たかちゃんの難病は、肥厚性硬膜炎という、脊髄の硬膜というのが厚くなり神経を圧迫する病気。
2013年の1月の中旬、背中が痛いというので近くの整形外科に受診。脊柱管狭窄症という脊髄が変形などで神経を圧迫しているのではと湿布をもらった。
その年の1月末には歩くことが難しくなってきた。それなのに長野の出張があり、病院受診を勧めたのに仕事人間の夫は足を引きずり長野に。
嫌な予感のなかひどくなり、長野にいる夫に今すぐ帰って来るように言い、出張の最終日に夜中に運転して帰ってきた。
翌日には歩くことができなくなり、市内の社会福祉協議会で車イスを借りてきた。
もともと大学病院のリウマチ科にかかっていたので、そこへ翌日に受診。
主治医がいなかったので、他の先生にみてもらうと整形外科だねということで
そこの大学の整形外科で診てもらう。
高飛車な医者だなということであまり良い印象のない整形外科医だった。
また2日後に来るように言われた。
ネットで調べると、1日で手術できて評判のいいクリニックがあるので、そこで診てもらう。
CTやMRIなどの検査をするが、原因がわからない、大学病院へ行ったほうがいいと言われ、また印象の悪い大学病院へ。
その印象の悪い医者ではなく、一番上の教授に診てもらいたいと話し診てもらうが、大学病院の方針か、また印象の悪い医者が主治医となり診てもらうことになり、入院となる。
日曜日に入院となり、なかなかすぐには診てもらえず、もう両足が動かすこともできなくなっていた。
検査が進むと、急に今日の夕方に手術すると入院数日後の面会時に言われ、脊髄の硬膜のところに腫瘍のようなもながあり、すぐにでも除去すると話があった。
同意書を書いたり手術の用意をしたりして、夕方6時頃から手術が始まり、11時に終わった。
たかちゃんは、意識がもどり、きれいに腫瘍が取れたと話があり足先が動いたので、息子、娘と安心したのを鮮明に覚えている。
執刀医は印象の悪いあの医者で、手術の経過を教授と印象の悪い医者から、家族3人で聞いた。
手術後に足の神経が正常であるかをみるものがあり、それによると歩くことが出来ない可能性があると話された。
でも、足先は動いている、それなのに、、もう精神はめいいっぱいで想像ができなかった。
その後、1ヶ月でリハビリでなんとか両腕を二人に支えられてやっと歩くことができるまでになった。
でも日常は車イスで、なんとか介助して、ベッドから車イスに乗り、トイレへ。
私は、これからの生活を考えて病院でシャワー介助をしていた。
食にうるさかったたかちゃんは、お寿司や惣菜や持っていく私の料理を、時には涙ながらでうれしがっていた。
良くなっていくとばかり思っていた私、夫もそう思っていたのに、徐々に足の動きが悪くなり、再び両足が動くことができなくなった。
手術で取った腫瘍に悪性はなく、癌ではなかったのに。