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『ダークナイト』~二つの顔を持つ男

2008-08-18 23:53:38 | バットマン、ダークナイト
ときどき
衝撃の大作映画『ダークナイト』の重要なテーマの一つは「二面性」ということ。但しこれが単純な「善悪」二項対立などでないことは、ご覧になった人ならお判りでしょう。そう割り切れないところが、この作品の魅力であり、一部の観客にとっては居心地悪く感じられるものとなっているようです。
そして、それを象徴するのが言うまでもなくハーヴィー・デント検事(アーロン・エッカート)、のちのトゥーフェイスです。

『バットマン』のコミックや映画、テレビを読んだり観たりしたことのある人、シリーズに多少なりとも知識のある人なら、デント=トゥーフェイスであることは先刻承知の事実であり、例の両面コインの件も前半部に於いては嬉しいエピソードです。が、だからこそ、ハンサムで人望もある高潔な正義漢、「光の騎士(ホワイト・ナイト)」だった彼の文字通りの変貌ぶりや、彼のコインまでもがその意味を変えてしまったことが、とても痛ましく感じられるのです。

二度目に観た時、彼とバットマン、そしてゴードン警部補(市警本部長)の三人が顔を合わせるクライマックスシーンでは思わず涙が出ました。
物語の中盤で同じ三人が顔を揃えた時には、彼らは方法は違っても「正義」のために共闘する同志だったはずです。それなのに、トゥーフェイスと化したデントは、幼い子を人質にするような人間にまでなってしまった……
前半部のエピソードで、隠れた暴力衝動や、目的のために手段を選ばない性格なども描かれていたとは言っても、そこまで堕ちてしまうほど彼の絶望は深かったのだと思うと、あまりに痛ましく悲しいです。
「なぜこんなことに?」とは、デント自身やゴードンでなくとも問いかけたいことでしょう。

一方、ペルソナが内面を規定するというのが、ノーラン監督による『バットマン』シリーズの重要なテーゼの一つでもあることから考えると、デントは内面から彼を蝕むものによって堕落したのではなく、「あの顔」になったこと、まさにそのことによって「怪人」へと変貌した、なるべくしてそうなったとも言える訳です。
外見が内面の表象であること。それこそが「アメコミ」のヴィランのあるべき姿ですが、それとハーヴィー・デントという個人のドラマとを乖離させることなく、神話性さえ感じさせる悲劇として完結させた脚本・監督のノーラン兄弟の手腕は、前回のレビューにも書いたように「離れ業」としか言えません。

「ペルソナが内面を規定する」とはブルース・ウェイン=バットマン(クリスチャン・ベイル)自身にも当てはまる言葉ですが、実はそれは、『バットマン ビギンズ』に於けるレイチェルその人(この時はケイティ・ホームズ)の言葉でした。
しかし、ブルースはそれをレイチェルの真意とは逆に捉えているように思えます。
彼女は「バットマン」こそがブルースの真の姿であり、プレイボーイな大富豪のアホボンの方が仮の姿であると、ずっと言っているにも関わらず、『ダークナイト』のブルースは、自分がバットマンをやめたら彼女は戻って来てくれるだろうか……などと考えている始末です。考えが甘いと言うより、悪には強い彼も、レイチェルの前では頼りない「男の子」のままなのかも知れません。
そしてブルースは最後の最後までレイチェルの思いを誤解したままです。真実を知っているのはアルフレッドさんだけ。「人は真実だけでは生きられない」というバットマンの言葉が、ブルース自身にも当てはまってしまうのがまた切なくて、本当にこの作品は、どこをどう取っても剥いでも美味しいパイかミルフィーユみたいです。

余談ながら、アーロン・エッカート主演の『サンキュー・スモーキング』では、彼とケイティが恋仲──と言うか、一時のラブアフェアを持つ仲であったことが、いま思うとなかなか楽しいですね。

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