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鶴窪古墳を出て、集落の中を歩き宝蔵寺の前まで来ました。
宝蔵寺は、宝珠山と号する顕本法華宗の寺院です。
由緒書のようなものは無いようですね。
宝蔵寺の後背部に姉崎天神山古墳があるようです。
あ、あの丘の上だろうな。
墳丘には天満宮があるようで、鳥居も見えますね。
到着!
ここも説明板があります。
姉崎古墳群で最大規模の前方後円墳ですよ!
復元すると130mになるようです。
ちょっと光の具合が悪く墳丘図がうまく撮れない・・・
築造時期は、さきほど釈迦山古墳のときに述べた通り前期で、前方後円墳集成では3期となっています。
では、墳丘へ登りますよ。
前方部の一番奥には何やらお堂のようなものがあります。
下の階段から上がってくると前方部側になります。
古墳の向きは、大雑把に見ると、今日の午後見てきた3基の大型・中型前方後円墳(二子山・釈迦山・鶴窪)のうち、後期の鶴窪古墳以外とこの天神山古墳は後円部が東の方向を向いています。
もちろん厳密ではありませんが。
ただしこれは単純に地形の制約のためだと思いますが、さきほど見た鶴窪古墳だけが反対側を向いており興味深いです。
というふうに、今日見た姉崎古墳群の前期・中期の大型・中型墳の3基がみな同じ方向を向いているのは面白いです。
あ、瓦葺ですが天満宮でした。
よく行く群馬県の太田天神山古墳も天満宮が祀られており、名前が「天神山」になっています。
でも、この建物からすると元々は神社じゃないんじゃないかな?
おっと、これは後円部に登るのは困難でしょう。
前期の古墳らしく、今いる前方部から後円部へは結構な比高差があります。
後円部に登るのはやめておきます。
眺望。
登ってきた西側の眺望。
遠くに見える森が姉埼神社の社叢ですが、姉埼神社の拝殿と天神山古墳の長軸はピシッと合っているため、姉埼神社の拝殿で拝むと、本殿の後ろにいる天神山の被葬者を拝む構図になります。
古墳よりも社殿の方が後ですから、姉埼神社の社殿を造営した際に確実に天神山を意識していますね。
では、いったん姉埼神社へ戻りますよ。
⇒この続きはこちら
鶴窪古墳を出て、集落の中を歩き宝蔵寺の前まで来ました。
宝蔵寺は、宝珠山と号する顕本法華宗の寺院です。
由緒書のようなものは無いようですね。
宝蔵寺の後背部に姉崎天神山古墳があるようです。
あ、あの丘の上だろうな。
墳丘には天満宮があるようで、鳥居も見えますね。
到着!
ここも説明板があります。
姉崎古墳群で最大規模の前方後円墳ですよ!
復元すると130mになるようです。
ちょっと光の具合が悪く墳丘図がうまく撮れない・・・
築造時期は、さきほど釈迦山古墳のときに述べた通り前期で、前方後円墳集成では3期となっています。
では、墳丘へ登りますよ。
前方部の一番奥には何やらお堂のようなものがあります。
下の階段から上がってくると前方部側になります。
古墳の向きは、大雑把に見ると、今日の午後見てきた3基の大型・中型前方後円墳(二子山・釈迦山・鶴窪)のうち、後期の鶴窪古墳以外とこの天神山古墳は後円部が東の方向を向いています。
もちろん厳密ではありませんが。
ただしこれは単純に地形の制約のためだと思いますが、さきほど見た鶴窪古墳だけが反対側を向いており興味深いです。
というふうに、今日見た姉崎古墳群の前期・中期の大型・中型墳の3基がみな同じ方向を向いているのは面白いです。
あ、瓦葺ですが天満宮でした。
よく行く群馬県の太田天神山古墳も天満宮が祀られており、名前が「天神山」になっています。
でも、この建物からすると元々は神社じゃないんじゃないかな?
おっと、これは後円部に登るのは困難でしょう。
前期の古墳らしく、今いる前方部から後円部へは結構な比高差があります。
後円部に登るのはやめておきます。
眺望。
登ってきた西側の眺望。
遠くに見える森が姉埼神社の社叢ですが、姉埼神社の拝殿と天神山古墳の長軸はピシッと合っているため、姉埼神社の拝殿で拝むと、本殿の後ろにいる天神山の被葬者を拝む構図になります。
古墳よりも社殿の方が後ですから、姉埼神社の社殿を造営した際に確実に天神山を意識していますね。
では、いったん姉埼神社へ戻りますよ。
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