
里親探しで出会った彼女、小柄で小太り、何時も笑いながら、猫たちに、幸せになるのよ、1匹づつに声をかける、いろんな話をするように成って、如何しても一緒に行って欲しい所が有るの、とお寺に同行した。教本に挟んだ2匹の猫の写真、この供養の為に、通って居ると言う、「如何言う事」小学4年生の時に実母を亡くし、直ぐに父親は再婚した。2匹の猫を拾って帰った時、如何しても猫と暮らしたいなら倉庫で暮らしなさいと、電気も何もない、倉庫暮らしが始まった。もともと父親から酷い虐待を受けていたので、雨露が凌げたらそれで良いと思ってた。猫に食べさせるお金は無いと言われ、新聞配達等して猫のえさ代を稼いだ、中学を出て就職をした時、私は心の支えだった猫を捨てたの、彼女の目から大粒の涙がポロポロと落ちた。そしてこの街に戻って来て、猫を捨てた場所に何度も足を運んだ、現在彼女は53歳、ネフローゼという病気に係り病院通いをしながら、猫を捨てた場所の近くに、築70年にも成る、昭和初期のおんぼろアパートに5匹の猫と7匹の外猫の面倒を見ながら、猫の餌代と病院代の為に働いて居ると言う、此処に住んでいるのは、家賃の安さも有るけど、猫が飼える事と、生きてないのは解っているけど、会えるような気がすると、目を伏せた。外猫たちの手術が追い付かない、如何にか成らないかと団体さんに相談したが、自分の出来ない事を押し付けないでと言われ、他の団体さんは、急いで不妊手術しないと増えて困るわよと言われた。途方に暮れている彼女から私に保護して欲しいと言っていた子猫が死んでいると電話が有った。40分かけて彼女の家に急いだ、ダンボールにきれいに納めた子猫を抱いて目を泣き腫らしていた。彼女の部屋は1DK、粗末なわずかな家財道具、殆どが猫の為の調度品、見捨てられないと思った。アニマルライフプロジェクトと名前を付けて、立ち上げを始めたばかり、実質私も今の所、個人ボラと同じだけど、えらそうに、大丈夫何とかしようと言ってしまった。余裕も無いくせに、

この子助けて下さいとメールが有りました。

お腹の大きな子保護して欲しいと連絡ありました。

この子が里親探したいと頼まれた数日後変死をした子です。
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