⇒前回の記事はこちら
御所野遺跡を見学した後は、今度のツアーには入っていないのですが、この地域の縄文時代をもっと知るために、一戸町の隣の二戸市にある二戸市埋蔵文化財センターへ向かいます。
下道を走り、30分ほどで到着。
ここの3階にあるようなので行ってみましょう。
入館は有料で、展示室の隣の部屋で受付してもらうようです。
おっと、スミマセン。
係のお嬢さんはちょうどお弁当を食べている途中でした。
有料といっても50円なので良心的ですね。
展示室に入ると、いきなり地面の剥ぎ取り展示が現れました。
へー、九戸城跡のものか!
地層はもう一つ展示してあり、九戸城のジオラマもあります。
二戸周辺の代表的な城跡のパネル展示がありますよ。
浄法寺城があるのが嬉しいですねえ。
浄法寺城跡の出土遺物!
私が昔、この辺りの城館跡めぐりをしていたころは浄法寺地域はまだ二戸市に合併する前の独立した浄法寺町でした。
秋田の鹿角から浄法寺や安比にかけての中世城館跡はスケールがでかいんですよね。
巨大な城郭が数多く残っていますが、城主不明の城跡も多く、昔お付き合いのあった地元の研究家の方もその「謎」をとても強調していました。
しかしそれにしても、ここは九戸城関連の展示が充実しているなあ。
なんで昔、糠部の城館跡を探訪していた頃にここに来なかったのでしょうかねえ。
実は当時は実際の城の遺構を見るのは大好きでしたが、遺物を博物館でじっくり見ることにあまり興味がなかったのです。
まあ、若かったですからね。
おー、四戸城跡から出たサイコロが展示してある!
レプリカか・・・
四戸城跡もたぬさんと一緒に行ったなあ。
パネル展示では、九戸氏を南部氏の傍系とする昔からの説に対して、近年では別の家(南部氏ではなく小笠原氏)であった可能性が見出されていることをきちんと書いてあります。
いいことですね。
ミニシアターがあるので見てみましょう。
九戸政実の乱を分かりやすく説明していますが、こちらでもテロップで旧説は関する補足説明が流れます。
ヴィデオ自体は結構昔に作ったのだと思いますが、後からそういった説明をきちんと入れているわけですね。
また落ち着いたら九戸城跡を含め、この辺の館跡めぐりをしたいなあ。
九戸城跡出土の遺物がたくさんある。
九戸政実の乱の調査は昔かなり没頭しました。
また調べ直したくなってきましたよ。
展示室を進んで行くと、今回のテーマである縄文時代のコーナーが現れました。
ワクワクしてきますねえ。
この土器は二戸市内の中曽根遺跡から出土したものです。
さきほど、御所野縄文博物館で円筒上層式土器を見ましたが、それよりも古い、縄文時代前期の円筒下層式土器です。
外見の違いを比べてみると面白いですよ。
おっと、珍しい狩猟文土器。
でもレプリカですよ。
そうですね、レプリカでも喜ぶ習慣を身につけましょう。
人骨だ。
家族を襲った悲劇が想定されているんですね。
この遮光器土偶はガチャピンかな?
このクマの土製品も可愛い。
イノシシに見えますが、腹部に三日月の形の模様が描かれているので、ツキノワグマだということが分かるそうです。
横から見てみます。
いいねえ。
中世の展示も少々。
東北地方の板碑は関東地方(とくに武蔵)の画一的なデザインと違って、石本来の形を上手に生かしているような気がするのですがいかがでしょうか。
※ちなみに武蔵の板碑はこんなんです(協力:S源寺さん)。
※これは特別でかいですが・・・
多くの方々がルーツを知りたがる「戸(へ)」が付いた名前の地名についても説明があります。
というわけで、岩手県の歴史については中世は自分なりにもそれなりにやったと思っているのですが、縄文時代はまだまだ知らないことが多いため、こうして見るものの多くが新鮮でとても楽しいです。
人間はいろいろな喜びの感情を感じることができますが、知識欲が満たされるときの喜びは三大欲求に匹敵すると思います。
おや、あの遠くに見える山は名久井岳かな?
標高615mの名久井岳も昔はよく見ていたなあ。
登ったことはないんですけどね。
今度機会があれば、糠部地方の「昔よく見ていた山々」を片っ端から登ってみたいです。
名久井岳といえば、名久井氏(東氏)の館跡も昔行きました。
さて、次は八戸に向かいますよ。
⇒この続きはこちら
御所野遺跡を見学した後は、今度のツアーには入っていないのですが、この地域の縄文時代をもっと知るために、一戸町の隣の二戸市にある二戸市埋蔵文化財センターへ向かいます。
下道を走り、30分ほどで到着。
ここの3階にあるようなので行ってみましょう。
入館は有料で、展示室の隣の部屋で受付してもらうようです。
おっと、スミマセン。
係のお嬢さんはちょうどお弁当を食べている途中でした。
有料といっても50円なので良心的ですね。
展示室に入ると、いきなり地面の剥ぎ取り展示が現れました。
へー、九戸城跡のものか!
地層はもう一つ展示してあり、九戸城のジオラマもあります。
二戸周辺の代表的な城跡のパネル展示がありますよ。
浄法寺城があるのが嬉しいですねえ。
浄法寺城跡の出土遺物!
私が昔、この辺りの城館跡めぐりをしていたころは浄法寺地域はまだ二戸市に合併する前の独立した浄法寺町でした。
秋田の鹿角から浄法寺や安比にかけての中世城館跡はスケールがでかいんですよね。
巨大な城郭が数多く残っていますが、城主不明の城跡も多く、昔お付き合いのあった地元の研究家の方もその「謎」をとても強調していました。
しかしそれにしても、ここは九戸城関連の展示が充実しているなあ。
なんで昔、糠部の城館跡を探訪していた頃にここに来なかったのでしょうかねえ。
実は当時は実際の城の遺構を見るのは大好きでしたが、遺物を博物館でじっくり見ることにあまり興味がなかったのです。
まあ、若かったですからね。
おー、四戸城跡から出たサイコロが展示してある!
レプリカか・・・
四戸城跡もたぬさんと一緒に行ったなあ。
パネル展示では、九戸氏を南部氏の傍系とする昔からの説に対して、近年では別の家(南部氏ではなく小笠原氏)であった可能性が見出されていることをきちんと書いてあります。
いいことですね。
ミニシアターがあるので見てみましょう。
九戸政実の乱を分かりやすく説明していますが、こちらでもテロップで旧説は関する補足説明が流れます。
ヴィデオ自体は結構昔に作ったのだと思いますが、後からそういった説明をきちんと入れているわけですね。
また落ち着いたら九戸城跡を含め、この辺の館跡めぐりをしたいなあ。
九戸城跡出土の遺物がたくさんある。
九戸政実の乱の調査は昔かなり没頭しました。
また調べ直したくなってきましたよ。
展示室を進んで行くと、今回のテーマである縄文時代のコーナーが現れました。
ワクワクしてきますねえ。
この土器は二戸市内の中曽根遺跡から出土したものです。
さきほど、御所野縄文博物館で円筒上層式土器を見ましたが、それよりも古い、縄文時代前期の円筒下層式土器です。
外見の違いを比べてみると面白いですよ。
おっと、珍しい狩猟文土器。
でもレプリカですよ。
そうですね、レプリカでも喜ぶ習慣を身につけましょう。
人骨だ。
家族を襲った悲劇が想定されているんですね。
この遮光器土偶はガチャピンかな?
このクマの土製品も可愛い。
イノシシに見えますが、腹部に三日月の形の模様が描かれているので、ツキノワグマだということが分かるそうです。
横から見てみます。
いいねえ。
中世の展示も少々。
東北地方の板碑は関東地方(とくに武蔵)の画一的なデザインと違って、石本来の形を上手に生かしているような気がするのですがいかがでしょうか。
※ちなみに武蔵の板碑はこんなんです(協力:S源寺さん)。
※これは特別でかいですが・・・
多くの方々がルーツを知りたがる「戸(へ)」が付いた名前の地名についても説明があります。
というわけで、岩手県の歴史については中世は自分なりにもそれなりにやったと思っているのですが、縄文時代はまだまだ知らないことが多いため、こうして見るものの多くが新鮮でとても楽しいです。
人間はいろいろな喜びの感情を感じることができますが、知識欲が満たされるときの喜びは三大欲求に匹敵すると思います。
おや、あの遠くに見える山は名久井岳かな?
標高615mの名久井岳も昔はよく見ていたなあ。
登ったことはないんですけどね。
今度機会があれば、糠部地方の「昔よく見ていた山々」を片っ端から登ってみたいです。
名久井岳といえば、名久井氏(東氏)の館跡も昔行きました。
さて、次は八戸に向かいますよ。
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でまず漆好きの私が現地で気になったお寺のお名前出てきたんですよね。平安前から漆関係で近畿と接点あったんじゃないかなあ?ってずっと妄想してます。
あと四戸城って?四が好きなんで一回目の東北の旅行では四戸探し行ってます。でも見つからないし、キリストの墓の新郷村には行ってきて満足してました。それから早く二桁年経って、四戸城という文字がなんと金田一カッコ書きでわーいと。
金田一温泉この前行ってきましたよ。
で座敷童子のお宿には行ってきてその帰りにインター入る地図で見たのがお寺の名前。そこからまた数年経ってます。
この前お宿のテレビでは私の好きな原田龍二さん(原が付くのもありで)が座敷わらしと遊んでいたのも拝見し、そこでお世話になったご家族の元気な姿も。あのおばあさまがいい笑顔で素敵でした。一度火事で焼けてるので火除けの神様にもどうか守って頂きたい場所です。
そこからサイコロなんですね。
まず、読み込む前から笑っちゃってます。
とても個人的ではありますが、嬉しいヒントを頂きありがとうございます。8199