悪の力(集英社新書)を読みました。
現在進行中、また過去から今なお続いている戦争は「悪」そのものなのに、なぜ正当化されるのか疑問です。
著書では、近年日本で起きた凶悪犯罪について解説し、また聖書や小説などの悪人などをさまざまな観点から分析しています。
破壊の衝動と言うのは誰にでもあるのだろうと思います。
本著の中から、印象に残っている点をいくつか挙げてみます。
青字引用
p.110
「悪は病である」
そうなんですよね。悪者がかっこよく描かれている小説や映画があったり、ちょっと真面目にしているより、111ページに「私たちは多くの場合、日常において、中流のモラル、節制、勤勉、節度等などの価値によって縛られています。そうしたモラルを侵す、あるいは法律や掟を破ることには、ある種の痛快感があります」。そのようなことはあると思います。
p.112
「彼女の報告では悪の陳腐さは、このアイヒマンの思想のなさとして暴露されているわけです。つまり陳腐な悪とは、思慮の欠如であり、そして想像力の欠如であるということです。その思想のなさという病が集団殺戮を生みだす遠因ということになります。
ただ、この恐ろしい病の根は私たちの中にもあります。私たちは、その病を、原罪を、死の欲望を、暴走させずに生きていくことができるのでしょうか」。
p.120
「フロイトとフロムの考え方が違うのは、これらの因子は人間の本能としてあるとするフロイトに対して、フロムはこれらの要素は人間に内在しているが本能的なものではないという立場を取っていることです」。
p130
「中流のモラルを破壊した資本主義」
「漱石も見抜いていた『敗亡の資本主義』
も必読です。
フロイトで思い出したこと、以下に臨床心理学の講義で使用されたテキストから記憶に残っていた点を引用します。
p.131
母親や養育者、保育者による虐待が後を絶ちません。え?なぜ、そんな優しそうな人がそんな暴力を振るうのと思う事もしばしばあります。
上記(p.131)に
「わが子を虐待したある母親は、空腹に泣き叫ぶ子どもの声に、『オッパイをよこせ、オシメを替えろ、ダッコしろ』などと命令されている気分になり、実に得体のしれない感覚に襲われ、気が狂いそうだったという。自分の赤ん坊の中に『魔物』を見る母親は、言いしれぬ恐怖に駆られ、自分を守るために子どもを虐待する」。
虐待は立場の違う第三者からは到底信じられない行為ですが、上記の心的状況は有り得るかもしれないと思います。
そうならないために、全世界の人々が普通に余裕をもって暮らせる程度の生活を送れるようになるといいのにと切に願います。