沖縄の長男は嫡子と呼ばれ、トートーメーを継承する重要な役割があり、一種の身分と言えます。それだけで生きていくことが出来る人もいます。それは世界共通かもしれませんが。
好むと好まざるとに関わらず、長男の結婚により晴れて姑になった私。思い返せば、沖縄の人と結婚しなかった遠因に「長男嫁にはなりたくない」気持ちがありました。沖縄の長男嫁の役割は重く、末っ子気質の私には到底務まるものではありません。
あにはからんや、結果的に私はヤマトゥンチューの長男と結婚したわけなのですが、その役割は沖縄の一般的な長男嫁に比べたら、かなり気楽なものだと思います。それは特に義父が元祖育メンみたいな人だったからかもしれません。
さて、息子が結婚するというのは、母親にとって、かなり精神的に楽になるもので、このフリーな気持ちというのは何というのかしら、5歳くらい若返った気にもなるし、逆に手持無沙汰で、ぼーっとしているとボケそうな気もしてきます。
母親業に卒業はないかもしれませんが、ここで一旦休業のような気分でした。しかし思ってもみないところで、姑という新たな役割が発生していたのです。
夫のように、出される食事に一切文句を言わない人ならいざ知らず、好き嫌いがあり、いちいち注文をつける長男を送り出した私自身は楽になった反面、その役割はお嫁さんの側にスイッチされたのですね。私には息子の好みなどをお嫁さんに伝える役割が発生したのです。この前会った時に、納豆は?かつ丼は?と、ひとつずつ確認するお嫁さんに、他にも息子が好んだ料理なども伝えた方が彼女も楽かなと感じたのです。
夫のバースデーケーキやプレゼント、そして母の日のプレゼントを用意してくれていました。
3週間ぶりのリズム体操の後は、今日もばら園へ
植物や自然には雑念を取り払ってくれる力がありますね。