まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

尾張戸神社の敷瓦

2019-08-12 22:48:24 | ディテール
今年の春に、念願の尾張戸神社の敷瓦を見てきた。
ご存知の通り私はタイル好き、特に日本の重厚な本業敷瓦・本業タイルが大好きで、最初にここのことを知ったとき、
こんなすごい敷瓦物件があるなんてと、驚愕したのだった。宗教施設かつ宮内庁が管理する古墳の中にあるため
全く非公開だった尾張戸神社、敷瓦の修復記念として一般公開された2018年のGWは旅行の予定があったので
泣く泣く断念。モザイクタイルミュージアムの敷瓦展の時も展示で紹介されていて、特別見学会をするかと
淡い期待をしていたがかなわず。その後もずっと何とか見れる機会がないものかと窺っていて、今回ようやく
その機会がめぐってきたのだ!


尾張戸神社は瀬戸市と名古屋市にまたがる東谷山の山頂にある。神社といっても普段は無人。古代豪族の尾張氏を
祭神とし、延喜式に記載があるというから千年以上もの歴史をもつ。


このあたり一帯は古墳が多く、東谷山の中腹にも南社古墳や中社古墳などいくつかの古墳の遺構がある。
高低差は約100m、高さは大したことないのだが山道の階段は結構急勾配で、これがかなりしんどい(汗)。
まぁさっさと登れば20分ぐらいだろう。


そして到着。いよいよ中へ。ドキドキ!!階段を上って本殿の前へ。。。


うわぁ~~っ!


写真で見ていた、あの敷瓦が、目の前に!本殿のまわり一面に、瀬戸の本業敷瓦が約2500枚、四半貼りで
敷き詰められているのだ。これを・・・踏んでもいいの?ほんとに??


感激でクラクラしてしまう。。。あぁ、どこをどう撮っていいのやら、、、(汗)
印花文、陰刻に手彩色のもの、銅版転写、、、さまざまなタイプ、模様、色の敷瓦があり、時代はバラバラ。
並べ方は中央部では同色が一列に並んでいるなど法則性があるようだがその両側や本殿の裏手の方などは特に
統一性はないように見える。大きさも8寸角のものが中心だが端の方には6寸や5寸のものも混じっている。


見たことのないものもちらほら・・・




説明によると1884(明治17)年ごろから敷瓦が敷かれ始めたと考えられているというが、一度に全てを
敷き詰めたわけではなさそうだ。


階段から本殿までの直線部分は、織部、黄瀬戸、志野の印花文敷瓦と、手描きの染付本業タイルが種類ごとに
一列に並べられている。このあたりは明治20年頃までのものだろう。最初は参拝のための舗石として中央部だけに
敷かれたのではないだろうか。




左右の端の方は青い銅版転写タイルが多い。修復前はこのあたりは大きな木があったり割れや欠損が多かったようで、
約500枚の新しい敷瓦を、切り株跡や欠損・損壊部分に補充したという。
この修復事業では、当時の技法を忠実に再現することにこだわり、簡単にできる現代のプリント技術などは使わず、
瀬戸のメーカーに依頼して3種類の銅版転写タイルを型紙から復刻し、瀬戸の現役の窯で整形焼成したとか。





裏手の方は、かなりバラバラ。白無地のも結構ある。


本殿の裏の方へ回り込むとレリーフ模様の敷瓦や、うさぎモチーフの染付タイルなど、加藤治右衛門窯のものが多い。


飫肥で見た緑色のレリーフ模様の敷瓦も、ベタ部分がるり釉のもの、線のみに彩色したものなど、
数パターンのバリエーションがあるな。


蓮華がモチーフだろう、連続すると羽を広げたクジャクのようでとってもきれい!この模様は日本っぽくて特別感があって
大好きだ。ため息が出る・・・しかし質感や色合いがちょっと飫肥のとは違っているように感じるな。色も青緑っぽい。
時代が違うのか、釉薬を変えたのか。まぁロットが違うと作業する職人も替わり窯の中での火の当たり加減も違うだろう。


実際のところここの敷瓦を、誰がいつ何のために、どうやって敷いたのか、詳しくは分かっていないという。
山の頂上までこれだけの敷瓦を運んでくるだけでも大変だ。


ところで、こちらもなにげに踏んで来たけれど、階段に敷かれているのはひときわ分厚い敷瓦。一段に2枚ずつ。
厚みは3cmほどもあり、どっしりとして貫禄がある。江戸初期のものだそうで、ここにあるうちで一番古い。


白一色なのは、本殿に参拝する前に邪念を払い、心を清めるためだろうか。

しかし私は邪念だらけでこの神聖な場所に踏み込んだせいか、、、いろいろと災難が降りかかったのだった。
スマホを落として画面が割れたり、財布をなくしたり・・・これは果たして無関係なのだろうか!?(汗)
いや、本当にタタリかも・・・(怖)

もう100年以上も風雨にさらされ人に踏まれ、割れているもの、それもかわいそうなほど粉々になっているものもある。
時代の新しいものは比較的薄く、またコンクリート等で固定されていないから余計に割れやすいのだろう。
これ以上傷まないように全部取り外して保存するべきなのか、それとも、神聖なこの場所で現在までずっと実際に敷かれ
使われていることこそ価値があるので、将来にわたり部分的な入替えのみで使い続けるのがよいのか、果たしてどうなのか
悩ましいが・・・少なくとも、一般の人が踏む回数は極力減らす方がいいだろうな。。。これ以上割れないように。。。
こんな物件、日本中どこにもないのだから。まさに瀬戸の宝、日本の宝である。

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