小学校低学年の頃、初めてピアノを習い始めた時の先生がタクトを持っていて、
間違えて弾くと手の甲をパチンとたたかれました。
特に痛かったという覚えも、何度も叩かれた記憶もありませんが、
ちょっと間違えるのならいいけど、間違えてばかりの生徒だと先生も忙しかっただろうな~、
なんて遠い昔を思い出しています。
いじめと体罰の関係を調べていたら、どこからともなく現れたこの本、
利口なパソコンが私に薦めてくれたのです。
心罰―子どもの心を傷つける行為 | |
クリエーター情報なし | |
学陽書房 |
罰なんて いじめ同様イヤな言葉ですよね。
いじめは、いつでも どこでも 誰にでも起こりうるもので、誰でも被害者、加害者になる可能性があるにも関わらず、誰もこれがイジメだと気がつかないことも多いですよね。
そして誰でも、いじめの被害者加害者にはなりたくないはずです。
10数年前の本なので、ご存じの方も多いと思いますし、今どきのお母さんは優しい方が多くて、私自身の時より、上手に子育てしているな~と感心することが多いのですが、どんな言葉が心罰になってしまうのかが確認できると思います。
この中で、下記引用
p264
資料①「体罰の定義」の例
体罰
肉体的苦痛を与えることによって教育上の目的を達しようとする方法。鞭をもってたたくということが子どもを愛することだという考えが人びとの通念となっていた時代、ヨーロッパでは体罰が盛んに行われていたが、コメニウスやルソーはこれに強く反対した。16世紀に来日したポルトガルの宣教師たちは、日本では体罰のないおだやかな子育てが行われているとみていた。そうした日本の子育ての風習は、明治初期の学校教育にも生かされ 中略
だが、富国強兵策のもとで、軍の訓練方式が学校に及ぶにつれ、体罰をとうぜんとする風習が広がっていった。
第二次大戦後、学校教育法が公布され、ここで体罰は禁止された。中略
しかし、教師による体罰はあとを絶たず、 略
・・・引用ここまで
本に親や教師の体罰の実態も書かれています。信じられないほどひどいケースもあり非常に残念です。本が書かれた当時より改善されているといいのですが、いじめがなくならない現実を見ると、何らかの影響を及ぼしているのではと思います。私自身も、体罰はもちろんのこと、心罰も与えないように今後気を付けねばと思っています。
>>>体罰は学校教育法で禁止されていますから教師が手を出すと事情がどうあれ処罰の対象となります。では、教師はどうすればよいのか、生徒が手を出してきたら警察に暴行の被害届を出せばいいのです。
そうですね。その通りだと思います。
私の書き方が中途半端でした。
上記の著書は大分前の物で、現在は書かれているような先生による体罰は行われていないと思うのですが、
もしかしたら、先生方の中には、体罰と認識しないで、教育の一環と勘違いして、それを行っている場合もあるかもしれないと、書き留めておきました。