歴史まがいテレビの弊害
誰の言葉か忘れたが、愚民教育は三つのSだと言う。スポーツ、セックス、スクリー ンである。誠に現代の日本にピッタリで言い得て妙である。
少子化による人口減少対策、地球温暖化の影響で、急務の自然災害対策、全国にある、古くなった橋梁、トンネル、道路(国土交通省調査で22万箇所という)
社会インフラの整備補修、侵略国家に急変した中国侵略(尖閣諸島)防止のための対策等々喫緊の課題が山積しているのに、五輪に使う膨大な無駄金の山。
ここではスクリーン、 即ちテレビの公害について論じてみたい。
と言っても、オール反安倍総理派と化し、安普請建付け正義論を振りかざす浮薄で無様なコメンテーターや評論家のことではない。
また、ろくに芸もないのに、テレビ業界を闊歩する、半端者集団の漫才屋のことでもない。
NHKに代表されるテレビの時代物についての考察である。
日本人というのは、かって陽の当たる場所にいた京で勢力のあった一握りの者の他は
庶民と呼ばれてきた被征服者の子孫が国民の70から80%を占めている。
庶民と呼ばれてきた被征服者の子孫が国民の70から80%を占めている。
アメリカ等では白人がどんどん入ってきて一見それと解る有色人の原住民インデアン を、民主主義であると一世紀も立たぬ内にあらかた殺してしまった。
だが日本列島では、大陸から入ってきたのも、当時は弁髪していたが黄色人種。百済の母国を失って自分らのナラ王朝を倒されて、新興勢力に帰順降伏し、
傭兵となって忠義を尽くさんとしたのも黄色人種。
だが日本列島では、大陸から入ってきたのも、当時は弁髪していたが黄色人種。百済の母国を失って自分らのナラ王朝を倒されて、新興勢力に帰順降伏し、
傭兵となって忠義を尽くさんとしたのも黄色人種。
彼らに蕃族として討伐されていた日本原住民もエケセの古代民も、アマの王朝系や蘇民将来系も同じく黄色人種。
それにアメリカにはバファロと呼ぶ野生牛が群がっていた。だから新入白人も食料には困らなかった。しかし日本列島では違った。
それにアメリカにはバファロと呼ぶ野生牛が群がっていた。だから新入白人も食料には困らなかった。しかし日本列島では違った。
種もみをあてがわれ食料供出用の「編戸の民」として原住民は圧迫され続けだが、 生存は許されてきた。が、幕末までは居住地や職業は先祖代々から限定されていた。
現代の如く勝手に本籍を移したり、他へ転出するが如きは「逃散」の重罪で死刑にされた。また親が百姓なら倅も百姓、親が大工なら倅も大工、といったように、
頼朝御判物の区分により職業も決まっていた。
現代の如く勝手に本籍を移したり、他へ転出するが如きは「逃散」の重罪で死刑にされた。また親が百姓なら倅も百姓、親が大工なら倅も大工、といったように、
頼朝御判物の区分により職業も決まっていた。
そして歴史を暗記物として教え込むような義務教育の学校は、幕末まで無かったから、「わしらは宗旨違いだ」位の処で、あまり詮索などしなかつた日本原住民の子孫共が、否応なしに学校へ通わされ、
そこで歴史を覚えさせられる段になって疑問を抱きだした。
そこで歴史を覚えさせられる段になって疑問を抱きだした。
日本は世界有数の歴史関係書籍消費国なのはこの訳である。
(向こうよりの偉い人が大陸の文字によって、 自分らこそ未開の開発途上国だった列島の始祖である)とする歴史では、いくら丸暗記して覚え込めと教わっても、すんなりゆかない。
成人してくると疑問が色濃くなってきて、明確でないが(学校歴史と自分らのは違うのではないか?)となって、
歴史関係書を読み漁る事にもなる。「野史」と呼ぶのが日本に在る。しかし、京の公家の歴史に対して、地家の歴史なら良いのだが、残念ながらそうではない。
文字を信用して造語された、史実、史料、史伝等に幻惑された類が多い。
(向こうよりの偉い人が大陸の文字によって、 自分らこそ未開の開発途上国だった列島の始祖である)とする歴史では、いくら丸暗記して覚え込めと教わっても、すんなりゆかない。
成人してくると疑問が色濃くなってきて、明確でないが(学校歴史と自分らのは違うのではないか?)となって、
歴史関係書を読み漁る事にもなる。「野史」と呼ぶのが日本に在る。しかし、京の公家の歴史に対して、地家の歴史なら良いのだが、残念ながらそうではない。
文字を信用して造語された、史実、史料、史伝等に幻惑された類が多い。
さて、今やテレビは一家に二台三台の時代だが、時代劇という奴にはほとほと困惑さ せられる。時代考証何某とまで出ているから本当なのだろうと思わされてしまう。
通史俗史にのっかるのが視聴率につながるからと、全くの嘘ばかりである。
ポカンと観ていると面白いのだろうが、人間が生きていくのに一番大切な判断力、 批判精神や懐疑心が喪失してしまう。
その点、以前放映していた劇画からの「浮浪雲」は、チョンマゲの主人公が巻煙草を煙管で吸つたりしていて、ハチャメチャで結構だが、
同じ局の「暴れん坊将軍」になると、尾張の徳川宗春が八代将軍吉宗と張り合う内容だけに困る。
八代将軍候補にあがったのは宗春の兄継友の方で、将軍が紀州の吉宗に決定すると急死してしまう。
それゆえ既に奥州梁川三万石へ養子に行っていた宗春が戻つて家督を継いだ。
通史俗史にのっかるのが視聴率につながるからと、全くの嘘ばかりである。
ポカンと観ていると面白いのだろうが、人間が生きていくのに一番大切な判断力、 批判精神や懐疑心が喪失してしまう。
その点、以前放映していた劇画からの「浮浪雲」は、チョンマゲの主人公が巻煙草を煙管で吸つたりしていて、ハチャメチャで結構だが、
同じ局の「暴れん坊将軍」になると、尾張の徳川宗春が八代将軍吉宗と張り合う内容だけに困る。
八代将軍候補にあがったのは宗春の兄継友の方で、将軍が紀州の吉宗に決定すると急死してしまう。
それゆえ既に奥州梁川三万石へ養子に行っていた宗春が戻つて家督を継いだ。
兄の死が毒殺ではないかと疑って城中に居るより、尾張に居るときには、 野外へ鷹狩りと称して出歩くことが多かったせいか、
「何、これなる石が瀬の川原で対陣して、松平元康の軍と権現様の手勢が戦をし、相手が強くて負けて逃げ込ん だゆえ、あれなる山を権現山というか」と、
「何、これなる石が瀬の川原で対陣して、松平元康の軍と権現様の手勢が戦をし、相手が強くて負けて逃げ込ん だゆえ、あれなる山を権現山というか」と、
次々と松平勢と権現様(家康)の合戦の遺跡を見つけだし、負けて逃げるときに、酒井忠次が世話になった木こりへ手渡した白扇なども検分した。
各地の古老を呼んで聞き取りもした。尾張宗春にとっては家康は直系の曾祖父にあたる。
各地の古老を呼んで聞き取りもした。尾張宗春にとっては家康は直系の曾祖父にあたる。
だから「徳川の世もすでに八代目である。創業の頃には三河松平入道の血脈と言った方が恰好が良かっただろうが、今となっては赤手徒拳の世良田次郎三郎が田楽狭間で、
今川方の優れた鉄砲を持って行った織田信長の引きあげた後へ行き、その残りの武具甲冑を遺骸から剥がして完全武装し、浜松の酒井や伊勢の榊原、渥美の大久保、伊賀の服部らと兵を集め、
やがて天下平定を成したのは立派なことで今更隠すこともあるまい」と、
書物奉行堀田恒山の名で「章善院目録」と後に呼ばれる一冊を木刷りで刊行してのけた。
今川方の優れた鉄砲を持って行った織田信長の引きあげた後へ行き、その残りの武具甲冑を遺骸から剥がして完全武装し、浜松の酒井や伊勢の榊原、渥美の大久保、伊賀の服部らと兵を集め、
やがて天下平定を成したのは立派なことで今更隠すこともあるまい」と、
書物奉行堀田恒山の名で「章善院目録」と後に呼ばれる一冊を木刷りで刊行してのけた。
権威だけが天下の政道と心得ていた能史大岡忠相によって、直ぐさま江戸表から、「徳川家祖先のことをみだりに書くべからず。また、刊行者の奥付に著者と発行者を
明記のこと」と世界最初の出版統制令が発布され、尾張宗春は閉門。
また何か書くかもしれぬと紙と名の付くものは便所の紙まで支給厳禁されて生涯監禁された。
明記のこと」と世界最初の出版統制令が発布され、尾張宗春は閉門。
また何か書くかもしれぬと紙と名の付くものは便所の紙まで支給厳禁されて生涯監禁された。
宗春の子らはみんな次々と早死にさせられ血脈は絶たれてしまい、以降尾張の殿様は一橋家と田安家から交互に送り込まれ幕末まで続いていたのが真相である。
この事は「愛知県史」や「名古屋史」にも明白にされている。
この事は「愛知県史」や「名古屋史」にも明白にされている。
その他にも水戸黄門も、竹矢来を張り巡らされて、常陸太田で生涯閉じこめの憂き目にあつていた水戸光圀の実像も知らず「アッハッハッ」と高笑いしながら日本各地を廻って歩くのも、
高視聴率ゆえやむなしと、立川文庫のテレビ版が次々とシリーズを重ね、娯楽物だからと問題にもしない見解は、金儲けの土地開発のため、各地の
古墳や遺跡が取り壊され潰されて消滅してゆくのと何ら変わりがない。
それどころか映像の誤ったイメージが何千万もの人々に垂れ流されているだけに、そ の害はもっと甚だしいと言えよう。
高視聴率ゆえやむなしと、立川文庫のテレビ版が次々とシリーズを重ね、娯楽物だからと問題にもしない見解は、金儲けの土地開発のため、各地の
古墳や遺跡が取り壊され潰されて消滅してゆくのと何ら変わりがない。
それどころか映像の誤ったイメージが何千万もの人々に垂れ流されているだけに、そ の害はもっと甚だしいと言えよう。
さつま芋だって種類がある。(農林1号)と(金時)ではまるで違う。日本歴史とて同様、書く人間によって全然相反する。だが人間の場合バイは在ってもノーリンは なく、
これを作別銘柄に分類すると「神信仰系」の原住系と「仏信心系」の外来系に分かれて今日まで続いている。が昔は、共存共栄なんかしてきた訳ではない。
原住系は圧迫され、歴史に残された限りでは圧倒的に外来系の独壇場である。これは勝者は己に都合良く歴史を改変出来る特権をもつからである。
しかも外来系は、仏教と一緒に漢字や平仮名まで持ち込みである。そして歴史とは、それらの発表具象の力を借り、記録の型に於いて伝承される物なのだ。
文字がなくて口伝に頼るとアイヌ のユーカラみたいな物になってしまう。
さて今日、「この日本の歴史」の基盤を なすのは(日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀 日本文徳天皇実録、日本 三代実録)を基幹となし、
それに(律、令義解、類聚三代格、延喜式、尊卑文脈)をもつて、根本史料と定められている。
だがしかしである。これが出来上がった西暦720年の年代に於いて、こうした漢字を駆使して書くことの出来たライターは はたして何処産の人間だろう。
当時、真備や仲麿が留学していたから、唐へ勉強に行っていた学究が、 帰朝してから書いた物と言うのが通説になっている。
しかし真言天台の密教にしても、開祖と呼ぶのは4人のインド人やセイロン人、それを唐訳したという唐人の計7人で、日本人は一人も入っていない。
これは延暦寺でも高野山でも公然の話で、「大乗寺社寺雑事記」等にははっきりと、鹿園院(京の相国寺鹿苑院)に関し、「天竺人来る、住持となる」と文明18年の条には出て いる。
つまり神様のノリトというのは聞いていても判るが、お経というのは呪文を唱えて居るみたいに、文字でなければさっぱり判らないのは、このわけなんだろう。
そして雑事記には、「天竺人は二条通りと三条坊門烏丸の間にある唐人屋敷に居住している」と書かれている。さらに、
「西忍入道も幼名はムスルといい、後に天次といつたもので、こうした立野に固まっている連中は昔からの風習で<平氏>の姓を賜っている」と堂々と出ている。
これを見ると季節風に乗ってアラビア姓の名をもつ者たちが、日本へ渡ってきて、 京の二条から三条にかかる烏丸の租界に居住し、立野に土地をもらい小作人に耕させて彼らは平氏と名乗っていたことが判る。
つまり、人間はその母国語からは抜けきれないもので、これは湯川秀樹の如きノーベル賞的頭脳でさえ英語ではすらすらと論文が書けぬ事を考えてほしい。
タイトルに日本という文字がついてはいるが、それでメイド・イン・ジャパンとは断定できない。何しろ今日でもイタリアで堂々と米国西部劇が作られる程である。
さて、その670年後でさえも、漢字はまだ一般には暗号同然だつた例証がある。
これを作別銘柄に分類すると「神信仰系」の原住系と「仏信心系」の外来系に分かれて今日まで続いている。が昔は、共存共栄なんかしてきた訳ではない。
原住系は圧迫され、歴史に残された限りでは圧倒的に外来系の独壇場である。これは勝者は己に都合良く歴史を改変出来る特権をもつからである。
しかも外来系は、仏教と一緒に漢字や平仮名まで持ち込みである。そして歴史とは、それらの発表具象の力を借り、記録の型に於いて伝承される物なのだ。
文字がなくて口伝に頼るとアイヌ のユーカラみたいな物になってしまう。
さて今日、「この日本の歴史」の基盤を なすのは(日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀 日本文徳天皇実録、日本 三代実録)を基幹となし、
それに(律、令義解、類聚三代格、延喜式、尊卑文脈)をもつて、根本史料と定められている。
だがしかしである。これが出来上がった西暦720年の年代に於いて、こうした漢字を駆使して書くことの出来たライターは はたして何処産の人間だろう。
当時、真備や仲麿が留学していたから、唐へ勉強に行っていた学究が、 帰朝してから書いた物と言うのが通説になっている。
しかし真言天台の密教にしても、開祖と呼ぶのは4人のインド人やセイロン人、それを唐訳したという唐人の計7人で、日本人は一人も入っていない。
これは延暦寺でも高野山でも公然の話で、「大乗寺社寺雑事記」等にははっきりと、鹿園院(京の相国寺鹿苑院)に関し、「天竺人来る、住持となる」と文明18年の条には出て いる。
つまり神様のノリトというのは聞いていても判るが、お経というのは呪文を唱えて居るみたいに、文字でなければさっぱり判らないのは、このわけなんだろう。
そして雑事記には、「天竺人は二条通りと三条坊門烏丸の間にある唐人屋敷に居住している」と書かれている。さらに、
「西忍入道も幼名はムスルといい、後に天次といつたもので、こうした立野に固まっている連中は昔からの風習で<平氏>の姓を賜っている」と堂々と出ている。
これを見ると季節風に乗ってアラビア姓の名をもつ者たちが、日本へ渡ってきて、 京の二条から三条にかかる烏丸の租界に居住し、立野に土地をもらい小作人に耕させて彼らは平氏と名乗っていたことが判る。
つまり、人間はその母国語からは抜けきれないもので、これは湯川秀樹の如きノーベル賞的頭脳でさえ英語ではすらすらと論文が書けぬ事を考えてほしい。
タイトルに日本という文字がついてはいるが、それでメイド・イン・ジャパンとは断定できない。何しろ今日でもイタリアで堂々と米国西部劇が作られる程である。
さて、その670年後でさえも、漢字はまだ一般には暗号同然だつた例証がある。
『宇喜多家譜』に「朝鮮王淋聖移住しての裔」と明記されている児島高徳が、延暦寺をも頼られた時の帝の行在所へ潜入し、
そこえ堂々と桜の幹を削って「天勾践をむなしゅうするなかれ」と書いてきたエピ ソードだ。
もし漢字が一般化していたのなら、そんなアジテートはすぐ抹消される筈である。だが警護の侍なんかには読めはしないから安全暗号として通用したのだと考えられはしないか。
そこえ堂々と桜の幹を削って「天勾践をむなしゅうするなかれ」と書いてきたエピ ソードだ。
もし漢字が一般化していたのなら、そんなアジテートはすぐ抹消される筈である。だが警護の侍なんかには読めはしないから安全暗号として通用したのだと考えられはしないか。
<以下次回に続く>
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