イエスが、十字架に架けられ6時間後(午後3時ごろ)、息を引き取ります。(マルコの福音書第15章34~37節) その直後、幕を上から下まで真二つに裂かれるのでした。(マタイの福音書第27章51節)
このエピソードは、ヘブル9章8節、10章19節によって説明がされています。「前の幕屋が存続しているかぎり、まことの聖所への道は、まだ明らかにされていません。しかし、今は、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです」。
イエスの生涯は、神の子として地上で生き、臨終もまた、神の子として息を引き取ったのです。このイエスの死は、私達人間の罪を取り除いて、死を滅ぼしたのです。そして新約の時代が始まるのです。
さて、本題に入りましょう。
「イエスが十字架につけられた日は、金曜日で、翌日の安息日(土曜日)のために備える日でした。また、その安息日は過越の祭りの日でもあるので、ユダヤ人達は、死体を十字架の上に残しておかないように、その日のうちに埋葬することを総督ピラトに願いました」(ヨハネの福音書第19章31節)。
ユダヤの律法によると、十字架刑は最悪の死刑にあたり、その死人を十字架に長い間置いておくことは地が汚れるなどの理由で、「安息日」までに死人を十字架から引き降ろさなくては、なりませんでした。そのため、イエスの弟子アリマタヤのヨセフが総督ピトラに願って、金曜日の夜にならないまでに、イエスの死体を至急引き降ろしたのです。
「アリマタヤのヨセフは、金持ちで有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。」(マルコの福音書第15章43節)
彼のお陰があって、総督ピラトは、イエスの死体の引き降ろしを至急に許可したのです。そして、アリマタヤのヨセフの個人の新しい墓を提供してくれたので、イエスを埋葬することが出来たのです。
またアリマタヤのヨセフがイエスを埋葬するとき、律法学者で最高法院の議員のニコデモも参加しています。このことは、イエスがすでに彼等を、キリスト教信者にさせていることなのです。
しかしユダヤの大司祭や最高法院の議員達は、キリスト教信者達がイエスの死体を盗み、メシアが現れたなどの不安があったために、総督ピラトに駆け寄り、安息日の間、番兵を出して監視してもらえるよう交渉しましたのです。そして許可が出、それでも心配なので、祭司達は墓に行き封印をしたのです。
イエスの弟子たちは、ここではアリマタヤのヨセフとニコデモを除けば、他の男性の弟子達は1人もいないのですが、ガリラヤからイエスといっしょに出て来た女性達が、埋葬の手伝い等をするために出かけて栗のです。それらの女性達を4福音書から追ってみます。
このように、イエスの埋葬に参加していた女性達は、マグダラのマリヤ、クロパの妻マリヤ、イエスの母マリヤとその妹サロメの4人とされています。これらの女性が次のシーンで重要な立場となってくるのです。
前記の様に番兵が墓の前で、一晩中眠らず監視をしていました。しかし、香料を持った女性達が、安息日明けの早朝、墓を訪れると、墓の入り口を塞ぐ大石(円形)が脇に転がされていて、開いたままになっていたのです。
イエスの埋蔵のエピソードはマタイの福音書第27章57~61節、マルコの福音書第15章42~47節、ルカの福音書第23章50~56節、ヨハネの福音書第31~42節に記載されているので参考にして下さい。
そしてイエスの復活が起きたことの告知をする天使が、女達の前に現れるのです。
「すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。 その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。」(マタイの福音書第28章3~4節)
「墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。」(マルコの福音書第16章5節)
「そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣を着たふたりの者が、彼らに現れた。」(ルカの福音書第24章4節)
「白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体の置かれていた場所に、1人は頭の方に、1人は足の方に、座っているのを見た。」(ヨハネの福音書第20章12節)
何故、イエスの復活の告知が、弟子達ではなく、イエスに従って付いて来た女性達に、最初に知らされたのでしょうか?
当時の女性たちの地位は、ほとんど認められていなく、男達の世界が全て指導権、社会的身分をコントロールしていました。そのため、女性達が告知を受けることは、事実上考えられないことなのですが、イエスの告知は、違って、ボトムズアップ形式でエピソードが起きているのです。
女性達はガラリアから一緒に行動し、イエスの受難の週でも、イエスをずっと見守っていたのです。この忠実さは、使徒ペテロでさえ出来なかったことなのです。彼はイエスに3回嘘を付いているでしょう。
そして、告知を聞いた女性達は、使徒達に伝えるのですが、信じてくれなかったのです。ここが男性の見栄なんのです。この見栄は、罪に当たるのです。イエスは、彼等を女性達を通じて、テストしたわけです。
キリストの復活は何を意味しているのですか?
聖徒パウロが、コリント人に書いた第1の手紙第15章に、「復活」に関しての聖徒パウロの考えが詳しく記載されているので、この手紙から紹介しましょう。
「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。」(15章3~5節)
この節では、イザヤ書53章や詩篇16篇に記されている、「復活の預言」が成就したことを述べているのです。
以下は福音を広めた使徒たちの言葉です。
ヨハネの福音書第3章16節、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」と述べられています。
第一のペテロの手紙第2章24節、「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、貴方がたは、癒やされたのです。」
ヘブル人への手紙第2章14節、「そこで、子達はみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放して下さるためでした。」
イエス・キリストは、私達人間に対して、信じる全ての人達を救済し、復活させる約束を、イエスの死で示してくれたのです。
アダムによってもたらした「罪」、即ち「死」は避ける事が出来ないのですが、イエス・キリストの死と復活による勝利、つまりサタン・悪魔に対しての勝利を私達人間に、自ら証明したことなのです。
神は、神と同様の形で作られた私達人間を愛しておられます。このことを絶対に忘れないで下さい。ですので、悪くない奴らが成功するには、この神の愛を知ること、即ち、イエス・キリストの死と復活のことを理解することで、サタン・悪魔との戦いに勝つ事が出来るのです。
そして神の愛と恵みに感謝、感謝、感謝することです。