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シアター・クリエで上演中のミュージカル『シークレット・ガーデン』、この前の金曜日6月22日に観て来ました。当日はちゃんとした感想を書けなかったので、改めて。「ちゃんとした」ものにはなっていないと思いますが。
『シークレット・ガーデン』公式サイト
原作はフランシス・ホジソン・バーネットの『秘密の花園』。
英国の植民地だったインドで両親と暮らしていた主人公メアリーが、コレラ禍によって父母も使用人たちも次々世を去ったり病を恐れて屋敷を去ったりした後、本国に送られるところから話が始まります。血の繋がらない伯父アーチボルド・クレイヴンの広大な屋敷で生活することとなったメアリー。「可愛げない」子と言われ、事実心に不満や不安を抱えていた彼女ですが、ムーアの自然や動植物に触れ、また新たな人たちとの出会いによって次第に心を開いていく内、アーチボルトとその屋敷の悲しい秘密をも知ることとなります。
まず、原作では冒頭部にしか出てこない「インド」が、主筋に終始絡んでくることに驚かされます。メアリーの両親や乳母(アーヤ)、謎の苦行僧等、「ドリーマーズ」と名付けられた人たちが(生者も死者も共に)コロス的役割を果たし、回想シーンだけでなく「現在」の展開にもひと役買ったりします。同一空間内で「時間」を自由に行き来できるのは舞台ならではの強みです。
座長は石丸幹二さんですが、お話を進めるのは原作通りメアリー。何かと性格の悪さを指摘される彼女ですが、それはインドでは他人への接し方を学んでこなかったから。召使のマーサやその弟ディコン、庭師のベン等と触れ合い語り合う内に、その短所はむしろ「強さ」として働くようになります。出会った頃のコリンや、その主治医として彼女を排除しようとするネヴィル、彼が招いた女学校校長への啖呵など胸がすくようです。
それにしても、クライマックスシーンの「インド」炸裂には本当に驚きました。生命が本来内包する生きようとする力こそが「魔法」なのだ、という原作に対し、それを視覚的にわかり易く表現したということでしょうか。インドから彼らを「連れて」来て、その力をも借りることができるメアリーは霊媒師の素質があるのでは?
しかしそれは「何をしでかすかわからない子」と思われて、ネヴィルからは危険分子扱いされてきたメアリーの面目躍如たるシーンでもあります。そういう彼女だったからこそ、「秘密の花園」の鍵を見つけ、隔離され軟禁状態だったコリンの扉(現実でも比喩的な意味でも)をも開けることができたのです。
死んだ人たちの想いを「呪い」として祓うのではなく、狭い世界で心身ともに閉塞状況にあった人たちが、地続きの場所で彼らに見守られ、その愛を感じながら生きていくことを選ぶ心優しい物語でした。
メアリーとコリン、自分の観た日は池田葵さんと鈴木葵椎さんでした。どちらも声が美しく歌がうまいです。子役──と言うより子供役の役者さんあっての作品ですが、このたびは見事に成功したと思います。別の組み合わせで観るのも楽しみです。
ディコンの松田凌さん。正直言って歌はもう少し頑張ってほしいと思いましたが、演技はとても良かったです。12歳という原作の年齢設定より少し上かと思いますが、天真爛漫だけど決して「バカ」ではない自然児ぶりがチャーミングでした。
ディコンの姉でメアリーの召使マーサの昆夏美さんもとても良かったです。メアリーの頑なな心をまず解きほぐすのが彼女ですが、その明るさ、優しさ、そして強さでヨークシャー訛りと共に舞台をさらっていきました。原作ではこの姉弟の母親であるミセス・サワビーが重要な役割を担っているのですが、そういうスーパーマザーの力を借りず、あくまでもマーサとディコンでメアリーとコリンを支えるという脚色は正解だと思いました。
というところで、石丸さんのアーチボルド。体に障害を持ち「偏屈」「引きこもり」と言われていますが、石丸さんが演じるとやはり「いい人」感が出ますね。本来は優しく温かい心の持ち主なのに、自らの苦しみに囚われ、息子を愛しながらも接し方がわからない父親の姿が切なかったです。
アーチボルドの亡き妻リリーは花總まりさん。生身の人間ならぬ「夢の女性」としての雰囲気が素晴らしい。『モンテ・クリスト伯』の時もそうでしたが、石丸さんと声の相性も良いと思います。
しかしアーチボルドの弟にしてコリンの主治医たるネヴィル。彼の「兄嫁に密かな想いを寄せていた」設定は必要だったのかという根本的な疑問が……そうでもしないと、彼が屋敷にとどまり、コリンに或る意味執着する理由が弱いと思っての脚色かもしれませんが、ひとえに兄と甥の身を案じるがゆえ、でも良かったのではないでしょうか。もっとも、その設定があるからこそ、名曲「Lily's Eyes」も生まれたわけですが。
そして、某所では「身内のヤブ医者に仕切られてセカンドオピニオンが許されず、全員洗脳された状態」とか書かれている
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でも原作でも舞台でも、コリンの健康状態については「ロンドンの偉いお医者さん」が正しい診断をしているのに、それを斥けたのはネヴィルだし……
難しい役だと思いますが、ただの悪役にならなかったのは、さすが石井一孝さんです。
ラストのアーチボルドとネヴィルについては「あれは笑っていい所なの?」と困惑の声も上がっていますが、石丸さんの演技も初日とそれ以降とでは変えてきたそうですし、自分は自然に見られました。いえ、その日も笑いは起きていましたが、嫌な感じはしませんでした。それより、その件りのお二人が『スカーレット・ピンパーネル』のパーシー卿とショーヴランに見えて困ります
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原作は終章に到ってアーチボルドとコリンの物語として大団円を迎える反面メアリーの影が薄くなってしまったと指摘されますが、舞台はちゃんとメアリーの物語としても終わらせてくれてホッとしました。
セットは簡素に見えて変幻自在。ラストで見事に花開いた「花園」の美しさがいつまでも心に残ります。