3月21日(水)晴れ
先週、Kがまた会社を休んだ。家庭のことで、いろいろと用事があるんだと言って、プロジェクトマネジャー(PM)が出張に行った翌日から休暇を取った。日本でも、PMが出張するたびに、遅刻、欠勤、自由自在の勤務態度だったので、一度同じA社のビジネス・マネジャーのKMに相談したことがある。アラブのメンバーはプライドが高いので、直接本人に言っても効果がないばかりか、自分の上司でない限り聞く耳を持たない。
KMは、「よく知らせてくれた。PMが帰ってきたら相談しておこう。」と言っていた本人が、正月休みのスキー旅行の費用を会社負担にして、その請求書を水増ししている。しかも、通常業務をしている秘書に、「こちらの仕事を優先しろ。」と請求書つくりをさせている。
ファイナンス担当のAは、アパートのテレビのセッティングをするからと、平日に秘書を呼びつけ、部屋で手を握ったり、セクハラまがいのことをするので、嫌がった秘書が、呼び出しを受けたときは、いつも二人ペアでアパートに駆けつけるようなことをしていた。サウジに来てからは、コーヒーを入れてくれたインディアンのB君に、「バカヤロー、コーヒーカップにスプーンを入れたまま持ってくるとは何事だ。」といった、高飛車な態度でヒンシュクを買っていた。
我がPMは、休日出勤は日本にいる時から決してしたことがなく、今では、水曜日の午前中の会議が終わると姿を消し、土曜日の午前中に会社に出てくる。週休3日で、コントラクタに対しては毎日怒鳴り散らしている。会議では、「これはワンマンショーじゃないんだ。チームワークで仕事をしろ。」とワンマンショー以外の何物でもない態度で、傲慢な管理を続けている。
もちろん、A社から派遣されたメンバーは、全てがこんな調子ではない。調達のEさんは、東京ではいつも土曜日に出勤して仕事を片付けていたし、今はチームを離れたMさんは、ブエノスアイレス時代、日本人だけが集まって会議をしていると、烈火のごとく怒り、「われわれはチームなんだ。日本人だけが集まって会議をしてはいけない。」と本当にチームワークに気を配っていた。今でも、サイトでその姿勢は変わらない。
しかし、これまで接してきたほとんどのA社のメンバーは、自己主張だけは強いが、自分が汗を流したり、手を汚したりすることは決してしない。言われた仕事は、他の者に回して、それで自分の仕事は終わった気でいる。
このように、倫理観が極めて希薄で、傲慢な人物が多いA社のメンバーはほとんどが、サウジアラビアの人間で、彼らは全員ムスリム(イスラム教徒)である。
イスラム教には、倫理観に関する教えはないのだろうかと、少し調べてみた。こちらには、仕事の関係書類以外は、「地球の歩き方・ドバイとアラビア半島の国々」と世界地図しか持ってこなかった。しかし、世の中便利になったもので、インターネットで必要な情報はほとんど手に入る。百科事典まで無料で読むことができる。
イスラム経には「六信五行」がある。
「神」「天使」「コーラン」「預言者」「来世」「天命」を信じ、「信仰告白」「礼拝」「断食」「喜捨」「巡礼」を行わなければならない。
先に登場したK君などは、一度帰宅するときに車に乗せてもらったが、帰る道すがら、イスラム教の宗教観についてとうとうとしゃべり続けた。曰く、「イスラム教徒は、他の宗教を認め、決して他人を攻撃することはない平和主義者だ。」「イスラム原理主義者のテロ活動が批判されるが、彼らは真のイスラム教徒ではない。」「我々は、無益な殺生はしない。羊や、ラクダなど、食料にするものだけを殺す。」「現世で悪いことをしたら来世で天国にいけないから、決して悪いことはしない。」等々。いいことばかり並べている。
ちなみに、彼が運転している新品のランドクルーザーは、我々チームに共同使用するように支給されたものを、我先に一番いい車を占領して、自分の車のように使い、通勤にも使っている。日本人が免許を取れないので、そのほかのメンバーもほぼ、一人一台の車を占有している。
最近、昼休みに、礼拝の音楽が聞こえてくる。正確には音楽ではなくて、アザーンと言う、「礼拝の時間ですよ。モスクに来てお祈りしなさい。」という礼拝時間を告げる誘いの言葉なのだが、どこの街にもモスクに取り付けられた拡声器から歌声のように流れてくる。コミュニティーにも2ヶ所のモスクがあり、それぞれ競うように大きな音を出している。今朝など朝5時10分にこれが始まり、目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。彼らの文化圏で、軒を借りて仮住まいしているので、文句を言える立場ではないが、迷惑この上ない。
子供の頃、盆踊りのときに舞台の上で、酒を飲んだ村の老人が、日本語でありながら、全く意味不明の言葉で歌っていた調子とよく似ている。
事務所にも礼拝用の部屋が用意されている。ほとんどのメンバーは、この部屋で決まった時間にお祈りし、更に、早朝一回、夕方、夜と一日5回の礼拝を欠かさない。もっとも、我がチームのPMはサウジ人でありながら、礼拝をしているところを見たことがない。彼らは、メッカに向かってお祈りしなくてはならないので、飛行機の中にも、スクリーン上にメッカの方向を常に表示している。
また、年に一度ラマダンがあり、約一ヶ月の断食を行うし、巡礼月にはメッカに向けて世界中のムスリムが一生に一度の巡礼にやって来る。このように五行をきちっと行っている敬虔なムスリムだが、その教えの中に、倫理観が見当たらない。
女性が黒いレース、アバヤで全身を隠すのは、イスラムの教えは、人間とは本来弱いものであり、男性の理性が性欲を抑えられないのを予測して、女性の顔かたちを見せないようにするためと言う。アラブ人が、理性が本能を抑えられないのを神様もよくご存知なのだ。
大胆に結論付けると、「神」を信じて「礼拝」を行えば、全て許される世界なのだろう。ますます、付き合い難さを感じざるを得ない。
先週、Kがまた会社を休んだ。家庭のことで、いろいろと用事があるんだと言って、プロジェクトマネジャー(PM)が出張に行った翌日から休暇を取った。日本でも、PMが出張するたびに、遅刻、欠勤、自由自在の勤務態度だったので、一度同じA社のビジネス・マネジャーのKMに相談したことがある。アラブのメンバーはプライドが高いので、直接本人に言っても効果がないばかりか、自分の上司でない限り聞く耳を持たない。
KMは、「よく知らせてくれた。PMが帰ってきたら相談しておこう。」と言っていた本人が、正月休みのスキー旅行の費用を会社負担にして、その請求書を水増ししている。しかも、通常業務をしている秘書に、「こちらの仕事を優先しろ。」と請求書つくりをさせている。
ファイナンス担当のAは、アパートのテレビのセッティングをするからと、平日に秘書を呼びつけ、部屋で手を握ったり、セクハラまがいのことをするので、嫌がった秘書が、呼び出しを受けたときは、いつも二人ペアでアパートに駆けつけるようなことをしていた。サウジに来てからは、コーヒーを入れてくれたインディアンのB君に、「バカヤロー、コーヒーカップにスプーンを入れたまま持ってくるとは何事だ。」といった、高飛車な態度でヒンシュクを買っていた。
我がPMは、休日出勤は日本にいる時から決してしたことがなく、今では、水曜日の午前中の会議が終わると姿を消し、土曜日の午前中に会社に出てくる。週休3日で、コントラクタに対しては毎日怒鳴り散らしている。会議では、「これはワンマンショーじゃないんだ。チームワークで仕事をしろ。」とワンマンショー以外の何物でもない態度で、傲慢な管理を続けている。
もちろん、A社から派遣されたメンバーは、全てがこんな調子ではない。調達のEさんは、東京ではいつも土曜日に出勤して仕事を片付けていたし、今はチームを離れたMさんは、ブエノスアイレス時代、日本人だけが集まって会議をしていると、烈火のごとく怒り、「われわれはチームなんだ。日本人だけが集まって会議をしてはいけない。」と本当にチームワークに気を配っていた。今でも、サイトでその姿勢は変わらない。
しかし、これまで接してきたほとんどのA社のメンバーは、自己主張だけは強いが、自分が汗を流したり、手を汚したりすることは決してしない。言われた仕事は、他の者に回して、それで自分の仕事は終わった気でいる。
このように、倫理観が極めて希薄で、傲慢な人物が多いA社のメンバーはほとんどが、サウジアラビアの人間で、彼らは全員ムスリム(イスラム教徒)である。
イスラム教には、倫理観に関する教えはないのだろうかと、少し調べてみた。こちらには、仕事の関係書類以外は、「地球の歩き方・ドバイとアラビア半島の国々」と世界地図しか持ってこなかった。しかし、世の中便利になったもので、インターネットで必要な情報はほとんど手に入る。百科事典まで無料で読むことができる。
イスラム経には「六信五行」がある。
「神」「天使」「コーラン」「預言者」「来世」「天命」を信じ、「信仰告白」「礼拝」「断食」「喜捨」「巡礼」を行わなければならない。
先に登場したK君などは、一度帰宅するときに車に乗せてもらったが、帰る道すがら、イスラム教の宗教観についてとうとうとしゃべり続けた。曰く、「イスラム教徒は、他の宗教を認め、決して他人を攻撃することはない平和主義者だ。」「イスラム原理主義者のテロ活動が批判されるが、彼らは真のイスラム教徒ではない。」「我々は、無益な殺生はしない。羊や、ラクダなど、食料にするものだけを殺す。」「現世で悪いことをしたら来世で天国にいけないから、決して悪いことはしない。」等々。いいことばかり並べている。
ちなみに、彼が運転している新品のランドクルーザーは、我々チームに共同使用するように支給されたものを、我先に一番いい車を占領して、自分の車のように使い、通勤にも使っている。日本人が免許を取れないので、そのほかのメンバーもほぼ、一人一台の車を占有している。
最近、昼休みに、礼拝の音楽が聞こえてくる。正確には音楽ではなくて、アザーンと言う、「礼拝の時間ですよ。モスクに来てお祈りしなさい。」という礼拝時間を告げる誘いの言葉なのだが、どこの街にもモスクに取り付けられた拡声器から歌声のように流れてくる。コミュニティーにも2ヶ所のモスクがあり、それぞれ競うように大きな音を出している。今朝など朝5時10分にこれが始まり、目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。彼らの文化圏で、軒を借りて仮住まいしているので、文句を言える立場ではないが、迷惑この上ない。
子供の頃、盆踊りのときに舞台の上で、酒を飲んだ村の老人が、日本語でありながら、全く意味不明の言葉で歌っていた調子とよく似ている。
事務所にも礼拝用の部屋が用意されている。ほとんどのメンバーは、この部屋で決まった時間にお祈りし、更に、早朝一回、夕方、夜と一日5回の礼拝を欠かさない。もっとも、我がチームのPMはサウジ人でありながら、礼拝をしているところを見たことがない。彼らは、メッカに向かってお祈りしなくてはならないので、飛行機の中にも、スクリーン上にメッカの方向を常に表示している。
また、年に一度ラマダンがあり、約一ヶ月の断食を行うし、巡礼月にはメッカに向けて世界中のムスリムが一生に一度の巡礼にやって来る。このように五行をきちっと行っている敬虔なムスリムだが、その教えの中に、倫理観が見当たらない。
女性が黒いレース、アバヤで全身を隠すのは、イスラムの教えは、人間とは本来弱いものであり、男性の理性が性欲を抑えられないのを予測して、女性の顔かたちを見せないようにするためと言う。アラブ人が、理性が本能を抑えられないのを神様もよくご存知なのだ。
大胆に結論付けると、「神」を信じて「礼拝」を行えば、全て許される世界なのだろう。ますます、付き合い難さを感じざるを得ない。
A社社員の実態に思わず爆笑をしました。
誇り高い人種なのに何故か利己主義ご都合主義ですよね。これは宗教の教えからくるものなのでしょうか?
回教は、仏教やキリスト教よりも新しい宗教です。だからそれぞれの宗教が失敗した教えを修正編集改良してこと細やかに宗教観を纏めた”いいとこどり”と何かの本に書いてありました。
コーランは神の声(アラブ語。他の言語に翻訳されたらそれはコーランではない。)
だからでしょうかアラブ人のあの高飛車な傾向は。
神の声を復唱できる人種、そして濃厚な風土、更に油持ち。これらの条件によって人間が形成されているのかも・・・
興味深深です。