⇒前回の記事はこちら
今日は朝7時に現地に到着して、ずっと笛吹市内の遺跡めぐりをして、時刻はお昼となりました。
そろそろ何か食べたいなあと思いますが、節約のためコンビニへ行きましょう。
次の目的地は上の平(うえのだいら)遺跡で、山梨県立考古博物館の裏山のような場所にありますが、考古博物館の近くにはファミマがありますのでそこへ向かいます。
ファミマに到着するころ、ついに雨が降り出しました。
予報ではもう少し後から降ると言っていましたが、早まっちゃいましたね。
まあともかく、ファミマでお弁当を購入してランチ。
こういうランチはお掃除の仕事の時と同じです。
では、上の平遺跡へ行ってみましょう。
車ならすぐです。
到着しましたが、雨がさらに強くなってきました。
少しの間待機。
電話を掛けたり、車の中でできる仕事を片付けつつ待ってみましたが天候は変わりませんね。
仕方ない、行きますか。
傘をさして遺跡へ向かいます。
ウェルカムな感じ。

「甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園」とありますね。
石碑には「日本一 上の平の周溝墓」。

いみじくもこの石碑が伝えている通り、上の平遺跡は弥生時代末から古墳時代初頭にかけて築造された128基の方形周溝墓が見つかった遺跡で、全国の「方形周溝墓er(ホーケーシューコーバー)」垂涎の遺跡なのです!
128基って・・・
それでは行きます。
バーン!

ババーン!

方形周溝墓群!

堪りません・・・

全体図が手元にないので、ひとまず復元された方形周溝墓を眺めながら進んでみます。

パッと見、大型のものが多いですが、これは少し小さい。

隅の一箇所のみブリッジがあるタイプが多いようです。
向こうには植栽も見えてきました。

立地的には、このように丘の上にあります。

しかし良いねえ・・・

説明板発見!

先ほどから見ているものは築造当時のものにイメージを近づけて復元しており、それ以外にも説明板に書かれているとおり、植栽で位置を示し、それらの間を迷路のように楽しめるようにしているエリアがあるんですね。

面白いアイデアです。
低い櫓もありますよ。

もう一つ説明板。

説明板によると、上の平遺跡は旧石器・縄文、そしてこの方形周溝墓群という複合遺跡で、見つかった128基の方形周溝墓のうち35基を復元しているようです。
日本全国を見渡してもこれだけ多くの方形周溝墓が見られる場所(見せ方は別として)は、なかなか無いんじゃないでしょうか?
※もしこれに匹敵する遺跡公園などをご存じの方がいらっしゃったら教えてくださいね。
櫓に登って眺めてみましょう。

東日本では円形周溝墓は極めて少数派となりますが、ここには円形は無いようですね。

植栽表現の場合は、周溝の切れ目(ブリッジ)がどこなのか分からないのは残念ですが、そこまで気にする人はよっぽどのマニアです。

では、もう少し歩きますよ。
さきほどと同じような説明板がありました。

植栽表現に隣接した1基がとくに大きいのが気になります。
※帰宅後、『山梨県埋蔵文化財調査センター調査報告書第59集 上の平遺跡 第1・2・3次調査』(山梨県教育委員会/編)を見てみると、全体の構成が分かりました。

※私はこの図でいうところの右側から侵入しており、現地で最も大きと感じたのは1号墓で、大きさは30m✖20mという大型の方形周溝墓ですが、方形周溝墓群の中では築造されたのは新しい時期ということです。
おや、植栽の真ん中に何かが見えます。

あらま、バスケットボール・・・

これはさすがに取りにいけませんね。
公園管理の方も気づいていても手を付けられないのかしら?
ちなみに今更ですが、周溝墓というのは、主として弥生時代の墓制で南東北から九州までの列島各地に分布しているポピュラーなお墓で、東日本では古墳時代になってからも造られています。
それらは方形のものと円形のものがあって方形が多数派です。
もちろん、弥生時代の人びとがすべてこういったお墓に入れたわけではなく、村落の中でもある程度の力がある人とその家族のみが葬られた墓と考えられており、家長のお父さんは低い墳丘の中央に埋葬され、家族は周溝に埋葬されているケースもあります。
この時代は今と違って一家の中でのお父さんの力は強かったんですね。
では、大多数の一般人がどんなお墓に葬られたのかというと不明な点が多く、適当な場所に埋められて跡形もなくなってしまったようです。
さて、実は今回の探訪で一番楽しみにしていたのがこの上の平遺跡でした。
傘を差しながらの見学となりましたが楽しかった!
来た甲斐がありました・・・
ヤバい、ツアーのときもたまにあるのですが、自分で気づかずにこういう洒落を言ってしまったときはとても恥ずかしいのです。
予定ではこのあと、この近くにある古墳のうち未見のものをすべて見るつもりでしたが、天候もよくないので、県内で唯一の前方後方墳である小平沢(こびらさわ)古墳だけ見て帰ることにしましょう。
⇒この続きはこちら
今日は朝7時に現地に到着して、ずっと笛吹市内の遺跡めぐりをして、時刻はお昼となりました。
そろそろ何か食べたいなあと思いますが、節約のためコンビニへ行きましょう。
次の目的地は上の平(うえのだいら)遺跡で、山梨県立考古博物館の裏山のような場所にありますが、考古博物館の近くにはファミマがありますのでそこへ向かいます。
ファミマに到着するころ、ついに雨が降り出しました。
予報ではもう少し後から降ると言っていましたが、早まっちゃいましたね。
まあともかく、ファミマでお弁当を購入してランチ。
こういうランチはお掃除の仕事の時と同じです。
では、上の平遺跡へ行ってみましょう。
車ならすぐです。
到着しましたが、雨がさらに強くなってきました。
少しの間待機。
電話を掛けたり、車の中でできる仕事を片付けつつ待ってみましたが天候は変わりませんね。
仕方ない、行きますか。
傘をさして遺跡へ向かいます。
ウェルカムな感じ。

「甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園」とありますね。
石碑には「日本一 上の平の周溝墓」。

いみじくもこの石碑が伝えている通り、上の平遺跡は弥生時代末から古墳時代初頭にかけて築造された128基の方形周溝墓が見つかった遺跡で、全国の「方形周溝墓er(ホーケーシューコーバー)」垂涎の遺跡なのです!
128基って・・・
それでは行きます。
バーン!

ババーン!

方形周溝墓群!

堪りません・・・

全体図が手元にないので、ひとまず復元された方形周溝墓を眺めながら進んでみます。

パッと見、大型のものが多いですが、これは少し小さい。

隅の一箇所のみブリッジがあるタイプが多いようです。
向こうには植栽も見えてきました。

立地的には、このように丘の上にあります。

しかし良いねえ・・・

説明板発見!

先ほどから見ているものは築造当時のものにイメージを近づけて復元しており、それ以外にも説明板に書かれているとおり、植栽で位置を示し、それらの間を迷路のように楽しめるようにしているエリアがあるんですね。

面白いアイデアです。
低い櫓もありますよ。

もう一つ説明板。

説明板によると、上の平遺跡は旧石器・縄文、そしてこの方形周溝墓群という複合遺跡で、見つかった128基の方形周溝墓のうち35基を復元しているようです。
日本全国を見渡してもこれだけ多くの方形周溝墓が見られる場所(見せ方は別として)は、なかなか無いんじゃないでしょうか?
※もしこれに匹敵する遺跡公園などをご存じの方がいらっしゃったら教えてくださいね。
櫓に登って眺めてみましょう。

東日本では円形周溝墓は極めて少数派となりますが、ここには円形は無いようですね。

植栽表現の場合は、周溝の切れ目(ブリッジ)がどこなのか分からないのは残念ですが、そこまで気にする人はよっぽどのマニアです。

では、もう少し歩きますよ。
さきほどと同じような説明板がありました。

植栽表現に隣接した1基がとくに大きいのが気になります。
※帰宅後、『山梨県埋蔵文化財調査センター調査報告書第59集 上の平遺跡 第1・2・3次調査』(山梨県教育委員会/編)を見てみると、全体の構成が分かりました。

※私はこの図でいうところの右側から侵入しており、現地で最も大きと感じたのは1号墓で、大きさは30m✖20mという大型の方形周溝墓ですが、方形周溝墓群の中では築造されたのは新しい時期ということです。
おや、植栽の真ん中に何かが見えます。

あらま、バスケットボール・・・

これはさすがに取りにいけませんね。
公園管理の方も気づいていても手を付けられないのかしら?
ちなみに今更ですが、周溝墓というのは、主として弥生時代の墓制で南東北から九州までの列島各地に分布しているポピュラーなお墓で、東日本では古墳時代になってからも造られています。
それらは方形のものと円形のものがあって方形が多数派です。
もちろん、弥生時代の人びとがすべてこういったお墓に入れたわけではなく、村落の中でもある程度の力がある人とその家族のみが葬られた墓と考えられており、家長のお父さんは低い墳丘の中央に埋葬され、家族は周溝に埋葬されているケースもあります。
この時代は今と違って一家の中でのお父さんの力は強かったんですね。
では、大多数の一般人がどんなお墓に葬られたのかというと不明な点が多く、適当な場所に埋められて跡形もなくなってしまったようです。
さて、実は今回の探訪で一番楽しみにしていたのがこの上の平遺跡でした。
傘を差しながらの見学となりましたが楽しかった!
来た甲斐がありました・・・
ヤバい、ツアーのときもたまにあるのですが、自分で気づかずにこういう洒落を言ってしまったときはとても恥ずかしいのです。
予定ではこのあと、この近くにある古墳のうち未見のものをすべて見るつもりでしたが、天候もよくないので、県内で唯一の前方後方墳である小平沢(こびらさわ)古墳だけ見て帰ることにしましょう。
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