5月7日の朝は、東横インの郡山店で目覚めました。
6時半に朝食会場へ。
ここはオーソドックスなメニューです。
やった、ここはヨーグルトに蜂蜜が掛けられる!
腹ごしらえが終わり、折角郡山の駅前に居るので、出発前に駅前を少しお散歩したいと思います。
以前から郡山という地名が気になっていて、律令時代の郡家があったのかなと思っていたところ、昨日、大安場古墳群の資料館で購入した書籍に『清水台遺跡と古代の郡山』というのがあって、それによると推測通り、郡山駅の西口には安積郡の郡衙があったということです。
部屋から眺める街の景色。
では、該書を片手に駅西口へ繰り出しましょう。
「古墳ギャルのコフィー」に登場する「阿武隈ブヴァエモン」を思い出す・・・
奥州街道。
善導寺。
駅がある東の方を見ます。
巨大な玉が内蔵されたビルヂングは、ビッグアイという複合ビルです。
「Wikipedia」によると、地上24階・地下1階の超高層ビルで、高さは133 mあり、福島県内で最も高い人工建造物だそうです。
133mというと、だいたい国分寺の七重塔の2倍ですね。
と言ってもまったくイメージできないと思います。
私もできません。
反対の西側を見ると、地形が一段高くなっているのが分かり、ライオンズマンションの「清水台」という表示が見えます。
まさしく、清水台遺跡はあの高台に展開しているのです。
手元の地図を見て郡家跡とともに気になったのが、安積国造(あさかくにつこ)神社。
国造マニアとしては、無視して通り過ぎるわけには行きませんね。
「安積」って、「あずみ」とも読みますが、こちらでは「あさか」です。
中世の安積伊東氏は、工藤祐経の次男伊東祐長が奥州平泉藤原氏討滅の後に頼朝からこちらに所領をもらって下向したと言われていますが、他の多くの奥州諸氏と同じく、その辺の真相は不明です。
ちなみに、稲用氏は祐長の兄弟である祐時の家系から分派しており、そういうことから、この地に自分の親戚が住んでいたと考えると感慨深いものがあります。
親戚といっても、何万光年も離れているような親戚ですが。
早朝ということもあり、境内にはまだ誰もいませんね。
安積発祥!
はっ!
笑みを湛えている!
詳しい由緒が書かれています。
これによると、元々は赤木山にワクムスヒとアマノユツヒコが祀られており、現在地に遷ってきたのは江戸期のようです。
『日本書紀』によると、誕生したワクムスヒの頭の上に蚕と桑が生じ、臍の中には五穀が生じたとあり、これは、ニューギニアなどの南方に分布しているバラバラになった死体から食べ物が発生する、「ハイヌウェレ型神話」の類型です。
ちなみに、縄文時代の土偶は安産に関する祭祀道具という説があるほか、土偶は身体をかち割られて見つかることから、ハイヌウェレ神話との関連を考える研究者もいます。
一方、アマノユツヒコは神武天皇の曽祖父であるニニギが天から降ってきたときに随伴したメンバーの一人ですので、ヤマト王権のコアメンバーですね。
拝殿。
本殿と安積天満宮。
では、神社を出て街歩きの続きをします。
この南北に走る道路に向かって左側あたりからは瓦がたくさん出土したそうです。
古代遺跡で瓦が出土する場所は、古代の役場の中でも上級の建物跡かもしくは寺院跡です。
このマンションの住民の方はそういうことには興味がありませんかね?
地図を見ると西側に「谷地形」が描かれており、その方面を見ると確かに地形が落ちていますね。
鐘堂公園に来ました。
鐘堂という地名の由来は不明だそうですが、郡衙に付随する寺院との関連が想起されます。
つづいて、芳山(ほうざん)公園。
お、説明板発見!
詳しく書いてありますね。
なるほど、この芳山公園が郡衙跡なわけですね。
ではもう少し近辺を歩いてみたいと思います。
谷状の地形が気になって仕方ないのでもう少し探索します。
郡山には「虎丸長者伝説」という、各地に見られるような長者伝説があります。
昔、この地に住む虎丸長者という大富豪のひとり娘が病気になり、なかなか治癒しなかったため、治した者は婿にするという触れを出しました。
そのとき、ある若者がたまたま助けたネズミの恩返しによって娘の病気の原因を知り、病気を治してくれて、その後、虎丸長者はますます富み栄えます。
ところが、この地にやってきた八幡太郎義家からの食糧の援助要請を断った長者は、八幡太郎に攻め滅ぼされてしまったという話です。
その伝承の跡がマンションの名前に見ることができます。
お、駐車場の向こうが落ちていますよ。
クックック・・・
面白い・・・
谷へ向かってみましょう。
いい段差だ。
この細い道はまるで水路の跡のようです。
細い道を抜けると、その先にもまだ道は続いているようです。
谷状地形、さようなら。
国道4号線まで戻ってきました。
歩道橋に登って撮影。
まずは北側。
ここから望む方向は、昔は先ほど歩いた西側の台地から尾根が伸びていたそうで、近代の埋め立て事業や道路建設などによって土取りされて現在のような真っ平らな土地になってしまったそうです。
その際に、赤木古墳という大型の前方後円墳もしくは前方後方墳も破壊されてしまったそうですが、赤木古墳は、安積国造の墓との伝承がありました。
今度は南側。
今回お世話になった東横イン郡山店。
時刻は8時を少し過ぎてしまいましたが、朝から面白い探訪でした。
では、ホテルをチェックアウトし、雷電號で出撃しますぞ!
⇒この続きはこちら
6時半に朝食会場へ。
ここはオーソドックスなメニューです。
やった、ここはヨーグルトに蜂蜜が掛けられる!
腹ごしらえが終わり、折角郡山の駅前に居るので、出発前に駅前を少しお散歩したいと思います。
以前から郡山という地名が気になっていて、律令時代の郡家があったのかなと思っていたところ、昨日、大安場古墳群の資料館で購入した書籍に『清水台遺跡と古代の郡山』というのがあって、それによると推測通り、郡山駅の西口には安積郡の郡衙があったということです。
部屋から眺める街の景色。
では、該書を片手に駅西口へ繰り出しましょう。
「古墳ギャルのコフィー」に登場する「阿武隈ブヴァエモン」を思い出す・・・
奥州街道。
善導寺。
駅がある東の方を見ます。
巨大な玉が内蔵されたビルヂングは、ビッグアイという複合ビルです。
「Wikipedia」によると、地上24階・地下1階の超高層ビルで、高さは133 mあり、福島県内で最も高い人工建造物だそうです。
133mというと、だいたい国分寺の七重塔の2倍ですね。
と言ってもまったくイメージできないと思います。
私もできません。
反対の西側を見ると、地形が一段高くなっているのが分かり、ライオンズマンションの「清水台」という表示が見えます。
まさしく、清水台遺跡はあの高台に展開しているのです。
手元の地図を見て郡家跡とともに気になったのが、安積国造(あさかくにつこ)神社。
国造マニアとしては、無視して通り過ぎるわけには行きませんね。
「安積」って、「あずみ」とも読みますが、こちらでは「あさか」です。
中世の安積伊東氏は、工藤祐経の次男伊東祐長が奥州平泉藤原氏討滅の後に頼朝からこちらに所領をもらって下向したと言われていますが、他の多くの奥州諸氏と同じく、その辺の真相は不明です。
ちなみに、稲用氏は祐長の兄弟である祐時の家系から分派しており、そういうことから、この地に自分の親戚が住んでいたと考えると感慨深いものがあります。
親戚といっても、何万光年も離れているような親戚ですが。
早朝ということもあり、境内にはまだ誰もいませんね。
安積発祥!
はっ!
笑みを湛えている!
詳しい由緒が書かれています。
これによると、元々は赤木山にワクムスヒとアマノユツヒコが祀られており、現在地に遷ってきたのは江戸期のようです。
『日本書紀』によると、誕生したワクムスヒの頭の上に蚕と桑が生じ、臍の中には五穀が生じたとあり、これは、ニューギニアなどの南方に分布しているバラバラになった死体から食べ物が発生する、「ハイヌウェレ型神話」の類型です。
ちなみに、縄文時代の土偶は安産に関する祭祀道具という説があるほか、土偶は身体をかち割られて見つかることから、ハイヌウェレ神話との関連を考える研究者もいます。
一方、アマノユツヒコは神武天皇の曽祖父であるニニギが天から降ってきたときに随伴したメンバーの一人ですので、ヤマト王権のコアメンバーですね。
拝殿。
本殿と安積天満宮。
では、神社を出て街歩きの続きをします。
この南北に走る道路に向かって左側あたりからは瓦がたくさん出土したそうです。
古代遺跡で瓦が出土する場所は、古代の役場の中でも上級の建物跡かもしくは寺院跡です。
このマンションの住民の方はそういうことには興味がありませんかね?
地図を見ると西側に「谷地形」が描かれており、その方面を見ると確かに地形が落ちていますね。
鐘堂公園に来ました。
鐘堂という地名の由来は不明だそうですが、郡衙に付随する寺院との関連が想起されます。
つづいて、芳山(ほうざん)公園。
お、説明板発見!
詳しく書いてありますね。
なるほど、この芳山公園が郡衙跡なわけですね。
ではもう少し近辺を歩いてみたいと思います。
谷状の地形が気になって仕方ないのでもう少し探索します。
郡山には「虎丸長者伝説」という、各地に見られるような長者伝説があります。
昔、この地に住む虎丸長者という大富豪のひとり娘が病気になり、なかなか治癒しなかったため、治した者は婿にするという触れを出しました。
そのとき、ある若者がたまたま助けたネズミの恩返しによって娘の病気の原因を知り、病気を治してくれて、その後、虎丸長者はますます富み栄えます。
ところが、この地にやってきた八幡太郎義家からの食糧の援助要請を断った長者は、八幡太郎に攻め滅ぼされてしまったという話です。
その伝承の跡がマンションの名前に見ることができます。
お、駐車場の向こうが落ちていますよ。
クックック・・・
面白い・・・
谷へ向かってみましょう。
いい段差だ。
この細い道はまるで水路の跡のようです。
細い道を抜けると、その先にもまだ道は続いているようです。
谷状地形、さようなら。
国道4号線まで戻ってきました。
歩道橋に登って撮影。
まずは北側。
ここから望む方向は、昔は先ほど歩いた西側の台地から尾根が伸びていたそうで、近代の埋め立て事業や道路建設などによって土取りされて現在のような真っ平らな土地になってしまったそうです。
その際に、赤木古墳という大型の前方後円墳もしくは前方後方墳も破壊されてしまったそうですが、赤木古墳は、安積国造の墓との伝承がありました。
今度は南側。
今回お世話になった東横イン郡山店。
時刻は8時を少し過ぎてしまいましたが、朝から面白い探訪でした。
では、ホテルをチェックアウトし、雷電號で出撃しますぞ!
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