*** 本ページの目次 *** 1.基本情報 2.諸元 3.探訪レポート 4.補足 5.参考資料 |
1.基本情報
所在地
滋賀県大津市御陵町2-2(大津市歴史博物館)
2.諸元
3.探訪レポート
2017年11月22日(水)
来月、クラツーにて奈良の古代遺跡ツアーの案内をすることになったため、今日から1泊2日で現地の下見に行ってきます。
でももちろん、案内する場所だけ見てくるのはもったいないので、周囲の遺跡もできる限り見てきますよ。
極力畿内での滞在時間を長くするため、3時20分に起床し、高尾駅4時28分発の始発電車に乗り込みます。
昨夜は3時間しか睡眠時間を確保できなかったので眠いというよりか、気持ち悪い。
早起きは得意ですが、さすがに睡眠不足が続いていると起きるのがつらくなりますね。
東京駅からは5~6年振りの東海道新幹線に乗車。
始発の「のぞみ」1号にも乗れないことはなかったのですが、乗り換え時間に余裕を持って3号にしておきました。
6時16分発の博多行きです。
16両編成の最後尾ですよ!
新幹線の掃除をする人たちは12分間という限られた時間で車内を綺麗にします。
最近、ダスキンの研修でこの方々の仕事ぶりを勉強させていただきました。
素早く綺麗にするのは大変なことですよ。
新幹線の車内では神武號(ノートPC)を広げてギリギリまで予備調査です。
あー、今日は富士山は雲に隠れてるなあ。
おや、虹だ!
朝から虹というのは瑞兆なんでしょうか。
途中、新幹線が高速道路と並走するところがあって、120㎞/hくらいで走っている車とは比較にならない速度で新幹線が走っていることを自覚して、なんだか笑みがこぼれてきました。
新幹線って本当に速いなあと。
このスピードで電車が走るなんて尋常じゃないですよね。
第一次世界大戦の戦闘機よりも速いですからね。
そうこうしているうちに、8時30には京都に着いてしまいました。
京都駅に来たのは大人になってからでは初めてです。
まずはレンタカーを借りに行きましょう。
当初は奈良方面を重点的に回って、できれば京都の市街地も見たいなあと思っていたのですが、一昨日あたりに気が変わりました。
近江へ行くのだ!
私の霊感では、滋賀県方面に面白スポットが数多くあるような気がするのです。
メジャーすぎる場所へ行っても面白くありません。
私がこうやって地方(おっと京都は「都」でした)に来るときは、ターゲットとする自治体(市町村)を決めて、その自治体にあるスポットを集中的に回ることが多いです。
もちろん、1回来ただけで当該自治体のすべての史跡をめぐることは難しいのですが、なるべくそうします。
というわけで、最初のターゲット自治体は、滋賀県大津市に決定。
そして手法のもう一つとしては、自治体を決めたらまず初めにその自治体にある歴史系の博物館や郷土資料館を訪れ、その自治体の歴史の概要を理解し、資料を入手します。
資料は「市内史跡マップ」みたいなのがあると非常に助かるんですよね。
そうすると、出発前にノーマークだった面白スポットの存在が明るみになったりして、結果的に予定通りに回ることができなくなるのですが、それはそれでOKでしょう。
面白ければいいんです。
あまりプランをガチガチにするのは良くないですよ(と、若いころの自分に言いたい)。
というわけで、まずは大津市歴史博物館へ行きますよ。
同業者さん。
というか、東京のどこかのお寺で「お掃除小僧」とかいってこれとそっくりなのを見ましたよ。
おおつ、路面電車に追い抜かれた!
路面電車と一緒に走るのって生まれて初めてだ!
路面電車に対するルールは教習所で習ったと思いますが忘れました。
ほどなくして大津市歴史博物館に到着です。
琵琶湖を望む高台にあります。
では、見学しますよ。
入館料は320円ですが、JAF会員は250円です。
70円引きは大きい。
ここは館内の写真撮影はNGだそうですが、エントランス部分は大丈夫だそうです。
周辺の地図がありますね。
うわー、やばい。
気になる場所だらけだ。
2階のベランダに出られるようです。
琵琶湖だー。
前回滋賀に来たのは、2年前です。
あのときは、「NPO法人 滝山城跡群・自然と歴史を守る会」の城郭学習会で安土城跡と観音寺城跡を見学しました。
まだクラツーの仕事をする前でしたが、クラツーの仕事をするようになってからすっかり古代史方向に寄っているため、今回は城跡は見ないでしょう。
本当は見たいんですけどね。
あれは何だろう?
さて、展示は6つのテーマに分かれています。
1.堅田と比叡山麓の村々
2.比叡とその山麓
3.大津百町
4.近江八景
5.膳所六万石
6.大津京
これらの展示でとくに俊逸なのはジオラマです。
それぞれのジオラマが良くできていて、ジオラマ好きには堪らないと思いますよ。
私的には一番関心があるのは大津京関連ですが、写真がNGなのは痛いですね。
それと、通史的な展示もあります。
それでは、資料も入手したので、市内の気になるスポットを回ろうと思いますが、南隣にある三井寺(園城寺)が気になる・・・
でも今日は我慢です。
三井寺に参拝していたら時間が足りなくなるでしょう。
まずは、皇子山古墳へ向かおうと思います。
皇子山古墳は私の大好きな前方後方墳ですから、これは確認しておかないと気が済みません。
しかも大津市内には前方後方墳はこれ1基しかないのです。
博物館敷地内の案内図。
新羅三郎義光の墓も気になりますが、皇子山古墳ヘ向けて出発!
と、勇んで走り出したものの、すんなりとたどり着けません。
だいたいこの辺のはずなんですが・・・
この辺りの住宅街は道は狭いし坂も多いし車で走るのは大変です。
あれ、古墳よりも先に近江大津宮錦織遺跡の説明板と標柱を発見してしまいました。
ところが、路駐できるスペースがないですね。
いいや、ちょっとだけ路駐して、写真を撮っちゃいましょう。
ここは第9地点か。
こちらは第7地点。
あー、対向車来ちゃった。
もっとじっくり観察したいですが仕方がない。
逃げます。
※帰宅後調べてみたら、他にも何地点か説明板などもあるようなので、いずれ再訪して今度は周囲をくまなく歩いてみようと考えています。
百済が滅亡した翌年の661年、斉明天皇が崩御すると、その子・中大兄皇子は即位せずに「称制」で政治を行っていました。
663年には白村江の戦で倭国軍は唐・新羅軍に負けてしまったのですが、考えてみればこのとき日本には天皇がいなかったんですね。
「天皇代理」のような中大兄皇子がトップだったのです。
しかしその中大兄皇子も、667年には後飛鳥岡本宮からここ大津へ都を移し、翌年この地でようやく即位します(天智天皇)。
天智は671年には崩ずるため、天智がこの大津で政治を執ったのは足掛け5年だけでした。
そして天智の跡を継いだ弘文天皇も672年の壬申の乱によって、出自不明(私は九州から来たと考えていますが)な天武によって滅ぼされてしまいます。
この短期間しか存在しなかった都ですから、どのくらい整備が進んでいたのか興味深いところですが、現在に至るまで発掘調査の範囲がとても狭いため、あまり多くのことは分かっていないようです。
『大津の都と白鳳寺院』(大津市歴史博物館/編)によると、検出された建物跡は、南門、回廊、内裏正殿などで、中心部分の平面プランはおおよそ想定されており、ここに遷る前の飛鳥の後岡本宮の内郭との共通性が指摘されており、後岡本宮をやや小さくした宮殿ではなかったかと推測されています。
では、改めて皇子山古墳を探しますよ。
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4.補足
5.参考資料
・現地説明板
・『大津の都と白鳳寺院』 大津市歴史博物館/編 2017年