私が金澤会長と十年近く前に私の道場に出入りしていた西村氏(現川崎市会議員)の紹介。そのときの会長の印象はとにかく初対面であっても気さくな人で私も自然と何でも話が出来そのうち会長の仲間の人たちが続々集まってきてまたそこで会長中心に大騒ぎになりその中でいろいろと皆に気を使いながら料理を作ったり接待した人が奥さんでまたその奥さんも気さくな人。
その時に思ったことは金澤会長に対しての奥さんの気配り、それにお客さんに対してのマナーは私も含めて仲間からも絶賛の声。まさにその通りの人。それからずって会長との付き合いがあり、私がインターネットを始めてから3年半の空白がありましたが、久しぶりに私と川上事務局長とが会い、昔の会長の話の話題で盛り上がり改めて金澤会長の数々の功績を聞いてるうちに、ここまで街や社会に対して貢献した人は、まず今まで私も30年近く社会運動をやっていましたが、見たことも聞いたこともない。事実私もいくつかの金澤会長の町おこしなどに参加したことがあります。
それ以前に改めて一番驚いたのは、川崎と木更津にまたがるアクアラインの発想から着工開始まで持っていった立役者だとは誰も知らなかったt思う。しかし事実それまで努力した人が金澤会長だ。それだけでも大変な人だとは思いませんか。ここに改めて金澤会長からお話を聞きたいと思い会長からコメントを戴きました。
東京湾横断道路の出来るまで(金澤義春)
経緯は昭和51年3月、私は千葉県鴨川市仁江間島の海岸沿いに約5000坪の土地を求め健康ランドを作り鴨川の観光産業になればと思い建築のために川崎から木更津までフェリーボートに何十回となく通っているうちフェリーボートから眺め、ここに橋をかけて川崎と東京千葉の農産物、魚介類を運搬するのに15-20分くらいで運び市民の台所に安く役立てるのではないかと考え、東京湾横断道路という名前をつけ、橋を架けるには議員の先生の力を借りなくてはと考えました。 |