悪くない奴らが成功できるための日記

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悪くない奴らが成功するには、人間は何のために生きているのかを理解すること

2013-03-12 23:14:55 | 成功法則

前回の記載で天地創造の神を知ることを紹介しましたが、バイブルには、何故人間は生きているのか、そして人間は何のために生きているのでしょうか?そのために、創造主である唯一の神の創造の目的を紹介したのです。くどいようですが、更にこのことを紹介していきます。

神は、独りでは何の役にも立たなく、独りで喜ぶことはできなかったために、喜びを得るためには、人間の創造が絶対に必要だったのです。神が創造した創造物を見て満足したとバイブルに記載されていますが、それは神の自己満足でしかならなかったのです。

 

人間も神と同様に、何らかの対象があってこそ、喜び、愛そして生きがいを感じるわけですが、対象物が無ければ、それらの感動は一切味わうことは無いのです。

そのために神は、人間が生きるために必要な自然と万物の創造を、人間を造る前に造ったのです。その創造によって、神は人間が自然界と万物との喜びを味わえる環境を私達人間にしてくれたのです。神は,人間が創造主の目的に叶うように環境を整えてくれたのです。ですので神と人間の関係は、地が出来る前にすでに計画されていたわけです。

 

神と人間が、親子関係となった時点、即ちアダムとエバが作られた時点で、人間の生きる目的ができたのです。そのことを簡単に言うと、人間は神のように完全な者になることなのです。

 

ところが、人間は神の義に逆らってしまったのです。そして神は、創造した人間に対して心を痛めたのです。

創世記第6章5節に、主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。」

創世記第6章6~7節には主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、わたしが創造した人地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いると言われた。」と有ります。

そして神が人間の行動に対して怒りを示しています。そしてノアの箱舟のエピソードであり、ソドムとゴモラなど人間を完全に消滅させています。

 

 

しかし神は、人間が犯した罪を許すのですが、義のものに対してのみ祝福をします。それらの人間がノアであり、アブラハムであり、ロトだったのです。またヨブに関しては次回紹介しましょう。

さて人間は何のために生きているのかの本題に戻ります。 

私達全ての人間は、アダムの子孫である事を認知してください。そしてアダムが犯した罪、即ち嘘・死・働きの苦しみ・産みの苦しみなどを、私達全ての人間が引き継いでいることも認証してください。

では神が神に似せて造った人間は、この罪をどのように消す事が出来るのでしょうか?そして神のような完璧な人間となるのにはどうすれば良いのでしょうか。

それは簡単に言って、「神の恵み」を受け入れることなのです。ではその「神の恵み」とは一体何なのでしょうか?新約の聖徒パウロがガラテヤ人のクリスチャンに手紙を送っています。その中に、

ガラテヤ人への手紙第1章4~5節「キリストは、今の悪の世界から私達を救い出そうとして、私達の罪のためにご自身をお捨てになりました。私達の神であり父である方の御心によったのです。どうか、この神に栄光が永久にありますように。アーメン。」とあります。

聖徒パウロは、「神の恵み」を知ることによって、初めて罪から離れ、罪に打ち勝ち、また身体の贖いによって、罪そのものを無くすことが出来ると言い切っています。

 

ここがキリスト教の一番重要なところで、悪い奴らが成功するためには、この「神の恵み」を認識することで、私達人間は、何のために生きているのかを知る事が出来るのです。

唯一の神は、神の子であるイエスをマリアから「蘇生」させることで、人間業ではないことを私達人間に知らせています。そして更にイエスの死、血を流すことで、私達人間の罪を洗い流してくれているのです。つまり、罪即ちアダムから継がれた罪を断ち切ってくれたのです。

そしてイエスの復活が、私達に重要な意味を示してくれます。イエスは、十字架の死後、天国の神のもとに昇り(昇降)、神の右座に座って私達を見守ることをしていてくれているのです。そしてイエスは地上に再来します。

 

この出来事、死から蘇えることが、仏教、イスラム教、ユダヤ教の違いなのです。そしてそのことによって、私達人間もアダムの罪を洗い、死んだ状態から生まれ変わるのです。これが「新生」と言われるのです。

ヨハネの福音書第5章24節「私の言葉を聞いて、私を遣わした方を信じる者は、永遠の命を持ち、裁きに会うことがなく、死から命に移るのです。」、更にヨハネの福音書第3章3節 、「誠に、誠に、貴方がたに告げます。人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と記載されて居るように、イエスを通して神の祝福を信じることで、恵みを得られ、救われるのです。

この「神の恵み」があるお陰で、私達は私達が犯した罪を流れ落としてくれ、新しい人生を送る事が出来るのです。この新しい人生が、人間が何故、何のために生きているのかを知るための、一番重要なことなのです。即ち神の意向にあった生き方をすることで、幸せをつかむ事が出来るのです。

ですので悪くない奴らが成功するためには、新しい人生を受け入れることから始まるのではないのでしょうか。古い自分を捨てること、そしてイエスを受け入れ、義にかなった生き方をすることです。

 

イエスを受け入れることは簡単です。しかし、神の法廷においては、誰も(金持ちであろうと、貧乏であろうと)同様に裁判されることを知って置いてください。法廷での裁判官は神で、検察官は悪魔=サタン、そして弁護士がイエス・キリストなのです。

ではちょっと法廷をのぞいて見ましょう。

私達が法廷に立たされています。そしてサタンが私達の罪状を神に言い立てます。罪状の根拠は律法です。イエスが私達人間のために無罪を主張、そしてイエス自身が、その罪の身代わりとなってくれているのです。そのことによって人間は、罰を受けなければならなかったのですが、イエスの弁護によって地獄刑から無罪となったのです。

バイブルには、はっきりと私達人間を無罪にしてくれた事を描いています。

ローマ人への手紙第3章23~24節、「全ての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けるには程遠い存在です。しかし、キリスト・イエスを信じるなら、罪の無い者と宣言してくれるのです。このキリスト・イエスが、恵みにより、無償で私達の罪を帳消しにしてくださるからです。」

第2のコリント人への手紙第5章21節、「神は、罪を知らない方を、私達の代わりに罪にされました。それは、私達が、この方にあって、神の義となるためです。」

だといって悪いことをしても良いと言う事ではありません。アダムとエバに与えられた罪が無罪となったのです。勘違いをしてはいけません。

 

ですので黄金律(ゴールデンルール)に記されている事が、私達が神からの愛を受け入れることであり、「神の恵み」に素直に生きる為の言葉なのです。 

マタイの福音書第7章12節、「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり、預言者です。」

ルカの福音書第6章31節、「自分にしてもらいたい望むとおり、人にもそのようにしなさい」

これが悪くない奴らが最後の審判を受けたときに、無罪になるための、人生の生き方なのです。無罪になるように一生懸命神の言葉を実行して、成功してください。

 

そして神に感謝、感謝、感謝です。


悪くない奴らが成功するには、天地創造の神を知ること 

2013-03-11 14:00:09 | 成功法則

日本には神道(神社)と仏教(お寺)とがあり、神は生きている人間を守り、仏は死んだ人間を守るという信仰が昔からあります。そして結婚式は神道で、葬式は仏教でというのが普通に行われていますが、他の世界ではこのような儀式は一切見られません。 

更に日本人は先祖を神として拝み、利益となるものは何でも神扱いにして偶像化して拝んできました。そして八百万の神を創り上げてきたのです。その根本は、目に見えない何かによって、生かされているという敬虔な祈りの心が、宗教儀式と変化してきたわけでしょう。

 日本の歴史上、天皇が神であることがそれを物語っているのです。これはローマ帝国の時代の帝王であったり、エジプトのファラ王が神であったことと同じでしょう。 

さてバイブルの神はどのように描かれているのでしょうか? 

旧約に表現されている神は、天地創造(宇宙、人間、動物、自然などなどを作った)の神という紹介をすることであり、唯一であり、全知・全能であり、アルファ・オメガ(最初であり最後)、無限であり、絶対的な存在で、全ての神々を超越した存在で、他の神々と比べることの出来ない巨大そして強大な神なのです。そのために妥協と言うことを一切しなく、人間に対して戒律・律法を与えた神なのです。

 

新約で表現されている神は、イエス・キリストであり、神の唯一の息子であり、神自体であることなのです。そして人間に対して愛・恵みを与えてくれたのです。

 

天地創造の神は、まずは生き物を創らず、波動・エネルギー(聖霊)で地球を覆いました。しかしそのエネルギー(聖霊)は孤独なものであったわけです。そして神は地上に生命体を誕生させて行ったのです。 

創世記第1章3節には、「地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた」とあります。そして、唯一の神が行動を起こします。 

創世記第1章3節には、「神は光あれと言われた。すると光があった。神はその光を見て良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。」と有ります。これが唯一の神の第1日目の働きでした。 

唯一の神は、神の原理原則によって、光を創造したのです。 この神の原理原則とは、ある法則のもとに正確に運行して行くことなのです。

 

そして現在、科学はこの神の原理・原則、即ち神の創造の神秘に気がつくようになって来ていて、神や霊界を否定できないところまで来ているのです。 

またこの地球は、太陽系の中にあって生物が生存するたった一つの星なのです。唯一の神はこの地球を創造して、生物を誕生させたのです。光とは、太陽であったのです。そして生物が存在できるための条件として、太陽と地球との遠心力と求心力の微妙な関係を創り、絶対的な相対関係を創り上げているのです。そのことによって地球は太陽の光の影響の効果を最大限に得られ、自然界そして生物が繁殖する事が出来るわけです。そして奇跡的な神の原理・原則によって見事な調和を成して地球は存在しているのです。

 

その完璧な調和の中に人間は、生きているのです。即ちアダムとエバを創造したのです。

 

さて現代の科学は、「生命はその母体となる存在なしには生じない」と証明しています。更に、 現代の地球物理学者が解明した創造過程とバイブルの天地創造の六段階期間は、ほぼ一致していることが判明しています。 

創世記の第1章26節に、「我々の容に、我々に模って人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地の全ての獣と、地の全ての這うものとを治めさせよう、神は自分の容に人を創造された。即ち、神の容に創造し、男と女とに創造された」とあります。 

無機物から有機物へ、無生物から生物へ、植物から動物へ、下等動物から高等動物へと 順に造られました。初めに、あらゆる生物が生きる環境を造り、そして人間を造られ たのです。万物の相互関係は命の関係で結ばれているのです。唯一の神は、完全で緻密な計画と設計の上で、この世を美しく調和あるものとして創造されたのです。

そして唯一の神は、人間に対して使命、役割を与えたのです。それはあらゆる被造物の上に立ち、これを治めるという重要な働きなのです。ここで重要なことは、人間は唯一の神の創造物の管理者とされたのです。更に、神は男と女を創ることで、生めよ増えよ(繁殖)と命じて居るのです。即ち、人間の基本的な生き方(役目)を与えたのです。

 

現在のカレンダーは、この創世記の唯一の神が6日間で万物を創造、そして7日目に休息した7日間の出来事を元にして造られているのです。ご存知のように、日曜日が7日目の日で、神が人間を休ませるための「休息日」から取られているのです。

 

唯一の神が人間を創造した目的・理由は、神を感知、理解、讃え、即ち神(聖霊)との交わりを持つことで、この唯一の神に感謝すること、そして、唯一の神の栄光を現すために創られたのです。そしてこの創世記は、「人間がどう生きるべきか」を示す書物なのです。 

第一のテモテへの手紙第4章4節、「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。」と有ります。 

人間は唯一の神の愛の対象として、神の愛を理解できるように造られていることを忘れてな成りません。私達は唯一の神の愛を知ること、そして神の愛を受けている実感を持つことです。そして、唯一の神の愛を楽しみ、唯一の神を愛する喜びを持ってこそ、本来の人間であり、これが人生の成功をすることの第一の成功法則なのです。そして唯一の神の特別な贈物は、祝福と恵みを、バイブルを通して知って下さい。

 

人間は何のために生きるのか。これが人生最大の問題です。 

そして神に感謝、感謝、感謝することです。


悪くない奴らが成功するには、恐怖心を無くすこと (2) 

2013-03-04 20:02:08 | 政治

先週、書いた記事の続きですが、恐怖感を取り除くことが出来ないで、失敗を重ねている人たちが多く見かけられます。そのために恐怖感から勝つことに関しての続編と成ったわけです。 

前回にイザヤ書 41章10節を記載しました恐れるな。私は貴方と共にいる。たじろぐな。私が貴方の神だから。私は貴方を強め、貴方を助け、私の義の右の手で、貴方を守る。」とあります。 

神は、私達に対して「恐れるな、私は貴方と共にいる」と声をかけてくれていることを信じてください。そのことは、自分1人の力では解決が出来ない困難なことがあっても、神は常に一緒に居てくれるのです。このことを忘れてはなりません。なぜならば、神は遍在であり、全知全能なのです。その神を頼りにすることで、恐怖心を無くし、希望が開かれるのです。

ソロモン王の栄華がユダヤ教以外の信仰を黙認することで、神の怒りを受け、王の死後、イスラエルの国は南北に分かれてしまっています。それは神への恐れを知らなかったことから起こっています。唯一神から離れてしまったイスラエル選民への、神の怒りでした。 

その結果、北のイスラエル王国は紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ、南のユダ王国は、紀元前609年にメギドの戦いでエジプトに敗北、そしてその後紀元前587年に新バビロニアの侵攻に会い、翌年にはユダ王国が滅亡して、多くのユダヤ人民が奴隷としてバビロンに囚われた頃なのです。これを歴史上、バビロン捕囚といわれています。

 

そのような状況下、預言者イザヤは神との交話をしながら、ユダヤ人民(神に選択された民族)に対して警告、励ましの言葉、そして預言をしていたのです。上記の言葉はその時に、ユダヤ民族に対して「恐怖心」を取り除くために使われた言葉だったわけです。

 

捕虜になったユダヤ民族達は、恐怖心、心配、マイナス思考、などによって、夜眠ることが出来かったり、食事も喉を通らなかったりしたと思います。その事が下で病気になって死んでしまう大人や子供が沢山居たと思います。

また、第二次世界大戦でナチの捕虜となって強制収容所に送られたユダヤ人なども同様、毎日恐怖心に襲われていたのでしょう。そして逃げる事が出来ない恐怖心は、死に追いやってしまったのです。

 

人間は、絶望し・挫折・悶苦、そして最後に神に救いを求めます。そして人間は自分が救われたいが故(自己救済)、信仰心を持つのです。この信仰心が、恐怖心に勝つ唯一の方法なのです。神は、慈悲・自愛の存在なのです。その神に恐怖心を獲ってもらうのです。

また現代病の多くの原因は、信仰心の欠如から来ていることを認識してください。自己の世界は、精神世界であり、善や悪の根源なのです。そして気の病気即ち自己の分裂であり、悪魔が自己の分裂をさせているのです。そして私達を、神から遠ざけるのです。 

気の病気を癒すことができるのは、信仰心以外に無いのです。薬物は一事的な治療法でしか過ぎないのです。恐怖心は気の病気つまり悪の根源なのです。ですので、信仰心がなければ救われないのである。 

現代人の病気は、傲慢・驕慢・嫉妬・妬み・恨み・虚栄心・欲望・我が儘・孤独・脆いなどがあり、弱い自分を直視し、死に直面する事がないようにする力を、信仰心によって造るしかないのです。そして神を信じることで、自己を取り戻させるのです。 

恐怖心は悪・サタンが創ったものなのです。人間が創造されアダム・エバの罪によって、罪は現代でも残っているのです。ですので人間は、神のみによって救われるのです。その神を信じるときに、恐怖心がなくなるのです。 

最後にテモテの第二の手紙第1章7節から神が私達に下さったのは、臆病な霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである」とあります。 

神からの言葉は私達を臆病にさせるためではなく、力と愛と慎みを与えてくれたのです。それは私達が恐怖心・悪に勝つための霊なのです。 

ですので、私達は恐怖心・悪に勝つ事が可能なのです。そして神に感謝、感謝、感謝です。

 


悪くない奴らが成功するには、奇跡が起こることを信じること (2)

2013-03-03 23:42:50 | 成功法則

昨日は旧約から取り出した「奇跡」を記載しましたが、今日は新約即ちイエスの起こした「奇跡」を照会しましょう。それらの「奇跡」は確実に37件以上新約に記録されているのです。

私の解釈から順番に記載していきますので、実際に起きた時間とは違っていますが、バイブルの章を入れてありますので、是非時間が有ればバイブルを手にとってそれらの章を読んでみてください。そのために章だけで節は入れてません。少し長いかもしれません絵がほとんどなので解りやすいかもしれません。

                

マリヤの処女懐胎: マタイの福音書第1章20節、ルカの福音書第1章35節  

 

カナの婚礼(水をぶどう酒に変える): ヨハネの福音書第2章

 

嵐を鎮める: マタイの福音書第8章、マルコの福音書第4章、ルカの福音書第8章

 

5千人分の給食: マタイの福音書第14章、マルコの福音書第6章、ルカの福音書第9章、ヨハネの福音書第6章

 

4千人分の給食: マタイの福音書第15章、マルコの福音書第8章

 

海上進行: マタイの福音書第14章、マルコの福音書第6章、ヨハネの福音書第6章

 

イチジクの木を枯らす: マタイの福音書第21章、マルコの福音書第11章

死にかけていた王室の役人の子を癒やす: ヨハネ福音書第4章

かつがれて来た中風の病人の癒やし: マタイの福音書第9章、マルコの福音書第2章、ルカの福音書第5章

 

ライ病の病人の癒やし: マタイの福音書第8章、マルコの福音書第1章、ルカの福音書第5章

 

ローマ百人大長の中風の家来を癒やす: マタイの福音書第8章、ルカの福音書第7章、ヨハネの福音書第4章

 

ペテロの義母を癒やす: マタイの福音書第8章、マルコの福音書第1章、ルカの福音書第4章

 

悪霊に取り付かれたガラダの人を癒やす: マタイの福音書第8章、マルコの福音書第5章、ルカの福音書第8章

 

12年間出血が止まらない女性を癒やす: マタイの福音書第9章、マルコの福音書第5章、ルカの福音書第8章

 

盲人の目に触れ癒やす: マタイの福音書第9章

唖者の人を癒やす: マタイの福音書第9章

 

38年間病気の人を癒やす: ヨハネの福音書第5章

安息日に腕の曲がった人を癒やす:マタイの福音書第12章、マルコの福音書第3章、ルカの福音書第6章

 

安息日に腰の曲がった女を癒やす: ルカの福音書第13章

 

ゲネサレの群集を癒やす: マタイの福音書第14章、マルコの福音書第6章

 

カナンの女の娘を癒やす: マタイの福音書第17章、マルコの福音書第7章

 

耳が聞こえず舌の回らない人を癒やす: マルコの福音書第7章

 

ベトサイダの盲人の癒やし: マルコの福音書第7章

 

癲癇で苦しむ子供を癒やす: マタイの福音書第17章、マルコの福音書第9章、ルカの福音書第9章

 

ペテロが4つ貨幣を魚の口から見つける: マタイの福音書第17章

 

安息日に水腫をわずらっている人を癒やす: ルカの福音書第14章

 

十人のライ病を癒やす: ルカの福音書第17章

 

生まれつき盲人を癒やす: ヨハネの福音書第9章

 

ジェリコの町の近くの盲人を癒やす: マタイの福音書第20章、マルコの福音書第10章、ルカの福音書第18章

 

友人ラザロを墓から蘇生させる: ヨハネの福音書第11章

 

祭司長の僕の耳を癒やす: ルカの福音書第22章

 

153匹の魚を獲る: ヨハネの福音書第21章

 

ヤイロの娘を蘇生: マタイの福音書第9章、マルコの福音書第5章、ルカの福音書第8章

 

ナインの息子の蘇生: ルカの福音書第7章

 

イエスの変容: マタイの福音書第17章、マルコの福音書第9章、ルカの福音書第9章、第二のペテロの手紙第1章

 

バイブルの「最後の奇跡」として挙げられるのは、イエスの復活でしょう。この出来事は、バイブルの福音書の全てに描かれているのです。

イエスの復活: マタイの福音書第28章、マルコの福音書第16章、ルカの福音書第24章、ヨハネによる福音書第20章

 

現代では「奇跡」は起こらないと思っている人達が沢山居ル様ですが、今までの自分の人生を振り返った場合、自分を見つめた場合など、以外と言ってよいほど「奇跡」が起きているのです。

「奇跡」は必ず起きます。是非、「奇跡」を経験してください。そしてその「奇跡」を起こさせた神に感謝、感謝、感謝です。

 


悪くない奴らが成功するには、奇跡が起こることを信じること(1)

2013-03-02 19:45:53 | 成功法則

復活祭(イースター)が3月31日、日曜日に開催されますが、その前に米国のヒストリー・チャネルで、3月3日から「ザ・バイブル」、創世記から始まってヨハネの黙示録の物語が5週間合計10時間の映画が放映されます。

 

ハリウッドがバイブルに関して大作映画を沢山残していますが。今回の10時間と言う長い映画は初めてなのです。他の映画は劇場での公開ですが、今回のバイブル物語はケーブルテレビとDVDでの公開となっています。日本語化されていませんが将来その可能性はあると思います。

ヒストリー・チャネルのトレーラーは、http://www.history.com/shows/the-bibleから、

ユーチュブは、https://www.youtube.com/watch?v=1hThfoBzWxwから見られます。

さて「奇跡」の話に入りますが、まずは「奇跡」とは何なのでしょうか?

まずは「奇跡」の説明をニコニコ大百科から一部取り入れます。

「奇跡」とは通常では起きないような事が起こること。(例:宝くじが当たるなんてまるで奇跡だ)そして、神が起こす現象。(例:神が奇跡を与えた)と記載されています。

「奇跡」とは「起こり得るが極めて可能性が低い事象が起きること、または科学的に説明のつかないような要因で可能性が低いことが発生すること」の雅称であり、普通は良いほうが起きた場合の意味で使われることが多い。 超低確率な側が発生した場合でも、発生事象に科学的な説明がつく場合は「奇跡的」とあります。

宗教上での「奇跡」は、聖人や預言者が起こす、あるいは書物の上で起こしたことにされている科学では説明のつかない不思議な力のことであり、多くの宗教ではこれを「神(あるいは徳や信仰)によるもの」としています。

さてバイブルには色々な奇跡の話が沢山記載されていますので、一部を紹介しましょう。

バイブルに記載された「奇跡」は、自然の法則を凌駕する力、常識を超えた超常識の世界なのです。そして実際上起こった奇跡であり、そのことを信じるか信じないかは、私達の選択意となっています。

魔術・マジック: 仕掛けがあるために何回も繰り返しが可能。

「奇跡」: ある状況でただ一度の出来事であったことで、二度と同じ奇跡の記事は出てこない。

創世記と出エジプト記には色々な「奇跡」が記載されています。以下はそれらの「奇跡」の出来事です。

天地創造: 創世記第1~2章

 

アダムとイブ: 創世記第2~3章

 

ノアの箱舟: 創世記第6~10章

 

バベルの塔: 創世記第11章

アブラハムとサラ: 創世記第12~13章

 

ソドムとゴモラ: 創世記第18~19章

 

イサクの生贄:創世記第22章

 

ヤコブの階段: 創世記第25~33章

 

モーセと燃える柴: 出エジプト記第2~4章

 

アロンの奇跡: 出エジプト記第7章

 

エジプトの10の災い: 出エジプト記第5~12章

 

エジプト脱出: 出エジプト記第12~14章

 

十戒: 出エジプト記第19章~40章

 

ジェリコの壁の崩壊: ヨシュア記第6章1~7節

 

以上のように旧約には沢山の「奇跡」が、記載されているのです。これらの話を、率直に信じることは、キリスト信者以外の人達には理解できないと思われますが、科学的に証明されている部分も沢山あるために、バイブルを一読して見て下さい。きっと何かがひらめくと思います。そして神の存在を味わって下さい。 

神の存在を信じていない方々は、何故バイブルが歴史上一番売れている書物なのか、不思議に思われませんか?この不思議さを研究するだけでも、面白いのではないのでしょうか? 

その不信感がもとで、バイブルの調査をしたのが、映画の「ベン・ハー」の本を書いたルー・ウォーレスなのです。彼はまったく神を信じていなかったのです。そしてキリスト教を批判していたのです。 

彼は学者であったために、「アメリカからキリスト教会を抹殺してしまうような本を書きたい!」と友人達に誓いを立て、キリストの生涯の地イスラエルに飛んで、そこでキリスト研究に5年もの間、一心不乱に研究に没頭したのです。 

その膨大な資料の 「キリスト教撲滅論」の第2章を書いていた夜のことでした。彼は突然ペンを投げ出し、ひざまずいたのです。そして、憎しみの対象のキリストに向かって、「わが主よ、わが神よ」と叫んで、その後、彼はその場でクリスチャンになる決心をしたのでした。そして歴史上比類のない小説を書き上げたのです。それが「ベン・ハー」 なのです。  

これが、「奇跡」なのです。イエスは世界を変えた人なのです。そしてルー・ウォレスがキリスト信者となったその証拠として(緑の牧場キリスト教会から):

1)  キリストの誕生は、クリスマスとして、全世界で祝われている。

2)  イエスが神の子であり、救い主であることを自分自身で宣言している。

3)  キリストの生涯には、愛から出た数々の「奇跡」が記録されている。

4)  キリストの復活の後、弟子達が完全に生まれ変わっている。

5)  復活の証言を見たほとんどの弟子達は殉教している。

6)  キリストを信じる人々は、ふしぎに変わっていく。 

7)  自分を嫌いだった人が、自分を受け入れ、自分を愛するようになる。

8)  他人との比較を捨てて、自分自身に生きるようになる。 

9)  敵を愛し、敵のために祈るという、信じられないような隣人愛が生れる。 

「奇跡」は神の力によって起こるのです。神は私達を神の形をまねた創造物なのです。そしてイエスは自分から十字架に架り、血を流して、私達の罪を綺麗にしてくれたのです。それが本当の「奇跡」なのです。 

ですので神に感謝、感謝、感謝してください。必ず貴方にも「奇跡」は必ず起こります。