39年前、1972年の5月15日、私たちは高校1年生
上記・意見広告から一部転載 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 米海兵隊の普天間基地の即時閉鎖・返還を求め、「県内移設」に反対します。 普天間基地は、米政府自らも認める世界一危険な基地です。 日米両政府は沖縄の民意を尊重すべきです。それがまことの民主主義です。 日米安保条約をやめ、軍事力によらない平和を構想しましょう。 軍隊は「災害救助隊」(仮)に改組すべきと提案します。安保条約によれば、どちらかの政府が1年前に通告すれば終了できます。日米安保条約をやめて、日米平和友好条約を結ぶための対話と交渉を、いますぐ始めることを求めます。
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ウチナンチュにとって忘れてはいけない 5・15
毎日お邪魔している海鳴りの島から と地元紙で織るオキナワで、平和行進と意見広告のことを目にしました。
私にとって、1970年代と80年代の生活はかなり違っていて、それは復帰直後に上京した私たちは、沖縄の本土化と同様、復帰を境に表面的には本土化していたのでしょうね。
高校時代の記憶はかなりはっきりしていて、だって、おきなわ激動の時に多感な高校生、受験前の時間に追われている時に、若夏国体という高校生にとっては晴れの舞台にも出場したんですもの。忘れるわけがない。それで、思い出したのが、
高校同期naoちゃんがアップしてくれていた若夏国体と復帰30年のVTR、Youtube
メールをしたら直ぐに送ってきてくれました。 naoちゃん、ありがとう!
下記2つのYoutube、どうぞゆっくりご覧ください。
国体の最後に出るプロムナード、私たちも梯梧色のレオタードを着て踊っています。