たかちゃんの葬儀は、たかちゃんの遺言通りにはならず、それは仕方ないことだった。
ひっそりと身内だけでとたかちゃんは話していた。
葬儀にたかちゃんの結婚前の親族は一人もいなかった。
両親に1才半の時に捨てられ、父親の弟である叔父さん夫婦の家で、おばあさんに育てられた。
たかちゃんの親は父親の酒癖の悪さで離婚して、両親ともに育てることを放棄したと聞いていた。
叔父さん夫婦には娘がいたが、たかちゃんはかなり差別され育ち、たかちゃんは邪魔者扱いだったとも聞いていた。
私たちが結婚してから、叔父さん夫婦に恩を返せと言われ、たかちゃんはお金を送っていた。
叔父さん夫婦の娘には、面倒をみろとも言われたが、叔母さんが嫌いだったたかちゃんはそれを断っていた。
たかちゃんが25才のとき、おばあさんは亡くなり、叔父さん夫婦ももう亡くなっていた。その娘さんとは音信不通である。
通夜はたかちゃんの遺言通り、4、50人を考えていたが、息子が仕事をしている以上、仕事を休むのに知らせないわけにはいかないと、、最低限の範囲で知らせた。
たかちゃんの友人からも、後々自宅にお線香をあげにくるから、一気に済ませた方がいいんだよと助言された。
結局、予想外の多くの人が通夜に来られて、、
たかちゃんは、俺が死んだらたくさんの人が来ちゃって大変だから、知らせなくていいよとよく言っていた。
これ以上、私に負担をかけたくなかったのだと思う。
葬儀は仏教でなく神道でというたかちゃんの意志通りに。
みな、お線香でなく、さかきをあげる神道にとまどい、神主さんが位牌と似たものに魂入れをした時は、ビックリしていた。
まるで歌舞伎の世界に入り込んだような神主さんの声だったので。
私もたかちゃんも無宗教。
仏教を嫌っていたたかちゃんが、無宗教式の葬儀は大変だからと、私の実家と同じ神式でというだけで決めたこと。
通夜の終わりに、最後だから顔を見ていってくださいと、葬儀の進行の人が話すと、列を作ってたかちゃんの顔をみて、声をかけてお別れをしていってくれた。
通夜が終わるのも一時間も延びてしまい
たかちゃんの側にずっと佇んでいた人もいた。
たかちゃんが亡くなった夕方、息子が仕事関係に連絡を入れて、現場から駆けつけてくれた現場監督が声をあげて泣いた。
私も何度かお目にかかったことのある人である。
たかちゃんとは夕食のとき、今日の仕事や仕事で会った人の話をしていた。だから会ったことのない人も、私の想像のなかにあった。
この方は、たかちゃんの話によると、家族関係の悩みがあって、よく愚痴っていた人である。
たかちゃんは、仕事をもらっているにも関わらず、表面上は低姿勢でも気が合うと10年来の友人となってしまう不思議な人であった。
仕事をもらっているお偉いさんも、なぜか仲良しこよしで、、そのうち一緒にいたいから、たかちゃんの仕事をしてしまう始末で。
ある大晦日に、現場帰りでちょっと寄るよと関連会社の人が来たこたともあった。
2、3人かなと思っていたら12人も来て、12人分のお寿司をとって、狭い我が家でぎゅうぎゅうになって食べていった。
仕事をもらっている若い監督と気が合うと、急に我が家に泊まっていったり。
たかちゃんはお酒はからっきしダメだから、私が飲んでいた。
大きな仕事をもらうのに、お酒の場をつくるのはいつも私で、飲むのも私。
若い時は、たかちゃんは、自分よりずっと年上の高学歴のお偉いさんと何を話せばいいんだと私に相談した。
私は、期日を守る、きっちり仕事をする、これだけ話せば十分だよと、他人事のように話していた。
若いときは人見知りで、でも仕事が軌道に乗ると人と会うのが楽しみになっていった。
あとで私の友人から、
通夜の時に、これから大変だから息子のことも面倒をみてやらないとな、、と話しているのを聞いたよと。
青い空と白い雲が見える空に、たかちゃんのけむりが上がって行った。
みんな集まっているところから離れて一人で見ていた。
たかちゃんは本当に逝ってしまったと思った。
なんとか葬儀を済ませ、
かわいそうにワンコは動物病院に預けてしまったので、たかちゃんがいないことに、おかしいおかしい、どうしていないの?、、、
そう思っていたと思う。
今にしてみれば、告別式に連れていってあげたら、少しは理解できたかなと思う。
未だにたかちゃんを探している。
この後、葬儀から一週間した頃だったか、夜に一本の電話がかかってきた。