I am GOD'S CHILD
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field?
こんなもののために生まれたんじゃない
──「月光」:鬼束ちひろ
いやもう『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』のエリックを見ていると、この歌が思い出されて仕方ないのです。すみませんイタくて。
映画『ファースト・ジェネレーション』は、X-MEN結成の物語であると同時に、マグニートー誕生秘話でもありました。
ナチスのユダヤ人強制収容所で辛酸をなめたエリック・レーンシャーが、いかにして最強最悪と称せられるミュータント、マグニートーになって行ったかを描く物語でした。
エリックはまず被差別者、そして復讐者として姿を現します。ユダヤ人として収容所に送られ、その収容所内ではミュータントとして「実験用ネズミ」扱いされて来た彼は、二重の意味でマイノリティの苦痛を負わされた存在です。
更に母を、そしておそらく父も殺された彼が、いかに怒りや悲しみ、憎悪を育み、自らの内に蓄積させて行ったかは想像に難くありません。
そして彼には、この腐敗した世界の構図がよく見えてしまう。と言うより、既にそれでしか世界を把握できなくなっているのです。
即ち、多数の人間が少数者を圧殺して行く世界。誰かが一言「あいつらを殺せ」と言えば、多くの者がいとも容易くその方向へと進んでしまう世界。その「あいつら」が何であっても起こり得るし、理由さえも必要としない。
それは、第二次世界大戦から東西冷戦へと到る時代に於いては、特別悲観的な予想ではなく、既に多くの人が目にしてきたこと、またその先も起こり得ることだったはずです。事実ずっと後の時代になっても、世界中のあちこちで似たようなことが何度も繰り返されました。たとえば民主カンボジア、たとえば旧ユーゴ、たとえばルワンダ……
しかし、そうではない世界へと到るためにエリックが選んだ方法は、彼自身の経験と認識の枠を出ることはありませんでした。そこへ到る道筋はそれではない、とチャールズが幾ら言っても、彼にはもうその選択しかできなくなっているのです。
「個人を見ろ」とチャールズは言います。人間も一人一人は善良な心を持っている。軍隊であれば、現場の指揮官や末端の兵士などは「ただ命令に従っただけだ」と。
おそらくそれで踏みとどまる者もいるであろう言葉。しかし、これこそがエリックにとっては最も忌むべき言葉だったのです。
エリックの憎悪に最後の一押しをしてしまったのは、他ならぬチャールズでした。
それをアイロニーと呼ぶのはあまりに悲し過ぎますが、そのエリックが矛先を向けた場所にいたのは、個人的には戦争など回避したいと思いつつ任務を全うし、誇りを持って死を受け入れる覚悟を決めた人間たちでした。この一連の展開の凄絶さには言葉もありません。
こういう寓話があります。
ある黒人少年が「人間はみな平等だ」と言っていた。数年後に会った時、彼はこう言うのだ。「黒はいちばん美しい」と──
かくして暴力は連鎖し、復讐は連鎖して、エリックは自らが作った円環から、もう抜け出すことは出来なくなる。
ショウという怪物=創造主を倒して、エリックは自らが怪物になった。自分が最も憎んでいたものと同じ存在になってしまった。
チャールズは何度も、暴力の連鎖に取り込まれてはいけない、復讐は君の心に平安をもたらさない、と言い続けていたのに。
でも、チャールズの項でも書きましたが、真に人間離れした「ミュータント」なのは彼の方で、実はエリックこそが「人間的」感情で動いているんですね。自分が憎んでいるはずの人間の感情や行動様式に従ってしまっていることに、彼は気がついているのでしょうか。
ラストシーン、黒い檻の中にひとり立って「マグニートー」宣言をするエリック。それが彼です。
彼らについてはまだまだ書きたいことがありますが、それはまた改めて。
■当ブログの『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』感想■
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