娘が結婚して家を出ていくと
息子が
「◯◯(娘の名前)がいなくなって、俺はどうすればいいんだよ。」
私は、たかちゃんが亡くなってから息子の気持ち
を真剣に考えたことはなかったように思う。
息子は、4年位、家出をしていた時期があった。
息子は家族に内緒で専門学校をやめた。
「俺は料理をしたいんだ、今の学校はいやなんだ。」
この時、息子は医療系の専門学校に行っていた。
私とたかちゃんは、その学校で人の細胞、とりわけガン細胞の細胞検査士の資格をとることになるかと思っていた。
息子は14才の時、悪性縦隔胚細胞腫瘍という癌になっていた。
肺や食道、気管があるところにできた癌で、抗がん剤治療をして小さくしてから手術をして、その後も抗がん剤治療、6ヶ月の入院だった。
主治医からは、入院したばかりの時、命の保証はないと言われた。
癌は1.5キロ程の巨大癌であった。
抗がん剤治療は、一番吐き気の強いもので、動くのも食事のにおいをかぐのも嫌なほど、大変さを身近にみてきた。
息子の癌は、膜に包まれて転移がなかったことが幸いであった。
親心としては病院勤務していれば、再発があったときに、また自分の身体を知る機会にもなると思っていた。
娘からも、せっかく学校に入ったんだから、資格をとってからでもいいんじゃないのと何度も言ったが、聞かなかった。
何度も話し合いをしようとしても息子は応じず、
最後に息子は
「こんな家、出てってやる。自分で生活するからもういいよ。自分のことは自分でするよ。」
と1ヶ月分だけ生活費を渡し、家を出ていった。
と言っても、生活は一人でやっていたのだから。
息子19才のときだった。
それまでにも、専門学校に通学するのに自宅からでも十分通えるのに、一人暮らしがしたいとわがままを言い、それを通していた。
息子は決まった仕送りでは足りず、毎月お金を借りに来る始末であった。
そんな中での、学校の自主退学問題。
ほとほと、育て方を間違ったのかと頭を悩ませていた。
でも、あの時、息子の一度の挫折で喧嘩をしないで、親としてもっと忍耐強く見守っていたら、もっと違っていたのかもしれない。
たかちゃんとは、息子のことで度々口論になった。
私が息子が家出をして連絡を取らないことで、たかちゃんは、
たかちゃん「母親なんだろう。」
私「たかちゃんが連絡すればいいでしょ。」
私「何かあったら、警察から連絡が来るでしょ」
とこんな調子だった。
もうすぐ20才になる息子に、自分で発した言葉に責任を持ってほしかった。
それでも心配になり、娘に愚痴っていた。
私「もうお母さんをやめたいよ。
お兄ちゃんのお母さんをやめたい。」
そう言うと、娘は
「いいよ、私がお兄ちゃんのお母さんになってあげる。」
娘は時々息子と連絡をとり、息子のところに泊まりに行ったり、メールをしていた。
息子は23才までには、飲食店の店長になり、一人でアパートを借りて自活していた。
この家出から息子が帰って来るまで、たかちゃんと私と娘の生活は、とても平和で穏やかだった。
息子の事は忘れることはなかったが、このままこの生活でいいと思っていた。
そんなある日、たかちゃんが歯が痛いと歯医者に行ったが、市立病院の口腔外科に行くようにと紹介状を持って帰って来た。
すぐに、口腔外科に受診して、歯肉にできている腫瘍の検査になった。
検査結果は、早く手術をするようにとのことで、
私が「癌なの?」
とたかちゃんに聞くと
たかちゃん「癌になる前の細胞だって言ってる」
その時のたかちゃんの症状は、歯の痛みと、口を開けるのが1.5センチくらいしかできなくなっていた。
だから、大きなものが食べられず、みな小さく刻んだ食事だった。
はっきりさせるため2度目の細胞検査が行われるが、2回目は私も同行した。
歯切れの悪い
「そのうち、癌になる細胞」
と言っていた。
市立病院で診てくれたドクターは
「癌とはっきり言われてないのに手術はいやですよね。」
手術決定をしたのは、このドクターの上司的存在の医師で、早い段階で手術しないとあとあと大変になると、返事を急がせる。
本当に手術が必要なのかと、たかちゃんと他でも診てもらおうよということになった。
セカンドオピニオンとして、歯肉癌の第一人者のドクターに診てもらうため、ここの口腔外科で紹介状をお願いした。
ドクター「どちらで診てもらうのだすか?」
たかちゃん「◯◯大学の◯◯先生です。」
ドクター「◯◯先生ですか、、」
ちょっと変わった名字の◯◯先生を知っているんだ、そう思った。
セカンドオピニオンのドクターは、大学歯学部の口腔外科、とりわけ口の中の癌の第一人者だった。
有名なんだな、、
市立病院のドクターは、
信頼できないドクターではなかったが、手術をするのはこの先生の上司的なドクターで、
どのような手術になるのですかと聞くと、まるでブラックジャックというアニメの主人公のように、顔半分を切ってめくり、腫瘍を取るもので、、、あとあと神経障害や感覚麻痺などを考えるいやだなと思った。
それとここの病院の夜間体制は、夜間は口腔外科のドクターが常にいるわけでもなく、他の科のドクターがなんでも引き受けて診るというもの。
たかちゃんに
「日本で一番っていう医者に診てもらおう。」
と言った。
大学歯学部の◯◯ドクターは、
見るからに癌の様相であるというような、たかちゃんの歯肉の腫瘍を
こちらでも検査しますと、
1度目は、市立病院から持ってきた、そこで取った細胞の標本の検査
→癌ではない
それから、3回の細胞採取、検査
→癌ではない
最後は隣接する医学部の耳鼻咽喉科、血液内科、
頭頚部癌科他、に細胞を診てくれと依頼してみてもらったが癌ではないという結果になり、何も治療することなく終わった。
この間、3ヶ月にも及んだ。
この検査をしている期間に、たかちゃんは息子に
「一生に一度のお願いだから、家に戻って一緒に仕事をしてくれないか。」
検査を何度もしていた時のことだった。
私は、後でそれを聞いた。
✳️最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
つたない文章、誤字脱字だらけで日本語もおかしいとは思いますが、そこは察していただけたらと思います。