今朝は5時半頃に一度目が覚めたのですが、結局8時頃までお布団の中でダラダラ過ごしました。朝ごはんはベースブレッドで軽めに。
9時からの【日曜美術館】は熊野特集。熊野速玉大社をはじめとする熊野三山巡りです。あの辺りも、仏教よりもいわゆる神道よりも古い信仰が古層にありそうだという気がします。
その勢いで中上健次関連記事や生前の担当編集者たちによる回想、インタビューなども読み漁ってしまいました。中上健次もちゃんと読みたいのですけどね。
午前中は洗濯。今日は比較的温かいです。
昼前から午後にかけてはまず蔵書整理。そして本格的衣替えをやっと終えました。10月どころか11月にまで夏日やそれに近い天気の日があって、着るもの全て入れ替えることができなかったのです。
本の方は、亡夫の蔵書をかなり処分しました。やっとと言うか、ついにと言うか。バーコードの付いていない本はネットオフやバリューブックに送ることもできず、また積年の汚れなどで状態もあまり良くないので、古紙回収に出すしかありませんでした。ハードカバーのハヤカワSFや科学関連の読み物が中心です。SF古書専門店に送ろうか、古書センターなどに持って行こうか——と数年間考えていましたが、そのための労力や送料などを考えると……
SFも「最新の科学情報」も、実際に「未来」になってみれば古びてしまうのですよね。たとえば恐竜絶滅に関する「ネメシス」の存在など、今や見向きもされなくなっていますし。
いつか子供たちが読むこともあるかも、と思って取ってありましたが、二人とも家を出た今となっては場所ふさぎなだけです。本を「捨てる」ことに罪悪感はありますが、やむを得ません。
亡夫の蔵書で手放したいものはまだあり、また自分の本で処分したいものも多々あります。20年くらい前の子供の遊び場情報やガイドブック、それに育児本など、さすがに不要となりました。それは次回までにまとめておきます。
お昼は家にある冷凍おこわにぎりなどで軽く済ませましたが、作業の合間にティータイムもちゃんと設けました。シュトレンを相変わらず少しずつ食べ続けています。
古紙回収のステーションまで何往復もしてヘトヘトになりつつ、ちょっと早めに晩ごはんも作りました。マルちゃん正麺の味噌です。炒め野菜セットを炒め、切り落としチャーシューや味玉ものっけて本格的な味噌野菜ラーメンができました。
シャワーの後は大河ドラマ『光る君へ』最終回。サブタイトル「物語の先に」。本日はいつもより長い1時間枠です。
前回の終わりに「あなたと殿はいつからなの?」と倫子様に問われたまひろ。男女の仲ならば妾(しょう)になってくれてもいいのよ?と持ちかける倫子様に、まひろはこれまでのことを殆どすべて、淡々と語って聞かせる。
どこの誰とも知らなかった「三郎」との出会いから始め、その三郎の兄・道兼に母を殺されたこと。無惨に殺害された友(直秀)を二人で葬ったこと、二人で宇治川に流されても良いと思ったことまで。
二人の関係は見抜いていても、次から次へと思いもよらぬことを聞かされる倫子様の心中やいかに……ただの男女の仲ではなく、自分が知るよりずっと前に出会っていた幼馴染であり、死の影も多くの罪も共に背負う「ソウルメイト」。その上、娘・彰子の心まで奪っていった相手。最高権力者の妻として盤石に見えたこの世界が、実はまひろの掌の内にあり、元より自分の居場所はなかったと思い知らされた、その絶望はいかばかりか。それでも声を荒らげたり怒り狂ったりすることがない倫子様は立派でした。
そして、まひろもさすがに賢子の実の父親が誰であるかまでは明かさなかったのですね。
その賢子は、嬉子と敦良親王の子である親仁親王(のちの後冷泉天皇)の乳母に大抜擢される。公卿たちも世代交代が進み、すっかり年老いた左大臣・顕光が関白頼通から引退を勧告されたり、その後釜を道綱がねらって道長に「大臣にして」などと頼みに来たりする。当然却下。ご本人も既にご老人なのにカワイコぶる道綱兄上ですが、そんな兄を道長は「嫌いにはなれませぬ」そうです。
また賢子は政治の中枢に関わり始めた何人もの貴公子たちと浮名を流すようになる。「おんな光る君」と自認するだけのことはあります。
公任や行成は一線を退き、道長世代で残っているのは斉信と実資くらい。公任もまた出家していた。道長を囲んで歓談する四納言たちの話題も「近頃トイレが近くなって」などという色気のないことばかりだが、年長の俊賢は意気軒昂なところを見せる。
その俊賢と明子兄妹も、俊賢の働きもあって明子の子たち共に今は安泰そうで何よりです。「大河ドラマ・ガイド」によると、俊賢さんは道長が望月の歌を詠んだ直後くらいに引退すると書かれていましたが、最後までご活躍で、この人がちょっと贔屓だった自分も嬉しいです。
実家に隠棲するまひろの許には、市場で知り合ったという少女が頻繁に訪れていた。作者が目の前にいるとも知らず『源氏の物語』論を滔々と語るその少女は菅原孝標女。もちろん後の『更級日記』作者である。彼女は「幻」が書かれなかったことが不満そう。
孝標女と入れ違いのように訪れて来たのは清少納言ことききょう。定子様なき後は自分ももう何も書くことはないと言うききょうですが、中関白家没落により疎遠になった二人が、また「まひろ」と「ききょう」として語り合い、「わたしたちけっこうスゴかったじゃない?」と笑い合えるようになって良かったです。
しかし、道長の末娘であり親仁親王の母である嬉子は出産直後に薨去。次女の妍子も世を去る。道長と倫子の嘆きはひとかたならず、赤染衛門はそのことも『栄花物語』に記していた。衛門の髪が灰色になっているところに時の流れを感じます。
ほどなくして道長も病の床に臥す。その手に五色の糸が結ばれる頃、倫子が百舌彦を介してまひろを迎えに来る。道長の許に来てほしいと——
最期にまひろに会わせてくれるとは、何と人格者なのでしょうか。
病状が悪化し、もはやまひろの顔も判らない状態の道長に、まひろは一日に少しずつ「物語」を語り聞かせ始める。貧しい家の末っ子として生まれた少年「三郎」の物語。あり得たかもしれない彼らの物語を、まるでシェヘラザードのように「つづきはまた明日」と——
実際の道長の臨終は、それは無惨な有りさまだったという記録が残り、またこの頃になれば、僧たちが大勢集まって連日連夜読経を続けていたと思われます。でも、こうして「物語」とそれを語るまひろの声によって命を支えられ、「物語」に送られ、物語の世界へ旅立ってゆくのもまた美しいです。最期の最期は倫子様が見届けたようですが。
そして道長逝去とまさに同日、行成も世を去りました。どちらも実資殿が『小右記』に書き記してくれています。涙を流しながらそのことを書く実資殿。ロバート秋山さんの実資殿、当初はネタキャラかと思わせながら、この人の存在こそまさに作品の要となりました。藤原実資と聞けば、もはや秋山さんのお顔しか思い浮かばなくなっています。
最愛の人を喪い、まひろはこれまで詠んだ歌をまとめた歌集を賢子に託して、また旅に出る。今に残る『紫式部集』である。供を務めるのは「置いていかないでください」と懇願する乙丸。妻のきぬさんは先に亡くなったようです。家には少し認知障害が出始めたいとさんが残ることになりますが、出家したとは言え父・為時はまだまだ元気で、家を守ってくれそうです。
共に年老いた主従のほのぼの二人旅。その姿で「完」になるかと思いきや、二人の脇を駆け抜けて行く騎馬武者たち。その中の一人が馬を止めて振り返る。鎧を身にまとい、すっかり武者姿が板についた双寿丸だった。東国で起きた乱を平定に向かうところだと言う。再び駆け去る彼らを見送り
「道長様、嵐がくるわ」
と呟くまひろのアップで終わり。「終」も「完」もなし。「物語の先に」とは、そういうことだったのでしょうか。
この乱とは、房総三カ国で起きた「平忠常の乱」らしいです。将門の乱以来の大きい反乱で、朝廷が討伐軍を送るも、鎮圧まで3年かかったとか。その平忠常の子孫に当たるのが『鎌倉殿の13人』でも強烈な印象を残した上総広常だそうです。
こうして時代は武士と戦さの世に移り変わってゆくのですね。まさに「平安時代」の終わりを告げるようなエンディング。見事でした。
一年間続いた『光る君へ』、本当に面白かったです。ダレるところも、こちらが飽きることも一切なく、楽しませていただきました。大石静さんの脚本はもちろん、衣装やセットなどの美術も演出も素晴らしく、最初から最後まで完成度の高い作品でした。もちろん出演者の皆さんも。定評ある実力派俳優さんやベテラン俳優さんたちだけでなく、若い俳優さんや先に挙げたロバート秋山さん、ファーストサマーウイカさん、金田哲さんなど意表をついたキャスティングの皆さんもぴったり役にはまって、全員ハイレベルでした。
実のところは一年では足りず、もっとこの人たちを見ていたかったし、扱われなかった史実のエピソードや、もっと掘り下げてほしい話なども(決して不満ではなく)ありましたが、トータルとして大満足です。一年間ありがとうございました!
大河の後はEテレで【クラシック音楽館】。N響と桂冠名誉指揮者ブロムシュテットさんでシューベルトの交響曲第7番「未完成」と第8番。
その後は再びNHKで『坂の上の雲』。「子規、逝く」後編。本放送の時もとてもつらい回でした。香川照之さん入魂の演技も、律さんの菅野美穂さんも素晴らしいだけに。そして日露開戦に向けて盛り上がる世論の中、今は地元で農業に専念する乃木希典にも戦争の影は忍び寄っていた——
戦争と共に年を越すのもなぁ……と思いますが、今年中に開戦まで進むのでしょうか。