本日は掃除の仕事が半ドンだったため、懸案となっていた八王子市内川口方面の古墳めぐりに行ってきました。
近くにあるのでいつでも行けると思いつつ、行きたいなあと思ってから10年くらい経ってしまいました。
詳しい考察はまた後日ということで、ざーっと本日の探訪を振り返ってみます。
京王八王子駅を13時20分に出発。
最初に目指すのは中田遺跡です。
甲州街道から東京環状に入り北上。
浅川に架かる浅川橋を渡りつつ、いつもの山並みを見ます。
空模様がちょっと怪しい感じですが、予報だと雨は降らないようです。
つづいてすぐに川口川が現れます。
この先には中央道の八王子ICがあって一時期は毎週のようにそこから中央道に乗っていました。
あ、今日は歩きですね。
川口川橋から上流を見ると大岳山が。
鴨さん、こんにちは。
左岸を上流へ向けて歩きます。
一応、歩道はありますが、これは対向者とすれ違う時に「三密」になりますね。
「三密」とか言っていますが、数年後には何を言っているのか分からなくなっていることでしょう。
なんだあいつ?
黒い鳥が羽を広げたまま直立不動を保っています。
面白いのでもっとズームで撮りたいなあと思い、「呪力ズーム」を準備。
あ、撮る前に飛び立たれてしまった!
目的地に到着。
ここが中田遺跡ですね。
京王八王子駅からは35分ほど歩きました。
では、入り口を探しましょう。
若いお母さんが小さなお子さんたちと遊んでいたり、ウォーキングをしている女性やお父さんもいる長閑な公園です。
説明板はあるかな?
あった!
八王子市にしては結構立派なのを建てているんじゃん!
とかいうと、関係者の方に怒られそうですが、八王子市は自治体の広さや人口、それに遺跡の数に比べると、こういった説明板の設置が著しく少ないのです。
あんまり言うと自分が住んでいる自治体の悪口になるのでやめておきますが、もっとも優れている場所は滝山城跡で、全国の見本になるような素晴らしい説明板が多数設置してありますよ。
ところで、私は八王子にはもう18年くらい住んでいるので、中田遺跡という名前はもちろん知っていました。
でも、実はあまり詳しく知らずに、何となく普通の縄文集落かなと思っていたのです。
というのも、かつてこの公園に復元されていた竪穴式住居の写真を見たときに、縄文時代の住居だと思いこんでしまったからです。
この説明板を読んでみてこれが勝手な思い込みであることが分かりました。
説明板にも書いてありますが、中田遺跡は旧石器時代から近世までの複合遺跡で、縄文時代から平安時代までの住居跡は193棟検出され、そのうちの99件が古墳時代後期(6~7世紀)のものだったのです。
図面のアップ。
古墳時代の研究をここ5年くらい集中してやってきたのに、灯台下暗しというか、お恥ずかしい限りです。
八王子市内では、弥生末期に住んでいた人たちがそのままスライドして古墳時代前期まで住んでいたのですが、中期(5世紀)になると集落数が激減します。
そしてまた6世紀(後期)になると盛り返してきて、ようやく古墳も造られるようになるのですが、中田遺跡はまさしく、後期に盛り返してきたころに繁栄していた集落なのです。
7世紀前半にはその時代の多摩川流域で最大級の北大谷古墳がいまの大谷町に造られますので、その北大谷の「王」の支配下にあった村であると考えられます。
もう一つ説明板がありますね。
遺構の表示について説明されていますが、公園を見渡してみると、それらしきものがあります。
これですね。
この住居、結構広い。
隅丸方形ではなく、完全な四角形です。
一辺には出っ張りがありますが、出入口だそうです。
他の住居跡も見てみましょう。
どのお家も大きいです。
古墳のようなものがありますが、古墳ではありませんよ。
なんでああいう紛らわしいものを造るのかに関しては理解できません。
あ、これが復元住居があった場所ですね。
昔ここに建っていた建物の写真を見て、当時の知識で勝手に縄文時代の住居だと思い込んでいたわけです。
建物の一辺が9mとありますが、単純に床面積を出すと81㎡ですから、今のファミリー向けマンションの床面積に匹敵しますよ。
あー、今の我が家の方が狭い!
そんなことはどうでもよく、想像していたより楽しい公園でした。
この公園は古代史好きにはお勧めしたいですし、なんでこんな素晴らしい場所を八王子市はもっとアピールしないんでしょうかね?
もったいないです。
それでは、このまま川口川を遡り、古墳を見に行きましょう。
⇒この続きはこちらです
近くにあるのでいつでも行けると思いつつ、行きたいなあと思ってから10年くらい経ってしまいました。
詳しい考察はまた後日ということで、ざーっと本日の探訪を振り返ってみます。
* * *
京王八王子駅を13時20分に出発。
最初に目指すのは中田遺跡です。
甲州街道から東京環状に入り北上。
浅川に架かる浅川橋を渡りつつ、いつもの山並みを見ます。
空模様がちょっと怪しい感じですが、予報だと雨は降らないようです。
つづいてすぐに川口川が現れます。
この先には中央道の八王子ICがあって一時期は毎週のようにそこから中央道に乗っていました。
あ、今日は歩きですね。
川口川橋から上流を見ると大岳山が。
鴨さん、こんにちは。
左岸を上流へ向けて歩きます。
一応、歩道はありますが、これは対向者とすれ違う時に「三密」になりますね。
「三密」とか言っていますが、数年後には何を言っているのか分からなくなっていることでしょう。
なんだあいつ?
黒い鳥が羽を広げたまま直立不動を保っています。
面白いのでもっとズームで撮りたいなあと思い、「呪力ズーム」を準備。
あ、撮る前に飛び立たれてしまった!
目的地に到着。
ここが中田遺跡ですね。
京王八王子駅からは35分ほど歩きました。
では、入り口を探しましょう。
若いお母さんが小さなお子さんたちと遊んでいたり、ウォーキングをしている女性やお父さんもいる長閑な公園です。
説明板はあるかな?
あった!
八王子市にしては結構立派なのを建てているんじゃん!
とかいうと、関係者の方に怒られそうですが、八王子市は自治体の広さや人口、それに遺跡の数に比べると、こういった説明板の設置が著しく少ないのです。
あんまり言うと自分が住んでいる自治体の悪口になるのでやめておきますが、もっとも優れている場所は滝山城跡で、全国の見本になるような素晴らしい説明板が多数設置してありますよ。
ところで、私は八王子にはもう18年くらい住んでいるので、中田遺跡という名前はもちろん知っていました。
でも、実はあまり詳しく知らずに、何となく普通の縄文集落かなと思っていたのです。
というのも、かつてこの公園に復元されていた竪穴式住居の写真を見たときに、縄文時代の住居だと思いこんでしまったからです。
この説明板を読んでみてこれが勝手な思い込みであることが分かりました。
説明板にも書いてありますが、中田遺跡は旧石器時代から近世までの複合遺跡で、縄文時代から平安時代までの住居跡は193棟検出され、そのうちの99件が古墳時代後期(6~7世紀)のものだったのです。
図面のアップ。
古墳時代の研究をここ5年くらい集中してやってきたのに、灯台下暗しというか、お恥ずかしい限りです。
八王子市内では、弥生末期に住んでいた人たちがそのままスライドして古墳時代前期まで住んでいたのですが、中期(5世紀)になると集落数が激減します。
そしてまた6世紀(後期)になると盛り返してきて、ようやく古墳も造られるようになるのですが、中田遺跡はまさしく、後期に盛り返してきたころに繁栄していた集落なのです。
7世紀前半にはその時代の多摩川流域で最大級の北大谷古墳がいまの大谷町に造られますので、その北大谷の「王」の支配下にあった村であると考えられます。
もう一つ説明板がありますね。
遺構の表示について説明されていますが、公園を見渡してみると、それらしきものがあります。
これですね。
この住居、結構広い。
隅丸方形ではなく、完全な四角形です。
一辺には出っ張りがありますが、出入口だそうです。
他の住居跡も見てみましょう。
どのお家も大きいです。
古墳のようなものがありますが、古墳ではありませんよ。
なんでああいう紛らわしいものを造るのかに関しては理解できません。
あ、これが復元住居があった場所ですね。
昔ここに建っていた建物の写真を見て、当時の知識で勝手に縄文時代の住居だと思い込んでいたわけです。
建物の一辺が9mとありますが、単純に床面積を出すと81㎡ですから、今のファミリー向けマンションの床面積に匹敵しますよ。
あー、今の我が家の方が狭い!
そんなことはどうでもよく、想像していたより楽しい公園でした。
この公園は古代史好きにはお勧めしたいですし、なんでこんな素晴らしい場所を八王子市はもっとアピールしないんでしょうかね?
もったいないです。
それでは、このまま川口川を遡り、古墳を見に行きましょう。
⇒この続きはこちらです