アルゼンチンから砂漠の国へ

2005年~2009年のオリジナル記事に、シンガポール時代の記事と、2009年以降のアメブロの旅行記を転記しました。

Manado ダイビングツアー (3/3)

2020年06月17日 | 旅行
ジャングル探検(6 April 1996)

三日間も潜るばかりじゃ面白くなかろうとのHさんの提案で、次の日はジャングル探検に出かけることにした。Diving Centerの世話係のマリアさんにアレンジを頼むと、マネージャーに内緒でアレンジしてくれた。ダイビング客を勝手に他の観光に連れ出したことがわかると首になると、かなり気を使っていた。ひとりUS$45、ダイビングよりは少し安い。我々のほかに、宿で一人ひまそうにしていたアメリカ人Robertが同行することになった。

小型のジープは太古の森タンココ自然保護区を目指して出発したが、運転手が途中で珍しいサルを見せてくれると言う。ガイドブックによれば、ここには世界最小の猿タルシア(スラウェシ・メガネザル)がいると言う。一同期待していると、車は農家の庭先に止まった。なんと、ここは小さな動物園。コブラにワニ、少ないながらも動物がいる。確かにオリのなかに体長約10cmのその猿はいたが、動物園ならあまりありがたみが感じられない。


車は山に入り舗装のないデコボコ道を約1時間すっ飛ばし、もう体力の限界だ!と叫びたくなった頃、目的地に到着した。森林レンジャーのオジさんがゴムぞうりをはいて出てきた。ガイド料はひとり10,000ルピア(約500円)。


レンジャー兼ガイドのオジさんについてジャングルの中に入っていった。うっそうと茂る熱帯雨林と表現したいところだが、単なる森だ。オジさんはひとりでさっさと歩いていく。こちらはついていくのがやっと。約1時間歩いた頃、このあたりだと言う。何が出てくるかと期待していると、野生のサル。ちょっと色は黒いが、どこといって面白くもないサル。結局、珍しい木一本と、小さな緑のヘビを見ただけで、また1時間かけて引き返してきた。


片道2時間のドライブと2時間の山歩き、疲れただけの1日だった。
シンガポールに帰国後、Robertから手紙が届いた。「危険なMonkeyから私を救ってくれてありがとう。」アメリカ人はジョークが好きだ。



難破船ダイビング(7 April 1996)

次のダイビングは、Manadoの湾内、すぐ近くの難破船ダイビング。皆でバナナをポケットに入れて潜った。難破船の海底部は36mあったので、今回は水深5mに止まり木をセットして、Safety Stop 5分間で、安全管理をしっかりしてくれた。

透明度はあまり良くなかったが、船の周りには餌付けを期待する魚が集まり、ポケットから出したバナナを競うように食べる。いい写真が取れたと思ったが、36枚過ぎても、何枚でもシャッターが押せる。ここでようやく異常に気がついた。あとで確認すると、フィルムが正常にセットされておらず、空回りしていた。もう後の祭。


Farewell Party

Manadoはシンガポールから直行便が週に2本しかなく、皆、同じ便で来て、同じ日に帰っていく。
最後の晩は、いつもの食堂でFarewell Party(送別会)を開いてくれた。

最後の送別会は、NDCのスタッフ(ダイビングガイド兼務)とも顔なじみになり、食事の後は即席のステージでディスコ大会になった。もうそんな年ではないと遠慮していたが、ついに引っ張り出されて、Hさん共々踊る羽目になってしまった。

翌日、帰る前に、例の高校生、中学生が隣のバラクーダDiving Centreを案内してくれた。広い敷地に一個建てのコテージが並んでいたが、NDCよりも少しグレードが落ちる感じで、客もほとんどいなかった。

NDCでは、宿のスタッフが皆Friendlyで、ブナケンの海も最高だったが、何せ食事がまずく、レンタルのダイビング機材が古く、部屋もお世辞にも立派とは言えなかった。安いだけにリゾートHotelとの差を大きく感じ、次回は、ぜひ少々高くてもHotel宿泊でもう1度来たいものだと、Manadoを後にした。


(マナド おわり)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿