ときどき
朝ずいぶん早く目が覚め、お布団の中でネット記事を眺め、またウトウトしてから適当なところで起きて朝ごはん。
少し休んで、日が差してきたので洗濯。また少し休んでお昼ごはん。
午後はまたゴロゴロしながら本を読んだりネットを覗いたりして晩ごはん。久しぶりに平野レミさんレシピの「豚眠菜園」を作りました。昔のクッキングブックに載っているものと現在サイトに上がっているものは少し作り方が違うようですが、本に従いました。蒸し暑いときなどにありがたいメニューです。お肉をさっと茹でたお湯からトマトと卵のスープも。自堕落に過ごした本日、夕食作りが唯一のクリエイティブな作業でした。
夜は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。サブタイトル「果たせぬ凱旋」。
まさにそのサブタイトル通り、鎌倉に戻れず都に留め置かれる九郎義経。頼朝も本心では九郎に戻って来てもらいたい。大江広元や義時も交えて考えたのが、伊予国の受領に義経を推挙すること。受領と検非違使との兼任はできないため、鎌倉に戻る口実ができる——と、義経が喜んだのも束の間、伊予守に任命されながら、後白河法皇の鶴の一声で検非違使にも留任することとなる。「前代未聞のこと」を何回も繰り返す九条兼実が面白かったです。
またも現れた叔父・行家に「頼朝は次は我らを討つつもり」と焚き付けられたり、正室・里と妊娠中の愛妾・静との板挟みになったりしながら、都で無聊をかこつしかない義経。
頼朝と義経を争わせようとする後白河院の意図に気づいた鎌倉方も、何としても義経を呼び戻したい。そこで阿野全成が、彼らの亡き父・義朝の菩提を弔うための長勝寺落慶法要に義経を招くという名案を出す。文覚が(また)持参した「亡き義朝公の髑髏」を納めることを、頼朝も今度こそ承知し、大義名分とする。
その意向を伝えるため義時が上洛。行家に「これは罠だ」と言われても、鎌倉行きの許しを得るため、後白河院の許へと赴く義経。ところが、いったんは許可を与えながら、法皇は突然体調を崩し倒れてしまう。もちろん仮病。しかし、その猿芝居に騙された義経はまた鎌倉へ戻れなくなる。
その頃、義経の正妻・里は土佐坊昌俊とその手下たちを雇い入れ、静への後妻打ちを依頼。静のことは「殺して良い」とまで言う。その場にいた義経により暴漢たちは撃退されるが、影で糸を引いていた行家が「あれは鎌倉方が送った刺客」と、またまた義経の不安を煽って挙兵を唆す。
土佐坊の襲撃については、本当に鎌倉の刺客だったとも、鎌倉の指令なく本人が率先して行なったことだとも言われているようです。いわゆる「堀川夜討」の場面ですが、ここでまた後妻打ちを持ってきたのが巧いですね。それにしても、政子と真逆の里ちゃんの愚かさと、余計なことしかしない行家叔父上に腹が立ちます。
ともあれ、行家と義経の要請に応じる形で後白河院は頼朝追討の宣旨を出し、対する頼朝もついに自ら大軍を率いて京へ攻め上ることを決意。
しかし、義経の鬼神の如き強さを知る御家人たちは出陣を躊躇し、梶原景時が名乗りを上げるも、追随する者がいない。義時から「縋るような目で」懇願された三浦義村が皆を鼓舞し、畠山重忠、和田義盛(いつもながら良いコンビ)も後に続く。
後になって義時にだけ「九郎に勝ち目はない」と告げる義村だが、その通り義経の許には兵が集まらず、焚きつけるだけ焚きつけた行家は、「おまえの戦には義がない」と義経に責任を押し付け、いつもながらの逃げ足の速さを発揮して出奔する。
「彼を味方につけた者は必ず負けるという死神のような男」——長澤まさみさんのナレーションが視聴者の気持ちを代弁してくれました。本当に、戦局を引っ掻き回すだけ引っ掻き回し、しかもそのことごとくが負け戦という、まさに死神と言うか、源氏にとっては厄病神の如き迷惑叔父上でした。ナレーションではその末路も少しだけ語られます。いわゆる「ナレ死」でしょうな。
結局義経も姿をくらまし、目論見が外れた後白河院は、今度は頼朝に対して義経追討の宣旨を与える。「もう一度お願いします」と何度も確認するのは、またも九条兼実卿。コントみたいなシーンでしたが、院の宣旨がコロコロ変わったのは事実ですし、魑魅魍魎跋扈するかの如き朝廷に於ける兼実卿の常識人ぶりも描かれていたと思います。
ともあれ、これで真の敵が何者であったか理解した頼朝は進軍途上で鎌倉に引き返し、義時と共に時政を京都守護という立場で上洛させる。
例によって「えー絶対無理」とか言いながら、いざとなるときっちり務めをこなす時政。義時も、頼朝追討の宣旨を出した責任を義経に押し付けようようとする「日の本一の大天狗」後白河院に詰め寄り、頼朝の意を伝え、畿内や西国を頼朝が統治すること、そのために地頭を設置することを認めさせる。
源頼朝、そして北条家が「政治」で天皇家を圧した、これが第一歩ということになるでしょうか。これまで武家を侮り、特に坂東の田舎武士たちを侮り、いいように人を操り弄んできた後白河院も、その向こうで真に恐るべき勢力や人物が育っていたことに初めて気づいたかもしれません。
その夜、宿舎で語り合う北条父子の前に現れたのは、逃亡中の義経。時政は、義経は九州へ落ち延びたと聞いているから、ここに来たのは真っ赤な偽者——という体で義経を迎え入れる。
何もかも失い、これからどうすれば良いのかもわからない、と嘆く義経を「自信をつけるのに一番大事なものは経験。まだまだこれからじゃ」と励ます時政の言葉が、温かく優しい。まさにツイッターで言うところの「時政パパ」でした。
それでも雪の中、一人去って行く義経の背中を見送ることしかできない北条父子——
ツイッターでも言われていたけれど、これまで「かつてない義経像」とか「バーサーカー」だとか評されていた義経が、こうして「悲劇のヒーロー九郎判官義経」に帰結するまでの45分間でした。
悪いのは義経でも頼朝でもなく、やっぱり後白河院と行家叔父上ですよね……
同じくツイッターで「モンゴルへ逃げて」とも言われていた義経。今週も奥州藤原氏の動向が少しだけ描かれましたが、次週は奥州落ちと、そして——
大河ドラマの後はEテレで【クラシック音楽館】。指揮者を立てず、コンサートマスター中心に話し合いで演奏方針を決めて行く「トリトン晴れた海のオーケストラ」によるベートーベンの第九。各パート、各演奏者の主張やそのすり合わせも、本番のマルチアングル映像も面白かったです。
朝ずいぶん早く目が覚め、お布団の中でネット記事を眺め、またウトウトしてから適当なところで起きて朝ごはん。
少し休んで、日が差してきたので洗濯。また少し休んでお昼ごはん。
午後はまたゴロゴロしながら本を読んだりネットを覗いたりして晩ごはん。久しぶりに平野レミさんレシピの「豚眠菜園」を作りました。昔のクッキングブックに載っているものと現在サイトに上がっているものは少し作り方が違うようですが、本に従いました。蒸し暑いときなどにありがたいメニューです。お肉をさっと茹でたお湯からトマトと卵のスープも。自堕落に過ごした本日、夕食作りが唯一のクリエイティブな作業でした。
夜は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。サブタイトル「果たせぬ凱旋」。
まさにそのサブタイトル通り、鎌倉に戻れず都に留め置かれる九郎義経。頼朝も本心では九郎に戻って来てもらいたい。大江広元や義時も交えて考えたのが、伊予国の受領に義経を推挙すること。受領と検非違使との兼任はできないため、鎌倉に戻る口実ができる——と、義経が喜んだのも束の間、伊予守に任命されながら、後白河法皇の鶴の一声で検非違使にも留任することとなる。「前代未聞のこと」を何回も繰り返す九条兼実が面白かったです。
またも現れた叔父・行家に「頼朝は次は我らを討つつもり」と焚き付けられたり、正室・里と妊娠中の愛妾・静との板挟みになったりしながら、都で無聊をかこつしかない義経。
頼朝と義経を争わせようとする後白河院の意図に気づいた鎌倉方も、何としても義経を呼び戻したい。そこで阿野全成が、彼らの亡き父・義朝の菩提を弔うための長勝寺落慶法要に義経を招くという名案を出す。文覚が(また)持参した「亡き義朝公の髑髏」を納めることを、頼朝も今度こそ承知し、大義名分とする。
その意向を伝えるため義時が上洛。行家に「これは罠だ」と言われても、鎌倉行きの許しを得るため、後白河院の許へと赴く義経。ところが、いったんは許可を与えながら、法皇は突然体調を崩し倒れてしまう。もちろん仮病。しかし、その猿芝居に騙された義経はまた鎌倉へ戻れなくなる。
その頃、義経の正妻・里は土佐坊昌俊とその手下たちを雇い入れ、静への後妻打ちを依頼。静のことは「殺して良い」とまで言う。その場にいた義経により暴漢たちは撃退されるが、影で糸を引いていた行家が「あれは鎌倉方が送った刺客」と、またまた義経の不安を煽って挙兵を唆す。
土佐坊の襲撃については、本当に鎌倉の刺客だったとも、鎌倉の指令なく本人が率先して行なったことだとも言われているようです。いわゆる「堀川夜討」の場面ですが、ここでまた後妻打ちを持ってきたのが巧いですね。それにしても、政子と真逆の里ちゃんの愚かさと、余計なことしかしない行家叔父上に腹が立ちます。
ともあれ、行家と義経の要請に応じる形で後白河院は頼朝追討の宣旨を出し、対する頼朝もついに自ら大軍を率いて京へ攻め上ることを決意。
しかし、義経の鬼神の如き強さを知る御家人たちは出陣を躊躇し、梶原景時が名乗りを上げるも、追随する者がいない。義時から「縋るような目で」懇願された三浦義村が皆を鼓舞し、畠山重忠、和田義盛(いつもながら良いコンビ)も後に続く。
後になって義時にだけ「九郎に勝ち目はない」と告げる義村だが、その通り義経の許には兵が集まらず、焚きつけるだけ焚きつけた行家は、「おまえの戦には義がない」と義経に責任を押し付け、いつもながらの逃げ足の速さを発揮して出奔する。
「彼を味方につけた者は必ず負けるという死神のような男」——長澤まさみさんのナレーションが視聴者の気持ちを代弁してくれました。本当に、戦局を引っ掻き回すだけ引っ掻き回し、しかもそのことごとくが負け戦という、まさに死神と言うか、源氏にとっては厄病神の如き迷惑叔父上でした。ナレーションではその末路も少しだけ語られます。いわゆる「ナレ死」でしょうな。
結局義経も姿をくらまし、目論見が外れた後白河院は、今度は頼朝に対して義経追討の宣旨を与える。「もう一度お願いします」と何度も確認するのは、またも九条兼実卿。コントみたいなシーンでしたが、院の宣旨がコロコロ変わったのは事実ですし、魑魅魍魎跋扈するかの如き朝廷に於ける兼実卿の常識人ぶりも描かれていたと思います。
ともあれ、これで真の敵が何者であったか理解した頼朝は進軍途上で鎌倉に引き返し、義時と共に時政を京都守護という立場で上洛させる。
例によって「えー絶対無理」とか言いながら、いざとなるときっちり務めをこなす時政。義時も、頼朝追討の宣旨を出した責任を義経に押し付けようようとする「日の本一の大天狗」後白河院に詰め寄り、頼朝の意を伝え、畿内や西国を頼朝が統治すること、そのために地頭を設置することを認めさせる。
源頼朝、そして北条家が「政治」で天皇家を圧した、これが第一歩ということになるでしょうか。これまで武家を侮り、特に坂東の田舎武士たちを侮り、いいように人を操り弄んできた後白河院も、その向こうで真に恐るべき勢力や人物が育っていたことに初めて気づいたかもしれません。
その夜、宿舎で語り合う北条父子の前に現れたのは、逃亡中の義経。時政は、義経は九州へ落ち延びたと聞いているから、ここに来たのは真っ赤な偽者——という体で義経を迎え入れる。
何もかも失い、これからどうすれば良いのかもわからない、と嘆く義経を「自信をつけるのに一番大事なものは経験。まだまだこれからじゃ」と励ます時政の言葉が、温かく優しい。まさにツイッターで言うところの「時政パパ」でした。
それでも雪の中、一人去って行く義経の背中を見送ることしかできない北条父子——
ツイッターでも言われていたけれど、これまで「かつてない義経像」とか「バーサーカー」だとか評されていた義経が、こうして「悲劇のヒーロー九郎判官義経」に帰結するまでの45分間でした。
悪いのは義経でも頼朝でもなく、やっぱり後白河院と行家叔父上ですよね……
同じくツイッターで「モンゴルへ逃げて」とも言われていた義経。今週も奥州藤原氏の動向が少しだけ描かれましたが、次週は奥州落ちと、そして——
大河ドラマの後はEテレで【クラシック音楽館】。指揮者を立てず、コンサートマスター中心に話し合いで演奏方針を決めて行く「トリトン晴れた海のオーケストラ」によるベートーベンの第九。各パート、各演奏者の主張やそのすり合わせも、本番のマルチアングル映像も面白かったです。