ウォルター少年と、夏の休日 コレクターズ・エディションポニーキャニオンこのアイテムの詳細を見る |
学校の夏休みもそろそろ終わろうとしていますが、「子供(たち)の夏」を描いた佳作と言うと、近頃ではこの映画などでしょうか。
実は、ちょっと前にテレビ東京で(やはり夏休みだから?)放映されたのを観て感動し、DVDを買ってしまいました。
『父親のいないウォルター少年は、夏休みの間だけ田舎の家に預けられた。そこにはテレビもないし、友達もいない。あるのは広い大地と動物たち、無愛想で頑固者のおじいさん二人だけ。そんな生活になかなか馴染めなかったウォルターは、ある晩、屋根裏部屋で古い女性の写真を見つける。そして、それをきっかけにおじいさんの謎めいた過去につながる、夢物語のような冒険に乗り出していくことに…。』(ジャケット解説より)
ウォルター:ハーレイ・ジョエル・オスメント
ガース:マイケル・ケイン
ハブ:ロバート・デュヴァル
劇場公開時には観なかったし、ちょっとセンチメンタルな邦題やキャスティングからは、少年と老人たちのひと夏の心のふれあい、みたいなものを描いた映画かと思っていました。
確かにその通りなのですが、これは予想していたより、もっとずっと素敵に楽しい映画でした。
映画は、まず現代、老兄弟が二人で複葉機を乗り回してはしゃぐシーンで幕を開ける。
次に、大人になったウォルターが、彼らが事故死したと連絡を受けるシーン。そして、少年時代を二人と共に過ごした彼の回想が始まる。
母が新しい男を見つけるのに邪魔だから、ということと、兄弟が隠し持っていると噂される莫大な財産を探り出すため、という二つの理由で、テキサスのド田舎に追いやられたウォルター少年。
次々現れるセールスマンをショットガンで撃退するなど、ワイルドで偏屈なジイさんたちとの生活に戸惑いつつ、ウォルターはやがて、ガースが語る若き日の彼らの北アフリカに於ける波瀾万丈の冒険譚、特に「男の中の男」ハブとサルタンの姫君との恋物語に魅せられて行く──
ストーリイの主要部分は過去の話、出て来るのは、現代では存在し得ないような男(ジイさん)たち、まして入れ子のように語られる「昔話」の内容も内容で、つまりこれは、一種のファンタジー映画です。または『フォレスト・ガンプ』とも一脈通じるアメリカ的 tall story。
ウォルターだって、そんな話を本当に信じている訳ではないけれど、彼にとってそれは、母に捨てられたよるべない日々の中での、文字通りの夢物語でした。
兄弟が本当に隠し持っていた途方もない額の財産は、実は彼らがお尋ね者の銀行強盗だったという噂と共に、ウォルターを不安にさせもしますが、映画中の台詞にもあるように、重要なのはそれが事実か否かではないのです。
同じく「物語ること」を描いた『ダスト』のような悲痛さは、この映画にはありませんが、「物語」が人に生きる力を与えるということ、また、それは語り継がれるべきものであることを描いているという点では、通じるものがあるかも知れません。
大人になったウォルターは、自らの少年時代を題材にコミック作家となっているのですから(そう言えば、『ダスト』も老人の隠し財産が重要な小道具になっていましたね)。
それにしても、『フォレスト・ガンプ』と言い、好きな絵本『ふうせんばたけのひみつ』と言い、アメリカ南部には「ホラ話」が似合いますね。
この映画の舞台となったテキサスは、一般に「西部」と思われていますが、地理的にも気風の上でも、かなりの部分が実は「南部」に属します。
この映画でも、夏の飲み物がアイスレモンティーだったり、未公開シーンでは食卓にナマズ料理が出て来たりと、随所にそれがうかがえます。
ただ一つひっかかるのは、この映画が徹頭徹尾マチズモ称揚であるところでしょうか。
出て来る女性たちと言えば、ウォルターの母は、男に頼らなくては生きて行けない身持ちの悪い女として描かれ、財産狙いの親戚のおばさんもその娘も感じ悪く、ジャスミン(人間)は型通りの「姫」としてしか描かれていません。
真のヒロインはジャスミン(ライオン)だとか言われるのも無理ないですね。
少年が「母」を乗り越え、ただ庇護されるのではなく、対等な存在として二人の伯父さんと向き合うシーンは感動的ですが、その「母」が何もあんな描かれ方でなくとも……と思ってしまいます。
それらがどうにか不快感を与えずにすんでいるのは、表情にも体格にも「本当の男」としての年輪を刻んだロバート・デュヴァルの風貌と、気配りの弟ガースの存在、及びそれを演じるマイケル・ケインのソフトな語り口の賜物で、絶妙なキャスティング、そして演技だと思います。
ご覧になった方ならご存知の、ラストの嬉しいどんでん返し。DVD特典には「もう一つのエンディング」がはいっています。
なんかこのまま、しみじみと終わるのかなぁと思っていたら、本編以上のトンデモな展開が…!
でもこれは、公開版の方がいいですね。監督コメンタリーにもあったように、いきなり成人したウォルターやその妻子まで現れても、観る側は感情移入しにくいし、いくらファンタジーでもやり過ぎの感があり、却って感動がそがれてしまいます。
それに「語り継がれる物語」を際立たせる意味でも、公開版の方が相応しいでしょう。「あの二人」が生き別れの兄弟のように握手し合うシーンに、それが象徴的に表され、感動を喚びます。
オスメントくん、近頃困ったニュースも伝わって来ていますが、子役から青年役へ移行する過程で躓いてしまう人って多いんでしょうか?その時期をうまく乗り越えた人の方が(ジョディ・フォスターとかイライジャ・ウッドとか)珍しいのかも。
彼も才能ある人だと思うので、何とか復活してほしいものですが…
スーツケースをぶら下げて戻って来るシーンはジ~ンときましたね。
最後だけみても「いい映画だったんだ」って思いました。
ハーレイ君そういえばなにかありましたね。
でもドリュー・バリモアなんかもいろいろあったけど見事復活して大活躍していますので期待しましょう。
余談ですが、アンナ・パキンもまだ子供だと思っていましたが「X-MEN」で化粧して色気づいたのをみて「うそっ」って思ったのは私だけかしらん。
「ピアノ・レッスン」と「グース」以外は知らないので。
オスモント君も子役からオトナになる間の難しい年頃ですよね。実力ある人だけに頑張って欲しいですね。
どうも子役は子供がいきなり大金入って周りがオトナばかり、しかも芸能人には常識麻痺した人も多いみたいなので、悪い誘惑も多いみたいですね。親もステージママみたいのが多いそうで、なにかとまともでいるのも大変そうです。
こんにちは。あの映画はガース伯父さん語る「お話」部分が楽しいので、機会があれば初めからご覧になって下さい。ハブが酒場で不良どもをのしちゃうところとか
アンナ・パキンも最初のX-MENの頃はまだ「少女」という感じでしたが、最新作の動画など見ると、ローグがなんだかゴツくなっていて驚きました。プレミア画像等ではそれほどでもないのですが…
ドリュー・バリモアは……あれはあれで他に比較しようのない半生ですね。
ローティーンの頃にあらゆる悪行(?)をやり尽くした挙句、二十代で大復活だなんて
>misao様
そう、原題を知った時には感動を新たにしました。「セコハン」であっても負けないぞ、という心意気が感じられます。
"lions"であるからには、人間じゃない方のジャスミンも含まれるのかしら?なんて思ったりもしました。
子役はいろいろ大変ですね。
イライジャはフロドを演じた頃すでに「老成していた」と言われてましたし、ジョディもそんな感じで、苦労が多かったんだろうなと思います。
おっしゃる通り、大金を稼ぐ子供に大人たちが群がる構図は醜悪です。その大人の筆頭が実の親だったりしたらたまりませんね。