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下野薬師寺跡からしもつけ風土記の丘資料館へやってきました。

しもつけ風土記の丘資料館のすぐ隣には下野国分尼寺跡があり、近くには同じく国分僧寺跡があるのですが、以前来たときに両寺は見学しています。
でもその時は、時間の関係で資料館の見学はできなかったのです。
ですから今日は資料館をじっくり見学しますよ。
入館は無料です。

周辺ジオラマ。

こういうのを眺めているとこの場から離れられなくなるんですよね。
下野国府と国分寺は思川を挟んで立地しています。

国分寺側には古墳が多いですが、大型のものも多く、古墳時代後期(6世紀)になってこの地域は大きく発展しました。
まずは古墳の展示を楽しみましょう。

お、出現期古墳の展示がありますよ。

出現期古墳の分布図。

栃木県の範囲で見ると、前期の古墳の造営が最も盛んなのは那須地方です。
こちらの資料館では那須地方に関しては詳しくとりあげておらず、当該地方に関しては那珂川町と大田原市にそれぞれあるなす風土記の丘資料館へ行くといいでしょう。
あちらも素晴らしい展示内容で近くに古墳も多いですから、ぜひ行ってみてください。
では、こちらの展示に戻ります。
下野市内での出現期古墳としては三王山古墳群がありました。


本日行ってきた上神主・茂原官衙遺跡の宇都宮市側にも出現期の古墳群がありました。

茂原古墳群の一基、茂原愛宕塚古墳。

埋葬施設は木棺直葬で槨は設けられていないようですね。
木棺は割竹形かなあ。
宇都宮市内は中世から近世にかけても栄えていましたし、今でも栃木県の県庁所在地ですが、古墳時代も先ほど見た通り出現期の古墳があり、中期になると大型の前方後円墳が築造されます。

以前訪れたことのある塚山古墳は墳丘長が93mあり、「前方後円墳集成」では6期(中期中葉)にあたりますが、栃木県内全体を見渡しても中期の古墳としては、他には102mの笹塚古墳くらいしか大型のものは無く、塚山古墳はまさに中期の栃木を代表する古墳と言えます。
塚山古墳は、塚山古墳群を形成している1基で塚山1号墳とも呼ばれるのですが、古墳群の説明はこちらです。

塚山古墳から出土した円筒埴輪。

円筒埴輪も編年が確立されており、見つかった埴輪片の状態によってはいつの時代のものか分かるため、それにより古墳の築造時期を推測することができます。

透孔(すかしあな)の形状は当初は三角形や四角形や半円形というようにバラエティーに富んでいましたが、B種ヨコハケが施された時代には、丸だけになっています。
また、B種ヨコハケの時代は埴輪窯で焼くため、野焼きの埴輪にみられる黒く焦げてしまった跡はないはずですよ。
なお、B種ヨコハケというのは、横方向に入っている線のことです。
こちらは朝顔形円筒埴輪で、墳丘に円筒埴輪をズラーッと並べるときにたまにこれも間に置かれます。

塚山古墳の次の7期に築造された塚山西古墳(墳丘長63m)から出た円筒埴輪ですが、これは面白いですよー。

透孔の周りに線刻があるのです。

大量にある円筒埴輪にいちいちこういった模様を施していくのは手間がかかりますが、何か意味があったのでしょう。
もう1個あります。

今まで意識してみてこなかったのですが、栃木・群馬に分布するようなので、今後当該地域をめぐるときは要注意ですね。
塚山西古墳出土の壺。


つづいて塚山古墳と並んで中期の栃木を代表する笹塚古墳です。

帆立貝形古墳の説明もありますよ。

壬生町の牛塚古墳も昨年探訪しています。
今日この後訪れる予定の摩利支天塚古墳。

そして琵琶塚古墳。

琵琶塚古墳のジオラマ。

横にチラッと写っている小さな帆立貝形古墳は桑57号墳です。
複製ですが、琵琶塚古墳出土の円筒埴輪。

横方向の突帯が5本ありますので、これは5条6段の円筒埴輪と呼びます。
基本的には円筒埴輪の大きさは墳丘の大きさとのバランスを考えて決まるのですが、関東の場合は5条あればかなり格式が高いと思っていいでしょう。
琵琶塚古墳に行くのも楽しみです。
主な前項後円墳を比較するとこうなります。

サシバ型埴輪は珍しいですねえ。

サシバというのは、日よけもしくは送風のために貴人の横に控える人が持っている道具です。
こんな珍しいものが出ていますが、仁良川3号墳は6世紀前半に造られた径25mの普通サイズの円墳なんですよ。
石室の説明。


さて、ここからは甲塚古墳特集となります。
2017年9月15日に出土遺物が国の重要文化財に指定されたのです。

甲塚古墳の実物はあとで見に行きますが、まずは出土遺物を見てみましょう。


やはり、目玉はこの機織形埴輪でしょう。

機織形埴輪は目下、ここでしか見つかっていないのです!

古墳時代の女性は水玉模様のワンピースを着ていたようですよ。

甲山古墳では24基の形象埴輪の配置がこのように分かっています。

盾持人埴輪。

盾持人埴輪の表情はたいてい怖かったり醜かったりしており、ここにはないですが、馬曳人の埴輪も異様な顔立ちばかりなのです。
そういうのもきちんと意味があってそうなっているはずですが、なにか古墳時代の特殊な身分の人びとの存在を想起させられます。
おっと、これは「ユダヤ人埴輪」に似てますよ!

でも顎ヒゲがないですね。

彩色の復元図があるのは素晴らしい!

顔は真っ赤だったようです。
つぎに男性。



つづいて女性。
胸のふくらみも表現されています。

しかしかなり大きなピアス(耳環)ですね。


そしてこちらも女性。

掘り出したときにパーツが足りないのが普通ですが、こうやって復元する際に白ではなく、似たような色で足りない部分を補うことがあります。
見れば分かると思いますが、妙にツルっとしている部分は付け足した部分ですよ。

顔の上半分は見つからなかったんですね。

つづいてお馬さん!

こちらも彩色の復元があります。

個人的に、馬形埴輪のカッコよさは畿内に負けていないと思います!


という感じで、古墳関係の展示はかなり充実しています。
でもこここは下野国分寺のすぐ近くですから、当然ながら国分寺についての展示もありますよ。
僧寺と尼寺のジオラマ。

僧寺の南側には甲塚古墳もありますね。
七重塔の模型。



それでは、さきほど出土遺物を見た甲塚古墳の墳丘を見に行きましょう。
(つづく)