私は国の為に亡くなった曾祖父さんに会いに行って来ます
私は国家国民の為に戦って亡くなった方々の死を、国民は心から感謝の気持ちを捧げるのは、当たり前だと思います。世界中どこの国でも国家の為に命を捧げられた方々に心から感謝するのは当然ですよね。第一中国や韓国は、いまだに反日教育をしている事自体おかしい。こんな国と仲良くなれますか。その上、靖国参拝反対なんて言われる筋合いはない。日本人にも誇りがあります。皆さんそう思いませんか。かりんは悲しい。
祖国の為に戦い又は戦火の犠牲になった民間人を含めた300万人の同胞の御霊に祈りを捧げたい。戦後の日本はアメリカのGHQによって作られた平和憲法のもとで平和国家を目指して歩んできた。それと並行して朝鮮動乱やベトナム戦争によって特需景気。これは日本にとってはついていた。
この両戦争が日本の高度成長の元を作ったそれによって、日本は豊かになり世界屈指の経済大国に成長した。まさに奇跡の戦後復興だ。しかしその戦後復興もバブルを境に急激に経済力が落ちた。その後に起きたのが阪神大震災。それから東日本大震災や福島原発の放射能漏れによって増々日本の経済はどん底に落ちて行った。
そこの弱みに付け込んで中国は台湾と日本との間に横たわる海底に将来世界的な産油地域になる事を確信。それを契機に領有権を主張いよいよ軍事力を強化した中国の一部の民衆が日本に対し戦線布告をと政府に圧力。そして民衆の一部の活動家が尖閣に上陸をした。もう日本は空想的な平和ボケした考えを捨てなければならない大変な時代に突入した。
国民は平和を維持するためには、今までの能天気な考えを捨て、平和を守る為には軍事力の裏付けが必要であると云う事をしっかり自覚しなければいけない。
靖国神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っています。
靖国神社は、明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。
我が国には今も、死者の御霊を神として祀り崇敬の対象とする文化・伝統が残されています。日本人は昔から、死者の御霊はこの国土に永遠に留まり、子孫を見守ってくれると信じてきました。今も日本の家庭で祖先の御霊が「家庭の守り神」として大切にされているのは、こうした伝統的な考えが神道の信仰とともに日本人に受け継がれているからです。
そして同様に、日本人は家庭という共同体に限らず、地域社会や国家という共同体にとって大切な働きをした死者の御霊を、地域社会や国家の守り神(神霊)と考え大切にしてきました。靖国神社や全国にある護国神社は、そうした日本固有の文化実例の一つということができるでしょう。
日本の主な戦没者追悼施設
第二次世界大戦の戦没者数 軍人230万 民間人80万
靖国神社 東京都千代田区九段北 神社
追悼対象 幕末以降の「国家殉職者」(主に戦争で死亡した軍人)を祭神とする(約246万人)
政府式典 GHQ(連合国総司令部)占領をきっかけに、1945年11月以降は行われていない
千鳥ヶ淵戦没者墓苑 東京都千代田区三番町 納骨施設
第二次大戦で海外で死亡した軍人・民間人の身元不明の遺骨を納めた「無名戦没者の墓」(約35万人)
政府式典 5月下旬に拝礼式(8月15日、近くの日本武道館で全国戦没者追悼式)
(子どもを守り隊の金澤義春会長の川崎の黄門様)
君が代
http://youtu.be/8iuYxdXFPbc