あちらはいかがですか、たかちゃん?

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回想:難病、中咽頭癌の死4

2021-09-16 19:37:01 | 日記
難病、中咽頭癌の死3からの続き


リハビリ病院に着いてから、すぐにリハビリ計画が立てられ、これから長くて5月はここでリハビリとなる

5ヶ月が過ぎた頃には、両杖をついてサポート付きで歩くことができるようになっていた
でも、4ヶ月を過ぎた頃から、リハビリペースが落ち、たかちゃんは精神的にしずむことが多くなった。からだが思うように動かすことがつらいようであった
大学病院の難病科では、この病気のせいであるとの話だった。

リハビリ病院での入院は5ヶ月のところを、家のお風呂やトイレのリフォームで、1ヶ月延びだ6ヶ月の入院となった。
こんな大変な時でも、夕食後のリハビリ仲間とお茶をする友人6人もできていた。
誰でもすぐにとけ込むことができる、たかちゃんならではのことでした。
その方たちとは、今も私に電話がかかってくる間柄である。

9月に退院となり、大学病院からリハビリ病院への8ヶ月に及ぶ入院は終わった
たかちゃんも私もどんなに待ちわびたことか、、
仕事は息子とともに自営業をしていたので、息子がどうにか耐えて頑張ってくれた。
この先は、自宅でできる仕事のみで、
すっかり変わってしまった状況でやっていくしかない。
それでも家族でやっと落ち着いてやっていけると思っていた。

退院して2ヶ月経った頃、いつもの大学病院の通院で、喉の調子が悪い、体調が悪いということを訴えた。
また耳鼻咽喉科に行き、内視鏡で見るがなんともないと言われた。
用心して消化器科でも診てもらおうと胃カメラをすると、その消化器科の医者が
扁桃腺になにかあると言う。
再び耳鼻咽喉科に行き、やっと見えるくらいの小さな腫瘍があるということで、細胞の検査をするために取って、2週間後に結果がわかるとのことだった。

2週間を待たずに、その耳鼻咽喉科の医者から自宅に電話がきた。
癌であることが告げられ、それから全身の炎症をみるPET検査、CT.MRIの検査。
たかちゃんは自宅での移動は、車イス。トイレや入浴は一人で行えていた。
いつも、私が運転をして大学病院の一時間弱の道のりは、車イスを車に積んで、いつも一緒だった。

検査結果を聞きにいくと、
腫瘍マーカーはそれほどではないが、中咽頭の4センチ癌が見つかり、肝臓、骨3ヵ所に転移している末期であることが告げられた。
それに対して、たかちゃんは顔色を変えずに、どのくらい生きられるかを聞いていた。
医者からは余命は数ヶ月単位との返答があった。飲み薬の抗がん剤のみが唯一のものとも。
たかちゃんは、放っておくとどうなるかと聞くと、腫瘍が大きくなり腫瘍が開いて血まみれになり痛みがあると。
たかちゃんは、飲み薬の分子標的の抗がん剤を飲むことをお願いするが、それも三回飲んで体調が悪くなりやめてしまった。

体調が悪いと、難病のせいで日常生活ができなくなるのをとても嫌っていた。
抗がん剤を飲んでも完治することはないなら、穏やかに生活したいこと最優先したい気持ちは、私にもよくわかった。
長く辛い8ヶ月に及ぶ入院がなかったら積極的な治療をしたのかもしれない。

抗がん剤を飲んで辛い日常で長く生きられるかもしれないが、それよりも、短くなるかもしれないが穏やかな生活をたかちゃんは選んだ。

これからが私にとって、夫の死を待っているような辛い日々の始まりであった。


回想:難病、中咽頭癌の死3

2021-09-16 10:38:48 | 日記
たかちゃんの病気、難病、中咽頭癌の死2からの続き


主治医は何度も手術で取り除いた腫瘍を検査するが、何度も癌ではないと、自分の判断は間違っていないことを常に主張していた。患者は、医者の言うことを聞くのが当たり前だというオーラを出していた。

そうこうしているうちに足はピクリとも動かなくなった

変に微熱が続き、ここの大学病院の難病専門科のドクターに依頼して、初めて
肥厚性硬膜炎という難病にたどりついた
この病気は、見つかってから300症例もない珍しいもの。
すぐに大量のステロイド療法が始まり、何とか足先の感覚が戻ってきた。
そうしているうちに、たかちゃんには喉の異変があり、以前のたかちゃんの声ではなくなっていたので、耳鼻咽喉科でみてもらうが、副作用の強いステロイドのせいであるということになった
この時、もっといろいろな検査をしていたらと悔やまれる。

またリハビリが始まるが、前のように支えられて歩くのには程遠い状態で、平行棒で身体を支えて立つことすらできなくなっていた
専門のリハビリ病院を勧められ、歩けなくなってからの2ヶ月少しの大学病院の入院は終わった。
専門のリハビリ病院選びは、病院施設併設のリハビリ病院がいいなと思っていたけれど、たかちゃんは自宅から遠くて家族に頻繁に会えないのを嫌い、自宅近くのリハビリ病院にした。
たかちゃんの生い立ちは、いつも一人ぼっちだったので、病院での一人も耐えられなかったのだろう。
私は体調をくずした1週間以外は、毎日、定期を買って電車で病院に通った。
大学病院にはリハビリ病院から通院するということで、自宅から車で20分ほどのリハビリ病院に転院した。

これには介護タクシーといって、横になって運ぶこともできるもので、自宅の方向に向かう車のなかで不安で流れる風景を見ていたのを覚えている。
この介護タクシーの運転手さんの優しい仕草や言葉に泣きそうなのを押さえるのがやっとだった。
たかちゃんも不安でいっぱいだったと思う。