悪人説は服部敬雄の仕業という説があるのだが。
山形ではその昔、「山形の天皇」とか「山形のヒトラー」と呼ばれた服部敬雄という人物がいてウィキペディアを見ればこの辺の経緯が書かれていたりするのだが、最上義光を貶めるために不毛な努力したという稀有な人物がいた結果、最上義光悪人説が作られてしまったわけであって、上記の記事でも昭和に書かれた「山形市史」を持ち出しているが、その時代が実は服部敬雄の全盛期でやりたい放題だった時期と重なっているという事実。さすがに歴史の研究者や学者が絶対に口にできない黒歴史で、記事には書かれなかったな。とはいえリンク先のコメント欄には何人か知っていて書いている人がいる辺りはさすがだと思ったが。