青少年育成連合会 | 日本の未来を【夢と希望に満ちた国】にする為に日本人の心に訴えたい
子どもは日本国の宝|私たちは【子どもをいじめと虐待、性犯罪から守る】為にあらゆる方法を講じ解決にあたります





ここ連続千葉大4年の荻野友花里さんが殺された事件を連続出していますが、何しろ高裁の村瀬裁判長が殺害した被害者が1人で殺害に計画性がなかったら死刑を回避し無期懲役の判決。こんな事が当たり前になったら殺人事件は増える一方だ。これを防止するのに作られたのが裁判員制度。それを平気で無視する村瀬のような裁判官がゴロゴロいる。それに対し国民が無関心だから裁判官のやりたい放題。被害者遺族はあまりにも悲惨だ。これを機に私達は荻野さんを支援しましょう。



今日は今の日本人の無気力な若者を見ていると何か不安を感じる。年々武道人口が減る中、大人も子供もゲームの世界。こんな能天気な国民が世界にいるだろうか。

 昭和52年、川崎市高津区において、多くの少年達を集めてボランティアで空手の指導を開始。それからしばらくして市の施設4カ所を借り多くの子ども達に同じくボランティアで空手の指導を続けた。理由は礼儀の出来る強い人間作り。そして昭和56年、青少年育成会を設立し、昭和59年に青少年育成連合会に名称変更



1992年(平成04年) テレビ朝日、朝まで生テレビに出演、その他数々のテレビに出演。学校内でいじめによる自殺が発覚したのは1986年(昭和61年)2月1日東京都中野富士見中学校いじめ自殺事件で学級担任がいじめに加担するなど日本で初めていじめ自殺事件として全国に激震が走った。それによって多くのいじめや自殺が発覚し、それこそ文部省をはじめ国も大騒ぎになり、それから続々といじめによる自殺者が新聞やテレビで報じられた。それこそ全国の学校で隠された闇の部分だ。それに私は怒り狂った。それからしばらくして我々もこの事件を追及し、鹿川裕史君の父親を連合会の副理事長にして、いじめ自殺撲滅運動を開始した。



1993年平成05年 「マット殺人事件」で山形県の学校の児玉君が亡くなった体育館に調査と共に児玉さんのご両親と会い改めて学校のでたらめさを知り、この児玉君の名誉の為にも闘うことを決心。現地には3回行き調査をする。



1994年平成06年 愛知県西尾市でいじめを受けて大河内君が自殺、いじめの実態を現地に行き追求する。神奈川県津久井町のいじめ自殺、現地の子供と共に育つ会と協力、いじめの実態を追求



1995年平成07年 伊藤準君(13)がいじめを苦に自殺。上越市教育長と中学校長に、現地に行き公開質問状を提出。



1996年平成08年 文部省にいじめ問題に対する改善要望を要求。NHKでニュースに出る。TVタックルや、いじめ問題など出演。活動も最盛期に入る。



2000年平成12年 「5000万円恐喝事件」で名古屋市教育委員会と学校に調査に行く横浜、川崎を中心にシンポジューム、特に学校のいじめ問題を中心に活動を続け現在に至る



(子どもを守り隊の金澤義春会長の川崎の黄門様)







君が代 
http://youtu.be/8iuYxdXFPbc