まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

都島区に深入り。

2018-04-14 23:55:28 | ディテール
トヨクニハウスからの続き。

都島駅でmayumamaさんと別れたあと、お風呂に入って帰ろうとぶらぶら歩き出す。
城東区の諏訪浴場まで行こうかなと考えていたけど、このあたりから鴫野、城東もお風呂屋が多い場所なので
まぁいいのが見つかり次第入ることにしよう。

都島通りを少し歩くと、前にも見たターコイズブルーのストレートエッジの小口タイルが。あぁここだったな。


これは戦前の長屋と見える。ファサードがタイル貼りの長屋は数あれど、2階にこんな鮮やかなブルーのタイルを
貼っているのはここ以外に見たことがない。1階の窓下は見せどころなので割と凝った色柄のタイルが使われているが、
2階の壁はだいたい地味な色の型押しかスクラッチの二丁掛タイルや、黒やあめ色のふっくらタイル又は
小口タイルなどが多い。


さてそこからもう少し都島通り沿いを歩くか、南へジグザグ下るか、迷うのだが、最短距離にこだわらず気になる方へ
気ままに歩くことに。このあたりはきれいな長方形の区割りで画一的に見えるが、一本違うと全く雰囲気が違うのだ。

うわ!ここの面格子いいなぁ。しかしこのすぐ横にのぼりがしっかりくくりつけてあり、めちゃジャマ(苦笑)
力いっぱいのぼりを反対側へ引っ張りながら写真を撮る・・・

◯◯◯◯◯!

この通りを戻り方向に歩いてみると、小口タイル貼りの戦後の戸建て住宅がずらりと並んでいる。
素敵な渋タイルがたくさん!一軒一軒みな違ったタイルが使われている。


ここはホテルみたいだけど会社のようだ。窓辺がおしゃなデザインで、窓まわりにタイルが使われていた。




うわっ、あれは何だ!?視界の中に何か異様な建物が・・・


どひゃ~、古い医院建築だなぁ!こんなところに。。。しかしよくこんなまま残っているなぁ~


「敷地医院」と書かれている。変わった名前だが敷地というのが苗字なのだろう。
建物は古いが簡素なつくりで戦後すぐぐらいに建てられたものかと想像する。
ドアは閉ざされており今はもうやってはいなさそう。横に回って裏を見ると、隣のビルと一体のようだ。




こちらも古い。。。ここの1階に敷地~と書かれた事務所が入っていた。


ジグザグ歩いて南下している途中にお風呂屋に遭遇。第一三福湯。うわぁ~~素敵!!台形に立ち上がった
正面の壁は真っ白だけどこれは冨士山だということを一瞬で確信。今日はここに沈没を決めよう(笑)


お風呂屋はもう暖簾がかかっているが、まだ明るいのでもう少し付近を散策しようと横丁に入り込んだら、、、
目に飛び込んできたのは、中廊下式の古いアパート、松葉荘。入口ひさしを支える一本柱が市松模様の
モザイクタイル貼りだ。うわぁ~~!!


壁の方は飴釉のふっくらタイル。そこに白と青緑色の市松模様を合わせるセンスに脱帽!いやほんとに。


興奮を抑えつつ、市松タイルに激寄り写真を撮っていたら、ドアが開いて住人のおっちゃんが、、、(汗)
不審げな顔で一瞥された。失礼致しました・・・


さらに進んでいくとこの辺はタイル貼り長屋も多い。2階の壁にこんな色のタイルもあまり見ないな。
明るいレンガ色の施釉小口タイル。


長屋のタイルは実にいろんな色、質感のものがあり、棟全体での統一感を持たせたり、又は一軒一軒個性を出すように、
貼り方も工夫が凝らされている。規格のサイズ、限られた予算の中で、タイルメーカーも、施工する人も、
他とは違うものを作り出そうとしていた気概が感じられ見ていてもワクワクする。


進めば進むほど何か良さげな雰囲気でタイルだらけで、どんどん深入りしてしまう(笑)


この質感!!4枚目の写真のタイルと少し色は似ているが全く違う。ほんとに、1枚1枚が芸術品のように美しい。。。


付近には区画整理完成の碑があった。
大阪市内は空襲にあっているし、地図で見ると広い範囲にわたってきれいな長方形の区画が続いている場所が多く
一見つまらない感じがするが、これらの区画整理はだいたい昭和初期までに行われており、実は十分古いまちなみで
戦前の建物も結構残っていて、昭和3~40年代レトロな商店街なども元気に営業していたりするのだ。

これは元医院だろうか?


素敵な面格子を発見!
ウグイスがとまっているからこの木は梅だな。こちらは竹で間違いない。しかし松が見当たらないな??
もしかしたらこれと対になった面格子のかたわれがどこかにあるのかも!?


続く。

コメント (8)    この記事についてブログを書く
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8 コメント

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うわー、こ、ここは! (mymy)
2018-04-20 12:28:00
…ここだけの話、USビルには住んでたことがあります!(ビルに見えますが実はアパート?です)20年位前に、5年ぐらい。不動産屋さんは「築20年位ですねえ」と住む時言ってましたがたしかに昭和40年代の建物でした。中は鉄筋の建物なのに木造アパートに住んでると錯覚するようなものでした。無人の建物と勘違いされることもあり、屋上に続く階段室に浮浪者がいた事もありました。(笑)
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mymyさん、 (ぷにょ)
2018-04-23 00:16:11
うわー、USビルに住んでおられたのですか!!
昭和40年代の建物にしてももっと古そうに見えますねぇ~~
敷地医院とやはり関係があるのでしょうか??寮だったとか・・・?
見つけた時はぎょっとしました(苦笑)
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医院とアパート (mymy)
2018-04-24 20:32:54
医院とアパートは二階の廊下で繋がってるだけで、建築年代は違いましたね。(窓枠が医院は鉄製、アパートはアルミサッシ)医院は良く見ると名前が建物の側面にタイルで表現されてます。おそらく1950年代とかの建築?アパートはお風呂が薄緑の樹脂製の浴槽、部屋にガスコックがあった、キッチン床が市松模様の木製で部屋との境界に模様付きガラスの引き戸…などから1970年代ではないかと。…強度不足なのか前の道路をバスやトラックが通ると建物が揺れました。(笑)今は耐震基準を満たさないため全て空き家と思われます。(夜見ても灯りがない)
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mymyさん、 (ぷにょ)
2018-05-06 12:48:32
医院の名前がタイルで表現・・・あっ、それは見ていませんでした(汗)シマッタ・・・
医院の方、戦後早々ぐらいですかね。
アパートの方は、そうですね、昭和40年代ぐらいかなと思いました。

>前の道路をバスやトラックが通ると建物が揺れました。

それ怖いですね、車ぐらいで・・・(苦笑)
リアルな情報ありがとうございます!!
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敷地医院 (joshua)
2019-07-23 14:15:47
令和に入って敷地医院が取り壊されるようです。
普段よく通る中で不思議な雰囲気を醸し出していた建物ですが、無くなってしまうのは残念な気がします。
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取り壊し (mymy)
2019-07-25 19:00:37
Joshuaさんがおっしゃってる通り、解体の準備が始まってます。いろいろ腹の立つことがあったとこですが、どこか寂しさを感じます。5年住んでましたからね。

ガラスが割られてるとこを院長だった人の油絵で塞いでたり、末期はよくわからない状態になってました。
チャンスがあるなら更地になる前に見に行ってやってください。
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joshuaさん、 (ぷにょ)
2019-08-05 00:51:26
情報ありがとうございます。相当古く空き家のようでしたから、
いずれ近いうちにそうなるだろうとは思っていましたが・・・
こういう謎めいた建物がまちなかに残っているということが
まちを面白くするのですけれどね。なくなるのは残念ですね。
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mymyさん、 (ぷにょ)
2019-08-05 00:57:25
ここに住んでおられたのですよね、良くも悪くもいろいろ思い出があるでしょうから、無くなってしまうとなると寂しいでしょう。
外部の人がわざわざ行くような場所でないからこそ、
あまり知られることもなく不思議なエアポケットとして残っていたのですね。
もう工事が始まっているのかな・・・今度行ったらもうどこだか
分からないかもしれませんね・・・
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