「命が守られる交通社会に」 池袋暴走、遺族が実名明かし動画 (朝日新聞 2020年4月17日)
新型コロナウイルス感染症に罹患された方々に、心からお見舞い申し上げますとともに、一日も早い快復をお祈り申し上げます。
池袋と言えば、結婚し沿線に数年住んだこともあり、また夫の実家へ通うために通過した場所であり、義母と待ち合わせをして買い物をしたり食事をしたりした街です。
既に数十年その地に住んでいた義父母にとっては庭みたいな場所で、一緒に街を歩くと、あの店この店、義母が普段友人と過ごすお店を案内してくれました。しかし、70代後半、義父母が要支援を受けるころからは私がアテンドする立場に変わりました。その頃から夫は週1~2回実家に通い、義母の買い物のアテンドをしていました。
義父が90歳になる手前だったと思いますが、1人で吉祥寺までバスに乗り、補聴器の修理に出かけたことを知り、私たち夫婦はヘルパーさんにお叱りを受けました。途中で転んで事故に遭ったらどうするのですかと。子どもとしては家の親はその歳になってもしっかり自立していると勘違いをしていたわけです。現実を直視していなかったのかもしれません。
夫は空いている時間は可能な限り実家に通っていましたが、それでは双方の命を守る態勢が充分ではなかったのです。
池袋暴走事故が起きてからしばらくは、交差点に立つ度に2つ向こうの交差点から車が突進してくるとしたらと想像しました。渡ろうとしている交差点で赤信号になったにも関わらず暴走してくる車(主にトラック)はたまにあります。しかし、2つ向こうの交差点から暴走してくる車はどれだけのスピードが出ているのでしょう。通常ではあり得ないことだと思われます。
その時以来、麦わら帽子を見るたびに松永真菜さんのことを想いました。孫が駐車場や横断歩道で歩きたがっても抱くようにしました。
集まった署名は松永さんの悲しみや「命が守られる交通社会に」への想いを多くの方々が共有していることを示しています。
【池袋自動車暴走事故遺族】事故から1年 遺族としての想いをお話しします。