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今日も温かかったですね。温かいを通り越して暑いくらいで、昼間はコートも要りませんでした。
さて、クリント・イーストウッド監督の最新作『15時17分、パリ行き』を観て来ました。が……この作品については、何をどう語っていいか判らず当惑しています。
ヨーロッパ旅行を満喫中だった3人のアメリカ青年。幼なじみでもある彼らが、たまたま乗ったパリ特急列車で武装テロリストに遭遇する──単純に言えば、そういう内容の作品です。
注目すべきはその3人、スペンサー、アレク、アンソニーを演じるのが、現実にその事件を経験した彼ら自身であるということ。ちなみに、テロリストの銃弾を受けた被害者男性とその妻、犯人を取り押さえたもう一人の男性も、本人がその役を演じています。
※3/5 追記:更に、その他の乗客や車内販売の女性、駅で駆けつけた救急隊員や現地の警察官たちも、事件当時その現場にいたご本人たちが出演していたそうです!
そこだけ見れば、セミドキュメンタリーか、テレビ特捜部やアンビリバボーのようなテレビ番組の「再現映像」みたいなものと思われるかもしれませんが、これがちゃんと「映画」になっているという不思議。
英雄物語ではありますが、少年時代の回想を多く取り入れ、時制もシャッフルし、彼らのヨーロッパお気楽旅行にも観光番組かと思うくらい長く尺を取りつつ、いわゆる「ゼロ時間」へと到るという構成です。「その時」は、それまでの彼らの人生の時間に較べたらほんの一瞬。しかし、幼なじみとして過ごした楽しい時間も、その頃の、また離れ離れになり成長してからのつらかった思い出も、すべてがそこに繋がるのです。
武装テロリストに素手で立ち向かい確保したアメリカ青年たち。内ふたりは軍人であり、国威発揚映画として作ることも可能な素材でありながら、煽情的に何かが強調されるわけではありません。犯人と闘い取り押えるくだりも派手なアクションシーンとして撮られてはおらず、リアルな痛みが伝わってきます。
彼らを動かしたのは、信念や思想ではなく愛国心でさえない。ただ、その状況に際して本当に「体が動いた」だけのことかもしれない。しかし、それでいいのだと思います。彼らがそうしたのは「肉体的必然」または、それまでの人生の様々な局面を含め、まさに「彼ら」であったがゆえの必然だったのかもしれません。
とりわけ子供の頃から何をやってもうまく行かず、軍に入ってからも落ちこぼれてばかりだったスペンサーには、「無駄なことなんて何ひとつなかったんだ」と胸が熱くなりました。子供の頃からの彼の祈りは聞き届けられたのです。
イーストウッド監督作品は、背景に「神意」がほの見えることがあるのですが、この作品もまた、スペンサーというひとりの青年を通した「神意」の物語だったかもしれないと思いました。
それとは別にヨーロッパ漫遊部分がまた楽しそうでした。それこそテレビの紀行番組ではあまり見られない混雑っぷりなど観光地の様子が、あくまで若者たちの視点で描かれ、行く先々での「旅は道連れ世は情け」的な出会いも、何だかいいなあと思いました。束の間ではあっても、外国でのそういう出会いや見聞もまた、最後に彼らを動かす力のひとつとなったのかもしれませんね。
映画『15時17分、パリ行き』オフィシャルサイト
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