まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

伊豆文邸と中瀬邸

2023-04-14 00:50:08 | 建物・まちなみ
松崎の続き。

伊豆文邸は松崎の美しいなまこ壁の景観を作りだしている主要な建物のひとつである。
前日は閉まっていたが翌朝自転車でふらっとやってきたらちょうど開いていて数人の人がいたので見学することに。


伊豆文邸は1910(明治43)年築。
通りに面した部分は戸袋のほかはすべて建具で、広い間口の商店建築だ。内側には幅1間弱の土間が回っている。
この日はここで灯りの展示か何かをやっていたが、私は建物の見学メインで。。


2階へ上がってみると、しっかりした8畳間が表側に3つ並んでいる。


いちばん奥の部屋はこんな鼠色の壁で不思議な雰囲気。これも数寄屋風と言うのか?落ち着いて重厚なのだが
使われている材料が変わっている。


落とし掛けにはイガイガの珍木が。襖には水墨画や書が貼られ、地袋の板戸にも墨絵が描かれていたり。


欄間はちぎれそうな古木のスライスを。


こちらの部屋の床柱もまた変木。ちょっと気持ち悪い・・・
天井の材も各部屋違っていてこだわりが感じられる。いかにも数寄者が作ったという感じだな。




裏へ出ると庭に面して美しい蔵が2棟建っていた。


内部見学できる建物は全部見ていく。こちらは川沿いの中瀬邸。


中瀬家も呉服屋で、この建物は1907(明治20)年に建てられた。奥の蔵がジオパークのビジターセンターと
観光案内所にもなっている。


ビジターセンターになっている蔵の扉には龍の鏝絵が。




みせの方に入ると伊豆文邸と同様幅1間弱の土間があり、みせの間で商品を広げて商売している様子の再現展示が。


外から見ると3階建ての高さの内蔵。ここも展示室になっている。


こちらは内蔵の窓の扉の鏝絵。扉が閉じられているため室内側に見えているのだ。金網があって撮りにくいが(汗)、
黒地に白でくっきり、精巧な鴨の絵。




廊下を奥へ。


主屋の2間続きの座敷は無料休憩所になっている。細かい組子の欄間が美しい。奥の人影は人形(笑)。


家紋である橘をかたどった焼き物の釘隠し。かわいいな!!


主屋と離れを結ぶ渡り廊下はこんな船底天井で、主屋から少し下がる部分の桁に湾曲した材を使ってある。


本当に舟のようだな!




これは別の場所だが、なまこ壁を補修作業中。なまこ壁を維持して景観を守るには傷みがあったらこうしてすぐ
修繕することが肝要だな。なかなかその費用が出ないところが多いのだろうが・・・


石積みの美しい水路。


2日間うろうろしてだいたい見れたかな。帰りのバスまで少し時間があるので「御宿しんしま」で立ち寄り湯。
大沢温泉では入れなかったがここで温泉も楽しめてよかった!


バスターミナルの近くで洋館らしき建物が見えたのだが、あぁ、確かめに行けなかったな。。。


さて帰りは、駿河湾フェリー乗船者限定で実証実験中の無料バスでで土肥港まで。

続く
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旧依田邸を見に行く。

2023-04-12 20:33:33 | 建物・まちなみ
松崎の続き。

今度はバスに乗って大沢温泉へ。と言っても温泉に浸かるためではなく、旧依田邸の見学が目的である。


依田家は武田信玄の家来の家来だったと言われ、この地に移ってから400年間土地の名主であり、
木炭生産や廻船経営などを行ってきた。
十一代の佐二平と勉三兄弟のときが最盛期で、兄の佐二平は製糸業を興し衆議院議員も務めている。
弟の勉三は北海道で十勝の開拓に尽くした。


単体で残された表門。


主屋のなまこ壁。下の方のみ四隅に丸がついているのは、補強の釘を入れてあるのだろうか。


建物の中へ入ると、土間は石敷きである。


凝灰岩の伊豆石だろう。石敷きの土間とは珍しいな!


主屋は300年前の江戸時代元禄期、離れが200年前の文化・文政の頃、3棟の蔵のうち中央の米蔵は
主屋と同じ頃、両側の味噌蔵と文書蔵は幕末頃に増築されたという。
なまこ壁、軒裏塗り込め、銅板貼りの防火戸など完全な火防建築になっているのは、もとあった家が火事で
焼けたからだろう。内部は高級な栂材を使い、拭き漆仕上げなど匠の技をもって作られている。


しかし1961(昭和36)年から「大沢温泉ホテル」として営業するため大規模に改修したらしい。
このロビーなど、ちょっとおしゃれな雰囲気のところはそのときに変えた部分である。
1尺8寸のケヤキ材の大黒柱は当時のまま。


依田家の歴史などについての展示が少しあって、北海道のマルセイバターサンドの包装紙なども展示されていた。
なんで??


依田家十一代の弟の勉三は「晩成社」を設立して十勝の開拓にいちはやく取り組み、さまざまな商品開発を行って
事業化を試みた。事業は失敗に終わったが、数々の困難を乗り越えのちの産業につながる礎を作った勉三は
十勝開拓の祖といわれ、帯広に本社をおく六花亭が勉三にちなんだ菓子を製造したのだという。
マルセイバターサンドの包装紙は、晩成社が初めて商品化した「マルセイバタ」のラベルの意匠を取り入れたものだとか。
ははぁ、そうだったのか!松崎と北海道の意外なつながりが知れて興味深い。こういうところに歴史を刻み今でも
売ってくれているのだから勉三も草葉の陰で喜んでいることだろう。


中庭越しに3棟の蔵を望む景観の美しさには惚れ惚れする。3棟の蔵は下屋で繋がっていて水平ラインが美しいが
これは江戸時代からのものではないように思う。


池のある小さな中庭を囲んでぐるりと廊下が回っている。池泉回遊式というような雰囲気ではなく、むしろ
なぜかイングリッシュガーデンの池のような、そんな感じを受ける。よくわからないけど(苦笑)。




道具蔵の中へ案内頂く。この蔵はホテル時代に客室として使われていたとのことだが、これがちょっと驚きの
空間だった。箱階段の向こうに見えるのは・・・・


なんと、米蔵との間にお風呂があるのだ。もちろんホテル時代に改修して作られたのだが、この両側がなまこ壁、
つまり、蔵の外壁なのだ!!2棟の蔵の1間ほどの隙間に屋根を作りガラスをはめ込んである。


なまこ壁は水に強いとは言え、日常的に水のかかる浴室の内壁にしてしまって大丈夫なのか・・・?
いや、考えてみるとたまに泊まる客が1日に1回入浴するぐらいなら、自然の風雨にさらされるよりも
ずっとましな環境かもしれないな。うまいことを思いついたものだなぁ!


天井に使われた模様の美しい竹。


蔵の前の通路に何か埋め込まれていた。よく床のモルタルに敷瓦や擬木や輪切りにした木などを踏み石として
埋め込んであるのを見かけるが、この形は、いったい何だろう??半円でもなく、昔のダイエーのマークのような
欠円形。しかもたくさんある。大きさや色の違うもの、いちめんに穴の開いたものある。
何か不用になった道具の転用に違いないのだが、思い当たらない。


尋ねてみると、これは「ゆでがま」と呼ばれる、繭を湯通しするための陶製の容器で、それを裏返して埋め込んで
あるのだとか。勉三の兄の佐二平が1875(明治8)年に製糸業を興し3階建ての工場も建てていた。
製糸業が廃れてから不用品となっていたこのゆでがまを、ホテル開業にあたって意匠に利用したのだという。
面白い活用だな!


穴のあるものはザルのように湯切りするためだろう。


江戸時代の富豪の邸宅はそれ自体貴重だが、ホテル向けの改修はまさにリノベーションであり、時代による
改変の痕跡もまた面白いものだ。建築当初の姿に復元してしまうよりも、建物の歴史を含めて楽しむのがいい。




なお、2014(平成26)年に大沢温泉ホテルが廃業したあと邸宅を松崎町が購入し、ホテルの浴室を改修して
「日帰り温泉依田之庄」をオープンしている。今回は旧依田邸でバスの時間ぎりぎりまでゆっくりしてしまったので
入ることができなかった。またの機会に。


続く
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山口集落のなまこ壁と、タイル流しコレクション

2023-04-10 21:35:57 | 建物・まちなみ
松崎の続き。

岩科学校からの帰り道でもはっとするほど美しい家があっていちいち立ち止まってしまう。






岩科学校でもらったマップで近くにもなまこ壁がたくさん見られる集落があることを知り、立ち寄ってみることに。


「山口のなまこ壁」と書かれていた集落には、本当になまこ壁の家がいっぱい!!細い川沿いの斜面に民家が密集して
いるのだが、あっちもこっちもなまこ壁。密度でいうと松崎のまちなかの「なまこ壁通り」よりもすごいんじゃない!?
それぞれの家はすべて形は違うのだが、示し合わせたかのようになまこ壁の意匠で統一されている。


あるものは全面に、あるものは部分的に。漆喰細工もすごい。
この集落には岩科学校を建てた棟梁の生家があるのだとか。この集落の民家はみなその棟梁が建てたのかも。




まぁ当時はどこでも、何か変化のきっかけがない限り、昔からずっとその地でやってきた工法や意匠で、それ以外は
特に考えもせず、民家とはこういうもの、として作ってきたのだろう。しかしそのおかげで地域ごとに特色のある
美しい景観が生まれてきたのだ。多様性のある現代ではそういうのはもう自然には生まれないだろう。




田舎のこんな美しい集落は日本の宝だなぁ!




さていきなりだが、松崎のまちなかをめぐっているとタイル流しによく出会う(笑)。写真の枚数の都合上この続きで紹介。


こちらはマジョリカタイル入りの洗い出し仕上げ。


中央に簡単な模様が入っている。




模様無しのシンプルなもの。


こちらは玉石系のかわいいタイルが使われている。中央に菊の紋が!?




だいたいは25角のモザイクタイルで、こういう簡単な幾何学模様が表されている。


こちらも玉石系に中央に花形の意匠。


1cm角などの小さな豆タイルは少ない。時代が少し新しいのだろうか。
道路から見えるところで、しかも私が歩いた範囲だけでこれだけの数のタイル流しがあるというのは、
多治見の業者があるとき行商に来てタイル流し大展示即売会又は、大オーダー会でもやったのだろうか(笑)


おまけ。タイルかまども。


ところで今回、オーシャンビューの松崎伊東園ホテルに泊まったのだが、そのエントランスにもタイル壁があった。


大小のプリンのようにぽこぽこと飛び出した水色と白のタイル。






面白いな!


これはアート作品らしく、端に「紀」という文字の銘があったが、誰かは分からず。。


続く
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岩科学校を見に行く。

2023-04-07 00:43:01 | 建物・まちなみ
松崎の続き。



前日は雨が残って薄暗かったけれど、翌日は一転青空!宿で自転車を借りて今日はちょっと遠くまで散策にでかけよう。
昨日見た運河風景も空気がクリア。




さて、まずは「室岩堂」へ向かう。伊豆石の採石場だったところで、江戸時代から1954(昭和29)年まで
稼働していたそうだ。石切場好きの私としては是非見てみたい。
しかし・・・平面の地図では近く見えたのだが、きつい上り坂。。。宿で借りた無料の自転車は当然電動アシスト車
ではなく・・・崖沿いを上るバス道を途中から押し歩き。ハァハァ

ようやく室岩堂の案内看板が見えた!車を停めるちょっとしたスペースもあって、ちゃんと観光スポットとして
整備されているじゃないの。・・・で、室岩堂はどこだ??


なぬ、このそそり立つ崖の下にあるってか!?ええ~~っ、自転車を押してよろよろとここまで上ってきたのに、
また海岸まで降りろというのか。しかもけもの道のような藪の道を・・・・むむ~~~っ。
しかしせっかくここまで来たのだから見ずに引き返すのはもったいないな。。。ここは頑張って行ってみるか。
海ははるか下に見えている。意を決して降り口へ向かったとき、ちょうど下から一組の男女が上ってきたので、
「下までだいぶありますか」と声をかけたところ、「いや、私たちもちょっと降りかけたんだけど、何か動物の
唸り声みたいなのが聞こえたから怖くなって」と。ええ~~っ、野犬!?イノシシ!?まさか熊とか!?
そんなことを聞いたらさすがにひとりで行くのは怖い。動物に襲われても誰にも知られず行き倒れに・・・
やっぱりやめておこう。。。残念だがあきらめて再び坂を下りる(汗)


さて次に目指すは、重要文化財、岩科学校。途中の道のりは坂もなく、長閑な田園風景の中のサイクリングは
とても気持ちいい。
真っ青な秋空の下に現れた岩科学校。まるで三合院のように、両側に別棟が張り出した左右対称の形。


中央に唐破風の載った出入口が突き出し、その2階にはベランダ。典型的な明治の擬洋風学校建築だ。
岩科村戸長であった佐藤源吉によりお寺の境内に開設された岩科学校は、村民の寄付を集めて新校舎を建設、
明治13年にこの建物が竣工した。擬洋風でも和風の趣が強く洋風要素は控えめで、全体的に端正な姿。
とりわけなまこ壁が美しい。設計施工を行った大工棟梁の菊池丑太郎と高木久五郎のバランス感覚は素晴らしいな!


ラティスの天井に龍の絵の組み合わせも意外と違和感がない。


2階は障子窓に幾何学的なデザインの欄干が。


各部屋にはさまざまな資料が展示してある。1階は村の歴史や産業、暮らしに関する資料のほか、改修工事の
記録を伝える展示もあった。


2階の欄干のオリジナル品。


なまこ壁に使われた貼り瓦のオリジナル品。


これは何だ?型押しの版木らしい。実際に押した見本もあったが、これをどういうふうに使うのだろうか?



階段を上ったところの2階のホールには入江長八の鏝絵がある。


天井の中心飾りは華麗な牡丹の花。


欄間には、鳳凰だろうか、ちょっと怖い顔の鳥が。




しかし何と言っても、「鶴の間」と名付けられた2階の奥の部屋がいちばん見ごたえがある。
作法や裁縫の授業に使われていたというこの部屋、VIPルームと言ってもよいほど特別な仕様の部屋なのだ!


四方の壁には鶴の鏝絵があり、これが鶴の間の名の所以である。その数なんと138羽!!
床の間の赤い壁は昇る朝日を表し、それに向かって飛び立っているのだという。
あの鏝塚の壁の鶴はこれのオマージュだな。


床の間の壁は緑色。そしてそこに・・・あの型で押した模様が!ひび割れのような模様は単純な繰り返しパターン
にはなっておらず、たった2種類の版とは思えない効果を生んでいる。
壁の緑色は松葉を表しているとか。しかし、赤・青・緑・・・なんとカラフルな床の間だろう~~~


地袋の杉戸にも直接鏝絵が施されている。「美人賞蓮図」と「山水画」。




こちらが伊豆の長八美術館に保存されている鏝絵がもとあった建物で、移築復元された「開化亭」。現在は売店や休憩所として使われている。


入口と室内の天井に鏝絵が見られる。これらは長八の弟子の佐藤甚三が作ったものである。
移築時に長八の作品だけ美術館へ保存したのだな。






続く
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松崎へなまこ壁を見に行く。

2023-03-16 00:57:46 | 建物・まちなみ
去年伊豆半島の松崎へ行ったときのことを。(このときはまだ東京住まいだった)
一昨年行った下田も遠かったが、松崎は伊豆半島の西側の先端付近にありさらに遠い。
三島から伊豆箱根鉄道駿豆線で修善寺まで行って、バスに乗り換えて1時間半かかる。
東京発でもなかなか遠くてこれまで二の足を踏んでしまっていた。。。関西からだとなおさら遠いので
まぁ東京にいる間に思い切って行っておいてよかった。

朝イチに家を出て昼すぎに松崎に着く計画だったのに、寝坊した・・・(爆)
結局バスで松崎に着いたのは3時頃。。。宿に荷物を置いたらすぐ歩き出そう。
雨は上がったがまだすっきりしない天気で南国気分は感じられない。観光客もあまりいないな。。。


松崎は下田と同じくなまこ壁のまちなみで有名だ。そして漆喰鏝絵の名工、入江長八のふるさとでもある。
次々と現れる美しいなまこ壁の古民家やレトロな建物などに惹かれてどんどん歩いていく。


こちらの美形なまこ壁は中瀬家。公開建物なので明日見学に来よう。


向かいの元商店は小原邸(駿河屋)で、ここも妻壁一面なまこ壁。破風板までなまこになっている家が多く、
一枚目の写真のように屋根の勾配に合わせて並べたパターンと、ここのように四半貼りのパターンがある。


小原邸の裏側。


これは蔵だろうか。奥にも二階建ての建物が。すべての建物がこの幾何学模様でトータルコーディネートされていて壮観!
・・・しかしさらに美しい建物がこの先まだまだ出てくるのだ。


那賀川を渡る。海が近いので運河の雰囲気だ。


ときわ大橋を渡ったところの古民家もユニーク。妻壁にこんなアーチ窓が開けられている。


立派な門に小さな唐破風がついた玄関まわり。医者っぽい雰囲気だな。


玄関の両脇にもアーチ窓。


よく見ると唐破風の下に波濤をデザインした鏝絵があった。小さいが立派だ。


那賀川越しに中瀬家を見る。


タイルのファサードは何屋さんだったのかな。


こちらの洋館風の建物は復元っぽいな??


ここは松崎のまちの中でも有数のなまこスポット、近藤邸。


おしゃれなお店かカフェに見えるが普通の住宅らしい。


ほらほら!奥深い敷地に建てられた建物が横の路地からよく見える。
この路地は「なまこ壁通り」と呼ばれていて松崎一の「映えスポット」である。


近藤邸は、薬学の世界で最高権威と言われる近藤平三郎の生家らしい。アルカロイドの研究で功績を残し、
世界で初めて麻酔を作ったり(?)して文化勲章を受章した人。知らなかったな(汗)


洋館も併設されているが、公開はされていないようだ。


なまこ壁の民家は他にもいくつも見つかる。




こちらの美しい邸宅風の建物は、旅館、山光荘。
内部には伊豆の長八の作品がいくつもあるそうな。また、つげ義春が宿泊し、ここをモデルに漫画「長八の宿」を
描いたのだという。


当然だが宿泊者以外は立入禁止。あぁここに泊まりたかった~~!門の外から指をくわえて眺めるばかり。。。


その向かいにある伊豆文邸。こちらもまた美しい商家建築。このときは閉まっていたが、翌日見学できたので
また別記事で紹介しよう。


次から次へと出てくる素晴らしいなまこ壁の建物に感嘆、感嘆!!
ほんとに、1軒の家のトータルコーディネートどころか、まち全体がトータルコーディネートされていたのだ。
これでも減ってしまっているだろうが、元はどんなに見事な景観だっただろう。。。


続く
コメント (3)
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竹乃家旅館で立ち寄り湯。

2023-02-21 00:26:44 | 建物・まちなみ
去年のGWの五島旅の続き。


荒川という集落にやって来た。ここには温泉が湧いている。正直、五島に温泉のイメージは全くなかったのだが
江戸時代に発見された歴史ある温泉地なのだとか。


そしてこちらが今回の目的の竹乃家旅館。古い木造旅館で、建物見学を兼ねて立ち寄り湯をする思惑だったのだが・・・
閉まっている。。。呼んでみたが返事がない。えぇ~~っ(涙)
ちょっと集落をひと回りしてからもう一度来てみることにしようと、暗渠の路地を歩き出す。


近くにあった古い診療所。貼り紙がしてあって、空き家かな・・・と近づいてみると、何と現役!?
これは荒川出張診療所で、診療開始時刻が「午後1時30分に変更になります」、とのお知らせだった。失礼しました!


温泉地と言っても観光客めあての土産物屋が並ぶでもなく特に賑やかなわけでもなく、他の集落と何も変わらない。
小さな谷に沿って建ち並ぶ民家は、さっき玉之浦で見たのと同じような、板張りで2階の窓が張り出したスタイルだ。


出桁のようなつくり。角部分も連続して出っ張っているのが特徴的だな。


雨戸が開いている部分を見ると、窓自体は壁と同じつらだが張り出した欄干の外側に雨戸を立てるようになっていて、
雨戸の上端は軒下で納まっている。不思議な感じ・・・窓と雨戸の間の空間を何に使うのだろうか。




集落内をひと回りして戻ってくると、前栽に面した窓辺におっちゃんが座っているのが見えた。
「すみませ~ん!温泉に入れますか?」声を掛けたら、「あぁどうぞ」と。


ちょっとおしゃれな暖簾は娘さんが手伝われていたときのものだとか。


浴室はそれほど古くなく改修済みだったがいいお湯♪五島で温泉に入れるとは嬉しい。
奥のトイレ付近は少し古い状態で残っていて、流しはこんなかわいい豆タイル貼り。




トイレには小さな八角形タイルが。縁取りの雷文タイルもいいね!




二階の客室なども見せてもらった。贅沢なつくりではないが竹を生かした意匠や組子細工の建具などがあり
風通しもよく快適そう。




そしてあの窓はこうなっていた!張り出した部分は腰かけて欄干にもたれられるほどしっかりしている。
実はこの竹乃家旅館は元遊廓なのだという。
この荒川集落も入り組んだ入江に面し、かつては漁業や捕鯨で賑わったらしい。港町で温泉とくれば遊廓も
当然ながら繁盛したのだろう。


おっちゃんと話をしていたら、「竹乃家旅館」のインスタに「現在営業停止中」という文言がずっと残っていて
自分では消せなくて困っている、という。実際は営業されてますからね~~!
GWだったので玄関にこいのぼりを飾って下さった。コロナ禍に負けずがんばってほしいな!


富江という少し大きい町でもちょろっとまち歩き。こちら元富江パブテスト教会だが今は看板も外され空き家のようだ。


詳しくないがパブテスト教会はプロテスタント系らしい。今回めぐってきた教会は全部カトリック教会だった
(と思う)が、プロテスタントの教会もあったのか。しかし今はどこかに移転したのかな?


富江小学校の古い門。このグラウンドの場所はかつて富江陣屋があった場所だという。


こちらの大蓮院のアプローチが面白い。左側は、多少成形してあるものの不定形な石をザクザク積んだ、
打ち込み接ぎと呼ばれる石積み。右側はきれいに成形した切り石積みに白い石を点々と配してある。


この白い石は何かと近寄って見ると、「南無阿弥陀仏」の文字が横向きに!?他にも墓石の台座だったらしき石も。
不要になった墓石をばらして石積みに混ぜて使っているのはたまに見かけるが、わざわざ同じ大きさに成形して
黒い石の中に等間隔に配置するという、あきらかに意匠的な使い方は初めて見たし驚いた!






天井絵があるという明星院へも行ってみたが・・・閉まっていて見られなかった。残念~~




続く
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古民家松ノ下を見学。

2023-02-19 23:58:36 | 建物・まちなみ
去年のGWの五島旅の続き。



レンタカーを丸2日間借りての福江島内の教会めぐり、予定の場所を1日目に前倒しでクリアしたので余裕が出て
まち歩きや温泉も楽しんだ。

玉之浦教会
を見たあと、玉之浦の集落を少し散策して、「古民家松ノ下」を見に行く。
海から一本内側の、元はメインストリートであったであろう細い道に面して、広い間口の佇まい。
元は町長を務めた坂江家の住宅で、1930(昭和5)年築。映画「風に立つライオン」のロケにも使われたとか。


十数年空き家になっていて解体予定だった建物を活用すべく地域の方々が再生に取り組み、革工芸作家の方が
スペースを借りて作品を作ったり、地域の高齢者のサロンとしてなど、地域活性化拠点として使われている。


しかし閉まっている。えぇ~っ、土日は開いているんじゃなかったの?コロナ禍からまだ脱していないのか・・・
そのときどこからか車がやって来て向かいの空き地に停まった。車を下りたおばちゃんはここの関係者らしい。
「あの、今日は開いてないんですか?ちょっと見学できませんか?」「あ、ちょっと待ってね」


おばちゃんは革工芸の関係の方で、何かを取りに来たとかそんなちょっとした用事だったようだが、ちょうど
タイムリーに遭遇して見学させてもらえることになってよかった!中は結構雑然としていたが・・・
公開は休止しているようだったのを急に頼んで見せてもらったのだから仕方ない。


なかなかいい欄間がそこここに。梅の透かし彫り。


暗い部屋内から見るとシルエットが美しい。


源氏香文様も。


松原の風景はよくあるな。


書院の格子と透かし彫りの欄間。こういうのはあまり地域性もなくお決まりのデザインなのだろうな。


男子用と女子用の中間の壁に取り付けられたトイレの照明。廊下の天井も良い材で丁寧なつくりであると分かる。                                                                                                                                                                                 

ストレートエッジの白タイル貼りの洗面台。他にはタイルはないようだ。


裏庭があるようだ。


これは、手あぶり?かわいい形~~


玉之浦のまちを一周すると、他にも古い木造民家がちょいちょい残っている。とは言っても戦後の建物だろうな。


2階建ての民家は結構特徴的である。2階の窓が総出窓のように下屋の上に張り出しているのだ。
風が強いからか、二階は使っていないからか、雨戸が立てられているところが多い。




この1階の窓の雨戸は板が横張りでちょっと変わっているな・・・と思ったら、戸車がついているじゃないの。
本来縦方向でレールに乗せて使っていたものを、バラして流用しているのだな。


こちらはもとは1階の窓に使っていた雨戸をバラして2階に使っている。同じ使い方をしている家を何軒か見かけた。
この地域ではベタな手法なのだろうか。


海辺の町らしく猫がたくさん(笑)




続く
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福江島の教会めぐり その3

2023-02-14 22:44:53 | 建物・まちなみ
福江島の教会めぐりの続き。



三井楽教会の感動冷めやらぬまま、次にやってきたのは貝津教会。
貝津教会は、1924(大正13)年に建てられた小さな聖堂を、1962(昭和37)年に大規模増改築し
現在の姿になった。塔もこのときつけ加えられたもの。


門から敷地内を見ると・・・おや?何か様子がおかしいな。。ちょっと見に行ってみよう。


建物の近くまで行ってみると軽トラやフォークリフトが停まっていて、人が脚立に上って作業をしていた。
窓を取り外しているのか!?色ガラスのはまった窓を修理しているようだ。
「今工事中なんですか?」「そうですよ」


開け放されている入口からそろそろと聖堂内を覗くと、長椅子は片付けられ床いちめんにブルーシートが敷かれて
改修工事のまっただ中。「中見せてもらってもいいですか?」「いいよ」「ありがとうございます!」
よかった!写真もOKと。


取り外された窓枠が床にいくつも広げられている。作業台の上では色ガラスを丸くカットしているところ。
取り外された古いガラスも置かれている。・・・と思ったら、これは薄いアクリル板だな?
元のガラスが割れたあと一部色付きのアクリル板が嵌められていたのを、ちゃんとしたガラスに直しているのだな。
トレーサリー(窓の透かし模様)も新しく板をカットして作られている。


作業をしているおっちゃんに遠慮がちに話しかけると、意外といろいろと説明してくれたり、元の姿の写真を
見せてくれたり。そして話を聞いて驚いたことに、おっちゃんたちは工事発注された業者ではなく、
信徒なのだという。信徒が自ら自分たちの聖堂を直しているというのだ。だから親切に話してくれたのか。。
まるで営利企業のように事業を展開する宗教法人をニュースなどでも見聞きする昨今、
島のキリスト教信徒の純粋な信仰心と奉仕精神に、ちょっと心を打たれた・・・


こちらではサンドブラストで一部をすりガラスに加工している。すごいな、こんなことまで現場でやるのか。


天井はすでに塗り直されたと見え、模様も鮮やか。


工事が完成したら一層鮮やかな光が聖堂内を彩ることだろう。その時また見に来たいなぁ。
しかし何よりも今は仮の聖堂で祈りを捧げているのであろう信徒の皆さんが完成を待ち焦がれているはずだ。
何月に完成する予定か聞いたのに忘れてしまったが・・・もう今頃は出来上がっているのだろうか。


さて次は井持浦教会へやって来た。


1897(明治30)年に建てられた五島で最初のレンガ建築だったが、今の聖堂は1987(昭和62)年の
改築後の姿ということだ。
水ノ浦教会や貝津教会など、元の古い聖堂を増改築を繰り返して使い続けているところは多い。
堂崎教会が「五島最古の洋風建築物」と言われるのは、当初の姿で現存する建物のうち最古ということだろうか。
それとも井持浦教会の最初の聖堂はレンガ積ではあったけれども洋風建築物とは言えない簡素なものだったと
いうことか。


この井持浦教会はルルドが有名。
ルルドとは、南フランスピレネー山脈の山麓にある町の名で、このルルドのまちにあった洞窟で起こった奇跡に
あやかり世界各地でこの洞窟と泉を模したしつらえが造られそこに聖母マリア像が収められた。
それを日本では「ルルド」と呼ぶようになった・・・ということらしい。
そして1897(明治30)年に(現地説明板による)日本で初めてルルドが造られたのがこの井持浦教会なのだ。
今も霊泉地として日本各地から熱心な信徒が訪れるのだという。




福江島の東側に位置する福江のまちから北海岸沿いをぐるっと走ってきてほぼ半周、福江島のいちばん西端に
張り出した細長い半島(岬?)の先端まではるばるやって来た。
玉之浦教会は入り組んだリアス式海岸の小さな入江に面して建つ小さな教会。


1962(昭和37)年築。塔とマリア像がなければ普通の家のような佇まいだ。
神父の常駐していない小さな教会なので、やっぱりカギが掛かっていて内部は見ることができなかった。


この日の教会めぐりはここで終了したのだが、翌朝福江教会にも行ってきたので続きで書いておこう。


福江教会は地域の中心地である福江のまちなかに建っており下五島地区で信徒が最も多い教会である。
大きな聖堂は1962(昭和37)年に完成。5か月後に起こった福江大火では市街地のほとんどを焼き尽くし、
この教会も三方を火の海に囲まれたが奇跡的に類焼を逃れたという。いちめんの焼け野原に福江教会が
無傷でぽつんと佇んでいる写真が説明板に載っていた。本当に奇跡のような光景。。。


外観は爽やかな白と水色のツートーン、浦頭教会に似た三連円の窓が並ぶ。
外からは分かりにくいが、縦長窓にも黄色と赤の色ガラスが入っており、十字架のデザインになっている。
聖堂内に入ると柱のない大空間にオレンジ色の光が満ち満ちて異世界のようだった。



さてこれにて福江島の教会めぐりは終了。
明治時代の木造・レンガ建築から戦後のRC建築まで、さまざまなスタイルの聖堂があったが、いずれも美しく
保たれ、真摯な信仰心やつらい時代を乗り越えてきた先達への畏敬の念が感じられる場だった。

続く
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福江島の教会めぐり その2

2023-02-09 23:44:09 | 建物・まちなみ
福江島の教会めぐりの続き


次にやって来たのは水ノ浦教会。高台に建つすっと伸びた白い塔が見えてきた。


風格のある石垣と石段。


この白亜の聖堂は、なんと木造建築だとか!まるでレースのような壁のトレーサリーが美しい。
1938(昭和13)年に鉄川与助が改築を手掛けたということだが、実質は建て替えだろう。
今の姿は1986年の台風被害から大規模補修を経たもので、当初からはだいぶ変わっているかもしれない。






入口の開口部がイスラム建築の多葉アーチのようにも見え、どことなくオリエンタルな印象も。


ぐるっとひと回り。ここも屋根は和風の桟瓦。外観から想像がつく通り内部はヴォールト天井だそうだ。
中へは入れなかった。。


水ノ浦教会を見学していたときにちょうどシスターが鐘を打ち鳴らす場面に出会った。
毎日決まった時間に鳴り響く鐘の音は、この集落の人々の原風景の音として耳に残るのだろう。


さてその次にやってきた三井楽教会は、五島旅の中でもいちばん楽しみにしていた場所だ。
高台にシンボリックな姿を見せていた水ノ浦教会などとは違って、この教会は平地の集落の一角にあり、
高い塔もなく建物は平べったい。


現在の聖堂は1971(昭和46)年に建て替えられたものだが、もう少し昔の戦後モダニズムのような雰囲気だ。
門から入ってきて聖堂を見たとき、正面には入口のドアではなくカラフルな絵が描かれた壁がある。


絵は抽象的な部分もありはっきりわからないが、中央に太陽、左側に人々の姿が見える。
「FIDES SPES CARITAS」の文字は、ラテン語で「信」「望」「愛」を意味するらしい。


近づいてみると、タイルや陶片を貼った壁画であることがわかる。かち割った色タイルのモザイクに混じって
十字デザインの染付タイルがぽつぽつと貼られている。私たちはまさにこれを見に五島に来たのだ!


この十字タイルは有田の松尾徳助窯が、黒島天主堂の内陣に敷き詰めるために注文を受け苦労して作った
磁器タイルで、マルマン神父のデザインと考えられている。
マルマン神父ゆかりの堂崎教会にも1枚展示されているのを見たばかりだ。


壁画の中に11枚の十字タイルが貼り込まれているが、一枚一枚色も雰囲気もかなり違うので、ここに貼るために
用意したものでなく、解体された建物からもらったか何かでたまたま手元にあったものを貼ったのだろうか。
このタイルは、教会とは関係のない建物での使用例も数か所見つかっており、その流通は謎めいている。


他にも大型の皿状のタイルも数枚埋め込まれている。これらは角が丸いところを見ると、もしかすると
タイルでなくガラスドアの把手だったのかもしれない。その他に本物のお皿や灰皿、用途不明の丸い焼き物など
が散りばめられているが、特に意味はなさそうだ(笑)


色タイル自体も味わいのある色合い。


折り紙を対角線で折ったような屋根。
この三井楽教会は中にも入って見学できたのだが、実は内部がまた素晴らしかった!!
祭壇に向かって伸びる2本のコンクリート梁が柱のない大空間を作りだし、天井からいくつも下がった照明は
シャボン玉がふわふわ浮いているよう。そしてカラフルなステンドグラスのはまった縦長窓が左右の壁に並ぶ。


せめて、もらった絵はがきの写真で、内部の様子を。。。
建築が1971年だからステンドグラスも古いものではないのだが、近づいて見てもかなりきっちり作られて
いるのが分かる。詳しくは知らないが、近年の修復ステンドグラスのようなやり方ではなく、もっと古い時代の
手法でつくられているように見える。
しかし説明板によると、これらのステンドグラスは地元の「ステンドグラス同好会」の人々が、プロの
手ほどきを受けながら1999年から2005年にかけて制作したものというから驚いた!!
デザインもバランスよく、もう少しくすんでいればアンティークと思ってしまいそうな出来栄え。すごいな!!
指導は西宮の熊谷通禧氏。意外と関西の人だったのか~


隣の建物の壁にも壁画があったが、こちらはモザイクではなく壁に直接描かれていた。


続く
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福江島の教会めぐり その1

2023-02-04 23:05:18 | 建物・まちなみ
五島旅の続き。

福江島は五島列島最大でありメインの島である。人口も多いから当然教会もたくさんある。
歴史的建造物から集会所のような建物まで、津々浦々にあり、キリスト教信仰が草の根のように島内のすみずみまで
行きわたっていることが分かる。
私はキリスト教徒ではないので、キリシタンの歴史に敬意を払いつつ、純粋に建物として楽しむことにしよう。
レンタカーを借りて島内を一周する。全部回るのは無理だとしても、できるだけたくさん回りたい。

尚、カトリック長崎大司教区に属する教会は内部撮影が禁止されているので、外観写真のみを。。
(五島にはカトリックでない教会もあるのか?長崎大司教区に属さない教会もあるのか?その辺よく分からない・・・)

まずやってきたのは、浦頭教会。1968(昭和43)年築。


天主堂は白亜のRC建築で、中央で少し折れた形は本を立てたようだ。建物の一方の端に塔がちょこんと載っている。
五島の教会というとレンガ造のゴシック建築を思い浮かべるが、戦後建築の教会も意外とカッコいいのだ。


最初来た時はミサをやっていたため中を覗くこともできなかったため、翌朝再度訪れてみた。
いいお天気で真っ白な建物が青空をバックに映える映える!!


窓が少ないのが印象的。小さな高窓は円を3つつないだ形で、村野建築の窓を思わせる。


このときはミサはやっていなかったのだが今度は誰も人がおらず、カギがかかっていたため結局中に入ることは
叶わなかった。。。窓から覗くと、三連円の小窓に色ガラスがはまっているのが見えた。


次にやって来た堂崎教会はレンガ建築で、福江島で一番の「映える」天主堂だろう。1908(明治41)年築。
鉄川与助も関わった、五島最古の洋風建築物だとか。
鉄川与助は長崎県を中心にカトリック教会を数多く手がけ「教会建築の父」と言われた大工棟梁。


目の前はラグーンのような遠浅の入江で、南国の雰囲気いっぱい!


入場料を払って入る「キリシタン資料館」となっており、お土産物なども売っている観光スポットだ。
オープン時間前に着いたので少し待って、朝イチで乗り込んだ。しかしここも内部撮影禁止・・・


丹念にレンガを積み上げた、複雑な凹凸のある壁が美しい。
建物の手前の部分は大きく立ち上がっているが、その後ろは桟瓦葺き。考えてみるとこれは一種の看板建築ではないか!?


数々の貴重な展示品に混じって、何と松尾徳助窯製の十字タイルも展示されていた。
この十字タイルは佐世保沖の黒島に建つ黒島教会の内陣に1800枚敷かれていることで有名で、マルマン神父に
よるデザインと言われている。実は五島に来る数か月前に黒島にも訪問して十字タイルを見てきたので、
思わぬところで知り合いに会ったような気分だった(笑)。
この堂崎教会はそのマルマン神父にゆかりのある教会だが、ここでもあのタイルが使われていたのだろうか?


次は半泊教会、こちらも海のそばにあり、石垣に埋もれるようにして建っている。


外壁の下見板は近年張り替えられたと見えあまり趣はないが、窓まわりを見るとちょっと古そうだ。
旧五輪教会がそうであったように、外観が簡素であっても内部は見ごたえのあるところも多いのだ。
この半泊教会も、外観は地味だが内部が意外によかった教会のひとつである。


カギは開いており中に入って見学できた。すると、意外なことに三廊式の造りで、中央の身廊は船底天井に
なっていて十分高さがある。外観の印象よりもずっと広々とした空間なのだった。
木製の内陣の柵、そしてステンドグラスまである。


祭壇へ誘導するように矢羽根状に貼られた中央の床板も印象的。小さな集落の日常的な祈りの場という感じがして好感を持った。

ここは1922(大正11)年築、鉄川与助の設計施工だった。ははぁ、なるほど。
簡素な中にも「教会らしい」演出はさすが鉄川与助だな。

宮原教会は、本当に公民館のような簡素な建物。1971(昭和46)年築。
窓から中を覗くと長椅子が整然と並び祭壇には真っ白な布が掛かっている。どんな建物であっても信仰の心は変わらないのだ。


つい建物の美しさで価値を決めようとする私たちの邪な心を少し恥じながら・・・教会めぐりを続ける。


赤レンガ積の楠原教会は、1912(明治45)年築。大きくて見映えのする天主堂だ。
こちらも鉄川与助の作で、堂崎教会と似ているが肩幅が広い。






外観から察せられる通り内部は高い高いリブヴォールト天井で、側廊のつく三廊式のゴシック建築。
柱頭飾りのついた円柱がずらりと並んで荘厳な雰囲気だった。


続く
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現地ツアーで久賀島へ。

2023-01-29 22:06:14 | 建物・まちなみ
奈留島からの続き。



海上タクシーで久賀島の旧五輪教会へやって来た。船で直接乗りつけられるほど海のすぐそばに建っている。


ここは「旧」とついている通りすでに現役でない教会の建物なので、中に入って写真も好きなだけ撮ることができる。
外観は下見板張りでとてもシンプルな形。1881(明治14)年に久賀島の「浜脇教会」として建てられた。
長いキリシタン弾圧の時代を耐え、ようやく禁教が解かれた明治初期に信者たちが総力を結集して建てた教会だ。
五島で最古の木造教会だといい、地元の大工が在来工法を駆使して作った、いわば擬洋風。
1931(昭和6)年に現在地に移築された。


老朽化したため新しい教会堂が建てられることになり、解体の危機にさらされたが、キリシタン史的にも
建築史的にも重要な建物として修復・保存され今に至る。
最古だから簡素なのかと思いきや装飾は多く、結構華やかなのである。


おぉ~~~っ!まずやっぱり天井に目が行く。みごとなリブヴォールト天井!天井は漆喰が塗られていないので、
板を横に張り合わせて曲面を作っているのがわかる。このタイプの天井は「コウモリ天井」とも呼ばれるが、
確かにコウモリが羽を広げた姿に似ていることも、壁が白いとよくわかる。


側廊の天井も立体的だ。こういうのを見ていると、立体裁断の洋服と平面からなる和服の違いのようにも思えて面白い。




面格子のような内陣の柵がこれまた凝っているな!花十字と七宝つなぎのようなモチーフが用いられ、
白木で一部が白く塗られている。しかしこれらの装飾は移築時など後年に取り付けられたものかもしれない。


すでに現役でなくなったとはいえ、聖堂としての静謐な空気感はそのまま。。。人々の信仰心が建物に
沁みこんでいるのだろう。


窓の外は青い海!


こうして見ると海辺の小さな小屋にしか見えない。内部があんなに複雑な構造であり特別な空間であるなど、
この外観から想像できようか。。


さてそこからちょっとしたハイキングコースをたどり、やってきたのは「牢屋の窄」という場所。


教会堂自体は比較的新しい建物なのだが、ここは悲惨なキリスト教迫害の現場であった。


キリスト教への迫害は実は明治になってからも行われていたことを初めて知った。ここで行われた信じ難いほど
悲惨な拷問はなんと明治維新後のことなのである。「信仰の碑」の左右にずらりと並んだ石碑には殉教した
信者の名前が刻まれており、この史実が現実にあったことを語っている。
ここでの悲惨な状況は外交問題に発展し、ついにキリスト教禁教が解除される。信者たちはようやく信仰の自由を
手に入れ、この地を殉教の聖地として保存したのだ。


久賀島での見学はこれで終了。港へ戻るバスの車窓から、現在の浜脇教会を見る。
すぐ横を通るのだからちょっと建物の前まで行って停まってくれてもよさそうなものだが・・・スピードを
緩めることもなく通過(苦笑)


ま、離れてから振り返って見る方が全体像が見れたな。


帰りは真っ黄色の「Seagull」で福江港まで。




緑を背に美しく佇む浜脇教会が見えた。


半日ツアーを終え福江港ターミナルに戻ってきた。見学できたところは少なかったけど、個人で行くには
なかなか難しいのでツアーで連れて行ってもらえてよかった。


おまけ。ごはんを食べに行く途中で見かけたライオンの吐水口と、「サ」印の刻印レンガ。



福江は離島の田舎とあなどるなかれ、おいしい店がたくさんあった!

続く
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現地ツアーで奈留島へ。

2023-01-26 23:34:54 | 建物・まちなみ
五島旅の続き。

奈留島と久賀島は福江島の隣にある島。五島列島の各島間は複数の船会社の定期船が一日に数往復しており、
定期船を乗り継いで渡り歩く島旅はとても魅力的なのだが、、、島内交通のことなどを考えるとやはり
教会めぐりをするにはちょっと高くても現地ツアーに参加する方が効率がいい。それで奈留島と久賀島の2島を
めぐるツアー、「五島列島キリシタン物語 ~奈留島・久賀島編~」を事前に申し込んでおいたのだった。


福江港ターミナルで集合して五島旅客船のカーフェリーOCEANに乗り込む。福江から奈留島、そして
若松島を結ぶ船だ。結構大きい!




五島の「五」の字をデザインしたマークがクール!


短時間なのでデッキで過ごす。気持ちいい季節でよかった!




そそり立つ岩肌。この島は丸ごと岩なのだろうな。


昨夜の「太古」が欠航したのが本当に悔しいほど穏やかな海。直近で起こった知床の観光船の事故の影響で
船会社は天候に神経質になっているのかも。。。(苦)




さぁ、30分で奈留港に到着。


バスで出発、まずは奈留島世界遺産ガイダンスセンターに立ち寄る。ここにはキリシタン潜伏の歴史や
江上天主堂の建築を解説した資料や模型などが展示してあって予習にぴったり。
江上集落の信徒たちがそれまでの簡素な教会に代わる本格的な教会をと鉄川与助に依頼して建てたのは1918(大正7)年。
こじんまりとしたサイズだが、リブヴォールト天井、本格的な三廊式という完成度の高い建築だ。
ステンドグラスでなく窓ガラスに直接、こんなかわいい黄色の花柄が描かれているのも面白いな!


江上天主堂のオリジナルの屋根瓦もあった。刻印がくっきりと残っている。


上の行は読めないな・・・中段と下段は「筑後青木島執行製」かな?
Googlemapで検索してみたところ、筑後川沿いに城島町青木島という場所があった。「城島瓦」と呼ばれる瓦の産地だったようだ。


さてここからチャーターバスで移動。江上天主堂は港から遠く、路線バスも日に何本かは走っているようだが
やはりアクセスが困難なのだ。
バスを降りたら林の向こうに屋根と妻壁が見えた。心がはやる。


おぉ~~っ、かわいいなぁ!
ピンク色の下見板張りの壁に水色のアーチ型窓のルーバーが、絵本に出てきそうなメルヘンチックな佇まいだ。
軒下にずらりと並ぶ小さな持ち送り、軒裏の花十字の換気口などのディテールも鉄川与助らしいこだわり。


石段の端もきれいにアールをつけて仕上げてある。


桜の花を単純化したデザイン。


しかし、この日は中に入れず外観のみ見学って・・・え~~~残念。。。
ヴォールト天井もガラス絵も見れないの~~~(涙)


どこからか中を見れないだろうか・・・まわりをぐるっと回りながら、ルーバーの隙間から覗いてみると、
あのガラス絵の花がチラッと見えた!これだ!!


これが限界・・・
信徒たちが暮らしの中から捻出した資金ではステンドグラスまでは作れず、自分たちの手でガラスに色を塗って
ステンドグラスに代えたのだろう。涙ぐましいではないか。。




海や小川が近いため湿気が多く、その対策として高床式で造られている。自然石の束石の上に丸柱を立てた
原始的な造りだ。

さて再びバスで奈留港へ戻る。
しかしせっかく渡ってきた奈留島、もう離れてしまうのはちょっともったいないなぁ・・・

真っ黄色の船体の海上タクシー、舳先にブドウの房のように浮きを取り付けた「あやかぜ1」。
OCEANに比べると大人と子供のような違いだ。




続く
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五島氏庭園&隠殿屋敷

2023-01-23 23:54:43 | 建物・まちなみ
五島旅の続き。

石田城(福江城)の一角にある五島氏庭園は国指定名勝に指定されており、どのガイドマップにも必ず載っている。
「庭園」だけかと思いきや、実は立派な家屋も残っているのだ。
堅固な石垣の間に造られた門がお城の一部であることを物語る。


五島氏隠殿屋敷は、30代当主、盛成公の隠居所として建てられ1861(文久元)年に竣工。
住まいなので廃城令による取り壊しも免れ、32代目のご当主が昭和50年代までここに住んでおられた。
さすがに傷んできたので大改修工事が行われ、2016(平成28)年に完了、一般公開されるようになった。
五島家は現在35代目で、今も城内にお住まいだそう。


ガイドさんが細かく案内してくれる。こちらは、ここを建てた盛成公が好きだったという亀をモチーフにした
「亀の間」。明るい角部屋で、公式な接客用に使われたという。


欄間にはかわいい亀の透かし彫りが。壁紙は氷と雪をデザインした流行の模様だが、亀の甲羅にも見える(笑)


釘隠しも亀モチーフだ。


吹き寄せの障子がとってもモダンな印象。


亀の間の10畳と5畳の境の敷居は可動式で、敷居を外側に寄せることにより畳が連続し、一体の部屋として
使用できる。畳モジュールの日本家屋ならでは。


亀の間からよく見える心字池には亀に見立てた島がある。その他にも亀を模した石が多数配置されていると
いうのだが、それらは言われないとちょっと分からない。いや、言われても分からない(苦笑)。
もちろん池には本物の亀もたくさん住んでいる。




一転、こちらのシックな紺色の壁紙の部屋は「梅の間」。亀の間よりも格式が高い仕様となっている。
ここは主人の居間として使われた。


びっくりするのは、この折り上げ天井!!うぉ~~~っ、箱メガネみたいだ!
藍染した雁皮紙に金泥で描かれた「捻り梅」が妖艶に浮かび上がる。これらの壁紙も復刻して作ってある。


この部屋の障子の桟なども、これが近世(江戸時代)に造られたということを忘れるほどモダンなデザインで、
もうほとんど近代和風だ。


欄間にも梅、釘隠しも梅。こだわっているなぁ!
しかし、自分の嗜好を取り入れた亀の間の方を自室にしそうなものだが、逆なのはちょっと意外な感じがする。


二つの座敷の裏手には「化粧部屋」などバックヤードの部屋が並び、襖を全部開けると畳廊下のようになる。
大きな丸窓がポイント。




ずっと奥へ行くと薄暗い女中部屋がある。


正面の障子の桟は、ありそうで見たことがない籠目文様。


仏壇の横の観音開きの物入れを開けたら、何と外へ通じる逃げ道が!


2階は1階の天井の高さに応じたスキップフロアになっている。
階段を上がったところも畳敷で、屋根裏の梁を見ることができたり、小さな板を2方向に開くことで閉まる
しくみの雨戸の鍵なども面白い。そして深さ半間の地袋があり、その襖を開けるとその奥にもう一枚襖があって、
それを開けたら隠し部屋に通じているのにはまた驚いた!!これは説明してもらわないと絶対わからない。
内側の襖も藍色の布張りのきれいなものだった。

こういう忍者屋敷のような造りは今見ると面白いが、当時は緊急事態の実用として作られたわけだ。

トイレは元々3ヶ所あったが、現在は1ヶ所だけが残っており、ガイドさんが扉を開けて見せて下さった。


うぉ〜!!菖蒲柄の陶製便器が。美しい!この角型の便器は瀬戸製。元々は小便器も同様のものがあったと
推測されるということだったが、改修時に撤去されたのか、それともずっと前になくしてしまったのか、、、
当時の状況を知る方はおられなかった。


大きな心字池をめぐる林泉回遊式庭園を散策することもできる。


庭に突き出た小さな部屋は「神様の間」。特別な部屋らしく非公開で、案内の方も入ったことがないという。


なんとこの部屋へ入るための太鼓橋が架かっている!どんな部屋なのか興味をそそられるが・・・見れないのは残念。
TV番組の撮影には使われたことがあるとか・・・


敷地はお城の高い石垣に囲まれている。野面積みの石垣は当時のままで崩れも歪みもせず美しい状態を
保っているのは素晴らしい!五島列島は地震があまりないのだろうか?


五島高校の横に見えたアーチ橋に出られるところがないかと探してみたが、出られなかった。


続く
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雨の二俣をうろつく。

2023-01-11 23:29:16 | 建物・まちなみ
秋野不矩美術館を出る時には雨は本降りになっていた。あぁ天気予報は正しかったな。。。
夕方まで時間があるし二俣のまちをちょっとうろつこう。最初に本田宗一郎ものづくり伝承館へ。
ホンダの創業者である本田宗一郎は二俣町立二俣尋常高等小学校を卒業している。
この建物は1936(昭和11)年に二俣町役場として建てられたもの。すっかりきれいに改修済みだが、
中の展示は結構おもしろく、ミュージアムグッズもさすがに充実していた。

本田宗一郎ものづくり伝承館のサイト→こちら

2022年2月に農産物販売所兼地域の情報発信拠点として新しくオープンした「森のマルシェきころ」へ行き、
ランチにお寿司を買ってテラスのテーブルで食べたあと、お店の人に傘は売ってないかと聞くと(折り畳みの小さな
傘しか持ってなかった)普通の布の傘しかなくて、ちょっと町をひと回りしたいんですけど・・・と話していると
大きい傘を貸してくださった。感謝!傘をさして雨の中二俣のまちをうろうろ・・・


二俣の名の通り、天竜川と二俣川の合流点であり交通の要衝。戦国時代には武田信玄軍と徳川家康軍が二俣城をめぐって
争うなど昔から重要な場所であった。木材や繭の集散地としても繁栄したところで、古い旅館などがぽつぽつ残る。


こちらは二俣医院。1916(大正5)年築の木造洋館は何と現役!




尾張屋旅館さんは今もやっているのかな?


こちらの酒屋さんは何と木製看板建築。普通モルタルでやるような造形を板張りで作っている。


鉄板を切り抜いて貼り付けた文字もいいなぁ!




こちらも元旅館。ほんとに多い。




古い建物をうまく活用したおしゃれな雰囲気のお店もできていた。オープンしたてのようだ。近くには工事中の建物もあり
次々にオープンしそうだ。


「ヤマタケの蔵」と呼ばれる一群の蔵。これを所有していた内山家は千丁歩の山林経営や浜名湖の干拓も行った富豪であった。
母屋は解体されたがこれらの蔵3棟が旧天竜市に寄贈された。


こちらもまた何かに活用されればよいなぁ。
私個人的には、蔵と戦後の商業ビルはじゃんじゃんリノベして活用されるのがよいと思っている。
それ以外の近代建築は・・・あまり大きく変更せずに活用できればベターかなと。。。


レンガ蔵も隠れている。




なまこ壁の蔵もあった。


目地が落ちてしまっているが・・・釘穴がよくわかるね。


まち歩きを終えて傘を返したら、横のスペースでバイオリンとピアノのミニコンサートをやっていたのでしばし楽しむ。
雨は降り続いていたけど多くの人で賑わっていて活気ある施設だった。


天竜二俣駅。転車台や扇型車庫など多くの文化財がある趣のある駅なのでゆっくり見たかったが、今回は遠目で眺めただけ。
天気のいい日に鉄道メインでまた来よう。








最後にみよし湯にちゃぽん。あぁさっぱり。




静岡駅に戻って車を返しJRで名古屋まで移動、そこからバスで大阪へ戻った。浜松から新大阪まで新幹線なら
9千円弱で1時間半で帰れるのにご苦労なことだと我ながら思うが(爆)、昔から安く移動する方法や楽しく移動する方法を
あれこれ考えるのが好きなのでこれでも結構楽しいのだ(笑)。夜行バスに慣れたら昼行の3時間なんて楽勝~~♪
今回は低コストで東京と浜松を満喫できて満足!
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秋野不矩美術館

2023-01-09 20:44:38 | 建物・まちなみ
筏問屋田代家を見たあと今回の目的の秋野不矩美術館にやってきた。最寄り駅は天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅。
トコトコ走るかわいい列車にも乗ってみたかったが、行程を考えて今回車はやむなし。

ここは多治見市モザイクタイルミュージアムと同じ、藤森照信氏の設計。有機的な材料を使い独特のフォルムの
藤森建築は見ているだけで楽しい。モザミューの他には大分・長湯温泉のラムネ温泉館、ラ・コリーナ近江八幡、
台北の華山文創園区でも「望北茶亭」を見たことがあるが(中は見れてないけど・・・)、他にもいろいろ
見たいと思っていたのだった。


駐車場に車を停めて坂道を歩いて上っていくと崖の上に建つ美術館の全貌がだんだん見えてきた。
おぉ~!黒い土の中から矩形の建物が生えているかのような外観。


その手前に、これまた奇妙奇天烈な茶室がある。先にこちらを見よう。
中へは入れないが足元まで近寄れるのがうれしい。


う~~~む、これはいったい・・・・建物と言えるのだろうか!?
「望矩楼(ぼうくろう)」と名付けられた茶室は、3本のヒノキ丸太の脚によって宙に浮いた小屋。
ほぼ楕円形平面でヘルメットのような形の屋根は壁から一体となり、入口と窓が一部出っ張っている。何と面白い形!!


望矩楼は秋野不矩美術館の20周年である2018年に造られた。高さ約3メートル、広さ約3畳。
3本の脚は根元が太く枝も一部残されていて、そこに元から生えていたような風情。
屋根は波板が幾重にも重ねられているが既製品ではない。手で曲げて作られた銅板は波の大きさがバラバラだし
ところどころめくれあがっていて、松かさのようでもあり杮葺きのようでもあり、金属なのに自然素材のような趣だ。
建築というより工作という方がぴったりな建物。あぁ面白い!


ここに実際に入って茶会をやっているのだろうか!?中を見てみたいが・・・正直、上るのはちょっと怖い(苦笑)
規格品でない材料を使うと見積が難しいと講演で話されていたのを聞いことがあるが、こんな独創的な形の建物だと
強度計算もどのようにしているのだろう・・・こういう建物が建てやすくなれば日本のまちなみはもっと面白くなるだろうな!

過去の中日新聞のサイトに建設中の写真が載っていた。→こちら

さて、やっと人が途切れたので美術館の全景を撮って、入口へ向かう。ちょうどぽつぽつ雨が降ってきた。。
低く垂れこめたひさしの下に、閉まると中がまったく見えない木のドア。人の家の玄関みたいで、集客施設とは思えない
閉鎖的な外観・・・これはモザミューも同じ。


黒っぽく見えた屋根は鉄平石葺きのようだ。うぉ~~っ、すごい凝りようだな。


一歩建物の中に入ると、無造作に表面をはつった風情の柱が中央にそびえ立つ、開放的な吹き抜けのロビー。
柱からひょろりと枝が飛び出している。こういうちょっとした遊び心が数寄屋建築のようで素敵。


外観のポイントになっている三角形のドーマーウィンドウは直接吹抜けに面して開いている。


スサか木くずか何かをざっくり練り込んだ塗り壁。本当に茶室のようだ。
このロビー、とっても素敵な空間だったのだがお客が多くて全体的な写真を撮れなかった。。。(汗)


さて美術館としての展示空間はここから奥にあり、展示室は機能第一で割と普通な仕上げ。
建物としては共用部というか廊下や階段などが見どころである。白い壁に木のドア、コンクリート打ち放しの壁、
高窓などの構成が美しい。


遠近感を感じさせる階段。


広さよりも高さを強調した空間だ。


2階の展示スペースを見ると、秋野不矩の作品は数点しかなく正直なところ美術館としては拍子抜けだった。。。
作品の鑑賞も楽しみにしていたのだが・・・まぁここは建物見学がメインということで。。


ロビーに戻りテラスへ出てみる。ここは二俣のまちを一望できる素敵な場所。しかしここも他のお客が
ずっと座っていてこのぐらいしか撮れず(苦笑)


外壁はダイナミックな塗り跡を見せた仕上げ。いいねぇ~


全体を見ても細部を見てもカッコよくてかわいい、藤森建築。もっと他のも見に行きたいな!


続く
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