に関する面白そうな講演会のチラシを見つけ、日時を見ると今日の午後じゃないの!
あぁ~しまった、午前中に浦添へ行けばよかったなぁ・・・しかし是非聞きたいテーマだし偶然にも今日とは。
博物館の常設展も当日なら再入場できるというので、14時にまた戻ってくることにしたのだった。

これはトイレの色ガラス窓。


とってもきれい!


さて、浦添市美術館の方、博物館前からバスに乗って浦添まで20分程度で行けるはずだったのだが、
さすがに観光シーズンの沖縄、道路はひどい渋滞・・・ちびちびとしか動かないバス。でも今回レンタカーに
しなくてよかった。自分で運転だと絶対眠くなっている。。。まぁそれでも何とか40分くらいかかって
前回も来た浦添市美術館へ到着。展望塔の上から見たあの八角形ドームを、今度は下から見上げる。
こちらはエントランスホールの天井。間接照明のようにやわらかく浮かび上がる八角形。おぉ、これか・・・
ここは2階建てになっていて、ぐるりと回廊が回っている。


上から見るとコテージのように塔のある屋根がいくつも並んでいたが、下の建物は全部つながっている。
展示室はそれほど広くなく、準備中の部屋もあったので展示はそれほど多くなかった。


浦添市美術館では漆器のコレクションを多数所蔵している。
沖縄では琉球王朝時代から漆芸文化があり、1609年に薩摩藩が侵攻してくるまでの「古琉球」時代、
幕藩体制に組み込まれた「近世琉球」時代、王国解体後沖縄県となって戦前までの時代、「アメリカ世」と
よばれる戦後復興期、そして1972年日本復帰以降、と、それぞれの時代における琉球漆器の流行や
特徴などを解説してありとても勉強になった。


王朝時代には漆器製作を管轄する役所である「貝摺奉行所」が設置され、中国皇帝や日本の将軍・諸大名への
献上品や王家御用の漆器が製作された。貝摺奉行所はのちに織物や紅型などその他の工芸のデザイン部門の
役割も担ったらしい。
沖縄県設置により廃止され、それ以降は民間で製作されるようになった。


夜光貝の貝殻を薄く削って螺鈿の材料にする。「貝摺」の名はこれに由来するのだな。


樹液を採るために傷をつけられた漆の木の実物展示。肌の弱い人は近づくと危険!?


比較的新しい時代の漆器に素敵なデザインのものがあった。


螺鈿以外の加飾法、沈金、箔絵、堆金、堆朱などの説明もあり、実際に触ってみられる展示で
仕上がりの凹凸も分かるのがよかった。


このあとおきみゅーへ戻って参加した午後の講演会は期待通りとても興味深く、その後常設展も再度入場して
見学することができた。う~ん、充実!


続く。
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名護市庁舎のモザイク

2023-08-02 23:37:01 | 建物・まちなみ
5月の沖縄の続き。


さて名護の最後は名護市庁舎の見学に。
象設計集団が手がけ1981(昭和56)年竣工。「沖縄における建築とは何か、市庁舎はどうあるべきか」を
深く掘り下げ、沖縄の風土から学んだ市庁舎は40年以上の時を経て十分風景に溶け込み、沖縄を代表する
名建築となった。


遠目で見るとまるでジャングルジムのような立体的なファサード。積み重ねられたグレーとピンクのブロックが
インパクトある。建築当初はファサードに56体のシーサーが並んでいたが、安全性を考慮して後年撤去された。


建物の周囲を覆っている連続したパーゴラは通風を確保して日差しを遮るよう工夫され、その間を這う植物が
天然の日陰を作っている。


繊細なコンクリート製のルーバー。


こちらは色ガラスがはめられた上屋。

沖縄の戦後の庁舎や公共建築はコンクリート造のかっこいいのがたくさんある。多くは強い日差しを遮るために
工夫されたルーバーがユニークなファサードを作りだしているのだ。

全体のフォルムやファサードのかっこよさもさながら、ディテールもまた面白い。 まず目を惹かれたのが
この変な形の焼き物のガラスドア把手。なんじゃこりゃ?ふっくらとして、耳たぶみたい!凹みに溜まった
グリーンがきれい。


こっちは天目釉?濃いこげ茶色。


青磁?見た限り3種類の釉薬のバージョンがあった。他にもあるかも!?


テラスの足元を見ると、そこここに焼き物を埋め込んだ装飾が。


丸底のお皿を伏せたようなものの周りに沖縄の焼き物を砕いたかけらがたくさん埋め込まれている。


うわ、面白いなぁ!建物のまわりを歩きながら見ていくと、9つの丸いオブジェとモザイクを組み合わせた
この装飾があちこちにちりばめられ、全てデザインが異なっている。








本当にいろんなパターンがあって面白い!これは住民によるワークショップなどで作ったのだろうか?


外回りには凝ったデザイン、バックヤード付近には簡素なバージョンと使い分けられている。


ここにも、またここにも、と次々に見つかりワクワクする!






おや、これは象だな。象設計集団のキャラクターだろうか。




透かしブロックの穴に嵌められた色ガラスも良いな。


色ガラスがたくさんはまっているのが見えて、あそこに行きたい!と建物内へ入ってみると、そこは階段室だった。
うわーーきれい。


透かしブロックの穴に、スモークの入った手作りガラスを嵌めてある。こんなところを日々上り下りしている
職員さんがうらやましいなぁ。


ちなみに透かしブロックのうち目隠ししたい部分には陶板を嵌めてあるところもある。


平日に来てよかった。とは言っても執務中であり多くの市民が出入しているので共用部分を少し見るぐらいで。
外観は入り組んでいるが中のフロアは意外と整形で、いたって機能的な感じのオフィスだった。








時間ギリギリまで見て回ってからレンタカーを返却。いや~戦後建築もなかなか面白い。
もっとゆっくり見て回ったら他にもいろいろ発見できたかもしれない。
ジンベエマリンは1日に2往復しかないのでバスで那覇へ戻り、スーパーで買い物してから帰途についた。
あぁ、久々の沖縄を堪能したな!
ま、このあと2ヶ月経たないうちにまた仕事絡みで那覇に行ったのだが(笑)

終わり。

もくじ
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喜如嘉の古民家と亀甲墓

2023-07-30 23:12:34 | 建物・まちなみ
5月の沖縄の続き。



大宜味村役場からさらに北へ・・・目指すは喜如嘉、芭蕉布の産地である。ずっと前から行ってみたかった
芭蕉布会館を訪問するために来たのだが、喜如嘉の集落に入る手前で、ストーップ!

車を停めた理由のひとつは、この建物を遠目に見てカッコよかったから。


大宜味村農村環境改善センター。エントランスは室内と連続した2階分吹抜けの開放的な空間。
見上げるとコンクリートの格天井だ。脇には緩やかな勾配の外階段が突き出している。


事務所に声をかけてちょっと見学させてもらおうと思ったのだが、人がいない。
「すみませ~ん」と何度か大声で呼んでみるが誰もでてこない。今日は平日のはずだが・・・・


仕方ないのでロビーだけ勝手に見学させてもらおう。お客がしょっちゅうやって来る施設でもないのだろうが
とてもおしゃれなロビーだ。奥の庭に面した側はガラス張り、コンクリートの格天井の中に木製の格子が
はまっていて間接照明が仕込まれている。階段も軽やかで素敵だな!

これも誰か沖縄の建築家の作だろうか。検索してみたところ、1981(昭和56)年築ということは
分かったが設計者等は不明。。
沖縄の公共建築はカッコイイのが多いなぁ!

そして車を停めたもうひとつの理由が、ちらりと見えた、お墓群。


道端に立派な亀甲墓がいくつか並んでいた。かなり古そうだ。


亀の甲羅のような形の亀甲墓は子宮をかたどっているとも言われ、それは人が死ぬと生まれたところへまた
戻るという「胎内回帰」の考えによっている。


屋敷森のような生垣に囲まれたひときわ立派なお墓はかなり身分の高い人のものだろう。
墓庭に物干し竿のようなものが置かれているのは、今もここで祭礼や宴会が行われていることを物語っている。


生垣のフクギが蝋のような花をたくさんつけ芳香を放っていた。


この谷積みの石垣は琉球石灰岩でなく、サンゴそのものである。おそらくテーブルサンゴの死骸だろう。
今はもう使えない材料だ。


さて芭蕉布会館にやって来た。
芭蕉布は、琉球王国時代からの伝統的織物である。糸芭蕉を材料として紡いだ糸で織られ、張りがあって
透き通るような布は南国の風土にふさわしい。戦争でいったん途絶えてしまったが、戦後平良敏子さん
(人間国宝)の尽力により復活した。


喜如嘉では村内のあちこちにある畑で糸芭蕉を栽培している。バナナと似ているが実は大きくならず
食べられないらしい。その幹からすべて手作業で糸を紡ぎ、染め、織っている。


会館の1階では芭蕉布についての紹介映像が流れ資料や作品が展示されているが、
2階は、平良敏子さんから受け継いだ技術を後世に伝え、新たな創作を目指した伝習所である。織機がずらりと
並んだ広い工房は見学も可能だが、観光用の見せ物ではないのでもちろん写真撮影はNG、声をかけるのもNG。
数人の職人がそれぞれの作業されていたが、本気の仕事場のピリッとした空気にいたたまれずほんの数分で退去した。


ところで村の駐車場の近くにとても古そうな民家があった。鳥居のような独特の形の門がふたつあり、大きな
ひんぷんもある。とても気になっていたので芭蕉布会館でちらっと尋ねてみたら、その家の奥様がカゴなどを
編まれていてギャラリーで展示販売されているという。ギャラリーなら見学できるな。




「ぶながや」というのが店名か。「ぶながや」とは、自然豊かな大宜味村に住んでいるという妖精の名だとか。
声をかけて見せて頂く。コンクリートの建物がギャラリーだった。


ギャラリーには奥様が植物のつるで編まれた帽子やカゴが並んでいるほか、焼き物の作品もあったので、
尋ねてみるとご主人が陶芸家だったそうで、なんと奥に登り窯があって驚愕!この窯もご主人の手作りなのだとか。
しかし今はもう使われていないという。


母屋の方も相当古そう。軒先を支える柱は束石の上に立てているだけ。床下の基礎もおそらく似たようなものだろう。


本瓦葺き同様平瓦と丸瓦を交互に組み合わせた屋根はガチガチに漆喰で固めているようにも見えない。
毎年台風が来るだろうによく吹き飛ばされずに保っているなぁ!
沖縄の民家は私たちが考える以上に台風に最適化されているのだろう。

ちなみに庭の胸像は医者をしていたご先祖のものとか。

庭の片隅にあった物置のようなモルタル塗りの小屋にふと目をやると、、、おや!?あれはタイル?


覗き込むと男性用の外便所で、床にタイルが敷かれていた!
このタイルもご主人の手作り品なのですか!?と尋ねてみたところ、違うそうで、どこかから入手してきたそうな。
ご主人がおられない今となっては入手先はもうわからないが、この色合いは壺屋焼の伝統的な釉薬や赤絵の顔料を使った
壺屋陶器会館の外壁とよく似ている。

こんなところにタイルがあるなんてまったく思っていなかったので、意外で面白い出会いだった。

やんばるでゆっくりしてしまったのでちょっと急いで名護へ戻ろう。その前に・・・ちょっと迂回になるが
今帰仁村中央公民館をちらっと見に行く。
真っ赤な列柱に緩い勾配のコンクリートの一体ものの屋根がかかり地面に張りつくように建っている。。


ここも名護市庁舎と同様、象設計集団+アトリエモビルが手がけた建築で1975(昭和50)年竣工。
列柱が並ぶ広い半屋外空間は沖縄の伝統民家の「アマハジ」と呼ばれる軒下空間を取り入れたもので
多目的に使われる。


近寄って屋根の下へ入ってみたかったのだが、レンタカーの返却時間が迫るのと那覇へ戻るバスの時間があり、
その前に名護市役所も見学せねばならないので、残念だがここは遠目に見るだけとしよう。。。


続く
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大宜味村役場 3つの建物

2023-07-25 23:34:00 | 建物・まちなみ
5月の沖縄の続き。

さて、名護でレンタカーを借りてやんばる方面へ走る。向かうは大宜味村役場。


旧大宜味村役場は1925(大正14)年竣工。当時国頭郡役所技手の清村勉設計、金城組施工。
沖縄本島で唯一の戦前洋風建築じゃないだろうか!?こんな建物が残っているとは奇跡的だ。
中央に八角形のドームがあり、十字形に出入口と部屋を配したモダンな建物。大正時代にメートル法を
採用しているのは画期的という。建ちが低くやんばるという場所も戦災をくぐりぬけられた理由かもしれない。


建物は閉まっていたのでぐるっと一周回って窓から中を覗き込む。


中は白い壁に柱だけが立っておりがらんとしていた。
塔屋を支えるように建ち並ぶ五角形断面の柱が美しい。階段が見えるが塔屋は何と村長室だったとか!


1Fの一番広い部屋。執務室だっただろうこの部屋、よく見えないかもしれないが、梁やハンチ、天井にも
装飾が入っていて、こんな田舎の小さな村役場の庁舎がこんなにおしゃれだったことに驚く!


戦後すぐのRC建築は塩抜きの不十分な海砂を使用したため鉄筋が錆びてコンクリートが崩落してしまい
長期の使用に耐えられなかったというが、戦前のRCは上質だったのだろう。


隣に建つ打放しコンクリートの建物も気になるな。
型枠の木目がきれいに出ていて角は面取りされているし軒回りもデザインされている。
倉庫なのか、職員が中へ入っていき荷物を持って出てきたので声をかけてみると、やっぱり倉庫らしい。


そしてその背後の高台には真新しい白亜のビルが建っていた。こちらはまさに5月8日から供用開始された
ばかりの新庁舎である。前庁舎を取り壊して同じ場所に建設され、なんと一昨日5月20日に落成式典が
行われたところだという。


月曜日で平日だったので、中に入ってあの洋風の旧庁舎の内部を見学させてもらえないか聞いてみたが
今は公開していないとのこと。残念。。。
ついでに新庁舎を見学させてもらうと、八角形の吹抜けがあったりファサードの開口も八角形だったり、
洋風庁舎のデザイン要素を取り入れていることがわかる。


2階のベランダから見下ろすと、旧庁舎がよく見えた。上から見ると十字架のような形、教会のようだ。


そしてその横の打ち放しコンクリート建物もよく見える。傾斜地に建つため2階が入口なんだな。結構大きい。


見に行ってみると、うわー、カッコイイじゃないの!設計者は誰だろう。
入口の橋の正面中央に木が生えているのも沖縄らしくて良いなぁ。




この建物は旧議会棟だったらしい。現在は村史編纂室になっていて、事務所に人がいたので声をかけてみた。
さすが村史編纂室、資料がたくさんあり旧庁舎の詳しい解説や図面の載った記念誌などを出して見せて下さった。


この議会棟についても何かわからないかと尋ねてみたが、1983(昭和58)年に建てられたという一文は
見つかったが、それ以上のことはわからなかった。


大正、昭和、令和の3つの建物が共存する姿はとても素敵だ。これからも大事にしてほしいなぁ。
洋風の旧庁舎も何かに活用して使えたら良いな!


続く
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聖クララ教会を見に行く。

2023-07-17 12:27:46 | 建物・まちなみ
5月の沖縄の続き。


読谷のやちむんの里の近くには座喜味城跡がある。ここは「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として2000年に
世界遺産に登録されている。2~3回は来ているが、この入口脇にある「ユンタンザミュージアム」に初めて入ってみる。
「ユンタンザ」とは「読谷山」のこと。
興味深かったのは、昔から沖縄の建築で使用されてきた地場産建材である琉球石灰岩(琉球トラバーチン)にまつわる展示。
古い石垣などにはサンゴの死骸そのものや不定形の琉球石灰岩などが使われているのを目にするが、建物の基礎や外構、
道路の舗装、墓などにも琉球石灰岩の切石が使われている。


石切場が読谷村の西海岸にあって、コンクリートブロックが普及する前、大正末期から昭和初期まで切り出されていた。
残波崎付近では特に良質の石が採れたという。
展示された写真には満潮時には海水に浸るぐらいの場所に水平なテーブル状の岩が見える。これが石切跡で、
満潮時にそのまま船に乗せて運んでいたのだ。


道具や切り出し作業の図もあって興味津々。


その他沖縄の伝統的なお墓の種類についてや、骨壺である「厨子甕(ジーシガーミ)」の種類や使用年代の年表も興味深い。


沖縄ではかつて人が亡くなると風葬したあと洗骨し厨子甕に入れ墓に納めていた。
そのお墓も亀甲墓や掘込み式の墓で、明らかに日本よりも中国の文化の影響が大きいことが分かる。
読谷村には1959(昭和34)年に火葬場ができた。戦後でもしばらく伝統的な埋葬方法が行われていたのだ。


以前車で丘を抜けて走っていたときに突然巨大で完璧に美しい亀甲墓が目の前に現れて感激したことがあるのだが、
どこだったか記録しておらず・・・。まちなかでもちょっとした隙間の土地に小さな堀込式の墓があったりする。
大通り沿いには本土と変わらないビルやチェーン店舗が並んでも、そういうのを見ると悠久の琉球文化を感じる。

外には6本足の高倉の復元展示があった。
穀物を保存するのに風通しよくネズミなどに食べられないように脚高にするのはどこでも同じだが、床の高さから
茅葺屋根の軒先近くまで斜めに板が張られているのが特徴的。




さて世界遺産の座喜味城は今回はパスして与那原まで走り、聖クララ教会(与那原カトリック教会)を見に行く。
1958(昭和33)年に片岡献の設計により建てられた女子修道院で、アメリカンモダニズムの影響が色濃い。
DOCOMOMO JAPANによりモダン・ムーブメントの建築に選定されている。


それもあってか、シスターに見学を申し入れたら快くどうぞと言って下さった。修道院らしい静謐な雰囲気に
ダメモトと思って写真撮影の可否も尋ねたところ、どうぞいいですよと。えっ、本当ですか。うれしい!
小さな入口から入ると中庭を挟んだ奥に聖堂が見えた。


透かしブロックが使われた回廊を歩いていく。


天井が低くモダンな聖堂は、右側の壁がいちめん色とりどりのガラス張りになっていて、その美しさに息を飲む!






色・大きさをランダムに配された色ガラス。


聖クララ教会は高台に建っており、ガラス張りの外は崖になっていて、眼下には町が広がっている。


全体に低く抑えられた建物はどこか凛とした印象だ。


帰り際にシスターが「いい写真が撮れましたか」と声をかけて下さった。ありがとうございます。あぁ優しい。。


南風原町にある沖縄県公文書館にちょっと立ち寄り。休日なので開いておらず外から眺めるのみ。
1995(平成7)年竣工のRC造の大きな建築。


赤瓦の載った屋根の形状は沖縄風には見えないが、幾重にも重なった屋根は大造りでなく繊細で美しい。


続く
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浦添市美術館の展望塔に上る。

2023-07-12 02:37:29 | 建物・まちなみ
5月の沖縄の続き。

次は浦添市美術館へやってきた。


駐車場に車を停めて美術館のエントランスに向かう小径を歩いていたら、「てだこチョウハウス 無料」と書かれた
看板があって、見ると小さなビニールハウスが1つ。ふと立ち寄ってみる気になった。


ハウスの中は鉢植えの植物が少し置かれていて、蝶がひらひら舞っていたり、お皿に集まって蜜を吸っている。




そして端の方に干物用の干し網のようなものが吊り下げられていた。そこには、金の鈴のようなものがたくさん
ぶら下がっている。うわ、なにこれ!?


金ピカでどう見ても金属にしか見えないが、なんとこれはオオゴマダラという蝶のさなぎなのだ。
固いのかどんな感触なのか気になるが触ってはいけない。このチョウハウスではオオゴマダラを大事に育てて
繁殖させている。


羽化したばかりの蝶がぶら下がったまま休んでいる。ついさっきまで金の鈴だったのが蝶になるなんて!
ぬけがらのさなぎは金属光沢がなくなり透明になっている。あぁ不思議だな~~!!


チョウハウスを出て美術館へ。建物と建物の間にエントランスがあった。だいたい美術館などのエントランスは
広々と開けているのが普通だが、変わっているな。高い塔屋があって周囲には何棟もの建物が連なっている。


外壁は砂を固めたようなタイルが全面に。


美術館の展示を見るほどの時間はないな・・・と思っていたら、塔屋の展望塔には入場しなくても上れるらしい。
「展望塔からは、美術館の八角重層屋根群及び市内が展望できます」と書かれた案内が。上ろう!


塔屋の内部は打ちっぱなしコンクリートの八角形の螺旋階段。


階段裏も段々に作ってある。


途中の踊り場の窓からストゥーパのような屋根が次々に見えてきた。




最上階は中央にこんな螺旋階段がついていて、これを上るといよいよてっぺんだ。


展望塔は周囲をぐるりと歩けるようになっていて、八方に開けられた窓から景色を望むことができる。


おぉ、これが重層屋根群だ。壮観!ボロブドゥールのストゥーパか、または竪穴式住居の集落か。
八角形は八卦なのだろうが、このドーム屋根は沖縄というより東南アジアっぽい雰囲気だな。
世田谷美術館なども手がけた建築家、内井昭蔵氏の設計で、1990(平成2)年に開館。


ピロティも八角形の柱とアラベスクのような八芒星のデザイン。




起伏のある土地に琉球石灰岩の石垣、南国の植物が陰影を添える。


軒に開けられた穴から落ちる光が美しい。
内部も素晴らしい空間だそうなので、今度はゆっくり時間をとって鑑賞しよう。


隣に建つてだこホールはグスクを思わせる。窓がシーサーの顔になっているという驚きの意匠(笑)


国道58号沿いにはまだこんなレトロアメリカンな看板が。


そのあとはやちむんの里へ。壺屋の記事でも書いたが、那覇市内の壺屋では都市化が進んで薪で焚く登り窯が
公害のもととして問題視されはじめ、1970年代に廃止されることになったため、人間国宝の金城次郎をはじめ
多くの窯元が米軍から返還されたばかりのこの地域に移転した。


以前買ったお気に入りの器が割れてしまったので同じようなのが欲しいなと思って同じ店を訪れたが、どうも
思うようなのがない。若い作家が増え、イラストチックなものや、単純な水玉など自分で陶芸で作れそうなもの、
伝統模様をグラフィック化したようなもの、逆に沖縄のやちむんのアイデンティティが感じられないものなどが
増えて来ていると感じる。それは新しい展開なのだろうが・・・私はやっぱり沖縄の伝統的な雰囲気で
単純な模様でも熟練した手わざが感じられるものを求めている。やっぱり民藝好きなのだ。しかしそういうのは
どんどん減っていくのだろうな。。。

読谷村陶芸研修所の床に敷かれていたのは、大判の布目タイル。この花形は読谷山花織の伝統模様だ。


ところでこのやちむんの里にあるガラス工房の建物が、浦添市美術館の形に似ているな!?
こういう形の建物が沖縄の伝統としてあったのか??「ガラス工房虹」は1988年に設立と書いてあり、
それほど古いものではないから関係ないのだろうが、この形はどこからきたのだろうか。


廃瓶を材料とした作品を作られている。


お昼は陶眞窯に併設されているやちむん&カフェでピザを。
陶眞窯は壺屋焼ミュージアムの男性用トイレのタイルを作った窯だな。


ピザはもちもちでボリュームがあってとってもおいしかった!


続く
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国立劇場おきなわを眺める。

2023-07-10 01:11:51 | 建物・まちなみ
5月の沖縄の続き。

翌日はレンタカーを借りて建築めぐり。沖縄にはこれまで何度も来ていて古民家やグスクはたくさん見て回り、
火災で焼ける前の首里城は素晴らしくて感動したが、それ以外の建築は実はあまり見ていなかった。
戦争で焼け野原になったため戦前の建物はほとんどなく、戦後建てられた店舗や住宅で建築的に面白いものは
見当たらなかった。町歩きはしても建築めぐりをするという発想はなかった。
しかしそういえばよく話題に上る名護市役所も浦添市美術館もまだ見ていない。それで今回現代建築も含めて
見て回ることにしよう、と思い立ったのだった。


まずは、浦添市にある「国立劇場おきなわ」へ。重要無形文化財である「組踊」など沖縄の伝統芸能の保存振興、
及び広く一般の人々が鑑賞できるよう作られた本格的な劇場。高松建築設計事務所の設計、2004(平成16)年
に開場。巨大すぎてカメラのアングルに入りきらない。バック、バック~~~。


ファサードの反り返ったスクリーンはプレキャストコンクリート製で、内側にカーテンウォールがある。
竹の網代をモチーフとしているらしく何とも美しいフォルムだな!


ひし形が繰り返された幾何学的なデザイン。




コンクリート打ち放し仕上げだが、柱や枠の部分はアイボリー色の琉球石灰岩が貼られているのが沖縄らしい。




中も見学したかったがまだ時間が早かったためか、この日は公演がなかったのか、閉まっていた。
ガラスに張り付いて覗いてみると、宙に浮いたような階段などなかなかカッコ良さそうだったが、残念。。

建物の周囲には「琉球すば」「台湾ルーロー飯」ののぼりが立っていて庶民的(笑)。カッコつけすぎないのがいいね!

この向かいに建つ「浦添市産業振興センター 結の街」もまた斬新な建物だな。
こちらはガラスのカーテンウォールのファサードで、一部分が空中に突き出している。


国立劇場おきなわと同じ時期に一体的に整備されたのだろう、2005(平成17)年にオープン。


建物のサッシはオールステンレスのようだが、入口の自動ドアは鉄製と見え似つかわしくないほどサビサビだった。
塩害のすごさを物語る。


続く
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那覇市民会館と那覇市庁舎

2023-07-06 23:37:09 | 建物・まちなみ
5月の沖縄の続き。


壺屋からひめゆり通りに出て、与儀公園の隣に建つ那覇文化会館を見に行く。ここはgooglemapで見たらすでに
名前は消えていたので、もう閉鎖され取り壊しも近いかと思われたので、今見に行っておかねばならぬ。
行ってみると案の定、屋根全体にネットがかかっていた。敷地の周囲にはバリケードが立てられている。


平べったい台形をした戦後モダニズムの建物。2階がエントランスになっていて中央付近に大階段がついている。
全体を撮るため道の反対側に渡って構えるが交通量が多くてなかなか撮れない(汗)


那覇市民会館は沖縄本土復帰直前の1970(昭和45)年に竣工。コンペで選ばれた現代建築設計事務所の案を
ベースに造られた。「沖縄の風土に根差した建築」をテーマに、沖縄の伝統的な建築の要素を取り入れ、
地元産の材料をふんだんに使ったという。
しかし建設ラッシュの時代、コンクリートに海砂を使用していたため激しく劣化し、2016年に閉鎖された。


茶色い屋根は与那原産の平瓦。窓や出入口など切り欠き部分は縁取りが回っていてくっきりと引き締まっている。
コンクリートの箱状の部分は舞台。内部の壁には壺屋焼のタイルも使われているそうだが、今となってはもう
見ることはできず残念。どんなタイルだったのだろうか。




駐車場の脇の擁壁に屋根と同じとみられる瓦素材が使われ、鳥のレリーフが埋め込まれていた。



図面の載っているサイトを見つけた。→こちら

隣接する与儀公園内を流れるガーブ川。
各家庭で不要になったこいのぼりをたくさん集めて川の上に吊るして泳がせている風景は今やあちこちで見かける。
しかしここのこいのぼりはちょっと雰囲気が違うな。
大きい真鯉はお父さん、小さい緋鯉は子供たち~~~と歌にある通り、風に泳ぐ鯉たちは黒、赤、青、緑など
色とりどりで大きさもいろいろ、ふくよかな姿が普通だが、、、ここでは赤系の色ばかりでずん胴、大きさもほぼ同じ。
何か金魚すくいの金魚みたいだな(笑)


もともと沖縄にはこいのぼりを飾る風習はなかったのだろう。本土から来た人によって風習が持ち込まれたが
沖縄でこいのぼりを作ったメーカーは限られていたのではないか。だから皆同じ顔の鯉なのではないか・・・と想像。
それとも、わざわざこのようにして飾るために鯉100匹とかまとめて発注して新たに作ったのかも!?(爆)


そこから国際通りにある那覇市役所まで歩く。坂道があったり結構遠かった(汗)。
2012(平成24)年竣工の那覇市庁舎は現代建築として名高いが、私自身は近年国際通りの西の方へはほとんど
行かなかったので、じっくり見たことがなかった。


あらためて見るとカッコイイな!設計は国建、施工は國場組。


レゴで作ったようなフォルムは表面積が大きく、全体がメッシュに覆われたようなファサードは見るからに
風通しが良さそうで涼しげ。
休日なので中へは入れず、あちこちの角度から外観を眺めるのみ。


こちらはお隣の沖縄県庁舎。ホテルみたいだな!1990(平成2)年竣工。


国際通りを歩いて大好きな牧志の市場へ。ここは戦後の闇市から始まったむつみ橋、平和通という2本のアーケード街を
中心に広がる大きな商店街で、今も暗渠の上に古い店舗が隙間なく並んでいる。お店は観光客向けの土産物屋や
飲み屋が多いが、まだおばちゃんがやっているローカル食材の店など地元の人向けの店もがんばっていて、
奥の方まで行くと時が止まったようなレトロがそのまま残っている。










その中心にある牧志公設市場は数年前から建て替え工事に入っていたが、今年完成しリニューアルオープンした。


新しい建物になってあの雰囲気は変わってしまったかな、、と思いきや、中の店の様子などほぼそのままだった。
1階に鮮魚店、精肉店、物産店などが並び、島らっきょうの強い匂いと肉や魚の匂いがないまぜになった独特の
空気がアジアのまちかどそのもの。中央に大きな吹抜けができて2階の食堂の数は減ったが、飾らない雰囲気は
そのまま、階下で購入した魚を調理してくれるサービスも変わらない。よかった!




飲まない人が(飲む人でも)一人で気軽にご飯を食べるのにこの公設市場の2階はとっても便利なのだ。
単品もあるし定食もあって、沖縄フードや海鮮をリーズナブルに楽しめる。
胃の痛みはもうすっかりなくなったが、夜も一応控えめに、海鮮丼ぐらいにしておく。


続く
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沖縄へ。壺屋をうろつく

2023-07-04 23:36:43 | 建物・まちなみ
フルサービスキャリアはもう楽パック以外ではほとんど乗らないのだけど、細々とたまっていたANAのマイルが
6000マイルほど期限切れになるというので何とか使えないかと思ってサイトを見ていた。少ないマイルで往復取れる
お得なキャンペーンなどは始まってすぐに売り切れてるのだろう、全然見つからず、、、
仕方ない、普通に片道だけでも使うか。別にどこでもいいんだけどせっかくなので遠くに行きたい。ということで
5月に、沖縄行きを片道ピーチと組み合わせて計画したのだった。


那覇には学生時代からもう数えきれないほど行っている。国際通りのお店はもうすっかり入れ替わり、風情のある店は
ほとんどなくなったが、しかしやっぱり国際通りが便利。宿に荷物を預けたら早速まちへ繰り出そう。
チェックしていた壷屋の古民家カフェ、ぬちがふう。予約は受け付けていないというので時間はまだ早いが行ってみる。


ここは本のことでお世話になった仁王窯のすぐ裏手にあり、高台に建つので新垣家の赤瓦屋根が恰好の借景となっている。
門を入ると素敵な琉球美女が庭のお手入れをされていた。女将だろう。何とさまになることよ!
早すぎると思ってちょこちょこ寄り道しながら来たがもう何組ものお客が入っていた。やはり人気なようだ。


オープンの席がいっぱいだったのか個室に通されてちょっと恐縮。。型板ガラスの窓の外は新垣家の登窯ビュー!
木漏れ日のテラスも見える。


実は2日前から胃が痛くてずっと固形物が食べられず、夜は早く寝て養生に努めていた。今朝もゼリー飲料で
しのいできてなんとか痛みはおさまっているが、いきなり普通の食事をして大丈夫かなと少々不安だったので、
あまり量の多くなさそうなソーキそばのセットを注文。
さすがに器は全て壷屋の焼物が使われており古民家の雰囲気にぴったりだ。ソーキは柔らかくて脂っこくなく、
玄米のジューシィ、ジーマミ豆腐、にんじんのシリシリなど、ぺろっと食べて胃も全然大丈夫!


「一九五二年十一月十八日」と墨書された棟札が飾られていた。戦後間もない時代である。

素敵な空間で美しい器で美味しいランチを頂いて満足満足!

そのあと壺屋焼物博物館を見に行く。壷屋にも何度も来ているが入るのは初めてだ(苦笑)。
琉球王朝時代に散在していた窯が1ヶ所に集められて成立した壺屋。元の窯のそれぞれの特徴や、壺屋で焼かれた
製品及びその製造方法、窯跡の遺跡なども展示されていて興味深かった。




そしてここのトイレには、壺屋の窯で焼かれたタイルが使われている。
身障者トイレには「高安康一さんの焼物がたくさん使われています」と書かれていた。


男性用トイレには「相馬正和さん(陶眞窯)の焼物がたくさん使われています」と。
ちゃんと職員の方に了承を得て撮ったので念のため。お客さんが来ないか見張っていて下さった(笑)。


女性用トイレには「國場一さん(國場陶芸)の焼物がたくさん使われています」と。

それぞれ荒焼(焼締め又は黒っぽいマンガン釉)の渋いタイル。こういうところにも地場のタイルを使うのは良いね!
そしてちゃんと作者を紹介してあるのもいい。

博物館を出て、付近のあまり通ったことのない道を歩いてみる。
路面に点在するタイルや陶片を埋め込んだ装飾。




裏手の静かな路地には地元の人しか行かないような昔ながらの雑貨屋兼食堂が。いいねぇ~~


壺屋陶芸会館が開いていた。中はやはり展示販売の店である。
ここに貼ってあった新聞記事で、首里城の再建にあたり正殿の屋根の上のシンボリックな装飾「龍頭棟飾」を
県外のデザイナーが担当するという問題を知った。それに対し壺屋の窯元らが、地元の陶工が主体として
関わりたい、と声をあげているという。首里城って琉球文化のシンボルなのだから当然でしょ!?と思うのだが
なぜ県外に発注するのか非常に疑問。壺屋の窯に是非頑張ってほしいなぁ。




さて、仁王窯の隣にある立派な赤瓦の邸宅、新垣家住宅の見学に。ただし見学できるのは作業場だった離れと登窯のみ。
母屋はまだ住まいとして使われているらしい。




この登窯は東ヌ窯(あがりぬかま)と言い、南ヌ窯(ふぇーぬかま)と共に壷屋に残る貴重なもの。
南ヌ窯が荒焼(アラヤチ)用だったのに対しこちらは上焼(ジョーヤチ)用であった。上焼とは色付きの施釉陶器。
壺屋の周辺の都市化が進み薪で焚く登り窯は1974年頃には廃止された。それによりいくつかの窯は読谷へ移ったのだ。


上屋の支柱が石で造られているのが他では見られない特徴。
登窯の下4段が2009年の大雨で崩壊したというがすでに復旧され2021年から見学できるようになった。
火も入れられるように作ってあるらしいが、再び火入れできる日は来るのだろうか。



この新垣家にはフール(豚便所)も残っているのが珍しい。それは人間の便所と豚小屋を一緒にしたもので、
豚と共に暮らしてきた沖縄の伝統的住まいに特徴的なものだ。

「日本全国タイル遊覧」の本のことでお世話になった仁王窯の池野さんにご挨拶もできた。

壺屋のカフェで食べたかき氷がめちゃくちゃおいしかった!黒蜜がかかっている氷の下には「ぜんざい」が
隠れている。小豆でなく金時豆と白玉に押し麦が加えてあってとろみがアップ!あぁもう一度食べたい。


これは何だ?シーサーのしっぽじゃないの!?(笑)


続く
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有田、波佐見に寄り道

2023-06-18 00:44:18 | 建物・まちなみ
(2022年2月の旅)
佐世保からの続き。


最終日は長崎空港まで戻る前に少し時間があるので有田に寄り道しようと思うのだが、鉄道の乗換を検索してみると
本数が少なくてもどうも効率が悪い。。。ということで佐世保でレンタカーを借りて有田へ。

有田は何度も来ているがやっぱり楽しい。今回は九州陶磁文化館へ行こうと思っていたのだが、休みだった(涙)
ので有田町立歴史民俗資料館へ。エントランス付近に有田焼であろう大判タイルがたくさん使われていて素敵!




有田のやきもののことはもちろん、まちなみや建物のことも詳しく展示されていてとても面白かった。
有田の立派な商家がっぎしりと並ぶまちなみはすごいが、内部の住まいの方もまたすごいのである・・・
あぁ見てみたい。


通りを歩くとお店が増えていると感じる。こちらの「今村製陶町屋」も古い建物をうまく使ったショップ。


足もとには棒状の石が並べて敷かれとってもおしゃれな空間。


モザイクタイル貼りのカウンターもあった。


壁のコンセントやスイッチも真鍮製のこだわりのものが使われている。こんな素敵な製品があるのか!


照明、表札、プランター・・・まちなみにもやはり有田焼のパーツがいろいろ見られて楽しい。


手掻きの家紋タイル。


煙突に書かれた屋号はタイルかな。


これまであまり入り込んでいない道を歩いてみると、おぉ~、煙突が乱立!!次から次へと現れる煙突は
いちばん多いところで一目6本。うひょ~~~


間近で見れるところも。




猿川八幡神社まで行って引き返す。


ところでその途中で見かけたプランターが、ちょっと変わった形で目に留まった。植物を植えるにしてもちょっと
深すぎるし、真四角でなくちょっと台形のような妙な形をしている。


よく見ると内側に何やら型番のような番号が書かれている。これってもしかして・・・水洗トイレのタンク!?
写真をバシバシ撮っていたら工場からおっちゃんが出てきたので聞いてみると、やはりそうだった!


そして休日だったにもかかわらず、ショールームを見せて頂けることに。
株式会社ヤマトクでは精巧な有田焼製品を作っておられ、2月のこのときは「陶ひな」がたくさん並べられていた。
美しい着物をまとったおひな様の他、お道具も皆鮮やかな模様が入ったやきもの製である。




ひゃ~~!これ一つ一つ器としても高級品だろうな!


そしてさっきプランターに転用されていた水洗タンクもあった。全面に染付の模様が入った便器。お揃いの
男性用小便器もある。


輸出用だろうか、いろんな有田焼の模様が入った便器や洗面ボウル、小物類などあってトータルコーディネート可能。


家のトイレがこんなのだと楽しいなぁ(笑)。




もちろん食器もあるし、こんなスピーカーなど面白い製品をたくさん作っておられる。


有田のまちなみを楽しんだあと、やきものの展示即売所モール、アリタセラを覗きに行く。
こんな素敵なガラスドア把手(ハンドル)を発見。これは売っていないのかな!?こういう建材も売ったらどう?


波佐見にも立ち寄る。前にも言ったことがある旧福幸製陶所の工場をリノベした複合施設だが、あいかわらず
ハイセンスでお客もすごい数・・・広い駐車場はいっぱいだ。


向かいの「旧波佐見町立中央小学校講堂兼公会堂」も二度目だがじっくり見る。


白山陶器の壁はあいかわらず面白くてかわいくて素敵だな!






レンタカーで空港まで乗りつけて返却。県内なら乗り捨て料金がかからないのだ。
長崎空港も長崎駅へ行く以外のアクセスがあまり良くない。鉄道も好きだし昔は鉄道でどこでも行っていたが、
やっぱり車は便利だな~~もう車なしではダメな軟弱な旅人になってしまった(笑)

佐世保で3泊して日帰りで黒島や小値賀島を日帰りで訪れた旅。今回も最後まで楽しかったな!

終わり。
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佐世保をうろつく。その3

2023-06-14 00:20:47 | 建物・まちなみ
(2022年2月の旅)
佐世保の続き。



佐世保で友人が連れて行ってくれた面白い建物。見学受付時間にギリギリだったのでタクシーで乗り付けた。
それは元遊廓エリアで営業するパン屋さん。あめ色のふっくらタイルが壁や軒裏まで貼られた遊廓建築を利用したお店だ。
閉店間近のためパンはもうほとんどなかったけど、建物は快く見学させていただけた。


いったんお店を出て角をぐるっと回ったところにカフェの入口がある。ろまん茶屋まほろば。建物はつながっている。


こちら側は特徴的なタイルが貼られているわけでもなく特に変わったこともない木造モルタル塗りの古い建物だが、
玄関戸を開けると、装飾的な和風意匠とともにモザイクタイルが使われていた。


しかもピンクと緑というコントラストの強い色あわせ。長方形のタイルを三本ずつ並べて市松状にしてあるのも
またそれらしい。


床はひし形の無釉モザイクタイル。こちらは地味な色合い。


早速上がらせてもらい見学。「探検コース」が設定され、順路が示されているが、ランダムに巡る。
このあたりは山の手というか起伏のある地形で、鋭角の角地ということもあって複雑なフロア構成になっている。


手洗い場も白無地タイル貼りで、衛生的なイメージ。


現在カフェとして使用され広い廊下に面していくつか並んだ部屋でお茶や食事を頂ける。
部屋はきれいに改修され、遊廓の暗さはない。


これは大広間だったかな!?






こちらの手洗い場は長方形モザイクと玉石タイル貼り。建物の角部分か、三角形の面白いスペースだ。






階段を下りたところが1階かな!?こちらのトイレと手洗い場もタイルタイル。


床の無釉モザイクのランダム具合がいいね!


館内は急な階段があちこちにあり上ったり下りたり・・・もうどこがどこか全く分からない・・・苦笑


地下にあるこの秘密めいたスペースは元防空壕。


地下の元台所には天窓がとられていて意外と明るい。モザイクタイル貼りのかまどもあった。
倉庫のようにいろんなものが置かれていたが、そんなバックヤードも含めて見学させてもらえるのはありがたいな!


明治後期に建てられ第二次大戦の佐世保空襲もくぐりぬけてきた建物。遊廓のあとは旅館としても使われたらしい。
このエリアでも遊廓建築はもう数少ない。パン屋さんやカフェがうまくいって使い続けられるといいなぁ。

高い石積みの上にレンガ塀が。


遊廓建築を彷彿とさせる旅館、松竹荘。旅館はもうやっていないと見え声をかけても人は出て来ない。


2階の壁が銅板張りになっているのが面白い!丸窓にはステンドグラスが入っているように見えるし
その横の縦長窓もあって、ここは洋間だったのではと想像する。


左側の端はモザイクタイルがみっしりと。


入母屋破風の玄関には色ガラスのはまった欄間が!玄関戸の隙間から覗くと、珍木を使用した梁や面白い形の
窓など、やっぱりそれらしい意匠が満載のようだ。。




すぐ近くにある「ホテル松竹」の方は営業しているようだが、、、こちらは昭和4~50年代か??


松の意匠の風穴は何かユーモラス。




こんな建物もあった。



日暮れまでうろうろしながら、まちなかへ戻ってきた。

続く。
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佐世保をうろつく。その2

2023-06-07 23:11:39 | 建物・まちなみ
(2022年2月の旅)
佐世保の続き。

黒島から戻った日の夕方にも佐世保近郊をうろついた。
松浦鉄道の山の田駅で下車して山の田浄水場を見に行く。駅から歩いて住宅街を抜けるといきなり現れた。
浄水場というのは意外と住宅地に近い所にあるものだな。


石をタイルのように貼った門。


敷地内へは入れないが古い建物や工作物のいくつかは塀の外からでも見える。
山の田第一浄水場は1908(明治41)年に竣工したが、1926(大正15)年に第二浄水場が作られたときに
できた施設もあり、どれがいつのものかはちょっと分からない・・・。


木造の事務所などもあった。


人が入る場所でもないこういう工作物もちゃんと美しくデザインして作っていた時代。
それは水の神へのリスペクトの表れだったのではないか・・・




浄水場から少し下って歩いていくと、赤レンガ積みの円筒形の建物が、住宅のすぐ隣にポンと置いたように建っている。
直径は4mぐらい?その姿はずんぐりむっくりの丸ポストみたいだ(笑)。現地には説明板も何もないが、
これは「量水井上屋」で、さっきの山の田浄水場からつながる送水管の量水施設。


外側にレンガの小さい面を並べた小口積み。この積み方だと小径の円筒形でも曲面レンガをわざわざ作らなくていい。
人が滞在する施設でないので多少強度は劣っても問題ないのだろう。


屋根はただの平たいコンクリートか、中央にポッチが見えるので多少勾配がついているのか。よく見えない。


さらに坂を下って松浦鉄道の切通しを渡り、「堺木減圧井」を見に行こう。


こちらはまた4車線の国道204号に面して建っていてびっくり。
減圧井(げんあつせい)とは、送水管に水圧がかかりすぎて破裂しないように圧力を調整するための施設らしい。
さっきの量水井を経由した送水ルート上にある。


レンガはイギリス積み。入口のキーストーン風装飾や8角形の宝形造屋根など、さっきの量水井よりもデコラティブだ。
4面にアーチ型の鎧戸がついている。説明板には明治34年頃に完成とある。
隣のよしむら歯科の建物は減圧井の八角形にあわせてつくられたのだろうか(笑)


洋館付き住宅を発見。


こちらはメダイヨンがついているから古いのだろうが、ちょっと変わった住宅。倉の置き屋根みたいな上屋はあとから
つけたと思われるが、その下はどうなっているのだろうか。。。


犬に吠えられ退散・・・笑


佐世保のまちなかに建つあそか保育園もちょっと古そうだぞ。




銅版のような色のタイル。




「貝族料理&雑炊の店 曽根崎」は細い路地に面した、カウンターだけのいかにも飲み屋なお店。地元の人気店らしいが、
コロナ波の谷間でお客が少なく私たちだけだったので、1杯しか飲まない客にも快く対応して頂けてありがたかった。
貝焼はめちゃくちゃおいしくて貝好きにはたまらん~~!!
普段なら満員だろうし、飲めない者は気後れするところだが、コロナで敷居が低くてある意味ラッキーだったな。


続く。
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佐世保をうろつく。その1

2023-06-01 23:34:16 | 建物・まちなみ
(2022年2月の旅)
佐世保に3泊して黒島や小値賀島へ日帰りで出かける合間合間に、佐世保のまちもうろついた。
これまで通過点として佐世保に降り立ったことはあったがまちを歩いたことはなく、佐世保中心部の近代建築も
見ていなかったので、島へ日帰りする合間合間にちょこちょこと散策した。

まずは到着した夜にホテルへ向かう途中に見たカトリック三浦町教会の美しいライトアップ姿。
佐世保駅前のメインストリート沿いにドカーンと建っているランドマーク的建物だ。


朝の散歩で港の方を散策。こちら旧佐世保海軍凱旋記念館。1923(大正12)年開館。
戦後は米海軍佐世保基地の劇場として使用、日本に返還されたのち、現在は佐世保市民文化ホールとして使用されている。


窓回りにはタイルが使われていた。


大きな建物で、完全な左右対称。


もう少し歩いていくと、旧佐世保水交社(海上自衛隊佐世保資料館)が見えてくる。


八角形の塔屋が面白いが正面から見ると役所っぽい。


外構に使われているレンガは、北九州などで見るのよりも茶色っぽいが、これも鉱滓レンガだろうか。


この建物は坂の途中に建っているので下の方には石積みがあるのだが、この石がとてもいい。


砂岩だろうが鉄分をたくさん含んでいると見え、オレンジ色で錆びたような風合い。
この石はまちなかのあちこちで見かけ、黒島へ行く途中で見かけた岩礁がまさにこの石と同じだと思う。


お寺の塀にもこの石が使われていた。


同じ石で塀の笠木も設えてある。


佐世保橋は、かつて「海軍橋」と呼ばれていたそうだ。桜と錨はあちこちにあるが海軍のシンボルなのか。


商店街に戻ってきた。正直言うとお国の施設はものものしくてあまり好みではない(苦笑)。
やっぱり民間の建物の方が、人間味が感じられて楽しい。


歩いていたら、レンガ色のやきものを積んだ擁壁に目が留まる。窯垣みたいだが、なんだこれは?




表側に回ってみると、三川内焼のモニュメントだった。そうか、三川内(三河内)って佐世保市だったんだな。
有田に近いから佐賀県だと思っていた(苦笑)。ちなみに波佐見も長崎県。


三川内のやきものはこういう染付の青い模様が特徴だ。


組絵のタイルもあった。三川内ではタイルも作っていたのだろうか!?


カッコイイ建物があるなと思ったら、白井晟一設計の親和銀行本店(現十八親和銀行佐世保本店)。
1969(昭和44)年竣工。不勉強なもので、比較的時代の浅い白井晟一の建築の魅力はまだよくわかっていないが、
石とガラスと金属板でつくられたファサードはやっぱりまわりの建物とは違う存在感で目を惹く。
東京住まいのときに何度か行って好きだった渋谷区立松濤美術館も白井晟一の設計だった。


アーケードに隠れていて全貌が見えないのがもったいないな!裏手には1975(昭和50)年完成の石張りの塔、
懐霄館(かいしょうかん)があったのだが、友人と待ち合わせしていたため裏へ回らず先を急いでしまった(苦笑)。
今検索していたところ、この懐霄館、「諫早石」貼りだそうで、さっきの石積みの石もこれかもしれないな。


続く。
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旧小田家住宅(小値賀町歴史民俗資料館)を見に行く。

2023-05-28 22:09:58 | 建物・まちなみ
(2022年2月の旅)
黒島天主堂からの続き。


佐世保に泊まって黒島へ日帰りで行った翌日は、また船に乗って小値賀島へ。今度は佐世保港から出発だから楽々~


びっぐあーすという高速船で約2時間。こちらもやはりダイヤの関係上日帰りのパターンは決まってしまう。
現地では3時間の滞在だが、まぁそのくらいでちょうどいいだろう。




デッキに出られない船は正直退屈だな。。。穏やかな海。うつらうつらしているうちに小値賀島に到着。


小値賀島の小さなターミナル。


乗ってきた船はくるりと回り、宇久島へ向けて再び港を出て行った。


さて、小値賀島のまちを歩き出そう。
長崎でもよく見かける小さな石の祠。屋根の形がふっくらしていてとってもリアルに作り込まれているな!


こちらの建物の壁が何かきらきらしているなと思ったら・・・


洗い出しの壁に、お魚型にカットした貝殻が埋め込まれていた。かわいい~~


昨日の黒島ではキリシタンの人々が潜伏していたため集落は目立たない場所に作られ、私たちが道を歩いても
まちなみを目にすることはほぼなかった。小値賀島も同じように何もない島かと思ったら、港周辺には商店や
飲食店もあって、路地を歩くと人の生活が感じられるまちだった。


さて、小値賀島の目的である旧小田家住宅(小値賀町歴史民俗資料館)へ向かおう。
この上が旧小田家住宅。かつては左側の道までが海であり、スロープが小田家の船着き場だったとか。
ふーん、そう言われるとそう見えてくる。


この門に白無地タイルが使われているのが珍しい。


旧小田家住宅の塀の特徴的な黒い石。何石というのだろうか。


小田家は17世紀の半ばに壱岐島から移住して小値賀島で捕鯨業を興し、財をなした。
もちろん島民たちは捕鯨業に直接携わったほか、「捨てるところがない」と言われる鯨の様々な製品を求めて
全国から商売人が買い付けに訪れたことで商業が発達し島全体に経済発展、都市化をもたらした。
小田家はさらに新田開発、酒造業、廻船業、海産物問屋など広く手がけ、平戸藩の財政にも影響を与えていたとか。


レンガ敷きの土間。殿様用の玄関は別にある。


江戸時代中期に建てられ明治以降の改築も見られる建築だが、その後の改変が少なく、主屋、奥座敷、土蔵が
長崎県の指定有形文化財となっている。建物に加え塀、門、庭園なども往時の状態をよく留めた屋敷である。
そして・・・ここのトイレにはあの、黒島天主堂にあったのと同じ、松尾徳助窯の十字タイルがあるのだ!
それを見に来たわけである。


入場したところ、なんと、写真撮影NGとな!?ええっ、何で~~~?撮影には事前に教育委員会の許可が要ると。。。
お目当てのトイレは中庭にある外便所で、いったん庭に出ないと行けない場所。そして・・・
うわぁ~~~!!2ヶ所の大便所の床に、あのタイルが太い目地を取って四半貼りされていた。壁の足元にも
同じタイルが巻かれている(写真なし/涙)。1ヶ所は便器も瀬戸の角型染付便器だった。
あぁ~~、これを見れて小値賀島へ来た甲斐があった!

しかし何で写真撮影NGなのか・・・すでに町の所有になっているのに。防犯上の理由?
実際、はるばる小値賀島まで行って見学したのに、写真を撮っていないので主屋や奥座敷はどんなだったか
もう忘れてしまった(汗)。

お昼は「寿司平六」で握りを食べた。さすが、唸るおいしさだった!(写真は2人盛)


そのあと船の時間まで駆け足で路地を散策。豆タイルの流しも見つかり、こんな離島まではるばる運ばれて
きたのかとちょっと感動。




ほかにも古い石垣が現れたり魅力的な風景がたくさんあって楽しい路地歩き。




黒島のイメージで3時間あれば十分かと考えていたが、小田家を見てお昼を食べるだけでもうほとんどの時間を
使ってしまった。。。まちはまだ広がっており、見れたのは港周辺のごく狭い範囲のみ。


あぁ、名残惜しいが船の時間が迫ってきたので港へ向かうと、SeaQueenという船が待っていた。


後から考えると、小値賀島って五島列島の上五島に属しており、これは佐世保から日帰りで行く場所ではない。
泊まりで行くべきだったと反省。佐世保からの距離は黒島の約3倍・・・距離感が全然違った(汗)。
もったいなかったな。。。




約2時間で佐世保港に到着。まだまだ日は高い。


続く。
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フェリーに乗って、黒島天主堂を見に行く。

2023-05-22 23:34:23 | 建物・まちなみ
(2022年2月の旅)
佐世保からの続き。


佐世保から松浦鉄道で約30分の相浦までやってきた。黒島はそこから船で50分かかる。
船のりばは駅を出て2~3分だ。


世界遺産候補エリア内の教会堂では管理が厳格で、見学するには日時を指定しての事前連絡が必要。
「教会堂は祈りの場」であり観光スポットではないことから、建物内部は撮影不可。電話で問い合わせたときには
「タイルが敷かれている内陣には近寄れない」との話で、現地へ行っても本当にタイルを見ることができるかどうか
分からないまま長崎へ飛んだのだった。


車も積み込める「フェリーくろしま」。


乗り込んでデッキをうろうろ偵察しているうちに出航の時間に。




可動橋みたい。


途中に見えた島。これは佐世保のまちなかでもよく見かけたあの砂岩でできた島だな。


50分などあっという間だ。黒島の姿が見えてきたと思ったらもう入港。




はるばるやってきた黒島は、バスもタクシーもないローカルな島だった(電動キックボードみたいなのはあったらしい)。
船のダイヤのしばりにより3時間半の滞在が必須。教会以外は特に観光施設はなく、ランチも予約なしで入れる店は
1軒のみという。時間が余ってしまうかも。。。




港からヒイヒイ言いながら坂を登り約20分。ようやく見えてきた赤レンガの教会。うぉー、やっと来た!!


改修工事を終えたばかりだからピカピカになっているかと思えば、全然そんなことはなく、自然な感じでなじんでいる。


黒島天主堂はマルマン神父の設計で、1902(明治35)年竣工。松尾徳助窯の十字タイルはこのマルマン神父の
デザインと言われており、まさにこの天主堂のために作ったものだったのだ。


入口を入ると、高い高い木製のヴォールト天井。白木のままの円柱が並ぶ。


そして前の方へ。。。柵や台などの木製の装飾も見事である。そして祭壇が置かれた内陣の床一面に、あの十字タイルが。
うゎーーっ・・・美しい!見れないかもと言われていたが見ることができた!よかった~
内陣の柵の手前からタイルを眺める。間近で見るとタイルは意外に曲がりや反りがあって、大きさも均一でない。
転写模様の色も濃いもの薄いものいろいろ混ざっており、よく見るとヒビの入ったものもある。
明治中期に試行錯誤しながら苦労を重ねて磁器タイルを作ったことがしのばれる。敷き詰められた全体を見れば
個々の違いはむしろ柔らかさを生んでおり、ブルーのじゅうたんのように内陣を明るく彩っていた。


ふと、高窓の色ガラスからプリズムのような原色の光が落ちてきて、床のタイルが多色に染まった。
おぉ・・・なんという神々しさ・・・言葉も出ず、息をのんでしばし見つめた。
そのうち、またふいっと気が変わったように光は消えた。太陽光線がある角度で差し込んだ一瞬の出来事。
そのあとしばらく待っても、タイルの上に色ガラスの光が落ちてくることはなかった。

あの幻の一瞬を写真でお見せできればよかったのだが・・・代わりにこちらのサイトをどうぞ。
https://oratio.jp/p_column/aritayaki-tile

黒島の道端でちょくちょく見られた石積み。建材の石の端材のようだが・・・このような石がどこで採られどこで
使われたのかは不明・・・


天主堂をゆっくり堪能したあと、たった1軒の予約不要の店でランチを食べ、その辺をうろつき何とか3時間半すごした(笑)

続く。
コメント (1)
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