(娘の結婚1からの続き)
N君から結婚式の前に、
「お母さんと一緒に同居をしたい」
と言われた。
私は、まだそんな年じゃないからと断った。
と言うよりも、たかちゃんと描いていた生活を早々に切り替えることなんかできなかったし、
N君の通勤距離が1時間半以上というのもかわいそうに思った。
N君は、高校の時、お兄さんとお父さんを亡くしていた。
N君はお兄さんと妹さんとの三人きょうだいだったが、N君のお兄さんは、N君が高校の時、交通事故で亡くなっていた。
家族皆が悲しんだが、とりわけお父さんは悲しんでだんだん元気がなくなり、家で自ら命を断ってしまったと聞いた。
無口なN君は、
「高校の時は、自分は暗黒時代でしたから」
と、何かの機会に話していた。
口数の少ないN君は、この時ばかりは感情をあらわにして早口に話した。
N君のお母さんは、息子を亡くして夫までも亡くして、、
どんなにか辛くて悲しくて、、
私は、夫を亡くしてまだ数ヶ月で、日々涙に明け暮れていた時期であった。
誰かの詩で、
雨が降っても悲しくて
風が吹いても悲しくて
その詩がその時の私であると思っていただけに、N君とN君のお母さんを想った。
この話を聞いた私は、N君に
「お父さんは精神の病気だったんだね、そうでもなけれはそんなことはできなかったと思うよ。」
と話した。
そうは言ったものの、私は夫のところへいきたい、そう思うことが時々あり、
娘の結婚というお祝い事があってもたかちゃんへの想いは募るばかりで。
車を運転していて、あのカーブでアクセルを踏み続けたら、たかちゃんのもとにいけるかなと思ったこともあった。
たかちゃんが亡くなって初めての彼岸の時だったか、、
姉夫婦と30年来の友人夫婦が来られた時に、どんなシチュエーションだったか忘れたが、私は、
「今まで他人を羨ましいと思ったことはなかったけど、たかちゃんが死んでしまってから、夫婦で買い物をしている人や一緒に散歩してる人を見ると、羨ましくて仕方ない」
話しているうちに泣いてしまった。
素直な気持ちを話すと
「それは無い物ねだりだよ」
と。
それは十分わかっていることだけど、その言葉を聞いてまた落ち込んでしまった。
姉はとても困った顔をしていた。
これ以来、配偶者を亡くした経験のない人に本心を話すものではないと固く思った。
日々、不安定な精神状態であった。
ただ、
残された者はこんなにも長く悲しむ日々を送ることになるのかと、N君の言葉の端々に感じ、
たかちゃんのもとへいきたいと思う度に、N君の言葉を思い出した。
N君のお母さんとは、
結納として結婚式をするホテルの和食のお店で顔合わせをした。
結納の形式は一切無しにしようということで、食事を兼ねての顔合わせとなった。
N君のお母さんは、九州弁で気さくな人であった。
いろいろ話しているうちに、
「10年経って、法事は、もう誰も呼ばなくていいかと思うとっとよ。」
と。
娘の話だと、
N君の家から歩いてすぐにN君のお父さんのお父さん、お祖父さんが住んでいるそうだ。
娘は、結納前にお祖父さんに会ってきた。
とても元気で何でもできて、お祖母さんの面倒を看てると聞いた。
N君のお母さんは、娘とN君とでお祖父さんの家に行く時、お母さんも一緒にと言ったが、強く断られたと聞いた。
お父さんが自ら命を断ったことについて、何かしら言われたことは想像がつく。
大変な思いをみんなしてきたんだと思った。
それと、
うちの孫にはじーじはいないんだなと
そう遠くない未来を思った。
娘は、自分の会社とN君の会社の中間地点に住むことを考えていたが、結局N君の会社の近くに住んだ。
大阪転勤で関連会社から、その時の年収に上乗せアップを条件に引き抜きがあったが、仕事での全国転勤を嫌い、妊娠8ヶ月まで働いて退社した。
仕事より家庭を選択した。
「大丈夫だよ。またそのうち働くから」
あっけらかんと話す娘であった。
娘が結婚をして、家をでることになると、
息子が
「◯◯(娘の名前)がいなくなって、俺はどうすればいいんだよ。」
何を言ってるの?
息子の言葉だった。