
現代ヤクザの考察

先頃、数々の抗争事件を繰り返してきた山口組が分裂した。 週刊誌は何時ものように内情分析の記事がかまびすしい。 山口組専門ウオッチャーも様々に分析しているが、沈黙は金なりとばかり内部からの信頼できる情報は全く出てこない。
これは五代目の出身組織である健竜会の教訓「団結・報復・沈黙」を 体現しているのだろう。 こうした状況下での以下の本は興味深い。
「鎮魂」元山口組盛力会会長。 心ならずも懲役から帰って引退を余儀なくされた盛力健児氏の 六代目山口組に対する批判の書。
「血別」元山口組太田興行組長。 鎮魂の後に出版された、盛力会長の本に真っ向から対立し、盛力会会長と兄弟分である太田興行組長が書いて、六代目を擁護している。
「六代目山口組」取材を元に書かれた六代目誕生の経緯。
「山口組興行とカネの聖域」月刊『宝島』の記事を纏めて一冊にした。
ここでヤクザの擁護論を開陳するつもりは無いし、勿論抗争事件で民間人の死傷等は論外である。 彼らが命がけで組織縄張りを守る行動の先には死や懲役覚悟の固い覚悟があるのだからヤクザどうしが殺し合いをする分には一向に差し支えは無い。一方のカタギの世界だとて、企業間の乗っ取りや合併は権謀術策を駆使して熾烈な戦いを繰り広げ、そのための自殺も多い。これだとて間接殺人といえるだろう。
しかし、警察つまり国家のヤクザに対する暴対法のような悪法は指弾に値するだろう。 現行の法律で十分対応出来るのにこんな法律を作らなければ対抗できない現状は、警察権力の怠慢であるし、勝負あったという事である。
そして暴力団員はゴルフをするな、部屋を貸すな、セキュリテーは受けるな等独裁国家でもあるまいし酷すぎる。 そのうち、道路を歩くな、息をするな、飯を食うなと始まりかねない。
そもそもヤクザを暴力団という新語を造り、その範疇に味噌も糞も一緒くたに括ったのが間違いなのである。 ヤクザには賭博を生業とする博徒と、タカマチで商売をするテキヤが厳然と住み分け、その縄張りは双方侵さないという不文律があった。 やくざが表社会の様々な利権に関わるようになった原因は、彼らの収入源である賭博権を取り上げたことに起因する。
そのくせ、政府のやっていることは競馬の寺銭25%、宝籤にいたっては、一兆円の売上げの中、政府総務省(籤に関連する各種天下り団体含む)、銀行、自治体などで五十三%以上ピンはねをしている。 従って庶民の射幸心を散々煽っておいて四十七%しか支払われていい。
こんな阿漕な商売はヤクザは絶対しないのである。何故なら江戸時代から現在モグリで開帳している博打の寺銭は一割と決まっている。 要は、オカミに寺銭が入るものは許可し、それ以外は認めないという誠に姑息な制度を作っているのが現政府自民党なのである。 自分達の取締の力不足を棚に上げ、ヤクザだけを悪と決め付ける現在の風潮は危険すぎはしまいか。 何故なら、表の世界、つまりカタギ社会の悪行は目を覆うばかりで、警察の不祥事は後を絶たないし、大企業の嘘や、誤魔化し、無責任、不正の隠蔽工作も近頃は目に余る。 さらに国会議員から、村の議員まで選挙違反、公費の乱費、女の問題等々その悪行は数え上げればきりが無い。 全くこれは目糞鼻くその世界である。
ヤクザの発生史
さて、ここで少しヤクザの発生について考えて見たい。 江戸時代八代将軍吉宗の貞享二十年から、今で言うならハイウエーパトロール並の五街道目付という制度が作られ、この役目を担ったのが堂(道)の者と呼ばれていた拝火教徒の流れ遊芸人達が、彼らは平氏の流れをくむ者だから、平氏の民族色は赤だから、目立つように赤い鞘の公刀と捕り縄を持たされ、街道目付となったのである。
そして、彼らに逮捕から裁判、処刑の一切の権限を与えたのである。 後には彼らは様々な土地に定着してヤクザとなり、日本全国の縄張りを決めて、博打のテラ銭で子分を養い、捕物の費用もそこから捻出したのである。 これは徳川幕府のズルイ政策で、人の嫌がるこうした謂わば「汚れ仕事」を彼らにさせ、その上給料も払わず、幕府の財政をけちったのである。
だからそれまで、徳川の御政道で差別されていて、日本各地の別所、つまり除地と呼ばれていた限定地に収容されていた者達が、同族が街道見回り目付となったものだから、 同族の助け合いの精神で、伝達をつけて貰い、各地から秘かに脱出して、仕事があって稼げる江戸や京、大阪へと次々と流入した。
この先鞭をつけたのが誰あろう紀伊国屋なのである。
というのは、紀文(紀伊国屋)の生まれ住んでいた所は、紀州の湯浅別所でここは南北朝の頃、後醍醐天皇の南朝方の土地で、楠木正成や新田義貞らの残党が押し込められていた土地だから、足利時代から「北朝の足利尊氏に敵対したふとどきな者達」と被差別地帯になっていた。 つまり奴隷扱いで死なせても構わない者達として、荒天の蜜柑船にに乗せられたが、船は難破し船主や船頭は死んだので、積荷の蜜柑も相馬で処分、金に変えて江戸へ出たのである。
現在では紀文を蜜柑で大儲けしたと誤っているが、難破船で塩水を被った蜜柑を売ったとて高が知れている。 本当の所は江戸へ出てから、大火の際、復興の材木が高騰し、紀文は各地の山者も同族だから手付金なしの後払いで木材を集め、江戸へ運ばせて巨万の富をつんだのである。
そして故郷の湯浅別所から次々との者達を呼び寄せ、金の力で寺人別も手に入れたのである。 産業も何も無い江戸の人口が130万を越えて当時世界一になった謎はここにある。
こうしたヤクザの歴史は、古く、徳川幕府時代同様に、維新後も警察権が薩摩に移った後も新政府は「壮士」という美名で反政府運動に立ち向かわせ、大いに利用した。
さらに、第二次大戦の敗戦後も、疲弊した警察力を補うため、戦勝国でもない朝鮮人の横暴に、ヤクザや右翼を大いに利用した。 そして戦地から戻った特攻隊崩れや兵隊あがりが新興ヤクザとなり、綺羅星の如く隆盛を誇った。 政治も反共の名の下に、彼らを利用した事実は、多くの書物に詳しく述べられている。
こうした歴史を俯瞰したとき、ヤクザに対する体制側とそれに迎合したマスコミの悪意と虚実に満ちた論評を真に受けて、差別に等しい現在の風潮に疑問を抱かざるを得ない。
従って、 ヤクザの反社会的行動(犯罪)を減らす特効薬として次の政策を実行すれば良い。 それは彼らの伝統職業である賭博を認め、寺銭は所得として申告させ、正当な課税をすればよい。
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