昨日今日と天気がグズついてますが、お盆休みも後半に入りました。 お盆休み如何お過ごしでしょうか? 前半は、高知の宿毛・足摺方面に行って、ペルセウス流星群や足摺宇和海の海を観たりして楽しんできました。 またそれは後ほど
今日は、72回目の終戦記念日。 アジア諸国や関係各国、日本の人が心を一つにして戦没者追悼に世界平和を祈っていく日なんだなと、改めて思います。 北の脅威もありますが・・・本当の世界平和はまだまだ遠い、今日は重い1日ですね。
さて、知覧と花瀬望比公園の写真でも~


特攻隊員の勇姿の銅像と、自衛隊練習機のT-3 石原慎太郎製作総指揮を行った映画、「 俺は、君のためにこそ死ににいく 」で使われた、隼の実物大のレプリカ。

知覧教育隊の正門として使われていたもの。


三角兵舎(復元) 特攻隊員の方達が、出撃するまでの数日をここで過ごしてた。 ここで家族・友人・恩師に手紙や遺書、また寄書きを書いたそうです。


兵舎としてはVIPルームだったんだろうか? この部屋で出撃までの間、隊員さん達はどのような心境で過ごしてたんでしょうかね・・・




隼の残骸も展示。 タイヤももうスリップサインが出てるけど
まさかこれは当時はここに置いてはなかっただろうけど・・・こんなん見せ付けられたら 

本館。 周りにも神社とか飛行場跡地の施設、掩体壕(飛行機の壕)整備工場跡とか油脂倉庫や給油給水所に弾薬庫などが在りました。
本館内では撮影禁止になっており、引き上げられた胴体が半分の零戦とか、遺品に遺書や手紙に寄せ書きとか関係資料。
特攻隊員さんが書いた遺書なんか皆さん達筆で、誰かが専門で代筆してるんじゃないのっと思うくらいしっかり綺麗に書かれてました。 夏休みで親子友人連れの児童・生徒さんや学生さんもソコソコ来てましたが、遺書を見た特攻隊員と同じくらいの年代の人はどう感じたんでしょうかね。
一人っきりの母親を残して特攻に行った20歳の隊員さんの遺書も辛い。 笑って征きます・・・お母様も泣かずによくやったと褒めてください・・・笑って散ります。
「 妹へ 」10代の特攻隊員の遺書はキツかった・・・簡単な言葉だったけど、親孝行 すごく重い。
涙腺が少々壊れてしまいましたが・・・ 「 さようなら 」っと、手紙に書かれてる最後の言葉5文字が非常に重苦しいでした。 あと少し生きられてたら・・・ 改めて今現代に生きてる者として、過去と現代をミックスして色々考えさせられる施設でした。



感傷に浸りながら、特攻隊員さんも通過して征った開聞岳まで走らせた。 開聞岳山麓の西側に在った花瀬比望公園。 しばらく後ろにそびえ立つ開聞岳と東シナ海を眺めました。
この場所はたまたま看板みて来ただけで知らなかったんですが、比(フィリピン)比島戦線に散りし47万6千余の英霊・戦没者の霊の鎮まる霊地だそう。


作り物かと思ったら、本物の日本軍の92式重機関銃とヘルメット( 遺骨収集の際、共に日本へ持ち帰られたもの )

想比之像 フィリピンに出兵していった兵隊さんの妻子像。 ひたすら無事に帰還を望むその姿は、印象に残るものがあります。

あの親子・・・いつまで見守ってるんだろうか。 戦争被害者の人たちにとって、戦争はまだ終わってないんだろうな!


お父さん、性転換して帰ってきたぞ~! って画はいらんけど・・・今のフィリピンって、そうなんでしょう?? 性転換の戦場か・・・
男にさようなら~

今日は、72回目の終戦記念日。 アジア諸国や関係各国、日本の人が心を一つにして戦没者追悼に世界平和を祈っていく日なんだなと、改めて思います。 北の脅威もありますが・・・本当の世界平和はまだまだ遠い、今日は重い1日ですね。
さて、知覧と花瀬望比公園の写真でも~


特攻隊員の勇姿の銅像と、自衛隊練習機のT-3 石原慎太郎製作総指揮を行った映画、「 俺は、君のためにこそ死ににいく 」で使われた、隼の実物大のレプリカ。

知覧教育隊の正門として使われていたもの。


三角兵舎(復元) 特攻隊員の方達が、出撃するまでの数日をここで過ごしてた。 ここで家族・友人・恩師に手紙や遺書、また寄書きを書いたそうです。


兵舎としてはVIPルームだったんだろうか? この部屋で出撃までの間、隊員さん達はどのような心境で過ごしてたんでしょうかね・・・




隼の残骸も展示。 タイヤももうスリップサインが出てるけど



本館。 周りにも神社とか飛行場跡地の施設、掩体壕(飛行機の壕)整備工場跡とか油脂倉庫や給油給水所に弾薬庫などが在りました。
本館内では撮影禁止になっており、引き上げられた胴体が半分の零戦とか、遺品に遺書や手紙に寄せ書きとか関係資料。
特攻隊員さんが書いた遺書なんか皆さん達筆で、誰かが専門で代筆してるんじゃないのっと思うくらいしっかり綺麗に書かれてました。 夏休みで親子友人連れの児童・生徒さんや学生さんもソコソコ来てましたが、遺書を見た特攻隊員と同じくらいの年代の人はどう感じたんでしょうかね。
一人っきりの母親を残して特攻に行った20歳の隊員さんの遺書も辛い。 笑って征きます・・・お母様も泣かずによくやったと褒めてください・・・笑って散ります。
「 妹へ 」10代の特攻隊員の遺書はキツかった・・・簡単な言葉だったけど、親孝行 すごく重い。
涙腺が少々壊れてしまいましたが・・・ 「 さようなら 」っと、手紙に書かれてる最後の言葉5文字が非常に重苦しいでした。 あと少し生きられてたら・・・ 改めて今現代に生きてる者として、過去と現代をミックスして色々考えさせられる施設でした。



感傷に浸りながら、特攻隊員さんも通過して征った開聞岳まで走らせた。 開聞岳山麓の西側に在った花瀬比望公園。 しばらく後ろにそびえ立つ開聞岳と東シナ海を眺めました。
この場所はたまたま看板みて来ただけで知らなかったんですが、比(フィリピン)比島戦線に散りし47万6千余の英霊・戦没者の霊の鎮まる霊地だそう。


作り物かと思ったら、本物の日本軍の92式重機関銃とヘルメット( 遺骨収集の際、共に日本へ持ち帰られたもの )

想比之像 フィリピンに出兵していった兵隊さんの妻子像。 ひたすら無事に帰還を望むその姿は、印象に残るものがあります。

あの親子・・・いつまで見守ってるんだろうか。 戦争被害者の人たちにとって、戦争はまだ終わってないんだろうな!


お父さん、性転換して帰ってきたぞ~! って画はいらんけど・・・今のフィリピンって、そうなんでしょう?? 性転換の戦場か・・・

男にさようなら~
