3.探訪レポート
2021年8月18日(水)
この日の探訪箇所
鬼ノ城 → 総社市埋蔵文化財学習の館 → 吉備津神社 → 中山茶臼山古墳 → 吉備津彦神社
時刻はそろそろ16時です。
18時には岡山駅周辺に戻りたいので、あまり攻めれないですね。
近くにある中山茶臼山古墳なら陵墓なので、それほど探訪時間はかからないでしょう。
脳内をナヴィに支配されながら吉備の中山を登ります。
狭くて急な山道なのに、地元の方々の抜け道になっているのか、結構対向車が来ます。
あ、ここが入口だな。
でも駐車できそうな場所がないです。
いったんやり過ごし、Uターンして戻ると、乗用車であれば辛うじて路駐できそうなスペースがあります。
停めるのを失敗したら脱輪しますが。
では行きますよ。
看板一杯。
辛うじて陵墓を指し示すのが分かりますが、200mとありますね。
拝所の近くまで車で行けると思っていたので甘かったですが、200mなら大丈夫でしょう。
では登りますよ。
1段の段差が大きいので、いい運動になると思ったら、すぐに普通になりました。
息を弾ませながら登りきると右手に妙に明るい空間があります。
でもそちらに古墳があるわけではないようです。
お、「御陵」の案内板がある。
それが指し示す先に拝所を発見!
着きましたー。
下から5分くらいですね。
おっと、面白いものがあります。
国境石。
そういえばこの中山って令制備前国と備中国の国境線が走っていましたね。
でもなんでこの山で国を分割してしまったのでしょうか。
考察してみると面白そうです。
肝心の古墳はまったく分かりませんね。
宮内庁の制札があります。
孝霊天皇の皇子・大吉備津彦命の墓です。
一般的には、吉備津彦で通っていますが、なんで「大」が付くのでしょうか。
「大」が付くのは尋常ではないですよ。
吉備津彦については、次に訪れる吉備津彦神社でお話ししますが、中山茶臼山古墳は墳丘長105mの前方後円墳で、吉備で最古級の前方後円墳です。
ただ最古級というのも微妙で、吉備の場合は弥生時代後期後半に墳丘墓がガンガン築造されて、その中には前方後円形のものもあり、前方後円形墳丘墓とするか、前方後円墳とするか微妙なものもあるのです。
こういう弥生時代と古墳時代がシームレスにつながっているところが吉備の魅力なわけですが、105mという規模はそれ以前に築造された墳丘墓よりは大型化していますね。
では、今登ってきた石段を今度は降りないとなりません。
雨は止んでいますが、滑りやすいので気を付けて降りましょう。
下の方は1段の段差が大きいので、そういうところは降りるのも大変なんですよね。
ところで、この中山には他にいくつかの古墳があり、今回の旅ではとてもではないですが回り切れないですし、また時期的にも夏場は古墳めぐりに向いていないので、今度下草が枯れた時期に再訪して、中山にある古墳をめぐってみたいと思います。
やっと、降りられた。
では、中山茶臼山古墳の被葬者とされている大吉備津彦を祭っている吉備津彦神社へ行きますよ。
(つづく)